顕進様を支持する有志の会
事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生

なぜ顯進を連れて来ないのか

スペイン・ピースカップが終わり、2009年下半期になると状況はさらに悪化しました。私に対するお父様のお叱りと叱責が以前にも増して増えると共に、その程度がますますひどくなっていきました。訓読会でもそうでした。お父様の前にいるのが恥ずかしくなるほど、ひどく叱られることが1度や2度ではありませんでした。 お父様の公式の場における理解しがたいようなお叱りは、2006年から少しずつ増え始め、年を経るほど頻繁になり、2009年にはそれによって、とても言葉では表現できない困難を経験しなければならなくなりました。外の世界ではなく摂理の中心でのことですから、より耐え難く困難なものでした。父母様に侍って訓読会に参加した回数だけ見ても、私より多く参加した人はごく少数だと思います。訓読会に一日も欠かさず参加するということが、簡単なことでしょうか。 ソウルから天正宮の訓読会に行こうと思えば、毎日午前3時30分には起きなければなりません。仮にも責任者ですから、私の席はいつも最前列の真ん中、お父様とほぼ向き合う位置です。そのような席でほぼ1年以上、お父様の叱責に耐えなければなりませんでした。もちろん、そのような状況でも、私はただの一度も文句を言ったり言い訳をしたりしませんでした。私も疲れましたが、それよりもお父様のお体に無理がくるのではないかと、どれほど心配になったことでしょうか。 そのようなお父様の変化の裏には、お父様の側近の人たちによる良くない影響がありました。またもう一方では、以前と大きく異なるお父様の気力や体力、判断力がありました。 この場で全てのことに言及することができるでしょうか。ただ、お父様がどうして私に対してそれほどまでに怒り叱られたのか、その背景と原因を推察することのできる理由のいくつかを明らかにしたいと思います。 2009年8月18日の午後3時頃でした。お父様が呼んおられるということで、ソウルのセントラルシティにある中華料理店に行きました。そこには、國進様や亨進様をはじめとする主要幹部30数人が、真の父母様と一緒にいました。ラウンドテーブルの食卓が3つありましたが、私は父母様のご家庭と同じテーブルに座ることになりました。 その場でお父様は、私と私の家庭、顯進様までひっくるめて、一方的に審判されるみ言葉を長く語られました。なぜかひどく気分を悪くされていて食事すらされず、なんと3時間近くも叱られました。結局、お父様は食事をされずに「天正宮に来て食事をしなさい」というみ言葉を残されて席を立たれました。 その場で私は何も言い返すことができませんでした。何人もの幹部たちがいるところで、どうしてお父様のみ言葉に対して反論できるでしょうか。叱られるままに全部聞いて座っているしかありませんでした。この上なく胸が痛む一方で、このような疑問が頭をもたげました。 「お父様の心は、なぜこのようになられたのだろうか」 「私と私の家庭、ましてお父様のご子息である貴い顯進様をどうして、そのように誤解されるのだろうか」 その日はとても天正宮に行くことができませんでした。誰に話すこともできず、携帯電話の電源さえも切って車に乗り、春川方面のどこかに向かう途中で、あるひっそりとしたペンションに立ち寄りました。連絡をいっさい切ってそこで3日間祈祷し、瞑想しながら心の整理をしました。50年以上公的な生活を過ごしながら、このようなことは初めてのことでした。
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