顕進様を支持する有志の会
事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生

偉大な悟りが与える喜悦

それから1ヵ月後の12月20日、ソウルから電報が届きました。電話はとても高価で、急ぎの便りは電報を利用していた時代でした。「第1回協会40日伝道師修練会が開かれるので、参加したければ参加してもよい」という内容でした。全国各地に出ている、伝道師だけが参加する修練会でした。ところが、先生は私を覚えていて下さり、自ら電報を打って意思を確認されたのでした。 とても恐縮なことでした。もはや迷ったりする状況ではありませんでした。それこそ、天が私に下さった天命でした。 その日の夜、心を鬼にして、誰にも気づかれないように荷物をまとめました。 私にはただ真理に対する熱望があるだけでした。大学も、卒業証書も、高試も、裁判官や検事の夢も全てつまらないものに感じられました。 ただ一つ、私の行く手を阻んだのは、両親でした。生涯、家族だけを見て生きて来た真面目で原則的で、質素な父。真冬の夜にも、冷たい水で髪を洗い、かめ置き場の前で、子供の為に精誠を捧げてきた母。私に対する2人の期待と愛にしばし背くと考えると、気持ちがひどく重くなりました。 天情に従うか、人情に従うか。 悩んだ末、天のみ旨に従うと決意しました。簡単な道を行こう、楽に生きよう、私一人だけ成功しようと選んだのではありませんでした。そうせざるを得ない運命が訪ねてきたことを、私自身余りにもよく解っていたからでした。 「お父さん、お母さん。3年間だけ私を忘れて下さい。その時まで、この親不孝息子がこの世にいないと思って下さい。そしてどうか信じて下さい。この世の道理を、はっきりと知ろうと思います。あの向こうにある真理と原理から背を向けることはできません。どうぞ信じて下さい。3年後には、私の決定が正しかったと理解してくださるでしょう。尊い目的を成して、再び誇らしい息子として帰って来ます。その時には、喜んで私を迎えてください」 涙で手紙を残し、かばん一つに衣類をまとめて逃げるように家を出ました。 漠然と3年と書きましたが、そのぐらい過ぎれば、素晴らしい真理を自分のものにして、他の人に伝えることができるくらい成長できるだろうと期待していました。社会に一方的に蔓延する「異端を追い詰める」雰囲気も少しは変わっているだろうと信じました。韓国動乱の傷がいまだ癒えない、未来への希望など探すことも困難な大韓民国の希望を考えました。先生が教えられた新しい真理が世界に広まれば、祖国の未来もまた、とてつもない位置に立つだろうと確信していました。 20数年の短い人生を後にして、このように根本原理を探しに、完全に新しい人生を始めることになったのでした。毎日毎日が胸が高鳴り、幸せな日々でした。当時、「統一教会 (*2)」と呼ばれた私たちに対する世間の偏見や誤解は、言葉では言い表せない程でしたが、偉大な悟りからくる喜悦の前に、その程度の苦痛は何でもありませんでした。そのように恵みの手の下で酔って生きていました。
  1. 「統一家」は、お父様の教えに従う全ての組織と個人を指して普遍的な意味で使用している。草創期に「世界基督教統一神霊協会」を外部の人は「統一教会」という名称で使用したが、内部的には「統一運動」は「統一家」と同じ意味である。
■ 免責事項
当サイトは「有志の会」のメンバーの主観をまとめたものであり、各種資料は自主的な調査により収集したものです。
当サイトのご利用によって生じたいかなる損害につきましても、「顯進様を支持する有志の会」は一切の責任を負いません。
当サイト内の 動画、画像、テキスト、その他 につきまして、無断引用・無断転載は固くお断り致します。
しかし、顕進様を非難するのは間違っている!と思われた方は、どんどん引用・転載・シェア・拡散してください ^^)
© 2019 顕進様を支持する有志の会