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顕進様の真実〜希望の未来へ
真実を求めて
(祝福家庭の皆様へ送るメッセージ)
櫻井正上氏ブログのまとめ

12.賽は投げられた ●●●問題勃発の真相 (2009年)

前編

大雨の日―。道幅一杯に水溜まりやぬかるみができていたとしたら、皆さんは、遠回りしてでも、より平坦な道を探すでしょうか? それとも、そのまま気合い(?)で突っ切るでしょうか? 無論、ぬかるみの程度やその日の「装備」等によっても変わってくるかもしれませんが、もし、それが目的地に向かう「唯一の道」だったとしたら―。それはもう覚悟を決めるしかないでしょう。 かつて、アラスカにおけるワークショップで、3日間、山にこもって野宿したことがありました。寒い天候の中、雨が降ったため、山の中腹にあった氷河が溶け出し、地図には存在しない「川」ができていました。冷えは足元から上がってきます。私たち一行は、ほぼ氷水となった川を渡ることだけは避けようと、途中でコースを変えたのですが、1時間弱、迂回して辿り着いた果てに、私たちが目にしたものは、「さらに大きな川」でした。夕暮れ時。それ以上は、迂回することも、引き返すこともできない状況です。次の瞬間、全員の視線が一斉にグループリーダーに集まりました。彼はひと呼吸おき、表情を変えないまま、静かに言いました。「川…、渡るゾ…」。 人生において、私たちは、時として、避けることのできない危険や困難に遭遇します。勿論、まずはより無難な選択肢を探すことが賢明なのかもしれません。が、もしそれが「避けられない困難」であるなら、腹を括って前進するしかないでしょう。そして、ひと度、その一歩を踏み出したなら、もう引き返すことはできません。「向こう岸」まで渡り切る覚悟を決めるしかないのです。 イタリアの統一を果たした英雄、ガリバルディは、ローマが包囲され、危機に瀕した時、部下たちにこう告げたと言います。「兵士たちよ。優勢な敵に対する今日までの我々の努力は無駄に終わった。今、私が諸君に約束するものは、飢えと渇きと困難と死である。これ以上、諸君に命令はしない。戦うもよし、逃げるもよし。しかし、私は祖国を愛する者として告げる。『私と共に戦おう』と!」 この呼びかけに、数百名が応じるのです。 「賽は投げられた」―。この言葉は、ローマのカエサル(ジュリアス・シーザー)が、元老院と一戦を交えるため、ローマ本国と属州との国境線となるルビコン川を渡った際、人々に語った言葉として知られます。平たく言うなら、「後戻りできない一歩を踏み出した」という意味に他なりません。 束草事件(2009年3月)より数ヵ月後。どんな困難があろうとも、最後まで御旨の一線から退かず、神の摂理とこの運動の方向性に責任を持つ―。当時、ある先輩が訪ねた時には、顯進様はもう既に、「ルビコン川」を渡る決意を固めておられたといいます。 この時、顯進様は自らに付き従おうとする者たちにも、その意思を尋ねられるのです。「私は摂理の道を行く。あなた方はどうするか?」 当時の状況下で「顯進様に従う」ことは、まかり間違えば、父母様に盾突く「逆賊」とも見なされかねない状況だったに違いありません。 当時、世界摂理を展開しようとする上で、顯進様に残された基盤はUPF(天宙平和連合)であり、●●●財団でした。束草事件以降、これらを廻っての「攻防戦」が激化して行くのです。 顯進様は●●●財団を強奪した―。これは「顯進様はお父様の指示に従わなかった」という話と共に、後々まで顯進様を「讒訴」する根拠となってきました。ただ、その背後関係については、教会側と顯進様側とで、大きく主張が異なっていました。 教会側では、顯進様がお父様の側近二人を理事から解任し(7月)、●●●理事会を掌握した上で、財団を私有化したと主張していましたが、ネット上(→顯進様側)では、むしろ上記の二人が理事会掌握を図り(5月)、顯進様の理事長交替を招こうとした(6月)といった話が言われていました。当事者でない私には、どちらが真実だったのか、断定はできません。 しかし、正直、「顯進様が●●●財団を強奪した」というのは、極めて不可解な話に思えてなりませんでした。そもそも●●●財団は神様の世界的な摂理を推進するための基盤であり、その責任者が顯進様でした。「私有化した」と言いますが、何をもって「私有化」というのでしょうか? また、その「私有化」の前に顯進様が推進しておられたことと、「私有化」の後に顯進様が取り組まれたことと、一体、何か「変わった」内容があったのでしょうか? 顯進様が進められたことは、先にも後にもGPF(グローバルピースフェスティバル)であり、「神のもとの一家族世界」に向けた平和運動であって、それは当然、父母様の願いでした。一方で、束草事件以降、(従来、日本の支援によって運営されていた)●●●財団への支援は激減、(最終的には)中断され、●●●財団は「自立」を余儀なくされます。むしろ、教会の負担は「減った」とも言えるでしょう。

後編

また、この時、背後ではもう一つの深刻な「変化」が起こってきていました。統一運動の「方向性」に関するものです。それこそ、顯進様が予てから危惧して来られた内容であったに違いありません。 7月、世界会長の亨進様は「家庭連合」の看板を下ろし、「統一教」を正式名称として掲げられます。が、これは少なくとも、お父様から出た内容ではありませんでした。さらに11月には、既に述べたように、UPF会長交替(=お父様の指示でない)という出来事が起こってきます。亨進様はこの時の就任演説で、「蘇生期が統一教会、長成期が家庭連合」と説明されながら、こう強調されました。「今では完成期の『統一教』を出発し、『統一教』運動を通して天一国を完成しようとしています!」 当時、私は亨進様を慕い、亨進様から様々な信仰姿勢を学びましたが、この方向転換については、強い「疑問」を覚えざるを得ませんでした。宗教運動(統一教会)から家庭運動(家庭連合)、さらには世界平和運動(天宙平和連合:UPF)へと広がって行くというのがお父様の明確な摂理観だったからです。しかし、亨進様はこの時、UPFをはじめ、あらゆる機関の上位に「統一教」を置き、全ての機関の目的を「真の父母をメシヤとして明かすこと」とされたのです。 今でこそ、家庭連合では、当時の「統一教」への変更が「本来的でなかった」と解説していますが、当時からも、少なからぬ混乱が生じていたのが事実でした。 下記は、一人の米国教会の指導者が、後日、ネット上に公開した文章です。
「UPFは世界平和運動を定着させようという真のお父様の40年の努力の結実です。UPFは全ての宗教に開かれており、改宗の圧力を受けないことを前提に、世界中で平和大使たちが任命されたのです。(中略)2009年、私はUPFを辞任しました。理由はUPFがそのような努力を止め、統一教を宣伝することに専念するようになったためです。」(2010年6月)
一体、どちらがどちらの基盤を奪い、それまでの方向性を変えようとしたのでしょうか? 顯進様はこの時(09年11月)、UPFの各国指導者に向け、次のような公開書信を送られます。
「このような発表(=会長交替と方針転換)はUPF 理事会の誰とも、またUPF 事務局のどの指導者とも議論されないままなされました。(中略) UPF の本来のビジョンと私の父が描かれた平和に向かうロードマップはGPF と共に続くでしょう。私の父の理想は神様を中心とした世界を建設するものであり、その中で全ての人種と宗教 、国籍、文化的背景を持った人たちが神様の下の一家族として調和して生きていくことなのです。」(09年11月)
同時に、顯進様はお父様に次のような書簡を送られたといいます。
「お父様、私の姉と弟が天福宮と統一教を前面に立てて、神様の摂理に対する観点を曖昧にし、お父様の生涯の業績に逆行するようにしています。私は状況がこうだからといって、これを放棄し、退くことはできません!(中略)私が今、どんなに崖っぷちに追いこまれていたとしても、決して屈することができない理由は、正に、神様の御旨にお父様が命を賭けてこられ、私もまた、父の子として結ばれた同じ命を賭けているためです。天の御旨はお父様にとっても、私にとっても、命以上のものであるためです!」(09年11月)
翌12月、フィリピンでのGPF大会を皮切りに、教会史上、類を見ない内部迫害が始まります。同時に、顯進様の引き返すことのできない「退路なき闘い」が始まって行きました。賽は投げられたのです。
前編:2017-12-26 09:49:43
後編:2017-12-26 09:52:35
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