顕進様を支持する有志の会
事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生

明知大学校との驚くべき縁

奇蹟のようなことが、まさにその時起こりました。兪尚根(ユ・サングン)明知大総長が突然、目の前に現れたのです。兪総長は教授招請原理公聴会で私の講義を聞いた方ですが、3日間にわたって前から3列目中央に座り、傾聴するその姿がとても印象深かったのです。 公聴会が終わる最終日、7、8人が丸く座る午餐テーブルで、その方が私に言うのです。 「郭先生、一つお願いがあります」 「はい、お話しください」 「私たちの大学で講義をちょっとしてください。このように良い講義は、教授だけでなく若い大学生たちが聞けばもっと良いだろうと思います」 「総長のご好意は本当にありがたいですが、私にはそのような資格がありません」 「何をおっしゃいますか。私は講義を聞いて本当に感動しました」 「それでもそれは…」 「よろしければ明日の朝10時、私たちの大学総長室に来てください。待っております」 翌日、兪総長を訪ねて率直に話しました。 「実は私は、慶北大学校3年生の時に文鮮明先生の原理を知り、原理に心酔して大学を中退しました。今まで14年間、文先生の下で公職を務めて働いています。大学の卒業証書もないのにどうして講壇に立つことができますか」 兪総長が手を振りました。 「それが何の関係がありますか。私が郭先生の講義を直接聞いて直接招聘しているのです」 そうして、申相楚(シン・サンチョ)教授の例を挙げながら、卒業証書自体が重要ではないと励ましてくれました。申相楚教授は東京大学に在学中、日本の学徒兵として徴兵され、満州戦闘に動員されましたが、そこの日本兵営から脱営して独立軍に入った方です。大学の卒業証書はありませんが、後日、ソウル大学校、成均館大学校、慶熙大学校で名教授として活躍しました。 兪総長こそ「天が役事した方」という気がしました。既成教会の長老である彼が、統一教会の講師である私を、自分の大学の教壇に立てるとは。当時としては、なおさら奇蹟のようなことでした。 明知大学で思いがけず国民倫理担当教授となり、昼夜合わせて1週間に15時間前後、3年間教えました。私はPWPA創立以前に、これらの条件が整えられて自然に初代事務局長となり、無事に世界平和教授アカデミーが出発することができたのです。 振り返ってみると、かつて私に「復学して大学を卒業しなければならない」と言われた時から、お父様は人が考えもしない大きな理想を持っていらっしゃいました。また、その理想を実現するために私に現実的に何が必要なのかも知っておられました。これらの経験は、私に内外共に大きな学びと悟りの機会を与えました。 「志を同じくする私たち教授は、知性と良心を持って真理と善に至る道を探求し、あわせて人類の福祉と新しい文化の発展に寄与することを目的としPWPA(世界平和教授アカデミー)を設立するものである」 以上の創立趣旨文と共に、世界平和教授アカデミーが歴史的な出発をしました。1973年5月6日のことでした。168名の教授が参加して、ソウルニューコリアホテルで開かれたこの日の創立総会では、前弘益大学総長、李恒寧(イ・ハンニョン)博士が初代会長に選出されました。
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