顕進様を支持する有志の会
事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生

真の愛、神主義・頭翼思想による統一論

1991年12月6日、世界平和連合の文鮮明総裁と、朝鮮民主主義人民共和国の金日成主席との歴史的な出会いは、興南の麻田主席宮で行われます。お父様が言及されたように、私たちはこの出会いを「聖書のヤコブとエサウの出会い」のような摂理史的な再会であり会談として解釈しています。 麻田主席宮が位置する興南は、6.25韓国動乱の直前に、お父様が平壌でのキリスト教徒たちの誣告(故意に事実を偽って告げること)によって、2年半の間、政治犯として収容されていた興南窒素肥料工場があるところでした。収監された収容者の多くは、平均1年以内に死亡するという「地獄の底」のようなところです。おそらく北朝鮮は、意図的にその興南の麻田主席宮を会談場所にしたのでしょう。 お父様が「金主席は私より7歳も歳上なので、お兄さんとなり、私は弟になる」という話をされると、金主席は快く、兄弟と呼び合おうと答えました。聖書の中のエサウとヤコブのように、互いに手を取り合って兄弟の関係になったのです。 午餐と一緒に行われた会談で、お父様と金主席はお互いの趣味生活を尋ねて会話が始まり、お父様は「真の愛、神主義、頭翼思想による統一論」という言葉を金主席に力説しました。その途中で、金主席は拍手を3回もしながら、「ありがとうございます」という言葉を繰り返しました。その前日、お父様が金達玄副総理と尹基福副委員長と締結した内容をもとにした「非核化と核の平和的利用、迅速な統一、経済協力、学術および芸術の交流、離散家族の再会など」の内容について、金主席は異議を提起せずに合意したのです。 金主席は会談を終えながら、最後に「米国のブッシュ大統領の北朝鮮招請と、米国との関係改善を周旋してほしい」とお父様にお願いもしました。その後、お父様と金主席は互いに手をつないで玄関まで出て記念撮影をしたのです。マスコミの報道写真を見ると、金日成や金正日は公式撮影をするときは、常に手を後ろで組んでいます。しかし、お父様と一緒に記念撮影をするときの金主席は、お父様と手をしっかりと握っていました。これが象徴するところは非常に大きいと私は考えています。お父様はこの出会いを、神様の摂理史的な観点から見つめて、金日成主席と対されたのです。 お父様が北朝鮮政府と結んだ声明文と合意文は、それから4日後に開かれた南北高位級会談(1991年12月10日~13日)で、大韓民国の鄭元植(チョン・ウォンソク)総理と北朝鮮の延亨黙(ヨン・ヒョンムク)総理がサインした「南北基本合意書」にほとんど反映されました。 南北基本合意書は、その後、締結された6.15共同宣言と10.4宣言に比べて、より相互対等な関係で結ばれた実質的な統一方案でした。 韓半島の分断は、よく地政学的な次元で冷戦時代の産物として説明されてきました。しかし、お父様が究明した神様の救援摂理史観によると、南北分断は「体制としては共産主義と自由民主主義、価値観と世界観では唯物論と有神論、理念では左翼と右翼、文化と思想では人本主義のヘレニズムと神本主義のヘブライズム、そして個人の次元では心と体の対立闘争」を意味しています。 南と北は対立闘争する両世界の象徴であり、結実体です。したがって、人類の生き方を規定してきた両世界の対立と闘争の歴史を終結させることにより韓半島分断の問題を解決するということは、救援摂理史的な意味と人類文化史的な意味の両方を含むことになるのです。このような側面から、南北韓平和統一のモデルは、「人類歴史を通して対立闘争してきた難問題を解決し、人類を永久的な平和世界に案内する設計図」だと言うことができるでしょう。 共産主義理論の論理的な矛盾を把握し、勝共思想を体系化したお父様は、究極的には共産主義を凌駕する思想的体系とビジョンを提示しなければならないと強調されました。そうしなければ、「火を求める蛾のように共産主義の虚構的な宣伝扇動に飛び込む青年学生と知識人たちを、真の平和と統一の道に導くことはできない」と見られたのです。また、「共産主義の問題だけでなく、資本主義がもつ弊害まで克服することができる代案が含まれてこそ、真の平和世界建設が可能である」と言われました。平和的な南北統一も、こうした思想とビジョンであってこそ可能なのです。 このようにして出てきたのが、左翼と右翼を一つに統合して矛盾と葛藤をなくし、調和とバランスを成す「頭翼思想」なのです。まさにこの思想の目指すところは、人類歴史を支配してきた対立闘争を終結させ、神様を中心とした共生・共栄・共義主義社会を追求するという点で、「神主義」というのです。 お父様は、このような神主義・頭翼思想を中心として、韓国、米国、日本、ソ連、中共、南米をはじめとする全世界主要国で、平和運動を展開してこられました。 1960年、70年代の日本は、全学共闘会議のような左翼グループの学生運動が激しかった国の一つでした。1945年に合法的に登録された共産党は、この時期に院内議席数を大幅に増やし、影響力を急速に拡大してきました。 お父様はこのような日本に国際勝共連合を創設し、衆議院(下院)と参議院(上院)の議員300人余りを勝共議員として組織しました。また、神主義と頭翼思想で訓練された日本の全国大学原理研究会出身者たちを、彼らの補佐官や秘書として派遣したのです。この時期、日本の企業は労働組合に共産主義が浸透するのを防ぐため、勝共連合に自社の従業員たちの思想教育を委託することもありました。 お父様は全国民教育のために日本で報道機関を設立し、在日同胞たちに勝共理論と統一思想を教育して、韓日の女性たちを姉妹結縁で結び、1980年初めには「韓日海底トンネルプロジェクト」まで発表することで、北東アジアと世界平和のための礎石を築いたのです。
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