事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生
離婚させてでも顯進を連れて来い
こうしたことがあってから、しばらく後の10月2日、お父様は首都ワシントンD.C.での国際会議に来ていた私を呼び出しました。呼ばれた時間に合わせてイーストガーデンに行くと、お父様はご不在で、お母様だけが2階の応接室に一人でいらっしゃいました。「静かな所に行って話をしよう」と言われるので、お母様が案内する部屋に付いて行きました。そこでお母様は私を呼び出した理由を明らかにされました。
「どうしても、郭牧師の家庭が、顯進の問題に対して責任を負わなければならないようだ。珍滿も離れなければならず、全淑も離れれば、顯進一人でどうして持ちこたえようか。だから郭会長が皆、連れて来なければならない」
その時、急にお父様が入って来られました。
「郭錠煥はこの事態をどう見るのか」
「お父様、お母様に私が敢えて一言申し上げます。私が知る顯進様は、父母様の前に親孝行であられます。また、お父様とお母様が顯進様をどれほど大事にし、愛しておられるかも、私は知っています。ですが、どうして事を大きくして解決しようとされるのでしょうか。父母様が愛するご子息を呼ばれ、孝行を尽くしておられるご子息が、父母様と心ゆくまで互いの事情を打ち明けて対話を交わすなら、解決できない問題がどこにあるでしょうか」
ここまで申し上げると、お父様はもはや、誤解の思いであふれているのか、かっと立腹されました。
「こいつ、私を教育しようというのか。黙れ! 」
そうして、青天の霹靂のようなことを言われたのでした。
「行って顯進を連れて来い。来ないと言うなら、全淑を離婚させてでも連れて来い。一人で放っておいても、自分から頭を下げて戻ってくるはずがない。珍滿も連れて来て、珍滿までも来ないと言うなら南淑と離婚させろ。あなたの家庭が責任を負いなさい」
お父様の口から「離婚」という言葉が出てきたことに、ただただ目まいを覚えました。
「お父様が語られた祝福の価値はこの上なく素晴らしいものであるのに、実のご子息を離婚させろとまで言われるのですか。どうして離婚しろとまで言われるのですか」と問い返したかったのですが、口をつぐんで何も言うことができませんでした。お父様も惨たんたる状況に直面しておられるのだということを、誰よりもよく分かっていたからです。
その翌日、モンタナの山奥に顯進様を訪ねて行きました。
息子の珍滿が空港に出迎えに来ていました。車に乗って行きながら顯進様の近況を聞いてみると、「山に入っておられる」とのことでした。
自動車で向かいながら、まず珍滿にお父様のみ言葉を伝えました。
「もしも顯進様が行かれないなら、あなただけでもお父様の前に行かなければならない」
すると黙って聞いていた息子が口を開きました。
「お父さん! 私が真の父母様に逆らいながら、顯進様に侍っているとお考えですか。顯進様が今、真の父母様に逆らっておられますか。父母様と対話ができなくて寂しく思っておられるのに、私までいなくなれば顯進様はどうされるでしょうか。私が顯進様に侍って助けることが真の父母様に逆らうことになるとは、夢にも考えたことがありません。私は真の父母様に侍る心で顯進様に侍っています。お父様の前に引っぱられていくとしても、私は今と全く同じ言葉しか申し上げることがないでしょう」
珍滿の話を聞いて、深い感動が私の心を涙で濡らしました。
「ああ、この子もいつのまにか40歳を越えて、いつのまにか私よりも器が大きくなったのだ……」
これ以上、息子に強要することはできませんでした。
顯進様が山から下りてきたので挨拶をしました。私は私の立場から、また原理的な立場から、言えることを全て言いました。私の言葉を全て聞かれてから、顯進様は語られました。
「郭牧師。郭牧師がお父様を心配してそのお考えについて心を砕くのと、息子である私が父母様を心配してそのお考えについて心を砕くのと、どちらがより大きいと思いますか」
私は何の返事もできませんでした。その通り、私がいくらお父様に対する心情的因縁を語ったところで、直系の息子の切々たる父子の関係とは比べものにならないでしょう。顯進様はお父様への深い孝心を抱かれた息子として、今日の摂理的な混乱の中、誰よりも悲痛な心情をもって激しく身悶えしていたのでした。