事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生
お母様のとんでもない提案
当時としても、顯進様は、國進様が協調的に対応することを期待して、多くのことを譲歩しましたが、そういう兄を無視する國進様の態度はさらに深刻化しました。ついに國進様は、お父様の指示にも目配り一つしなくなりました。背後におられるお母様の存在ゆえでした。お母様の協助を固く信じていた顯進様としては、それこそ煮え湯を飲まされる状況でした。
沈黙していた顯進様は、入宮式以後、お母様と一緒に世界巡回に行かれた後、モンゴルでこれについて話をされました。するとお母様は、「UCIがヨイドに責任を持つようになったので、韓国にあるセントラルシティと龍坪は、何もない國進に任せるのが正しい」という論理を展開されました。顯進様が、「ヨイドまで支配している状態で、セントラルシティと龍坪まで奪おうとしている」と、お母様は認識しておられたようでした。
顯進様はそのようなお母様の主張を理解することができませんでした。
顯進様は、2005年にしばらく後ろに退いていた期間に、「自分に対するお母様の考えが大きく変わった」という感じを受けたそうです。
顯進様をさらに落胆させたのは、お母様がヨーロッパを巡回される期間に、私を通して提案した内容でした。
「韓国財団名義のヨイド敷地所有権を、UCIの名義になっているセントラルシティと龍坪などの株式と交換しなければならないというのでした。そうすれば、國進がヨイドにこれ以上神経を使わなくなるだろうし、互いがヨイドとセントラルシティに関して争わなくなるだろうから、きれいに整理されるのではないだろうか」
(國進様が金孝律氏を通してお母様を説得した内容と考えられます)
お母様の提案は、簡単に口頭契約でできるものでもありません。経済論理から見ても、でたらめな内容でした。法的な名義移転は、互いに売買する過程で、ものすごい税金を支払うことになりかねないからです。結局、「自分の韓国内での基盤を拡大するためには、そうした損害も辞さない」という、國進様の意図を伺い知ることができる内容でした。
さらに「真の子女たちが先頭に立って、あれこれと山分けする姿」が見えれば、食口たちの間にどういう波紋が広がるでしょうか。
深刻な摂理的な危機意識を感じた顯進様は、2006年8月10日付でお父様に書信を作成しました。そして、これをお父様に読んで差し上げるように私に依頼しました。