※ 現在古いブラウザからアクセスされており、ページが正常に表示されない可能性があります。

ページを正常に表示するためには、お使いのブラウザをIE11以上にアップデートしてください。

顕進様の真実〜希望の未来へ
真実を求めて
(祝福家庭の皆様へ送るメッセージ)
櫻井正上氏ブログのまとめ

【信仰の考察2】アボジの御旨、オモニの御旨

今日11月22日は「いい夫婦の日」でした。これは「余暇を二人で楽しむように」との主旨で提唱されたと言いますが、本当に忙しい夫たちは、仕事を早めに切り上げられず、帰宅時、奥様方から「今日は夫婦の日なのに~」と、逆に苦情を聞いた、なんてことにはならなかったでしょうか?(汗) ひと昔前まで、夫婦の在り方は違いました。「男性は仕事、女性は家事」というように、役割分担が固定され、亭主関白の男たちは、帰宅時、「風呂・メシ・寝る」の3つの単語しか使わなかったんだとか。それが今や、「仕事は夫婦共働き、家事は夫婦の共同作業」が主流。今時、旦那が帰宅して、「風呂・メシ・寝る」などと言い出したなら、間違いなく、「追放」されるでしょう(汗)。 「男女平等」が謳われる昨今、「男性・女性はこうあるべき」といったステレオタイプの考え方は敬遠されるに違いありません。しかしその一方で、婚活のセミナー等では、昔ながらの男性らしさ・女性らしさを教えていると言うから不思議です。それは結局、男女が互いの中に「違い」を欲するからでしょう。 子どもたちもまた、父親・母親には「違った」役割を求めるものです。我が家の子どもたちもそうでした。遊びたい時はアッパで、甘えたい時はオンマ。私は「優しいアッパ」のつもりでしたが、やっぱり慰められたい時はオンマであって、アッパは「お呼びでない」のです(!) 育児書ではよく、母親は「愛情」を、父親は「社会のルール」(正義)を教えよ、と説明しています。無論、役割を固定する必要はないかもしれませんが、それでも、母親が父性化すると、子どもは情緒不安定になり易く、父親が母性化すると、自立心や社会性が育まれにくいと言われます。 特に昨今は、家庭における「父親不在」が指摘されますが、それは実際に父親が「いない」のではなく、その「役割」を果たせていない、ということでしょう。即ち、「世のため人のために生きる父親像」を示せていない、という訳です。 さて、過去において、統一運動は長らく「男性的」「父性的」な側面が強かったに違いありません。皆が「アボジ」を見ていたからでしょう。男性も、女性も、です。ある先輩家庭の御夫人はこう語っていました。「うちの教会に『女性』はいなかったのよ~」。 かつて顯進様は、一つの目的と基準をもって全ての子女たちを指導されるアボジと、一人一人の子女たちの事情を汲まれ、個別に対されるオモニとの違いを説明しながら、「女性食口の皆さんはアボジにばかり似ようとせず、オモニに似ましょう」と語られました。さらに、冗談交じりにこう続けられました。「二世たちは『手遅れ』にならないうちに、ちゃんと女性教育をしてあげなくては(笑)」 お父様の聖和以降、お母様が先頭に立って歩まれるようになりました。しかし、お母様がお父様に「代わる」ことはできないでしょう。それはお母様の力や価値を否定するものではありません。男性と女性、父性と母性の違いゆえです。 「お父様とお母様は一体だ!」と言われますが、「お父様=お母様」ではないでしょう。夫婦間には男女の違いがあるもので、お父様とお母様は「違って」当然です。むしろ「違い」にこそ価値があるのではないでしょうか? お父様が一つの目的に向け、絶対的基準を立てて行かれるのに対し、お母様は子女たちの状況を汲みながら、より相対的に物事を進められるところがあるように思います。お父様がより外側(世界的)に向かって取り組みを広げようとする傾向があるとすれば、お母様はより内側(家庭的)に向かって環境を整えようとする傾向をお持ちでしょう。 お父様の聖和以降、お母様が強調された内容も、より内側の整備 ―二世教育、教会成長、氏族的メシヤ― であって、対外活動でも、環境保全に貢献した人物に賞を与える等、より「女性的」「母性的」取り組みをして来られたように思います。御旨は一つであり、お母様がその一面を果たして来られたのだとしても、それでも「お父様の果たすべき御旨の一面が別にある」と思うのです。 今、統一運動に危惧を覚えるとすれば、「父性の不在」です。この運動が向かおうとする「全体摂理」の不在です。私たちが教会内を整備し、祝福家庭を教育し、伝道を通して教勢を伸ばすこと自体に「統一運動の目的」がある訳ではありません。その基盤をもって「何を成すか」が、私たちの運動の「目的」と「方向性」、「アイデンティティー」を決定するのです。 お父様は残された者に、お母様をお守りし、お支えすることを願われました。しかし、「夫」として、摂理的使命そのものを「妻」に背負わせたいと、本当に願われるでしょうか? 皆さんが晩年を迎えた時、もし自らが果たし得なかった課題と遺業があったとしたら、皆さんはそれを「誰」に託したいと願われるでしょうか? 「父性」を受け継ぐ者…、父の権威を代行し、全体的摂理を受け継いで立つのは「息子」である―、私はそう思います。
2017-11-22 23:51:42
■ 免責事項
当サイトは 個人の主観をまとめたものであり、各種資料は自主的な調査により収集したものです。
当サイトのご利用によって生じたいかなる損害につきましても、当サイト管理者は一切の責任を負いません。
当サイト内の 動画、画像、テキスト、その他 につきまして、無断引用・無断転載は固くお断り致します。
しかし、顕進様を非難するのは間違っている!と思われた方は、どんどん引用・転載・シェア・拡散してください^^
© 2017 顯進様の真実 〜神様の夢の実現〜