お父様の聖和後「中断なき前進」を宣言したお母様は、重い持病を抱えながらもビジョン2020を走り抜かれました。
その姿に「お父様との約束を果たしたい切なる心情」を読み取り、どれだけ批判されようがお母様をお支えしようと決意した食口は多いはずです。
そのような食口の篤い信仰が、除幕式で披露された石像によって裏切られました。

清平で新しい建造物が完成し、空中庭園にある二つの石像をオモニが披露されました。

天の父母様聖会の食口は、「霊界のお父様と地上のお母様は完全に一体だ」という本部の説明を信じてきました。
長年訓練された食口の信仰が、ここでも威力を発揮しました。
はじめは葛藤があったのだとしても、「お母様がお父様を愛しておられる心情」が次第に分かるようになるらしいのです。

アボジの聖和後オモニは「中断なき前進」を宣言し、ビジョン2020まで重い持病を抱えながらも走り抜かれました。
それを「お父様との約束を果たしたい切なる心情」と好意的に捉えるのであれば、独生女を批判する輩は許し難い親不孝として映るのでしょう。

しかしビジョン2020を越えた後のみ言葉で、その好意的な解釈が間違っていたことが判明しました。

5分20秒〜
基元節のゴールは誰がしましたか?お母様だけがゴールしました。そして3年間はお父様のために、天の父母の前に哀れみと赦し、愛を求めました。

この動画は別のアカウントで公開されたところ、削除要請で消されたものです。
喜ばしい集会の麗しいお姿を、なぜ隠すのでしょうか。
本部はこの発言が、食口の好意的解釈と矛盾することに気付いているからです。

オモニが「お父様との約束を果たしたい切なる心情」でビジョン2020まで走り抜いたのであれば、こうおっしゃっていたはずです。

基元節のゴールは誰がしましたか?私たちのお父様です!3年間の侍墓精誠の間、お父様の感謝の思いがいつも伝わってきました(感極まって泣かれる)。しかし生きてその光景をお見せできなかったことに、申し訳ない思いを禁じることができませんでした。(サマリア人の”こうあってほしい”願望)

そうであれば除幕式で披露された石像も、「勝利された真の父母」を象徴する内容であったはずです。
王冠を被り、アボジとオモニが手をつないで祝祷される荘厳な石像であれば、後世に残す価値はあったでしょう。

あたかもすべての作品は、その作者の見えない性稟の実体的展開であるように、被造世界の森羅万象は、それを創造し給うた神の見えない神性の、その実体対象として展開されたものなのである。それゆえ、作品を見てその作者の性稟を知ることができるように、この被造万物を見ることによって神の神性を知ることができるのである。(原理講論p42)

二つの石像は、いまのオモニの心象世界が作品として展開したものです。
中央に据えられた像は独生女の姿を表現していますが、ここにお父様の姿がないのはなぜでしょうか

「霊界のお父様、地上のお母様が一つになって勝利されたのだから・・・」という好意的解釈では説明できません。
ならば「芸術的に」、それを表現すれば良いではありませんか。

 

こんなオモニの姿は、見たくありませんでした。
子どもはお父さんとお母さんが仲睦まじかった幸せな頃を思い出して、離婚寸前でもやり直せることを信じているのです。
オモニの「お父様との約束を果たしたい切なる心情」を好意的に信じてきた食口の皆さんも、同じ気持ちではないでしょうか。

カテゴリー: 意見真実

12件のコメント

近 直樹 · 2020年10月2日 10:22 AM

お母様はお父様に恨がお有りなんですよ。お母様の恨が解放されてないのですよ!

    daichi · 2020年10月6日 6:47 AM

    近さん、ありがとうございます。
    石造を見ても、恨があるのはたしかなようですね。
    その恨を解いて、神様の摂理とお父様の遺産を正しく引き継ぐ道を歩んでくださることを願うばかりです。

      · 2020年10月7日 2:59 AM

      お母様が恨を持たれた理由、また根本原因はお父様の不倫、女性問題にあります。ですからその恨をとくためにはオモニ批判ではなくお父様を蕩減復帰できる身代わりが現れることです。もし、三男さんが代身者ならば神の立場と心情からお母様にお父様にかわって「苦労かけて、傷つけて、申し訳なかったね。」と言えるでしょう!その日を待ってるし、それができれば三男さんは真にお父様の相続者、になると思ってます。

        daichi · 2020年10月8日 5:37 AM

        近さん

        沢山のコメントありがとうございます。

        そもそも聖進様のお母様が真の母として勝利できなくなり離婚せざるを得なくなった時点で、サタンが勝利宣言をするほど、あり得ない失敗が起こってしまいました。本来ならばそこで再臨摂理はおしまいです。

        それをひっくり返すために、真の母を探し立てるための蕩減の道のりはとてつもなく険しいものになったに違いありません。

        そのようなお父様の歩みに対して、近さんは、お父様がサタン的な動機からその道を歩まれたと考えていらっしゃるようですが、私はそうは思いません。お父様は真の母を探し立て真の家庭を成すという神の摂理の目的だけを見つめて歩んでこられたのです。

        しかしそのようなお父様の動機を、お母様も、近さんも理解できずにいらっしゃるのだと思います。

        恐らく天の父母様聖会の祝福家庭の中にも、今回の石造がお母様を中心とするものであり、お父様が脇役になっていることを感じている方は多いでしょう。「恨の多いお母様がこうなったのは、無理もないんだ。お母様は可哀そうな立場なんだ」。そのように考えるしかないのかも知れません。

        しかし考えてみてください。「お父様は間違っていた。そしてお母様はお父様に対する恨みから正しくないことをされている」。このように理解するなら、神の摂理が成し遂げられる希望はすでにどこかに消え失せてしまいまっています。

          · 2020年10月9日 4:42 PM

          私はお父様が聖進さまのお母様と結婚した動機をサタンとは思いませんが、摂理の中心人物の選択責任があると思います。最初から韓鶴子様を真のお母様としてターゲットに定めることができたなら、こんなにも犠牲者を出すことはなかったと思いますし、始めから真の父母様は2人とも初愛で結ばれていてエデンの園のアダムとエバの立場を復帰されたのです。ですからお父様は最初のお母様の選択に失敗しました。ですからお母様はお父様の聖和後、為すべきことを為して後、独生女宣言をされたのです。独生女理論を受け入れない方はいまだに多いと思いますが、これからの摂理にかなってるし、本来の創造本然のペアシステムの原則に近い理論だと思ってます。神様はアダムとエバを直接無原罪で創造されました。大事なのはアダムがエバを創造したのではないことです。ですから独生女は生まれた時から無原罪で神から送られた、言えるのです。ですからお父様とお母様との関係は対等な横の関係になります。従来の蕩減的な父母様の関係は上下の主人と僕の関係が永久に続いてしまう関係にしか見えません。真のお母様が勝利しても唯の正室であり他の沢山いる側室達のひとりにしか見えません。独生女理論はそのような従来のお父様とお母様の関係に終止符を打った画期的な理論だと思いますがどのように思われますか?

          daichi · 2020年10月13日 5:08 AM

          お父様の相対者として本来相応しかった方は、聖進様のお母様です。

          第二次世界大戦が終了した1945年、キリスト教と民主主義は絶頂を迎えました。しかしこの時、真の家庭を成すことができなかったために、東洋のエルサレムと言われた平壌は共産政権下に置かれるようになりましたし、中国も共産化されました。

          またこの時、米国を中心とするキリスト教圏が判断を誤らず、共産国家を国連に入れなかったならば、冷戦なくして世界情勢は神の摂理の軌道に乗っていたはずです。

          ですから再臨主は1945年までに家庭を成す必要がありました。

          1945年当時、お父様は25歳、お母様は2歳です。そのように考えると、そもそもお母様がお生まれになったタイミングが、摂理の時に合っていません。

          もちろん、本然のアダムとエバは唯一のペアであるのが神様の創造であるのは当然のことです。もしもそのことだけを重要視したならば、お父様は聖進様のお母様が寂しい思いをされないように、ただ大切にされたことでしょう。

          しかし唯一のペアであるだけでなく、本然の男性と女性としての最初の先例を立てなければならないという責任分担があるため、責任を果たせなければ真の母になることはできません。

          そのような複雑な事情があったと考えます。

          また、石像ではお母様を崇拝するかのような周りの登場人物たちの仕草があります。私はたとえあそこに真の父母様の像が揃って立っていたとしても、違和感を覚えます。

          お父様が神様王権即位式後のみ言葉で語られたように、最終的には真の父母も必要なく、一人ひとりが直接神様につながるのが本然の世界であり、真の父母を介してつながるのではありません。

          あのような崇拝する信仰スタンスは新約次元のもので、そもそもの信仰観、真の父母観がズレていると言って良いと思います。

錦古里 正一 · 2020年10月4日 5:37 PM

この石造?(石膏?)の像は、これをこのまま設置していれば、大変な問題を引き起こします。
見方によれば、マホメットを含む聖人達がお母様を崇拝しているように捉えられます。
イスラム教では、マホメットの尊顔を描くだけでも殺害すら企てられる重大な不敬行為です。
一般人ですらこのような行為が宗教間の争いを引き起こすことを承知しているにもかかわらず、世界を神様の真の愛で一つにしようとする団体がこれを行う矛盾は、将来、致命的な結末をもたらすことになります。 天の父母様聖会の指導者等の心根が問われる。

yama · 2020年10月5日 5:44 PM

 動画に関しては、普通に著作権の問題で削除要請をされただけではないでしょうか。この動画は普通に礼拝等で視聴いたしましたし、このみ言も40日路程中の訓読のみ言にもなっていましたので、隠したいという恣意的なものではないと思います。天勝殿の彫刻もおっしゃりたいことはわかりますが、天勝殿ないしは天勝殿の彫刻像の意味がきちんとありますので、それに則って奉献されたものです。

    daichi · 2020年10月6日 6:50 AM

    yamaさんコメントありがとうございます。
    み言葉の同時通訳では、「天の父母の前に哀れみと赦し、愛を求めました。」の「哀れみ」の部分が訳されていません。40日訓読された日本語訳で、そこがちゃんと翻訳されているかご確認下さい。
    「哀れみと赦し」とは一般に、罪を犯した可哀想な人のために使う言葉です。
    基元節で「霊界のお父様と地上のお母様が一つ」であったのであれば、なぜ神様に「お父様のための哀れみと赦し」をとりなす必要があるのでしょうか。

    また石像は基元節のお母様のお姿ということは見れば分かります。
    ただ芸術作品なのだから、「一つになったお父様」の姿を「無形」にする意味はないはずです。
    歴史的に天使や聖霊を表現した壮麗な作品があるのですから、同じように「霊界から協助されるお父様」を表現すれば良かったのではないでしょうか。

    最後の瞬間までお母様の善意を信じたい信仰は美しいものだと思います。
    しかし上述のお母様の発言、除幕式で石像をご覧になって感慨深げに涙ぐまれるお姿、その善意とは真逆の現実を表しています。
    どうか時間をかけてでも悲しい現実を受け止め、なぜこんなことが起きるのか神様に祈り求めてほしいと願います。

近直樹 · 2020年10月6日 11:27 PM

先日お母様に恨があると言いましたが、お母様の恨の原因がお父様のお母様やご子女様に対する仕打ちが原因だとすれば、お母様に対する批判は当たらないと思いますよ。お母様の恨を解くためには「苦労ばかりかけて申し訳なかった。私が間違ってたよ!」という天の声が必要だとおもいます。いずれ霊界のお父様がその声を代弁する時が来ると思います。

近直樹 · 2020年10月6日 11:40 PM

こんなにもお母様に恨を持たせてしまったお父様の罪は重いですね。その恨を解くためにはお母様を批判するのは当たらないと思いますよ。「本当に苦労かけて申し訳ないね。私が間違えてたよ!」という神様の声が必要だと思うよ。

はぐれ雲 · 2020年10月8日 8:52 PM

近さんがおられたので、したためます。

自叙伝ではコメントに賛同戴き感謝しています。

この像は見るからに不自然ですよね。

今の聖会の姿勢が良く現れていると思います。

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