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顕進様の真実〜希望の未来へ
真実を求めて
(祝福家庭の皆様へ送るメッセージ)
櫻井正上氏ブログのまとめ

21.父との約束 お父様聖和の前後で (2012年〜)

前編

以前、ネットの記事で、こんなアドバイスが記されていました。曰く、「人生で成功するには “誠実さ”と“知恵”が必要である」と。そして、こんな解説が続きます。 誠実さとは―。
約束は守る、絶対に守る、死んでも守る。
知恵とは―。
そんな約束はしない。(汗)
確かにそうなのかもしれません(^^;)  やれないこと、できないことを約束してしまうことほど、心苦しいことはないでしょう。特に日本人は「約束したことは守らなきゃ!」という思いが強いはず。ある韓国人牧会者によれば、韓国人は無理難題を押し付けられると、「はい、やります」と答えて、50%だけやってくる。一方で、日本人は、「できません」と答えて、80%やってくるんだとか。^^;  お願いされたことは律儀にこなす訳ですが、律儀だからこそ、「できないこと」は約束したがらないのでしょう。 しかし、できるかどうかは別として、「果たしたい約束」「守りたい約束」もあるはずです。例えば、多くの夫たちが妻たちと交わし、恐らく殆ど守られていない、「君を幸せにするよ」「絶対、苦労させないから~」という約束(!)。これは「果たしたい約束」であり、「守りたい約束」でしょう。今、果たせているかどうか―、これから果たせそうかどうかは別として…(^^;)。  大切な人との約束だからです。 また、自分を「信頼してくれている人」との約束は「果たしたい」と願うに違いありません。「走れメロス」で言えば、彼が「必ず戻る!」と言う友人との約束を、最後まで守り抜こうとしたのは、友人が彼を「信じてくれていた」からでしょう。 私が公職(二世教育)を始めた切っ掛けは、ある先輩からの呼びかけでした。二世を思う先輩の熱い気持ちに心を打たれ、「2年間、手伝います!」と約束したものの、2年後、先輩はいませんでした(汗)。より大きな願いを受け、別の部署に異動されたからです。その時、先輩に言われた、「後はお前に任せる」という言葉を、私はその後、必死に守ろうとしてきたように思います。 さて、歴代観客動員数2位を記録した「国際市場で逢いましょう」という韓国映画があります。1950年、韓国動乱の最中、迫りくる中共軍の脅威から逃れ、北韓・興南港から、10万人に上る避難民を乗せた船が出港しました。その際、乗船できずに命を落とした人々もいたといいます。映画では、少年の父親も、混乱の中、海に落ちてしまった娘(少年の妹)を探し出そうと、乗船の機会を逸してしまいます。そうして、父・妹と生き別れた少年が、その後の波乱に満ちた生涯を通して、家族を守り、叔母が残した小さな店を守って行くのです。 成長した彼は、自らの身の危険も顧みずに、時にはドイツの炭鉱夫となり、時には戦地ベトナムの労働者となって家族を養いました。ある時、妻は彼のベトナム行きを反対して言います。「あなたはもう十分、やってきた!どうしてあなたがばかりが苦労しなきゃならないの!」 彼は頑固なまでに家族の生活を優先し、叔母から受け継いだ小さな店を守り続けるのです。 映画の終盤、老人になった彼が過去を回想するシーンがあります。興南港で生き別れた父が、幼い彼に言い残した言葉があったのです。「いいか。父さんに万一のことがあったら、お前が家族を守るんだ…」。彼が必死になって、家族を守ろうとしたのは、それが「父との約束」だからでした。老人になった彼が、宙を見上げ、泣きながら言います。「アボジ…、私、ちゃんと約束、守れましたよね?人生、ちゃんと生きて来れましたよね?」。 彼がまた、周囲に呆れられながら、古びた店を売り払わずに守ってきたのも、父の言葉ゆえでした。「家族と共に先に行け。国際市場の〇〇という店で会おう!」 晩年の彼が妻に向かって静かに言いました。「この店、もう売ろうか。さすがに今や、ここへは来れないだろう。アボジも歳をとり過ぎたから…」。彼は最後まで「父」を待っていたのです。

後編

父との約束―。当時、迫害の真っ只中にあって、顯進様を突き動かしていたのも「神様との約束」であり、「お父様との約束」であったに違いありません。 2011年11月、顯進様は祝福家庭に宛てた公開書信の中で、「お父様との再会」を願われ、そのための「祝福家庭の協力」を求められました。それは何よりも、私たち二世リーダーを含む「指導者たち」の責任であったに違いありません。しかし、私たちは教会内にそうした環境を作り出すどころか、顯進様の歩みを妨げもしました。既に記した通りです。 そうした中、顯進様はお父様との直接的な出会いをかけ、韓国入りを果たします。それがGPF韓国大会(GPF-Korea2012:17~19日)の時でした。顯進様が何よりも願われたのは、お父様との出会いであり、基元節に向け、韓半島の平和統一に向けた運動が大きく始まりつつあることを、目に見える実体をもって、お父様にお伝えすることだったといいます。…が、既にこの時、お父様が「入院の身」であったことを、私たちは知りませんでした。当時、その事実は「公表されていなかった」からです。 顯進様は当時、お父様が暫く訓読会に姿を現されていないことを知られ、一人のリーダーに状況を調べるように言われます。彼がお父様の主治医のいる病院を確認したところ、それは奇しくも、顯進様が宿泊されていたホテルの向かいにあったといいます。 彼はそこでK補佐官とばったり出食わし、お父様の入院の事実を知るのです。8月15日のことでした。それまで、お父様の入院(3日~)の事実は、顯進様側に伝えられていなかったのです。(他の子女様は既に招集されていたとのこと。また、お父様の入院の事実が公文で知らされたのは翌16日のことでした。) 顯進様はすぐ主治医を訪ね、お父様の様態を聞かれます。主治医曰く、回復の見込みは「五分五分」。顯進様は主治医と共に、祈るお思いで、集中治療室に入られたといいます。3年ぶりのお父様との再会。顯進様は、酸素呼吸器をつけてベッドに横たわるお父様の姿を見つめながら、とめどなく涙を流され、そのまま、お父様の手を握って祈られたといいます。 この時、顯進様がどんな祈りを捧げられたのか、私には知る由もありませんが、顯進様は本当にお父様に会いたがっておられたといいます。GPF-Koreaのテーマは他ならぬ、お父様の悲願である「One Korea」、即ち、祖国統一でした。息子がお父様と同じ夢をもち、それを同じく果たそうとしていることを、顯進様は誰よりもお父様に伝えたかったに違いありません。 途中、顯進様が治療室に来ていることを知られた他の子女様方がその場に駆けつけ、顯進様に即「退室」を求めたといいますが、お父様の手は顯進様の手を握りしめたまま、暫く離そうとされなかったといいます。顯進様はこの時、「お父様は必ず回復される」と固く信じて病院を後にされたといいますが、これが顯進様とお父様との「最後の出会い」になるのです。 19日、ヨイドの広場に集まった2万名もの一般聴衆を前に、顯進様は神様の願いであり、お父様の悲願である、祖国統一の夢とビジョンを力強く語られました。顯進様はこの時、病と闘うお父様の思いを共に背負ってこの場に立っておられたに違いありません。私はこの時の様子を、映像を通してしか知りませんが、この大会を起点として、形成されたばかりの連合体(韓半島平和統一を目指す市民団体の連合体)はその後、何百もの団体を巻き込む、国内最大の連合体へと広がって行ったといいます。 顯進様はその様子を、誰よりもお父様にお見せしたかったに違いありません。或いは、一言だけでもお父様にご報告したかったに違いありません。しかし、その願いはおろか、お父様に一目、お会いすることすら叶いませんでした。顯進様が最初に治療室を訪ねた直後から、教会側では青年たちを病院の周囲に配置し、顯進様が近づけないように監視させるからです。そこは一般病棟であり、常識的に考えられない状況だったといいます。顯進様は帰国を延期し、一目、お父様にお会いすることを願われますが、それは叶いませんでした。 一体、顯進様をお父様に近づけたくなかった理由は何なのでしょうか。お父様の様態のためでしょうか?もし、16日以降、連日のように出された公文(お父様の病状のレポート)に偽りがなかったとすれば、お父様の状況は「改善に向かっていた」はずでした。或いは(当時、別の子女様方がそうされたと言われているように)病床のお父様に対して、顯進様が自らを後継者だとする言質を取ろうとしていた、などと考えたのでしょうか? 病院を固めている青年たち、並びに教会責任者との交渉に当たっていたリーダーから、変わらない状況を聞かれた顯進様は、最後、彼に「もう帰って来い」と言われ、一言、「病床の父を静かに見舞うことも許されないのか…」と呟かれたと言います。顯進様が韓国を発たれたその日(28日)、ソウルは台風に見舞われていました。顯進様はお父様がおられる方向に向かって静かに祈りを捧げ、韓国の地を発たれたといいます。公文で、お父様の病状悪化が伝えられたのは30日。その4日後の9月3日、お父様は聖和されました。 聖和式(15日)までの期間にも、様々な出来事がありました。各新聞社に伝えられた「遺族名簿」からは顯進様家庭の名が除かれ、顯進様一行の弔問は許されませんでした。事の詳細は省きますが、私もその場にいたため、何が起こっていたのかを知らなくありません。國進様に侍って来られた、ある先輩はその場でこう呟いておられました。「これ(顯進様側の弔問阻止)は絶対にやってはいけなかった…」。 私はこの時、数回にわたり、教会の在り方に対する、私自身の思いを綴り、上司に文書を提出しました。何の効果も、意味もなかったに違いありません。が、それでも、ただ黙っていることはできませんでした。 顯進様はこの時、聖和式を別途、捧げられると共に、公開声明を出され、今後、教会とは袂を分かち、お父様が成したかった願いを果たしていくことを宣言されました。教会では、これを「教会との決別宣言」と呼んで非難し、同時に「文顯進様の不孝不忠」と題する公文が流されました。神の御旨を思い、お父様を愛する顯進様の思いの「ひとかけら」でも分かっていたなら、そんな言葉は出なかったでしょう! 顯進様が発してきた言葉にわずかでも耳を傾けていたなら、こんな行動は取れなかったに違いありません! 下記は同年、顯進様が食口集会で語っておられた御言です。
「お父様は、神様と人類の前に、2013年1月13日までに国を探すという約束をしました。しかし、今の教会は何をしていますか?(中略)お父様は命をかけて、全世界のために狂ったように働いていらっしゃいますが、彼らは何をしているのでしょうか? 時がきたのに、何もしなければ、天の前にどれだけ恥ずかしいことでしょうか…(涙)(中略) 私がなぜGPFを始めたと思いますか?それは、神様と人類の前に、お父様が約束されたことを守るためです。(中略)再臨主は神様の息子として、神様の夢をかなえるために来られた方です。したがって、神様の前に約束した内容を、必ず守らなければなりません。 (中略)もう一度、言います、私は今年、神様の摂理に従って、この国を動かす基盤を作ります。しかし、あまりにも申し訳ない思いです。この混乱のために、貴重な3年を失ってしまったからです。2008年の基盤の上に出発したなら、2013年までに国を探し立てると約束できます。しかし、今ではそれを言うことができません。これがどれほど天の前に申し訳ないことか分かりません。私はあまり泣かない人なのに、どうして今日、こんなに涙が出るのか分かりません…」。(2012年6月 ヨイド)
顯進様の歩みはただただ、お父様が神様と交わした約束を、顯進様がお父様と交わした約束を、果たそうとする歩みだった―。私はそう思います。 2年後の2014年9月、顯進様は国内外に影響を与える一冊の書籍、「コリアンドリーム」を発刊されます。「2014大韓民国出版文化芸術大賞」(社会部門)で「今年の本」に選ばれたこの本の冒頭には、こんな一文が記されています。 『 この本を、生涯、  コリアンドリームの実現を渇望した  亡き父、文鮮明総裁に捧げる―。』 コリアンドリーム 【参照】
前編:2018-02-05 12:01:19
後編:2018-02-05 12:14:44
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