※ 現在古いブラウザからアクセスされており、ページが正常に表示されない可能性があります。

ページを正常に表示するためには、お使いのブラウザをIE11以上にアップデートしてください。

顕進様の真実〜希望の未来へ
真実を求めて
(祝福家庭の皆様へ送るメッセージ)
櫻井正上氏ブログのまとめ

14.放蕩息子 爆破者宣言! 神山、ついて行くな? (2010年)

前編

長女が小1,2だった頃の話です。娘は「やることがある」として部屋に閉じこもり、何かの作業をしていました。夜遅くなり、「明日やりなさい」と注意しましたが、一向にやめる気配がありません。「宿題じゃないなら明日でいいだろう?」と言っても、「嫌だ」と言って聞かず、「じゃあ、アッパ(←韓国後で“パパ”)が手伝ってやるから」と言っても聞き入れないのです。終いには、「もういい加減に寝ろ~!」と叱りつけてしまいました。ところが、「何がそんなに急用なんだ?」として、彼女のデスクを見て、知りました。彼女が一生懸命作っていたのは、凝りに凝った、アッパの誕生日カードだったのです。 アッパにカードを見られ、娘は泣き出してしまいました。理由を言わなかったのは、アッパを驚かせたかったからなのでしょう。親を思う娘の気持ちが痛く感じられると共に、アッパのために作っていたのにアッパに叱られ、アッパを喜ばそうと、秘密で作っていたカードまで見られ、悲しくなって泣き出す娘を見みながら、私もやるせない思いにさせられました。「言ってくれれば良かったのに…」とか、「体を壊してまで、無理させたくないだんよ…」等、親としてもいろいろ思うところがありましたが、それ以上に思ったことは、「親も子どもの気持ちを理解できてないのかもしれないな…」ということでした。 親の子を愛する思いは底なしだと言われますが、子の親を愛する思いも同じなのかもしれません。時には、親が「そこまでしなくても…」というくらい、子は親のことを思うものなのです。二世の相談に応じながら、何度もそう感じさせられました。 韓国に古くから伝わる民話「沈清伝(シンチョン伝)」は、「孝道」(親孝行の道理)を教える物語として知られます。しかし、実際、「親の立場」でよくよくこれを読み返してみると、「う~ん、これはどうなんだろう~」と考えさせるに違いありません。 母を幼少で亡くし、盲目の父と貧しい暮らしをしていた沈清は、「父の目を開かせてあげたい」と切実に願っていました。そんなある日、「米三百石を備えて供養すれば、父の目が開く」と聞いた彼女は、米三百石を手に入れるために、商人に身を売るのです。彼らは大事な積み荷を乗せる船が、洪水や嵐に見舞われぬよう、海の神に捧げる少女を探していたのでした。彼女は父に事情を話さぬまま、購入した米三百石を仏壇に供え、父の無事と長寿を願いながら舩に乗り込み、海に身を投げるのでした。 これは親として見れば、居たたまれない話でしょう。娘が自分(親)のために死のうとした訳ですから。普通に考えれば、親は子どもの成長と幸せを願うものであって、子どもを犠牲にしてまで生きたいとは思わないでしょう。沈清の父親が「自分の目を開かせるために、娘に犠牲になってくれ」などと願ったでしょうか? むしろ「お前が死んでどうする!?そんなことを父が願うと思ったのか!?勝手に決めるんじゃない!この親不幸者が!」と泣いて怒るに違いありません。事実、沈清のとった行動を知った父は(竜王によって地上に送り返された沈清に再会するまで)ただただ悲しみに明け暮れるのです。父にとって最も大切だったのは娘でした。 しかし、それでも人々は、この話を、「身勝手に家を飛び出した親不孝な娘」の話とは考えてきませんでした。むしろ「孝道」を教える訓話として伝えられてきたのです。なぜでしょうか?それは、沈清の中に「孝心」(孝行の思い) の極みを見るからでしょう。幼い子どもは、ただ親に喜んでもらいたい、誉められたいと願うものですが、本当に成熟した子女というのは、「自らを犠牲にしてでも親のために生きよう」と願うのかもしれません。そこには、自分が誉められるか否かといった意識など、存在していないのでしょう。 2010年以降、顯進様は「お父様の願いに背き、身勝手に親のもとを飛び出した放蕩息子」として、食口たちに伝えられてきました。特に5月末に起こったブラジルでの出来事はお父様を非常に怒らせ、この頃から、お父様の顯進様に対するスタンスもはっきりしていったと言われています。それから僅か5日後、お父様が署名された文書(色紙)が公開されます。
「…(真の父母様の)代身者、相続者は文亨進である。それ以外の人は異端者であり爆破者である。」(6月5日)
  その後、この宣言は―異端者・爆破者は顯進様を指しているとされ―「顯進様批判集会」を公けに進めて行く上での「錦の御旗」となりました。しかし、それが本当にお父様の願いだったのでしょうか?

後編

7月には、お父様は、当時、顯進様に好意的だった神山先生を呼び寄せ、ボート上で指導されます。「顯進について行くな」。後に「ボート会議」と呼ばれる、この時の話の主旨はこうでした。神山先生が異議を申し立てるも、お父様は改めて「(たとえ課題があったとしても)國進、亨進は先生のもとにいる。しかし、顯進は先生の『直下』にいない。中心は顯進でなく、先生なのだ!」と指導され、神山先生御自身、「我に返った」と言います。(実際の御言では『直下』という言葉は使われていません。また、神山先生の判断はその後、様々な状況を見つめながら変わるのです。) 当時の神山先生のお話では、お父様に「冷静に諭された」ということでしたが、当時の音声を聞いてみると、実際は「話し合い」というよりも、お父様から強く叱責され、「分別された」というのが正確なところだったように思います。お父様は非常に怒っておられました。顯進様側が「お父様はボケて馬鹿になった」「自分たちはお父様以上のことをやっている」と言っている―。お父様はそう認識しておられました。しかし、それは事実だったのでしょうか? 異端者・爆破者―。その文書や動画がネット上で公開された際、私は思いました。「世間はこれをどうみるだろうか」と。実の親が本当に息子をそう表現したとしたら、人々は「ああ、三男は酷い人物なんだ」と思う前に、むしろお父様を「なんて親なんだ!」と思うことでしょう。それこそ、放蕩三昧に溺れていたならまだしも、必死に平和運動を続けていた息子です。 さらに言えば、聖書の「放蕩息子の喩え」に出てくる父親は、放蕩三昧だった息子ですら裁こうとせず、ひたすら待ち続けたのです。彼が「悔い改めて帰ってきたから」許して迎え入れたのではありません。息子をただただ信じて、待ち続けたのです。お父様は本気で顯進様を打ちたかったのでしょうか?お父様は自らの言葉を、息子を糾弾する根拠にして欲しいと願われたのでしょうか。これはお父様の名が、露骨なまでに「政治利用」された最初のケースだったように思います。 顯進様はお父様のもとを離れた―。確かに2010年以降、顯進様はもうそれ以上、お父様に書簡を書き綴ったり、お父様に対話を求めるような行動は起こされませんでした。当時、私が顯進様側の先輩から聞いていた内容はこうです。「今、必要なことは弁明ではなく、行動である。真実は行動で示すしかない。自分(顯進様)はアボジを知っている。アボジは神を愛し、御旨に狂った方だった。息子がしていることが御旨に適うことだと知った時、全ての誤解は解ける」―。それが顯進様の考え方だったといいます。 多くはこう言うかもしれません。「お父様はそんなことを願ったのではない。ただ『帰ってくる』ことを願われたのだ」と。確かに、そうなのかもしれません。「お父様は全てをやめて側にいなさい」と言われました。ただ横にいることを願ったのかもしれません。しかし、顯進様は当時、そうすることがお父様のため、御旨のためになるとは考えておられませんでした。それどころか、ご自分が御旨の一線から退けば、統一運動は方向性を失い、お父様の伝統は崩されていくだろうと見ておられました。 自らの考えをお父様の考えよりも優先させて良いはずがない、そう思われる方々も多いでしょう。しかし、私にも、全体を把握し得る公正な情報がお父様に届いているようには思えませんでした。 お父様はアベル(顯進様)を打ち、アベルがそれを受け入れることで、カイン屈服の道を開こうとされたのだ―、そう言われる方もいます。しかし、顯進様に対する排斥運動は、単なる「心情」問題というよりも、もっとはっきりした目的をもって―この運動や組織の「主導権」を巡って―引き起こされたものでした。顯進様が退いて解決したとも思えません。 それでも、「顯進様の行動はお父様を苦しめたじゃないか!」という声に対して、一言、言わせてください。実際にお父様を苦しめたのは、本当に「顯進様のとった行動」ゆえだったのでしょうか?それとも「顯進様の行動に対する歪んだ情報」ゆえだったのでしょうか? 少なくとも、顯進様は「お父様の名」を、自らの立場を守るために利用するようなことはされませんでした! 下記は2010年7月、顯進様を弁護しようとお父様に会いに行こうとされる神山先生に対して、顯進様が語られた内容です。当時、「放蕩息子」と呼ばれたその方が思っていたことは、御自身の立場などではなく、お父様のことであり、祝福家庭のことでした。
「私はお父様から離れることはないし、変わることもない。お父様が『誰であるか』を知っているからだ。また、私の夢はお父様が果たしたい夢を果たすことに他ならない。だから、私のことは心配しなくていい。 (中略) ただ、これから津波が押し寄せる。教会指導部はお父様の名を用いて非原理的な内容を語るようになるだろう。それは、お父様の成したかった本来の御旨とは何ら関係がない。その時―。食口たちが揺らがないよう、お父様に対する信仰が失われないよう、責任をもって欲しい。どんな状況に陥ったとしても、食口たちがお父様を捨てるようなことがあってはいけない」。(責任者のメモより)
こうした思いを他所に、このあと、お父様の名のもとに「法廷闘争」が引き起こされていくのです。
前編:2018-01-10 13:52:18
後編:2018-01-10 13:54:42
■ 免責事項
当サイトは 個人の主観をまとめたものであり、各種資料は自主的な調査により収集したものです。
当サイトのご利用によって生じたいかなる損害につきましても、当サイト管理者は一切の責任を負いません。
当サイト内の 動画、画像、テキスト、その他 につきまして、無断引用・無断転載は固くお断り致します。
しかし、顕進様を非難するのは間違っている!と思われた方は、どんどん引用・転載・シェア・拡散してください^^
© 2017 顯進様の真実 〜神様の夢の実現〜