顕進様を支持する有志の会
事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生

ヨイド敷地の保存

お父様は、「他のものは全て失ってもよいが、ヨイドの土地は守ることができないだろうか」と言われながら、沈痛なご様子でした。草創期の食口たちの血のにじむ献金で買い入れた敷地でした。お父様が海外から帰国する度に、必ず立ち寄られて懇切に祈祷され、精誠を捧げられた聖地でした。私としては、ただ胸が張り裂けるようでした。罪人の中の罪人になった心情でした。 1998年12月末、ヨイド敷地の最大債権者だった大韓総合金融から「1,690億ウォンを今すぐ返さなければ、ヨイド敷地を競売にかける」との連絡を受けました。大韓総合金融も「増える不良債権のために会社自体が倒産する状況なので、誰かに便宜を図ることができる立場ではない」ということでした。競売手続きに入れば、値千金のヨイド敷地が、1次競売で私たちの手を離れることは明確です。 目の前は真っ暗でした。 そんな大金もありませんし、たとえどこからかお金が出てきて第1位で根抵当権が設定された大韓総合金融の借入金を返したとしても、噂を聞いた後順位の債権者(*12)たちが次々と押しかけてくることでしょう。 これをどのように乗り越えるかと困り果てていた時、「海外に統一運動の基盤が多いので、大韓総合金融が増資を行うのに投資して欲しい」という大韓総合金融側の新しい提案が入ってきました。その代わりに、ヨイド敷地の競売は取り消すというのでした。債務償還もできていない状況で、投資など話にもならないのですが、これを拒否したら、ヨイド敷地が永久に失われてしまうのです。 この報告を受けたお父様は、「難しいが、有償増資に参加すること」を受け入れられました。ヨイド敷地を守るための非常措置でした。お父様は日本の責任者を漢南洞公館に呼び、増資のための特別措置を取られました。そして私は、大韓総合金融側と「増資に参加するが、大韓総合金融にもしもの事態が発生すれば、投資金を債務と相殺する条件」で契約を周旋しました。大韓総合金融の未来が不安だったので、私たちとしても安全弁が必要だったのです。 お父様が非常な努力を傾けた結果、1999年3月31日、海外法人のE&Eインベスト名義の1億ドル(当時の為替レートで1ドル=1,225ウォン)で、大韓総合金融の有償増資に参加しました。当時、金融危機で揺れていた韓国の状況下にあって、外国から流れ込んだ1億ドルのこの投資は、新聞にも大きく報道されるほどでした。この資金の出処をめぐり、後に「郭錠煥の秘密口座」という陰湿な根も葉もない噂が流れましたが、國進様の事後調査と何回かの検察の調査を通して、私の潔白は証明されました。 ところが、増資のための資本金の払い込みを終えた数日後の4月9日、大韓総合金融が突然営業停止通告を受けてしまいました。私は契約当事者だった大韓総合金融の社長に会い、投資契約書の通りに投資金の債務相殺を要求しました。しかし、彼らは既に業務が停止されて、何の権限もない状態でした。また、不渡りになった大韓総合金融を管理する預金保険公社側は、「増資代金を債務と相殺することはできない」という原則のみを固守しました。 せっぱつまった私は、動員可能な人脈を総動員する一方で、金融監督院長にまで会って、助けてくれるように切に頼みました。しかし状況はままなりませんでした。企業は全て不渡りになり、ヨイド敷地をはじめとする不動産も全て失ってしまった上に、1億ドルまでさらに消えてしまうところでした。肝が冷える思いでした。絶望的な瞬間でした。しかし、決してあきらめることはできませんでした。懇切に祈り、また祈りました。 「私には神様がおられ、真の父母様がおられるではないか。私があきらめて倒れてはならない。神様が私を信じ、真の父母様が私を信じておられる。気を取り直して再び立ち上がらなければならない。今日の事態を収拾して、必ず再び財団を立てなければならない。み旨の通りに摂理に大きく寄与する財団を作って差し上げなければならない」と私は決意を固めました。 1999年6月15日、財団理事長は朴洪祚氏から黄善祚氏に再び代わりましたが、お父様は私に「法定管理をはじめとする不渡り以後の処理に対して、続けて責任を負うように」と言われました。 大韓総合金融は、「債務弁済要請を履行しない時は、ヨイド敷地を競売処分する」と再び督促してきました。 1999年9月7日、財団はE&Eとの共同投資のための合意覚書を根拠に、大韓総合金融に1億ドル(1,225億ウォン)の債務不存在訴訟を提起しました。しかし大韓総合金融は、それから何週間か後の9月27日に、ヨイド敷地の任意競売申請をしました。そして2000年初め、第1次入札期日が決まりました。 大韓総合金融が競売を行えば、裁判中の1,225億ウォンを留保しても、債券限度額の中の約387億ウォンは優先的に回収できます。しかし問題は387億ではなく、競売が実行された場合、後順位の債権者たちも順に分配を受けることになるため、財団が後順位の債務までいっぺんに償還しなければ、ヨイド敷地だけが吹き飛んでしまうという点でした。苦心のあげくに探し出した唯一の解決策は、ヨイド敷地に対する開発計画を立てて、期待価値を高め、それを金融取引にテコとして活用する方案でした。 大韓総合金融との交渉の末、「2000年6月23日、387億ウォンを、根抵当権と共に、海外法人トリエステ・インベストメントに譲渡すること」で合意しました。そして、「債券譲渡と同時に、ヨイド敷地に対する競売申請を取下げて、第1審判決が出るまで競売申請をしないこと」にしました。こうして再度、ヨイド敷地は競売の危機から脱することができました。 後続措置として、2000年11月30日に財団は、トリエステ・インベストメントにヨイド敷地に対する開発権を与え、75年の条件付き地上権を付与する契約を締結しました。 2001年7月18日、「投資金1億ドル(1,225億ウォン)全額を、大韓総合金融に対する債務と相殺したものと認める」という判決が下りました。約2年の裁判期間に経験した心労を思えば、その喜びは到底言葉には言い表わせませんでした。 大韓総合金融側は直ちに控訴しました。再びやきもきし、うんざりするような争いが続きました。財団も第1審では勝ちましたが、高等裁判所でも勝訴するという保障はありません。どちらが勝っても最高裁まで行くしかない事案でした。 不安と苛立ちに襲われていたのは、私たちも大韓総合金融側も同じでした。第1審で敗訴となった大韓総合金融側の方がもっと不安だったかも知れません。第2審裁判部は苦心の末に双方の調停を勧めました。「全部か全無か」の結論を下すのが、裁判部も大変だった模様です。 調停する事にして交渉した結果、2004年2月2日、財団は285億ウォンを譲歩し、大韓総合金融は地上権と根抵当権を解約することで合意しました。第1審で勝訴したため、4分の1以下の金額を譲歩することによって終結することができました。譲歩した金額は、残った裁判期間と早期開発のための機会費用(*13)と考えるべきものでした。実に長くて長い争いでした。
  1. 不動産を債務の担保として抵当権を設定する時、複数の債権者が債務返済の優先順位に基づいて順番を決めて抵当権を設定する。この時、先順位の債権者に債権を優先的に弁済し、その次に劣後(後順位)債権者に債務が返済される。
  2. ある財貨のいくつかの種類の用途の内、一つだけを選択した場合、残りの放棄した用途で得ることができる利益の評価額。「機会費用」とも呼ばれ、例えば、企業に投資したお金を銀行に預金した場合、利息を得ることができるが、この利息が企業家にとっての機会費用である。
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