顕進様を支持する有志の会
事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生

ソ連帝国の崩壊

1976年9月、お父様は米国の首都ワシントンD.C.で、「希望の日講演会」(ワシントン・モニュメント)を開き、「世俗的人本主義と唯物論を捨てて、神様から来る霊性を回復しなさい! 」と、米国国民を覚醒させる演説をしました。 以前にもその広場で、福音主義者のビリー・グラハム牧師、黒人人権活動家のマーティン・ルーサー・キング牧師が宗教集会を開きましたが、その日はどの集会よりも多くの聴衆が集まり、米国建国以後、最大の宗教集会として記録されました。モニュメント大会でお父様は宣言されました。 「ソ連のモスクワでも大会を行うつもりです」 それから9年後の1985年に、ゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長になりました。続いて、1990年にはソ連大統領に就任します。その後しばらくして、ゴルバチョフ大統領は、世界的な勝共運動家であり、反共反ソ運動陣営の代表的なリーダーであるお父様を、モスクワに招待しました。そのようにして、お父様は、ワシントンD.C.のモニュメント広場で宣言した「モスクワ大会」の約束を守ることができたのです。 ゴルバチョフ大統領は、ソ連共産党書記長になった後から、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(開放)の政策を推進します。ところが、米国と西側の支援と応援がなければ、ゴルバチョフ政策は成功することが困難であり、一方、この政策に抵抗するソ連内の正統マルクス・レーニン主義者と共産党指導部によって、いつ、その政治生命が終わるか分からない状況でした。ゴルバチョフ大統領は、米国と西側に自分の政策の正しさを知らせるために、代表的な勝共運動家であり、反共反ソ連陣営のリーダーとして、数年前から「ソ連帝国の滅亡と共産主義の終焉」を公に宣言してきた「レバレンド・ムーン」をモスクワに招待したのです。 1990年4月、お父様が設立した世界言論人会議とソ連国営通信社ノーボスチの共同主催により、モスクワで世界言論人会議が開催されました。この期間中、ゴルバチョフ大統領と文鮮明総裁の単独会談がありました。私はこの会談で、お父様がゴルバチョフ大統領に大胆な提案をされるところを見守りました。 「共産主義を捨て、神主義を採用してください。共産党を解散してください。宗教の自由を許可してください。扉を大きく開き、自由陣営の投資を受け、ソ連経済を生かしてください。ソ連の若者たちの教育を私に任せてください。韓国と国交を結んでください」 ゴルバチョフ大統領に対し、堂々とよどみなく語られるお父様の姿は、本当に感動的で驚くべきものでした。ソ連が進むべき方向を正確に指摘される、自信に満ちあふれた助言だったのです。 さらに驚くべき事実は、ゴルバチョフ大統領がお父様と会話を交わしながら、自然と心の扉を開き始めたという点でした ゴルバチョフ大統領の心を動かしたのは、お父様の優れた話術や論理ではなく、「真の愛をもって生涯を生きてこられたお父様の真正さ」でした。生涯、反共運動、勝共運動をする間に、ソ連と金日成政権から暗殺の脅威を受けたりもしましたが、それでもお父様は、共産主義の宗主国の最高指導者を敵や怨讐ではなく、真の愛で一つになるべき兄弟と見たのです。 ゴルバチョフ大統領との会談は成功裏に終わり、ふたりは義兄弟の関係を結んで別れました。その後、ゴルバチョフ大統領は、第2回世界平和連合国際会議(1994年、ソウル)に夫人のライサ女史と一緒に参加するなど、お父様が主催される国際大会にたびたび参加し、国際勝共連合運動の発祥地であり、家庭連合の歴史がつまっている聖地の京畿道九里市水澤里中央修練所と漢南洞公館を訪問しました。 お父様はモスクワ大会以降、数年間、ソ連で英語ができる大学生、学者、知識人と指導者を米国、日本、ソ連の休養地で行われるプログラムに招待し、神主義と統一思想、西欧民主主義の理念と自由市場経済の原理を教育されました。そのような基盤の上に、1991年、国際教育財団(International Educational Foundation、IEF)が設立されました。 1990年12月と1991年2月には、80人以上のソ連の代議員と、ブルガリア、チェコ、ドイツ、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、ユーゴスラビア出身の長官と国会議員60人余りが、米国指導者会議(ALC)のセミナーに参加しました。その中にはブダペスト市長のデムスキー・ガーボル氏、ソ連法務部長官のセルゲイ・ルシコフ氏のような人物も含まれていました。セミナーでは、彼らは共産主義に対するカウサ(CAUSA:南北米統一連合)の批判理論とその代案、西欧民主主義の核心に関する概論的講義を聞きました。 米国指導者会議(ALC)は、1991年4月にも米国ワシントンD.C.で世界指導者会議を主催しましたが、米国の首都で開催された、ソビエト連邦15ヵ国の共和国を代表して政府高官や政治指導者など200人が参加する前例のないセミナーでした。 ソ連が崩壊する最後の数年間で、15ヵ国の共和国代表が一堂に会した行事はこれが唯一でした。ソ連最高連邦委員会の連邦議員26人、共和国議員75人をはじめ、共和国の副大統領、長官、大使などがこのセミナーに参加しました。彼ら代表団は、ワシントンでは米国の連邦官吏たちと会議を開き、ニューヨークでは、経済指導者をはじめ、市・州政府の官僚たちと会合をもち、資本主義体制に対する実体的な理解を深めたのです。 一方、ソ連崩壊後、数万人の学生と教授と社会指導層の人士たちが統一原理セミナーに参加して、「文総裁の霊的理想に基づく希望のメッセージ」に大きな感動を受けました。1992年には、クリミア半島で国際教育財団が主催し、ロシア教育部が後援する「霊的復活とロシアの教育」セミナーを開催、連続的に開催されたこの行事には、全国から1600人を超える教育者たちが参加しました。 また、ロシア政府の公認の下、統一原理に基づいた小・中学生用の教育教材が作られましたが、この教材は、ロシアの1万以上の学校で教材として使用され、その中のいくつかの教材は、モンゴル、アゼルバイジャン、タジキスタン、キルギスなど、多くの国の言語に翻訳されて活用されました さて、1991年8月、ゴルバチョフ大統領夫妻が、クリミア半島の休養地で夏の休暇を過している間、反改革的なソ連共産党の保守派が、ゴルバチョフ大統領を逮捕し、軍事クーデターを起こす事件が発生します。共産主義のそうした最後のあがきにより、まかり間違えれば脱冷戦の希望が崩れるのではないかと危惧されるような状況でした。この時、お父様がゴルバチョフ大統領に一つのメッセージを送られるのです。文総裁から書信が来たという補佐陣の報告を聞いたゴルバチョフ大統領は、その場ですぐに読むように指示したといいます。 書信の内容はシンプルでした。 「共産党はすでに終わっています。彼らには意志も結集力もありません。屈服しないでください」 当時ニュースを通しても報道されましたが、モスクワなどの主要都市でクーデターが起きた時、市内に入る軍部の戦車を肉弾で阻止する学生たちがいました。数千人に過ぎない学生たちの情熱で、最終的には軍人たちも銃を置いて戦車を停めるしかありませんでした。このクーデターはわずか3日で幕を下したのです。 その時、その戦車を阻止した核心的な大学生と知識人たちは、他でもなく、お父様が設立した国際教育財団の教育に参加した人々だったということを、皆さんはご存知でしょうか。 共産主義イデオロギーの虚構性を悟り、新たに西欧民主主義の原理と開放社会に目を開いた若者たち、25回にわたって米国で教育を受け、未来への希望を抱いてソ連に戻った3500人の青年・学生たちが、他でもない彼らだったのです。このことは今後、歴史家たちによって、再び考証されることでしょう。
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