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顕進様の真実〜希望の未来へ
真実を求めて
(祝福家庭の皆様へ送るメッセージ)
櫻井正上氏ブログのまとめ

23.家造りらの捨てた石 荒野路程を越えて (2014年~)

前編

外国人に人気の日本食と言えば、まず思い浮かぶのは「寿司」でしょう。また、その寿司の王道と言えば、マグロ、「トロ」であるに違いありません。しかし、中トロ・大トロといった部位が、ひと昔前までは「捨てられていた」というから驚きです。冷凍技術の問題もあったといいますが、脂分が多く、「人様が食べるものではない」と考えられていたんだとか(!) 非常~にもったいない話です。^^; しかし、私たちの身の周りには、案外、価値が分からないまま、捨てられてしまっているものも多いに違いありません。専門家に言わせれば、普段捨てられているニンジンの皮やキャベツの芯にこそ、高い栄養価があるんだとか。或いは、「こんなもの…」と思っていた、埃(ほこり)をかぶった滑稽品が、「なんでも鑑定団」等で見てもらったら超高値が付いた!なんて場合もあるかもしれません。^^; 人は重要で貴重なものほど、気付かずに捨ててしまうものです。不用だと思って破り捨てたら、大事なメモだったとか、「全削除」をクリックした直後に、それが重要ファイルだったことに気付いたとか(汗)。円を換金した途端に「円高」になったり、手放した株の価格が急騰したり、誰かに譲った宝くじが当たるなんてこと(?)だってあるかもしれません ^^; 私も時々、過去の資料や想い出の品々を思い切って処分することがあるのですが、後で振り返ってみると、捨ててしまったものに限って、「あー、あれは取っておくべきった!」となる場合が多いように思います。大事なものというのは、案外、無くしてから気付くものなのかもしれません。健康も「失ってから」その「大切さ」に気付かされますし、職場も、友人も、髪の毛も(?)、失ってから気付くことが多いのではないでしょうか? 大事なものを失う経験そのものを歓迎はできませんが、それを通して学ばされ、気付かされることも大切であるように思います。以前述べたように、私は過去、1年半の間、大病を患ったことがありましたが、その時に、これまで見えていなかった大切なこと ―家族の存在や友人の大切さ、「人は何のために生きるか」といった大事なこと― を教えられたように思います。 当時、清平40修に(韓国側チームで)参加した折、痛みに耐えながら修練に臨む私を、日々サポートし、助けてくれた人々というのは、いわゆる「信仰的な人々」ではありませんでした。講義は後方で聞き、休憩中にはタバコを吸い、周囲のプッシュで、半分ふて腐れながら修練に参加していた青年たちが、私を助け、支えてくれたのです。 40日間、私はそうしたメンバーと共に交わり、談笑しました。普段、見えなかったものが見え、気付けなかったことに気付かされたように思います。 人生の幸不幸は、後になって見なければ、分からないものなのかもしれません。「苦しい時の神頼み」とは言うものの、本当に苦しい時というのは、神も仏も分からなくなり、目の前の理不尽で苛酷な「現実」しか見えなくなるでしょう。当時、私は「神」さえ見失いかけていました。が、後になって振り返ってみた時、その時こそ「天の導き」が共にあったと実感するのです。 「捨てる神あれば、拾う神あり」という言葉がありますが、もしかしたら、「捨てる神」と「拾う神」とは「同じ神」なのかもしれません。ヤコブが「神」と出会ったのは荒野でした。何もない荒野、ベテルの地で、石を枕に眠りについた時、彼は夢路で神の言葉を聞くのです!「わたしはあなたと共にいる」と。また、ヤコブの子ヨセフは兄弟たちに裏切られ、商人に奴隷として売られて行きますが、彼はそこから人々の信用と信頼を勝ち取り、「異国の地」エジプトで宰相となるのです! 顯進様のここ数年の歩みが、こうした出来事と重なって思えるのは、恐らく、私だけではないでしょう。 かつて、イエス・キリストは詩編の言葉を引用し、人々に言われました。「家造りらの捨てた石が 隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える」…。 「隅の頭石(かしらいし)」とは、石造りの建築物の基礎に据えらえる要(かなめ)となる石を指します。石造りらの捨てた石を、神はその頭石に据えた―。それは即ち、「世の人々から捨てられ、罵られたイエス様こそ、やがて神が世を救い、人々を救うための礎となるだろう」と言われたのです。 2014年9月、顯進様が執筆された「コリアンドリーム」は大型書店のベストセラーとなり、これが韓半島の統一問題に関心をもつ政界・学界の有識者たちに影響を与え、数々の市民団体の結束を促す共通のビジョンになっていったと言います。 「コリアンドリーム」から知れる顯進様の観点を(私なりに)整理するなら、まず、①韓半島の平和統一には、プロセスや方法論以前に、南北の人々が共有し得る「統一コリアのビジョン」が必要だということ。韓半島の歴史や国際社会の動向からみる時、「現状維持」か「武力衝突」かでなく、「平和統一」という第三の選択肢を、韓民族自らが歴史的宿命として選択できなければならない、といいます。 また、②「政府主導」の統一運動(=太陽政策の限界)ではなく、人々の意識改革に基づく「大衆運動」(=官民の連携)が必要だということ。顯進様が2012年、それぞれが「草の根運動」を展開していた市民団体に呼びかけ、「平和統一」という共通目的に向けた市民団体の連合体、「統一を実践する人々」(AKU)を創設した理由もこうしたところにありました。 さらには、③韓半島の平和統一は世界全体の課題であって、国際社会が共に協力していくべき課題であると強調しています。それは韓半島だけの局地的課題でもなければ、韓国の民族主義(反日感情等)によって主導されるべき課題でもありません。自由・平等・博愛といった普遍的価値、「One Family under God」に基づくグローバルな平和運動として展開されるべきだ、という訳です。 こうした呼びかけに、多くの有識者や市民団体が賛同。国際会議や経済フォーラムが行われるようになると共に、連合体に組する市民団体も200から500、700と広がり、現在では900団体を越えているといいます。ちなみに、「コリアンドリーム」の英語版は、米国シンクタンクの要人がその推薦文を記し、「文顯進博士」の取り組みを高く評価しています。これは誇張でも、内部向けの宣伝でもなく、事実なのです。

後編

さらに翌2015年、韓国独立70周年に当たるその年、「文化」を通した若者世代の意識変革を目指す取り組みとして、「南北統一をテーマとする大コンサートの開催」というビジョンが掲げられます。この一大プロジェクトに、韓国の一流プロデューサーや大物K-POPスターらが参加。ミュージックビデオには、当時の与野党の党首(現大統領含む)も参加しています。コンサートには3万名以上の若者が参加し、その様子は大手テレビ局を通して大々的に放映されました。(2015年10月) その後、2017年1月、顯進様は2009年から続いた7年の受難期を越え、「新たな出発」を宣言されると共に、3月、フィリピン・マニラにおいて大きな大会を実施されます。テーマは同じく「韓半島平和統一」。韓半島の分断は国際社会によってもたらされたものであるため、その解決にも国際社会の協力が不可欠だという観点でした。大きくは、有識者を集めた国際会議(GPC)、K-POPグループによるコンサート、一般青年一万名を集めたユースサミットで構成されていたといいます。コンサートではフィリピンの若者たちが、皆一斉に、「One-Korea!One-World!」を叫ぶのです! ここに参加してきた母が何よりも驚いていたことは、参加していた有識者たちの意識の高さと、顯進様との関係性だったといいます。親しい友人のように、或いは先生を慕う生徒のように、顯進様が現れた途端にそれを取り囲み、親しく談笑し合うその姿に触れながら、「顯進様はあの凄まじい迫害の中で、こうした基盤を築き上げて来られたのだ」と、胸にこみ上げてくるものを感じたといいます。 教会では、こうした内容をも、「顯進様は自らの功績を父母様や食口に認めてもらいたくて必死なのだ」と冷ややかに見つめてきましたが、顯進様の中にそんな動機は「ない」でしょう! 世の人々は「馬鹿」ではありません。顯進様自身の売名行為などのためであったなら、そこに協力したりはしないでしょう。そもそも、顯進様側には「選挙の票」を期待できるような「会員」などいませんし、金銭の力で渉外できるほどの予算を投じてもいないのですから。 私が以前、顯進様側で働く弟に、「顯進様の社会での活躍こそ、もっと教会内部に広報したらいいじゃないか」と言ったところ、彼は答えて言いました。「顯進様を支持している外部の人々は、顯進様のビジョンに共鳴している人々であって、『宗教活動』として協力している訳じゃない。我々がこうしたことを『顯進様の功績』のように内部広報することは、彼らを宗教活動に利用するようになるため、顯進様も、主催者側もそれを望まないんだよ」…。 私は昨年12月、初めてAKUが主催するOne-Korea 国際フォーラムに参加し、そのことを実感しました。顯進様は自らの「信奉者」を作ろうとなどしていません。ただ、人々をその「ビジョンの主人」にしようとしているのです。多くの人々が文顯進会長を「統一教会の創始者の息子」と知りつつも、そこに賛同しているのは、顯進様がただ純粋に「韓半島の平和統一」を願い、誰よりもそのビジョンの主人になっていることを認めているからでしょう。 信仰や宗教を抜きにし、「子女様」だとか「後継者」だとか、そうしたことを全て抜きにして、人々が顯進様の姿勢に共感し、その運動に協力しようとしている姿を見ながら、これが私たちの言う、本当の「自然屈服」なのではないかと思わされました。と同時に、世の中の「カイン圏」が賛同する一方で、最も近い「カイン圏」がこれを躍起になって反対し、糾弾している事実に、アイロニーを覚えざるを得ませんでした。 教会ではこうも言うでしょう。「『真の父母』を明かしていないからダメなのだ」と。回答するまでもないかもしれませんが、敢えて言うなら、顯進様にとって、父母様は神の夢、創造理想実現のために一生涯を捧げられた方であり、それゆえに神の実子であり、真のアダム・エバであり、真の父母でした。しかし、私たちにとって大切なことは、その方を拝んで崇拝し、一つの宗教団体を形成することなのではなく、真の父母の生き方を受け継ぎ、同じく、神の真の子女として、神の夢の実現に生きることに他なりません。世の人々と共に、です。 また同時に、顯進様の心の内にあるものは、その神の夢の実現に一生涯を捧げながらも、その結実を見ることなく、地上を発たなければならなかったお父様への想いでしょう。 ある日、一人の韓国牧会者が、夢の中でお父様からこう告げられたといいます。「今から言うことを必ず顯進に伝えよ。『私(アボジ)が顯進が事を成せるようにしてあげなければならなかったのに、そうしてやれずにすまなかった』と」。彼はこれを、ハンバーガーショップで食事中だった顯進様にお伝えしたといいます。すると、それを聞かれた顯進様は、手にしていたハンバーガをテーブルに置き、そのまま暫くの間、泣かれたと言います。 「家造りらの捨てた石が、隅のかしら石になった」―。 顯進様はその間、食口のみならず、父母様からも「捨てられた」ような立場にあったに違いありません。何故なのでしょうか。もし本当に、ただ「顯進様が問題であった」だけなら、むしろ父母様は道を踏み外した息子を許し、愛し、かき抱かなければならなったことでしょう。「真の父母」なのですから。 ある人々は言います。「お父様は全体のために顯進様を捨て、その責任と十字架を顯進様に負わせざるを得なかったのではないだろうか」と。私はある意味、それは「お父様の意図」をも越えたところにあった「神の計らい」だったようにも思うのです。イエス様の十字架路程は、常に傍らにあり、信頼していた神様までもが背を向ける中にあっても、神に対する、人類に対する「変わらぬ愛情」を貫けるか否かが求められた歩みでした。顯進様の場合、父母様までもが背を向ける中にあっても、変わらない心情を貫かなければならない―、そんな立場に置かれていたのではないでしょうか?  昨年(2017年)12月の食口集会において、顯進様はこう語られました。
「 神様がこの運動を離れたんじゃない。この運動が神様から離れたのだ。お父様が皆さんを捨てたんじゃない。皆さんがお父様を捨てたのだ。私が皆さんを捨てたんじゃない。皆さんが私を捨てたのだ。今は悔い改めの時。神様は資格のない者までをも救う。神様は我々を捨てたことなどないのだから。」(個人メモより)
判断は個々に委ねます。ただ、私がその間の顯進様の歩みを見つめ、また改めて直接、触れるようになって、今思うことは、顯進様はこの数年間、変わらずに神様を愛し、父母様を愛し、祝福家庭を愛して来られた、ということに他なりません。私は今更ながらに思うのです。この方は「本物の孝子」であった、と。最後に御言を記します。 お父様の御言「七年の大患難時代」(1961年2月)
『 神様は終わりの日になれば、人類の前に7年の大患難があるだろうと予告されました。この患難時期は6000年の歴史路程において、天の悲しい曲折が聖徒にぶつかる時です。(中略)その時は、希望が揺れる時であり、私たちが信じている信仰の中心が揺れる時であり、信じて従った指導者が揺れる時です。 (中略)では、神様はなぜそのような世の中をつくっておかなければならないのでしょうか。(中略)そのような患難の中でも「神様を愛する」と言う、そのような難しい場でも「神様と共に生きる」と言い得る真の息子、娘を探すために、そのような時が来るというのです。(中略)神様が皆さんをいかなる苦痛の場に追い込んだとしても、その場で父を呼ぶことができる心をもたなければなりません。 (中略)その父を私の父と知り、その父の事情を私の事情として、その父の心情を私の心情として、その父の願いを私の願いとして訪ねてこられる父の前に雄々しく立って、「(中略)私があなたの願いの実体であり、事情の実体であり、心情の実体です」と自信をもって立たなければなりません。このような者であってこそ父の息子であり、またその父に侍ることができる者になるということを皆さんは知らなければなりません。』
【参照】
前編:2018-02-12 22:29:47
後編:2018-02-12 22:32:45
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