顕進様を支持する有志の会
事必帰正
郭錠煥(カクチョンファン)先生

1987年、縁の始まり

私は時に、文顯進会長の舅と呼ばれることがあります。真の父母様ご夫妻の主礼で、私の3番目の娘、郭全淑(クァク・チョンスク)が文顯進会長と聖婚したからでしょう。昨日のことのようですが、あれからもう31年が経ちました。お二人は9人の子の親となり、数えで50代に差しかかってお孫様までできて、祖父母になられました。 振り返ってみれば、決して平坦な歳月ではありませんでした。 31年前の1987年当時の頃を思い起こしてみたいと思います。 古希(70歳)間近となったお父様が、米国のダンベリー刑務所で苦しい獄中生活を送られた後、それ以前よりもさらに忙しく米国と韓国を行き来しながら、神様の摂理活動の陣頭指揮を取っておられた時でした。私もまた、世界宣教本部長として、米国のニューヨークを拠点に、世界中を慌ただしく巡回していた時代でした。 息をつく暇もなく過ごしていたある日の明け方、お母様が電話をくださいました。 「今日は少し早く、夫婦で一緒に来てください。全淑に一番良い服を着せて連れてくるのですよ」 家には特に良い服がなかったので、普段着ているものの中で一番新しい服を着せて、一緒にイーストガーデンにいきました。2階のリビングルームでは、ご父母様と一緒に顯進様が待っていらっしゃいました。 一緒に上がってきた娘に、お父様が突然尋ねました。 「私があなたを顯進とマッチングしようと思うのだけれども、あなたはどう思うの?」 「はい! ご父母様のみ言葉に喜んで従います」 お父様はこのような答えが返ってくることを予想しておられたようで、満足げに微笑まれました。短いながらも、両家の顔合わせはこれで終わりました。私はご父母様が事前に言及なさったり、そぶりを見せられたことがなかったのでびっくりすると同時に、恐れ多く感じられました。 その日はちょうど恩進様の誕生日を祝う日で、朝からイーストガーデン1階のホールに幹部たちが100人余り集まっていました。2階から降りてこられたお父様は、すぐに顯進様の約婚を発表されました。顯進様と私の娘を立たせて真の父母様に敬礼を捧げさせ、互いに敬礼をするようにした後、約婚の祝祷をしてくださいました。最後に約婚の礼物を交換し合い、互いに接吻するようになさいました。ご父母様はすでに約婚記念礼物まで全て準備した上で私たちを呼ばれたのでした。 その日は朝から夕方まで、参加できなかった家庭連合の幹部たちまで皆呼んで、一日中約婚を祝う時間を持ちました。 夕方遅くなって家に戻った私たち夫婦は、リビングルームに息子娘を集めました。家族がいつも敬礼式をするその場所で、天の前に敬礼を捧げ、顯進様の約婚に対して感謝の祈祷を捧げました。そして全淑氏を上座に座らせてから、私たち夫婦が礼を尽くして敬礼を捧げました。 「今朝までは私たち家族の一員として過ごしましたが、今日から真の家庭の一員になられました。これから聖婚式までは私たちの家に滞在されますが、この点を肝に銘じて過ごしていただきたく思います」 そうして、その場にいた他の子たちにも敬礼を捧げさせました。 「これからは全淑氏を妹や姉として対さずに、真の家庭の一員として対さなければならない」 その日以降、6人兄弟のうち4番目であった全淑氏に対する私たち家族の呼称は「全淑様」に変わりました。 私は全淑様を育てながら、一度も叱った覚えがありません。いつも着こなしはきちんとしていましたし、机はきれいに整頓されていました。姉、兄たちと、やんちゃな弟、妹たちに挟まれていても、いつも物静かに自分の位置を守る性格でした。私たち夫婦の長所をはるかに越える天稟と資質、洞察力を持って生まれたと感じていましたが、今考えてみると、神様の特別な恩恵によって準備された子であったように思います。 当時10代後半だった顯進様は背が高く活動的な方でした。最も尊敬し、慕っていた興進お兄様を、3年前に交通事故で失った衝撃と心の痛みを抱えていたにもかかわらず、ソウルオリンピック出場のための乗馬訓練に余念がありませんでした。 私はイーストガーデンで偶然出会うと「おじさん(韓国語でアジョシ)」と呼ばれましたが、聖婚以降もしばらくの間、私の呼称は「おじさん」でした。私もまた顯進様を婿と考えたことがなく、真の家庭(真の父母様と真の子女様たち)に対する祝福家庭としての私の気持ちにも変わりはなかったため、そのような呼称も負担には思いませんでした。 人の中には私に対して、「文総裁と姻戚になり、また一番成功している文総裁の息子が婿になったのだからどんなに良いでしょうか。今後の人生が開けましたね」と言う人もいました。 これまでに私が経てきた苦難を知る人はそのようなことを言いませんが、当時、私にそのように挨拶する人は少なくありませんでした。内情も知らずに言っていることでしょう。その度に、そんなことを言ってくれるなと首を横に振りました。 顯進様は、妻の実家だからといって、私や私の家族に対して特別に便宜を図る方ではありませんでした。むしろ、より厳格な基準で対されました。最近この歳になり、家庭連合からあらゆる罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びていることで、幾度か顯進様から慰労の言葉をかけられましたが、以前であれば考えられないことでした。 真の家庭に3番目の嫁として入り、イーストガーデンでご父母様に侍り、実質的な長男の嫁の役割をするようになった全淑様も、毎朝毎晩、お父様にお目にかかるために出入りする私に、視線を向けることはありませんでした。私が住んでいた家は、イーストガーデンから5分ほどの所にありましたが、聖婚後7年間、一度も実家を訪ねることはせず、常に真の家庭の嫁の役割に精誠を尽くし、努力しているようでした。 私としてはそのような姿が不憫でもあり、また本当に貴く感じられました。
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