顕進様を支持する有志の会
事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生

どうにかしてGPFの価値をおとしめようと

顯進様はパラグアイと米国での成功に続いて、2008年末までに、全世界10ヵ国以上を訪問しながらGPF旋風を巻き起こしていきました。顯進様が直接訪問しなかった国まで計算に入れると、世界20ヵ国以上でGPF行事が開催されたことになります。 顯進様は主要大陸会長たちを行事に参観させ、その結果がお父様にすぐに報告されるようにし、時にはお父様に直接お会いしてご報告したりもしました。 現場の指導者たちの大部分は、顯進様の指導力とGPFの可能性に対して大歓迎している様子でした。顯進様はいつでもどこでも壇上に立てば、それ自体がお父様を代身したご子息の姿として現れ、自然にお父様の位相と価値を輝かせました。 一方、顯進様に反対する勢力は、何としてもGPFの価値をおとしめようと努力しました。彼らが常套手段として用いた嘘は、お父様の価値をより大きく根本的な次元で証す顯進様を逆に「顯進様はお父様を証さず、GPF行事はお父様を表に現わさない」というものでした。 否定的報告の先頭に立った人は、金孝律氏と朱東文氏でした。朱東文氏は自分が発表した公開書信で、「GPFは真の父母様を度外視し、神様の摂理の前に一致せず、目標を喪失した一時的な社会運動に過ぎない」と批判して、本性を表に現わしました。これは彼だけの考えではありません。背後で彼を指揮する勢力全体の視点であり主張でした。このような視点または主張が、現場の雰囲気とどれほど大きな隔たりがあったか、GPFに直接参加した人々には全て分かる内容です。 國進様と亨進様も、GPFに対してこの上なく否定的で冷淡でした。國進様は「社会運動、平和運動によって神様のみ旨がなされ得るのか」と批判しました。顯進様がされるGPF運動を単純なNGO活動に格下げしたのです。世界的な宗教指導者たちがどうしてこの運動に参加しているのか、その方の精神世界ではとても理解できなかったのかも知れません。そのため、後に亨進様がUPF責任者の位置に上がった時、UPFを統一教傘下の宣教のための一つの道具かつ手段として認識したのです。 國進様と亨進様が兄のする仕事をどれほど無視したか、あきれ果てる事例が一つあります。顯進様がモンゴルのGPF行事を終えて韓国に帰ってきた時、鮮文大で進められた子女様たちの名誉博士学位授与式に参加することになりました。全淑様も学位を授与されることになり、空港に到着すると、すぐに鮮文大の行事会場に向かいましたが、式典では学位を授与された子女様たちを代表して亨進様が挨拶をしました。行事会場にいた多くの人々が、「モンゴルで顯進様が大きな行事を成功裏に終えて帰国し、その行事には亨進様の夫人である李妍雅氏も参加して帰って来た」ということを知っていました。ところが亨進様は、挨拶の中で國進様に対しては長く称賛の言葉を並べ立てる一方、顯進様に対しては一言も語らなかったのです。 こうした状況でしたが、世界をかけ回る顯進様の活躍ぶりに最も大きく満足し、喜ばれた方は、他ならぬお父様でした。マレーシアでのGPF行事を終えて帰って来た時、お父様は「顯進がイスラームの門を見事に開いた」と喜ばれ、日本でのGPF行事を終えて帰って来た時は、パンフレットに「顯進王」という称号を書いてくださいました。その一方で、高齢のお父様はGPFについて、たびたび顯進様に確認されました。 「これはお父様のものか、顯進、あなたのものか」 誰かがお父様に悪意の報告をし、それにお父様がどういう影響を受けられたのかが明らかに見てとれました。 顯進様は2008年の後半期はずっと、全世界を回ってGPF旋風を巻き起こし、真の父母様に捧げた書信にあるように、統一運動全般を家庭連合を脱した超宗教運動へと革新しようとしていました。 しかし國進様と亨進様は、お母様の威を借りて、韓国と日本を中心に「統一教」を前面に押し立てる正反対の道を進んでいました。新しい職責を受けた仁進様も「ラビング・ライフ・ミニストリー(Loving Life Ministry)」という自分の牧会ブランドを作って、米国に独自の基盤を構築し始めました。 これら4人の真の子女様は、表向きは各自の分野で忙しく時間を過ごしているように見えましたが、実際は、他の3人の兄弟たちが、顯進様と対決する構図を構築していったのです。 2008年は天宙史的な葛藤の本質が本格的に現われ始めた年でした。 言い換えると、これは単純な兄弟間の葛藤や資産争いではありませんでした。その中に隠された根本の摂理観、摂理運動の目的と方向、真の父母様のレガシーに対する認識などの問題が徐々に外に表出し、誰が、なぜこの問題を主導し操ってきたのか、その実体が表に現われ始めたのです。 2009年からは葛藤の様相が急速に悪化していき、「全ての葛藤構造の核心にお母様が腰を据えておられるということ」が7年間の過程を通して明らかになっていきました。 2005年、3人の子女様に許諾した各々の責任は、期待通りには進みませんでした。顯進様は責任を自覚してこれを収拾しようとしたものの実現できず、結局2009年以後、荒野に追い出され、徹底的に否定される中、自力で長子権を取り戻す道を始めなければならなかったのです。
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