顕進様を支持する有志の会
事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生

UCIを接収しようとするお母様と國進様の意志

顯進様は弟たちの挑戦にもめげず、摂理的に充実した活動を展開していきました。父母様のすぐそばで孝行心を現わし、食口たちの歓心を買おうとする弟たちとは違い、世界と未来に対するお父様の経綸と夢を成すことに力を注ぎました。また、お父様も、新しく創設したUPFに関して顯進様に大きな期待をかけられ、全世界を舞台に活動を展開していくよう指示されました。 2007年2月、顯進様は米国12ヵ都市キリスト教会巡回講演を実施し、3月17日にはハワイでの国際会議で基調演説をして、この行事に参加したVIPは誰もが大きな感動を受けました。そこでお父様は「2013年まで毎月17日に国際会議(ILC)を開催し、これを顯進と郭会長が主管せよ」との指示を下さいました。この時から顯進様は、UPFの共同議長として紹介され、公式的には2007年7月にUPF常任委員会の推戴により共同議長に正式就任しました。 お父様のみ言葉と指導によって顯進様は、UPFを国際会議だけする組織ではなく、実質的な平和運動と摂理運動を主導する最上位機関として成長させました。また、毎月実施されるILCを通して、真の父母様の業績と教えを鼎立(ていりつ)していきながら、国際舞台に広い人脈を築いていきました。 2007年4月から6月まで、韓国と日本、米国でお母様を中心としたみ言葉巡回がありましたが、お父様は韓国大会から顯進様夫妻を共に随行させました。 ところが、決定的にお母様の心境に大きな変化を与える契機が訪れました。日本巡回が終わり、お父様がお母様と顯進様に米国巡回を指示しながら、「お父様のみ言葉を顯進様が代読し、お母様は息子を紹介せよ」とのみ言葉を下さいました。このような指示は、梁昌植米国大陸会長とマイケル・ジェンキンス米国協会長を経て、行事を準備する実務者たちに伝達されました。 お父様の措置は再度、お父様の権威を誰が相続するのか、世の中と全体の前に現わす意味がありました。すでにお父様は、お母様が聞いている場で、顯進様に「これからお父様の代わりに、全てに責任を負うことができるようにせよ」というみ言葉を下さいました。すでに宣布された通り、母子協助時代が終わり、父子協助時代、二世時代が到来した摂理進展を実証されたのです。しかし、お母様はそれを受け入れることができず、そのため、お父様は公的場でその意志を明らかにされたのです。 以前のお母様なら、そういうお父様の指示に従順に従い、協助されたでしょう。しかし、高齢になられたお父様に対するお母様の態度は、明らかに大きく変わっていました。 結局、お母様は、大胆にもお父様の指示を無視されました。米国に到着した後、顯進様がお母様を紹介し、お母様がお父様のみ言葉を読むようにされたのです。 「顯進様を立てたお父様の意志に同意しない」というお母様の公式的な反発でした。ある意味、お母様は、「妻を選ぶのか、息子を選ぶのか、決定せよ」という深刻なジレンマをお父様に投げかけたのです。 こうした状況において、お父様周辺の不義なる指導者たちが先頭に立ち、「お父様の次にはお母様が実権を握る」という政治的判断によって、お母様の意志をより優先し、お父様を孤立させていくのです。 ちょうど米国の行事を終えて帰国した空港で、顯進様が國進様を叱責したことがありました。このことについて、お母様は「顯進が独裁者のように弟たちを主管しようとしている」とお父様に告げました。 そうかと思えば、國進様は顯進様と一緒に麗水に行った時、お父様と幹部たちが見守る場で、「兄は独裁者で、文顯進ではなく郭顯進だ」という卑劣な言葉までこぼしました。この時からお父様は、2人の兄弟が互いに深刻に争っていると認識され、公式的な場でも「争うな」というメッセージをたびたび言われるようになりました。 この時から、お母様とお母様周辺の幹部たちは、「2人の兄弟が争うので、お母様を立てて交通整理をしなければならない」という立場に追い込んでいきました。 結局彼らは、2008年4月6日、ハワイでの儀式と、6月13日の宣教会でのミーティング以後、「財団理事長はお母様」という名分を立てて、家庭連合宣教会財団をUCIを含めた世界全ての財団の中心に立てていこうとしました。また國進様は、お母様の威を借りて実質的な経営権を掌握しようとしました。 一方で、顯進様を立てようとするお父様の意志は、2007年までは何も変わりがありませんでした。お父様は何度も顯進様にみ言葉を下さいました。 「お母様は原理も分からず、弟たちは自己中心的なので、この運動を任せてはならない。彼らが奪って行くことがないように、あなたがこれからこれを守り導いていかなければならない。このお父様はやがて、幼子のようになる時が来るだろう。私の話を肝に銘じよ」 麗水では次のようなみ言葉も下さいました。 「過去40年は私が導いてきたが、これから40年はあなたが導いていかなければならない。祝福もあなたがしなければならない」 公的場ではそぶりも見せられませんでしたが、すでにお父様も、周辺で起きている変化の兆しを感知しておられたのです。この時までは、お父様はご自身が全てをコントロールできましたが、後日、もっと年老いていかれた時を心配して、「お父様の意図が顯進様にあること」を明確にされました。 お父様は、もう一度顯進様を立てようと、2007年の世界文化体育大典組織委員長まで顯進様に任せて、行事全体を統括させられました。世界文化体育大典は、1988年ソウルオリンピック以後、各摂理機関の能力を総結集した最大の行事でした。これまで私がずっと組織委員長を担当していましたが、この時初めて、顯進様が組織委員長に就任されたのです。 顯進様を立てようとするお父様の変わりない意図と共に、お母様と他の2人の息子に対するお父様の認識も、お母様は明らかにご存知でした。 そのため、2007年以後、顯進様は、お母様の野望を成しとげるにおいて最大の脅威であり、障害物として認識されたことでしょう。それは他の2人の弟たちとお母様を支持する指導者たちにとっても同様でした。 結局、お母様を求心点とする「反顯進様勢力」が形成されました。 彼らはそれ以後、数年間、天正宮と内室に入る人々と情報を統制し、実際にお母様の許諾なしには、指導者たちがお父様にお会いすることができなくなり、お父様の目と耳はますます遮られ、高齢のお父様を孤立させていきました。また、顯進様を追い出すために、想像もできない手段と方法を動員したのです。 2006年6月に漢南洞から天正宮に居所を移したお父様は、それ以後、正確な情報と報告を聞く機会がますます減っていきました。その一方、顯進様に対する否定的な報告は、ますますひどいものになりました。結局、顯進様に対するお父様の視点は、従来と違う様相を見せ始め、行ったり来たりするお姿がよく目立つようになりました。私に対しても同様でした。 2008年からは、急激な混線と変化がやってきました。10年以上、顯進様を主軸に立てられてきた後継構図に根本的な地殻変動が、そしてそれによる大混乱が押し寄せつつあったのです。
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