顕進様を支持する有志の会
事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生

替わった訓読会の時間

FIFAの副会長でもあったスペイン・プロサッカー連盟会長の許可と開催地であるアンダルシアの体育部長官の協力を得て、2009年7月24日、ついにスペイン・ピースカップ大会(2009.07.24~8.03)が開催されました。 外的には特に支障もなくほぼ完璧に行われた大会でしたが、内的には恐る恐る薄氷の上を歩くようにあらゆる困難を何とか切りぬけた大会でした。 2009年は天宙史的葛藤が本格化し、私と顯進様を誤解されるお父様の不満が著しく現われた時期でした。大会期間中、お父様は理解しがたい指示と要件を出され、連日のように試練されました。以前のピースカップの時にはまったくなかった事だったので、私としては戸惑うしかありませんでした。それでもお父様の指示なので最善を尽くして受け入れ、どうしても無理なことは、あらゆる叱責を受けながら、やっとの思いで越えなければなりませんでした。 最初の試練は7月22日、スペインの現地で大会のための最終的な準備で忙しかった頃に始まりました。 当時、お父様の一行は、スペインに向かわれる途中、モナコにしばらく滞在されました。その日の朝、お父様から電話がありました。電話の向こうからご不満の様子がそのまま伝わってきました。 「ピースカップ開幕の時に、競技場で訓読会をするつもりだ」 突然そのように語られました。韓国大会の時にはなかった指示でした。 「お父様、まだそのような雰囲気ができていません。何も考えずに集まったサッカーに熱狂するスペインの観衆に突然訓読会をされれば、関係者はとんでもないと否定することでしょう。それは後で雰囲気を見て…」 「こいつ! できないというのか」 「お父様、今回は難しいと思います。ご理解していただけないでしょうか」 叱られながら、やっとのことで通話を終えました。 その日の昼、金孝律氏から再び電話がありました。 「明日(23日)、お父様が到着される予定ですが、その日の夜に歓迎晩餐会を開催するようにとのことです」 「分かりました。他には何かありませんでしたか」 「その場に、各クラブのフロントや監督、指導者たちを全員招待するようにとのことです。そこでお父様がみ言葉の訓読をされるそうです」 私としては、戸惑うしかありませんでした。スペインにまで来てピースカップを開くだけでも幸いなことなのに、クラブのフロントと監督をいきなり集めろとは。権高な人たちは、鼻で笑って関心すら持たないことでしょう。 電話を切るや、忙しいスケジュールをすべて後回しにして、空港に向かいました。モナコに行き、お父様に直接事情をお伝えしなければと思ったからです。空港で慌ただしく出国手続きをしていると、お父様から再び電話がありました。 「来る必要はない」 「お父様、私が行って詳しくご説明を」 「明日になれば会うのに、忙しい者が何しにここまで来るんだ。来なくていい」 直接お会いして事情を申し上げる機会も、与えてくださいませんでした。 他にできることがありませんでした。とりあえず、おっしゃられる通りに進めました。お父様が来られれば訓読会をすることができるように、晩餐会場を準備するのが急務でした。その一方で、開会式場であるスタジアムにお父様をお迎えするVIPルームとお父様の座席、スペイン指導者の座席の配列を決めて、スカイボックス(SkyBox)空間と警護、動線、真の家庭の座席など、開会式のための全ての準備を、夜遅くまで全て点検しました。 お父様は、7月23日の午後遅くに到着されました。 歓迎晩餐会は、お父様が願われる基準には及びませんでしたが、それなりに各クラブ関係者と、スポーツ、文化、芸術界の人士など、200人ぐらいが集まりました。 まず私が挨拶をした後、お父様を壇上にお迎えしましたが、お父様は自叙伝出版記念会で語られたみ言葉を訓読されました。私たち食口の前でされるように補足説明もされました。 本当に時間がかかりました。その日の行事は美術展覧会のオープンイベントを兼ねたものであり、そのために来たVIPが多かったのです。参加者の半分が不機嫌な表情をしながら席を立ちました。それでも韓国から来た李衍澤(イ・ヨンテク)体育部長官、李斗植委員長などは、有難いことに最後まで席に座っていてくれました。 冷や汗が出る晩餐会が終わり、テープカットと記念撮影まで終えた後、お父様は宿泊施設に向かわれました。残りの片付けと整理を終えてホテルに戻ったのは午前1時頃。その時、あるスタッフからお母様のみ言葉が伝えられました。 「今日、お父様は遅くに到着され、長旅にみ言葉まで語られたので、明日の朝の訓読会は5時ではなく7時にすることになりました」 少し休んで午前4時40分頃に起き、その日のスケジュールを準備していました。普段からの習慣でもありましたが、大会が心配で長く眠ることができませんでした。すると5時に連絡がありました。 「お父様が訓読会場でお待ちなのに、なぜ来られないのですか」 これはどうしたことでしょうか。幸いなことに私は準備ができていたので、一番最初に走って行きました。お父様に朝の挨拶をしましたが、ちょっと見た限り、とてもお怒りのようでした。後から人が入って来るごとに、「外国に来たからといって、訓読会の時間を守らなくてもいいのか」「誰が勝手に訓読会の時間を変えるのか」と叱られたのですが、「昨日、お母様がそうおっしゃいました」とは言うことができませんでした。誰かが経緯を報告するだろうと思いました。ところが金孝律氏やお父様の側近の指導者は、その状況で何の経緯説明もせず、顔色をうかがってばかりいました。そればかりか、声が全部聞こえる扉の向こうのすぐ隣の部屋にお母様がおられたのですが、やはり何も語られないのです。指示を下した方が出てきて、何か一言でも言ってくだされば簡単に解決できることなのにです。早朝から席に座ることもできず、立ったまま叱らていることを知りながらも黙っておられるのに対して、やや薄情であるように思えましたが、積極的に弁解することもできずに叱られていました。最近になって考えると、私自身、実にバカのように生きてきたと感じることもあります。そのようにしてその日の朝の訓読会では、お父様は、4時間もの間私たちを立たせて、自叙伝出版記念会でのみ言葉を訓読され、補足説明を続けて語られました。 その日はピースカップの開幕式のある日でした。 スペインは本来、サッカーを遅い時間に開始するので、夜10時に開幕宣言がされました。開会式にはスペインの指導者とアジアサッカー連盟のハマム会長をはじめ、韓国の朴實(パク・シル)議員、李善民将軍、李衍澤長官、金琫鎬(キム・ボンホ)前国会副議長といった多くの人士が参加しました。開幕戦の試合を観戦されたお父様は、翌日、ドイツに向かって旅立たれました。
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