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顕進様の真実〜希望の未来へ
真実を求めて
(祝福家庭の皆様へ送るメッセージ)
櫻井正上氏ブログのまとめ

【信仰の考察1】メシヤの人間宣言?

昨年、こんな言葉が流行語大賞となりました。「神ってる」。人々は、フツーではあり得ない出来事や、常人には為し得ない超人的な能力を目の当たりにした時、これを指して「神!」と表現した訳です。若干、「神」という言葉の使い方が「軽すぎ!」という感もありますが、やっぱり人は、人知や人力を越えた現象や存在を「神」と表現せざるを得ないのでしょう。 2000 年前、人々はイエス・キリストの中に「神」を見出しました。イエスは神か人間か―。それが、初期キリスト教における神学論争の一大テーマだったのです。その結果、イエス様は「肉体をまとった神」とされましたが、イエス様自身、一度として、自らを「神」と称したことはありませんでした。後世の人々がそのように「信じた」のです。その瞬間、イエス様の受難や十字架は抽象化され、私たちの生(せい)の現実とかけ離れたものになってしまったに違いありません。 それから2000 年間、「イエス=神」と信じ続けてきたキリスト教にとって、「イエスは創造目的を完成した『人間』であった」という原理の主張は、正に爆弾発言であったに違いありません。「神」と崇められてきた存在を「人間」とした訳ですから。原理講論曰く、イエス様は私たちと「同じ姿形」をもって存在し、「歴史の現実」を生きられたのです。だからこそ、私たちにとって、イエス様の痛みや苦悩はもっとリアルで、身近なものに思えるのではないでしょうか? ところが…。私たちは今日、ややもすると、お父様(お母様)を「神様」のように思い込みがちです。「メシヤだから全てを知っておられるはずだ」「お父様(お母様)が人を見誤ったり、判断を誤るはずがない」「メシヤは万能であって私たちとは違う」…。 イエス様が「わたしを見た者は父(神)を見たのである」と言われた理由は、イエス様が神様だったからではなく、「神様と心情一体を成した方」だったからです。お父様(お母様)は神様の心情に通じ、「神様の愛」を抱いたが故に「神様のような方」となった訳であって、当然、時間と空間の制約も受けますし、肉体の限界も存在します。全知全能ではありませんし、間違いや失敗を犯すことだってあるでしょう。これはごく自然で、当たり前の話です。しかし、それを極度に「神格化」し、「お父様(お母様)は絶対である」と考えてしまった時、どこかに現実とのギャップが生まれ、父母様の本質をも見誤ってしまうでしょう。 かつて日本は天皇を「神」とし、その名の下に戦争を推し進めた歴史がありました。人々は「神命」として戦場に赴き、命を投げ打ったのです。その精神は貴いものであるに違いありませんが、人々のこうした「信仰」が、言わば(天皇の勅令に至るまでの)意思決定のプロセスを見過ごし、「軍部」の暴走を許す結果をもたらしてしまったに違いありません。また、その結果、戦争責任は結局、天皇が背負わざるを得なくなるのです。 戦後処理を取り仕切ったGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、同じ過ちが繰り返されないよう、「天皇は現人神(あらひとがみ)ではない」とする宣言を行うようにしました。世に言う「天皇の人間宣言」です。しかし、逆にこの時から、人々は生身の人間としての天皇に接し、天皇を本当の意味で「知る」ことになるのです。 終戦直後、昭和天皇がGHQ司令官のマッカーサー元帥を訪ねた時のことです。元帥はかつてドイツ皇帝が「戦争は国民が勝手にやったことだ」と、自らの戦争責任を回避しようとしたことを思い起こし、「神と崇められた人物」がどんなふうに「命乞い」をするのか、足を組んでソファーに腰かけ、口にパイプを加えたまま、天皇の挨拶を受けたといいます。しかし、昭和天皇の次の言葉は、マッカーサー元帥が予想だにしなかったものでした。 「戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命において全てが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑は勿論のこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟があります。しかしながら、罪なき8000万の国民が住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように」。 マッカーサーは咥えていたパイプを置き、椅子から立ち上がって、真摯に天皇と向き合いました。自らの命と引き換えに、自国民を救おうとした天皇の姿に「真の国王」を見たからです。 お父様(お母様)は神様御自身ではありません。全知全能でもなければ、超能力者でもありません。体力にも限界があり、地上で永生されることもできないでしょう。しかし、父母様の中に「神様」を見出すのは、その愛の世界、心情世界において、「神様の愛」を有したが故です。そこに、私たちが父母様を父母様として慕う理由があるに違いありません。 今日(昨日16 日)は名古屋でお母様の大会が行われたと聞いています。まだその様子を拝見してはいませんが、真のお母様の安寧とご健康を心からお祈りしたいと思います。 お父様とお母様
2017-11-17 01:14:17
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