顕進様を支持する有志の会
事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生

奇蹟の賜物

お父様の召命を受けて韓国に残された家族と離れ、米国で5年間一度も帰国できずに、仕事をしていた時でした。私のビザの問題がなんとか解決して、初めて世界巡回をしました。1979年9月19日、ペルーでその地域の宣教師たちと会議をしていた時、韓国から思いもよらない便りが飛び込んできました。 妻が突然倒れ、意識不明の状態だというのです。 瞬間、頭が真っ白になりました。急いで帰国の途に付きました。航空便も多くなく、飛行距離も長く、ロサンゼルス空港では乗換えを待つなど、むごたらしくも長く感じる帰国の途でした。事故の後、約36時間が過ぎた21日の朝になって、ようやく妻が入院している病院に辿り着きました。 妻は聖パウロ病院(今の三育ソウル病院)の集中治療室にいました。意識を失い、昏睡状態で横になっている妻を、病床の傍で見守るとは、想像もできない苦痛でした。医師は深刻な表情で、「心の準備をしてください」とだけ言いました。胸が張り裂けてしまいそうでした。 事故が起きた日、妻は末っ子を背負い、すぐ上の子の手を握って、家に帰るところでした。その日に限って、バスはぎゅうぎゅう詰めの満員でした。人々の間に入り込んで、中谷洞の停留所でようやく降りたのですが、付いて来なければならない子供が見当たりません。バスはすでに出発していました。叫ぶこともできず、地団太を踏んだ妻は、一端近くの通りにある家に走って行き、末っ子を降ろして、出発したバスを追いかけるためにタクシーに乗りました。 「どこまで行かれますか」 タクシー運転手が振り返った瞬間、妻は意識を失い倒れたというのです。普段から高血圧があり、その上に、一人で子供たちを育て、生活をやりくりしていく過労とストレスと共に、「子供を失くしたのではないか」という恐怖心が重なり、ショックを受けたのでした。 驚いたタクシー運転手は、近くの交番まで走り、警察官一人を横に乗せて、病院まで疾走しました。患者の状態を診た医師は、薄情にも「望みがないので、患者は受け入れられない」と言ったそうです。一緒に乗っていた警察官が強く抗議した末、やっと集中治療室に移され、緊急処置を受けたのでした。後でタクシー運転手の話によると、驚いたことにその日、中谷洞から聖パウロ病院まで走っている間、信号に一つも引っかからなかったそうです。 帰国して3日後、患者を移送する時に予想される危険も顧みずに、妻をもっと大きい明洞聖母病院に移しました。しかし、そこの医師からも、まったく同じ答えを聞かなければなりませんでした。 「1%の可能性も期待できない状態です。残念ですが、心の準備をされた方がよいかと思います」 口と鼻に、そして首に穴を開けてホースを入れて眠っている妻。呼びかけることもできず、黒くなった肌、まるで木片が倒れているかのような姿でした。惨めでした。その横で、ただ辛くて不憫なだけで、私ができることは何一つありませんでした。そんな現実が、私を重ねて惨めにさせました。 できることはただ一つ、祈りしかありませんでした。祈りとは、生きておられる神様の前に報告し、会話をすることです。しかし、今私の事情を、世の中の誰よりもよくご存知な神様に、私が何と祈りを捧げることができるでしょうか。 事故の便りを聞いて、あたふたと韓国行きの飛行機に乗りながら、とてつもない自責の念に苦しまなければなりませんでした。妻は余りにも純粋で善良な人でした。誰かに対して間違いをする人では絶対にありませんでした。そうだとしたら、私に何か間違いがあって、このようなことが起こったのではないだろうか。 「父なる神様が、何の理由もなく、私にこのような試練を与えられるはずがないと信じています。はっきりとした理由は分かりませんが、私は本当にたくさんの過ちを犯しました。しかし、願わくばこの人を生かしてください。私の残りの生涯を全て捧げます。今までより、何倍ももっと切実に、世界のために投入していきます…」 必死な祈祷が2週間近く続きました。そして、奇蹟が起こったのです。昏睡状態の妻が、12日ぶりに目を覚ましたのでした。 集中治療室の面会が始まる午前5時まで、病院の廊下で毎日してきたように、徹夜祈祷を終えた後、連日そうしたように、手をしっかりと握り、低い声で妻を呼んだのですが、驚くことにそっと目を開けたのでした。集中治療室のベットの上で横になっていた妻が、私と目を合わせた1979年10月1日、その明け方の感激と歓喜を、私は永遠に忘れることができません。 神様は、私の必死な祈祷に答えて下さいました。そして私はもう一度、神様に涙で感謝の祈祷を捧げました。担当医までもが、「神様が生かされた」と話しました。 電話で急な報告を受けられたお父様も、大きく喜ばれて言われました。 「錠煥が可哀想で、神様が貞恩を生かされたね! 」 それから40年が過ぎた今まで、神様は妻と私が一緒に生きていくことができる恵みを施してくださいました。 このように一つの峠を越えた数日後、お父様はアメリカから電話をくださり、私の意見を聞かれました。 「韓国で仕事をするのはどうか」 まだ家内の体は良くないのに、外国に行けば、心も落ち着かないので、傍で支えてあげなさいという配慮だったのでしょう。感謝の気持ちでしたが、そうすることはできないと思いました。それで、私の心境を率直に申し上げました。 「家内が生死の境を彷徨う間、ずっと祈りを捧げました。生かしてさえ下されば、世界と人類の為にもっと惜しみなく献身しますと。私ができることは、これしかありませんでした。それなのに家内のことを思って、韓国に居座ることは、神様の前に道理ではないと思います」 そうお話しすると、文総裁も理解してくださいました。 「本人の気持ちがそうであるのならば、そうしなさい」 私たち夫婦に起こった事故により、私は自らもっと謙虚になりました。 普通、私たちは人間的な観点で、私たちの人生を経験し、見て、感じ、判断します。これは非常に狭く短く限定的なものに過ぎません。したがって、私たちはいつでも、大きく広い神様の経綸を信じ、従う必要があると思うのです。 人の人生で、どのような配偶者に出会い、どのような結婚生活をするのかということは、とても重大な出来事です。この点で私は神様の祝福を実感する人生を生きています。困難な環境の中でも、家内は私に対する気持ちを、最初から最後まで変わりなく守ってくれた同伴者でした。そして6人の息子娘を、愛と真心で育ててくれた素晴らしい母でした。 今ではその息子娘たちが神様の祝福の下で家庭を築き、公的な生活をしており、私に孫・孫娘をたくさん抱かせてくれました。その中で長女・新淑家庭の外孫、長男・珍滿家庭の長孫と2人の孫娘、次男・珍孝家庭の長孫、末娘の美淑家庭の外孫まで、全部で6人が米陸軍士官学校(ウェストポイント)に入学しました。4人はすでに卒業して服務中であり、2人は今年入学しました。 ますます殊勝で誇らしく育つ孫・孫娘に加えて、いつのまにか長女と長男の家庭を通して、曾孫も3人生まれました。彼らを眺める喜びを可能にしてくれた妻にいつも感謝し、何よりも許諾してくださった祝福結婚の理想が観念上の祝福ではなく、実際に結実を見るようにしてくださった神様と真の父母様に感謝しながら生きています。
■ 免責事項
当サイトは「有志の会」のメンバーの主観をまとめたものであり、各種資料は自主的な調査により収集したものです。
当サイトのご利用によって生じたいかなる損害につきましても、「顯進様を支持する有志の会」は一切の責任を負いません。
当サイト内の 動画、画像、テキスト、その他 につきまして、無断引用・無断転載は固くお断り致します。
しかし、顕進様を非難するのは間違っている!と思われた方は、どんどん引用・転載・シェア・拡散してください ^^)
© 2019 顕進様を支持する有志の会