顕進様を支持する有志の会

真のお父様 聖和7周年と 特別祝福式の意義

顕進様による祝福式の意義

今年8月、顯進様は全祝福家庭を対象に祝福式を行われる。この文書は公式文書ではないが、今回の祝福式の意義と背景を摂理的に理解するために、御言や原理の観点を踏まえて自主的に整理したものである。

はじめに ― 聖和7周年を迎える今

7年前の2012年9月、お父様は摂理の最終目標である「基元節」を迎えることができないまま、92年の生涯を閉じられた。それはお父様にとって、極めて無念なことだったのではないだろうか。それから7年…。家庭連合では当初から、「基元節」を迎え、「天一国時代」が到来したと謳ってきたが、真の家庭と統一運動の分裂はいまだ収束されず、深みを増すばかりである。 祝福家庭の多くは今、「天一国」の起点となる「真の家庭」が定着していない現実を知りつつも、その問題を直視することを避け、「真の父母の勝利」のみを強調するか、「祝福家庭の使命」であるところの「氏族メシヤ」を強調するのに終始している。しかし、原理と摂理の観点から見る時、「子女様の勝利」なくして「父母様の勝利」はなく、「真の家庭」の定着なくして「氏族メシヤ」の勝利も何もないと言わざるを得ない。 真の父母の摂理的使命は「真の家庭」を立てることにあり、祝福家庭とは「真の家庭」に接ぎ木された家庭(*1)を言うのであって、「真の家庭」に結実した愛と生命と血統、伝統と文化を拡大させていくことで天国を築こうというのが祝福運動であり、氏族メシヤ活動の本質であった。 真の家庭の課題を「子女様の問題であって父母様の問題ではない」と言う時、或いは「真の家庭内の問題であって私たちの問題ではない」という時、それは既に、原理観・摂理観を放棄し、祝福家庭であることをやめてしまっているも同然である。 今年8月、お父様の聖和7周年を期して、顯進様は全祝福家庭を対象とした祝福式を行うと言われた。それは未だ到来していない本来の「基元節」に向け、今一度、「真の家庭」の基台を取り戻し、「祝福家庭」を本来の摂理的立場に立ち返らせようとするものである。このことの意味は、真のお父様が願われた基元節の意義とその摂理的背景、並びに祝福家庭の使命を振り返ることを通しておのずと理解できるであろう。

(1) 基元節と摂理的概観

1-1) 基元節の意義 ― 真の家庭の定着と天一国の出発

神の復帰摂理の目的は、最初のアダムを通して果たせなかった「神中心の家庭」を打ち立てることにあった。この家庭を起点として、神の愛と生命と血統が広がり、神の三大祝福が実現した創造理想世界、「神のもとの一家族世界」が築かれるのである。 「基元節」とは、本然のアダムとエバの結婚に始まる「神の実体的な理想家庭」の定着を通して、神の実体的な理想世界、即ち「天一国」を出発する日を言う。それは、罪とは一切関係のない本然の時代の幕開けを意味し、「神の直接主管圏」の時代が出発する摂理的転換点を意味する。 お父様の全生涯はこの日を迎えるための歩みであり、お父様は天の前に真の父母と真の家庭の定着を果たし、国家次元・世界次元における実体的勝利を捧げることをもって、基元節を迎えようとされたのである。

1-2) 成約時代と祝福の世界化 ― 真の家庭理想の拡大

復帰摂理歴史の時代区分からみる時、成約時代とは、蘇生-長成-完成の三段階における「完成期」に該当する時代であり、真の父母(真の家庭)によって「神の子女」の立場に復帰された人類が、真の父母(真の家庭)と共に、神の創造理想実現(天一国創建)に向け、残された「完成期」を越えていく時代を言う。 具体的に言うなら、「祝福」を通して神の愛と生命と血統の根源(=生命の木)である「真の家庭」に接ぎ木され、神の真の息子・娘(=拡大された真の家庭の一員)となった祝福家庭が、自ら家庭理想を広げていくことを通して、天一国成就に責任をもっていく時代が「成約時代」に他ならない(*2)。 お父様がこの時代、「統一教会」の看板を下ろし「家庭連合」を出発されたのも、宗派・教派を越え「祝福の世界化」を進められたのも皆、個々を救済しメシヤ(真の父母)につなぐ「宗教運動」の段階から、祝福を受けた一家庭一家庭が実体をもって祝福理想・家庭理想を周囲に広げていく「家庭運動」の段階に入ったからである。 したがって、この時代の摂理の核心は「真の家庭」の定着にあり、また(祝福家庭と)「真の家庭との一体化」にあった。このため、成約時代はまた、お父様のもとにお母様が子女たち(アベルの子女とカインの子女:真の家庭と祝福家庭)を一つに束ねていく「母子協助時代」でもあったのである。 そうしたなか、98年、顯進様の就任式をもって、お父様は「真の家庭の三代」の確立を宣布する(*3)と共に、世界的に広がった「祝福家庭」の基台(=4000万双祝福+霊界祝福)をもって、2001年、「天一国」の出発を宣布されるのである。

1-3) 天一国時代と祝福中心家庭 ― 基元節に向かって

天一国時代は、真の家庭と(その拡大家庭である)祝福家庭の基台の上で、「神様王権即位式」(2001年1月)をもって宣布された(*4)。本来、天一国時代とは、旧約―新約―成約までの復帰時代(=先天時代)を越えて迎える創造本然の時代、「神の直接主管圏」の時代(→後天時代)(*5)を言う。 それはまた、第三次アダムまでの復帰路程を越え、本来、最初のアダム家庭から出発するはずであった本然の時代、「第四次アダム圏時代(*6)となり、母子協助時代を越え、本然のアダムの家庭にあって父と息子(長子)が共に天一国創建を果たしていく「父子協助時代(*7)となる。 さらに、この時代は宗教を必要としない時代(=仲介者を必要としない時代)となり、神様を父として直接侍って生きる時代となる(*8)。したがって、祝福家庭は真の父母の勝利圏を相続した神の真の息子・娘として、「祝福中心家庭」「天一国主人」として、自らが天一国創建を果たす主人にならなければならない。 こうして2001年以降、本然の時代が叫ばれ、「天一国」が宣布されたが、その実体的な基盤が築かれていなかったため、お父様は天一国の実体化に向けて12年の期日を定められ、真の家庭の定着と実体的な天一国基盤の確立の上で、本格的な天一国時代(後天時代)を出発しようとされた。その日が「基元節」に他ならない。 したがって、基元節こそ最終的勝利を決する日(=Dデイ)であり、お父様はこの日に向けて、真の父母と真の家庭の定着を果たし、祝福家庭を勝利させ、国と世界次元の勝利的基盤を天の前に奉献しようとされたのである。お父様が2001年以降、真の父母の聖婚式や最終一体の宣布を繰り返し行い、幾度も祝福家庭に入籍や特別恩赦(*9)の機会を与えられ、地上・海上のあらゆる環境圏の還元式を行って来られたのも皆、基元節に備え、全てを天の前に奉献するためであった。

(2) 基元節に向けた祝福家庭の使命

果たして基元節は到来したのだろうか?これを考える上で、まずは祝福家庭が果たすべきであった摂理的使命について考えてみたい。 祝福家庭は祝福を受けるだけで使命が果たされるのではなく、真の父母・真の家庭と共に「天一国創建」を目指し、残された「完成期」(成約時代)を越えて行かなければならなかった。ここに、荒野時代から定着時代へ、宗教の時代から家庭の時代へ、統一教会時代から家庭連合時代への「意識の変革」が求められたのである(*10)。 しかし、祝福家庭は新たに迎えた「成約時代の摂理的変化」を理解し得ず、2001年以降も尚、過去の信仰観と習慣性に留まってしまった。ここでは、成約時代以降、祝福家庭の使命と本来もつべきであった姿勢とを、当時の顯進様の指導を含めて振り返ってみたいと思う。

2-1) 神と真の父母に正しく侍る ― 神の真の息子・娘として

復帰時代において、統一食口はキリスト教徒に代わり、メシヤ(真の父母・真の家庭)を地上に迎えるための基台であった。しかし、ひと度、神の血統に接ぎ木され、「祝福家庭」となった以上、私たちは皆、「拡大された真の家庭の一員」であり、「神の真の息子・娘」に他ならない。 顯進様は就任以降、「祝福家庭のアイデンティティー」ということを、幾度も強調して来られた。成約時代にあって、真の父母と祝福家庭との関係は「主人と僕」ではない。「父母と子女」である。顯進様は僕と子女の違いを「オーナーシップ」(主人意識)の観点から語られた。即ち、「主人の命令に従って行動する」のが僕なら、「親の願いを知り、それを自らの責任として進んで果たそう」とするのが子女である。 成約時代、天一国時代に築かれるべき文化は、主従関係による「命令と服従」の文化ではなかった。「真の愛」の文化である。顯進様は「オーナーシップは真の愛から来る」と言われ、「神を愛するがゆえに神の御旨が私の御旨になるのであって、父母様の願いを果たそうとするのも、命令されるからではなく、愛するからだ」と教えられた。 神と真の父母に「侍る」というのは、「指示や命令に従うこと」ではない。誰よりも親の願いを知り、その願いを果たすために投入することを言う。父母様に認められ、愛されようとするよりも、父母様の願いを知り、その願いに生きようという文化が、「祝福家庭の文化」として定着していたなら、今日のような教会文化にはならなかっただろう。 成約時代、天一国時代にまず求められたことは、「神の真の息子・娘」としての祝福家庭の正しいアイデンティティーをもち、神と真の父母に正しく侍ることであった。

2-2) 真の子女と一体化する ― 真の家庭の拡大家庭として

お父様が成約時代に強調されたことは、四大心情圏・三大王権・皇族圏といった「真の家庭」の本然的な理解と共に、「真の家庭と祝福家庭の本質的な関係」だった。即ち、アベルの子女・カインの子女(*11)と言われた「真の子女と祝福家庭」の関係は、真の父母から同じ血統を分かち合った「双子の兄弟」であり、真の子女様に結実した愛と生命と血統を譲り受けた立場が祝福家庭に他ならない。 初期の祝福式が常に「子女様がお母様の胎中に宿った時」に行われた理由もここにあり、それ以降も、祝福家庭は「子女様を愛して完全一体化する」ことをもって、「子女様と共に生まれた立場」に立つものとされた。即ち、祝福家庭が神の血統に接ぎ木され得る条件は、「子女様を愛して一つになること」だったのである(*12)。 当時、成約時代の御言をまとめた周藤講師はこう説明している。「祝福家庭はカインの子女として全存在をかけてもアベルの子女を守らなければならない。…カインの子女がこの責任を果たせない時にはアベルの子女が犠牲となり、ひいては既に勝利された真の父母に対してさえサタンが打ってくるようになる」(*13) 顯進様は当時、真の家庭と祝福家庭とは「血統で結ばれた関係」であると言われ、祝福家庭を「真の家庭の拡大家庭」と表現された。また、「私と祝福家庭とは同じ親をもった兄弟・家族なのだ」とも語られた。顯進様が当時、祝福家庭、特に指導者たちの過ちを看過せず、厳しく正されたのは、彼らに責任をもとうとしたからである。「父母は子女の過ちを許すしかないが、兄には弟に対する責任がある」、それが当時の顯進様の言葉だった。 私たち祝福家庭が顯進様のこうした兄としての心情を理解し、一つになろうとしていたなら、その後の凄惨な事件は決して生じて来なかったであろう。成約時代以降、祝福家庭の最も重要な使命は、当時、真の家庭を代表して立っておられた顯進様との心情一体化だったのである。

2-3) 神主権の国を創建する ― 天一国創建の主人として

成約時代以降、お父様は家庭連合、並びにUPF(天宙平和連合)(*14)の創設を通して、既存の「宗教」(教団)という枠組みを越えた、より普遍的な家庭運動とグローバルな平和運動とを展開していく時代を拓かれた。統一運動は元より、己の救いや教団の利益を顧みず、神が願われた国と世界、「神のもとの一家族世界」を建設しようという「理想」を掲げて出発した運動である。 2000年代、顯進様は「神の夢の実現」という言葉を掲げられ、私たちの運動が「神の夢」から始まり、また神の夢を自らの夢とした一人の青年(お父様)から出発したのだと語られながら、私たち祝福家庭もまた、その「神の夢の主人」にならなければならないと教えられた。 また、多くのキリスト教徒たちがイエス様を深く愛しながらも、イエス様が果たそうとする願いを見つめなかったように、統一食口も今、お父様を慕いつつも、お父様が果たそうとしている願いを見つめていないと指摘された。 お父様は自らの名声や栄光のために教会を立てた訳でもなければ、教勢拡大を目的として運動を興した訳でもない。お父様の悲願は、この世界に神の理想を取り戻し、神主権の世界(神の愛に基づく理想世界)を立てようとすることであって、それが私たちの運動の本来の目的であり、宿命的使命に他ならない。 しかし、成約時代以降も尚、私たち祝福家庭と家庭連合は、ただただ父母様をメシヤとして信奉し、教会の内と外を分け、自らの救いを求めていく「宗教時代」の枠組みを越えることができなかったと言える。 当時、家庭連合は、顯進様の指導とビジョンによって明確に意義づけされ(Identify)、方向づけられるべきであった。祝福家庭は皆、「天一国創建の主人」としての自覚をもたなければならなかったのである。

(3) 天宙史的葛藤と祝福家庭の過ち

天一国創建に向け、成約時代を越えて行こうとした時、顯進様が重視されたことは、組織や制度ではなく、正しい摂理観と文化であって、まず祝福家庭、特に指導者たちが上記のような摂理的使命を果たせるように導くことであった。しかし、過去、来たるべきメシヤに対して、ユダヤ教やキリスト教の指導者たちがそうであったように、顯進様の前に立ちはだかったのは、皮肉にも、顯進様の基台となるべき教会の指導者たちだったのである。 無論、ここで、そうした指導者たちの過ちを並べ立てたところで、多くの祝福家庭がその責任を自覚することは困難であろう。直接関わっていないからである。しかし、私たち祝福家庭は皆、真の家庭と統一運動に生じた悲劇的事態に対して、その「連帯的責任」を負っている。成約時代以降、私たちの有してきた姿勢や文化が、そうした事態の勃発を招いてしまったからである。

3-1) 真の父母の神格化 ― 神の子女としての責任の放棄

成約時代は、祝福家庭が「神の真の息子・娘」として神と真の父母に侍り、その願いを自らの責任とし、オーナーシップをもって歩んでいく時代であった。しかし、神・真の父母との関係を「主従関係」と捉える組織文化は、成約時代以降も変わることがなく、むしろ、真の父母の「絶対性」が強調されるにつれ、強まっていった。 顯進様は「真の父母の神格化」がもたらせた弊害について指摘される。キリスト教がイエス様を神としてしまったのを正し、「イエス様は神の御旨を果たそうとした人間であり、神の息子であった」と明かしたのがお父様であったが、私たちの教会はそのお父様を再び「神」にしてしまったのである。 無論、神と心情一体を成したイエス様やお父様を「神のように慕う」こと自体は本然の心情であって、咎められるべき姿勢ではない。しかし、問題は先の「主従関係」の文化とあいまって、真の父母をひたすら「完全無欠・全知全能で、誤りも失敗もない」として絶対視し、その指示・命令に「無条件的に服従しなければならない」という組織文化に転落してしまったことにある。 ただ命じられたままに従う―。それは「子女の心情姿勢」ではなく「僕の信仰姿勢」である。顯進様は、真の父母の神格化と僕としての信仰姿勢が、成約時代以降、最も大切であった「オーナーシップ」を信徒から奪ってしまったと見ておられる。そしてそれがまた、「お父様の名」を錦の御旗に、指導者たちが信徒たちを主管する体制を許し、彼らの誤った行動を看過してしまう要因を作ってしまった。教会指導部は、原理や摂理で説明のつかないことでも、「父母様の指示」としてこれを掲げ、信徒たちが自ら考え、判断する姿勢を削ぎ落としてしまったのである。 メシヤでも、周囲の情報によって誤解や判断に誤りが生じることは当然ある。だからこそ、父母様に侍る者たちの姿勢が大切であり、父母様の御言を心情的に受け止め、原理観・摂理観をもって判断しようとする姿勢が大切なのではないだろうか! 指導者たちが晩年のお父様に対して、その目と耳を塞ぎ、誤解させ、お父様の名をもって、原理的でも摂理的でもないことを断行する事態を許してしまったのは、私たちが真の父母をただ神格化し盲従することで、「神の真の息子・娘」としての責任を放棄し、神の愛と原理の基準をもって判断することを忘れてしまったからではないだろうか。

3-2) 長子の排斥と殺害 ― カインの過ちの反復

成約時代はまた、真の家庭と祝福家庭、アベルの子女とカインの子女とが一つとなって越えていくべき時代であり、祝福家庭は身を挺してでも、真の家庭(子女様)をお守りし、支えるべき立場にあった。しかし、祝福家庭を代表した当時の指導者たちは、過去の慣習的な信仰観念や組織的立場に固執する余り、新しい時代に向け、文化と体制の改革を図ろうとする顯進様に対立し、これを阻む立場に立ってしまった。 顯進様にとって重要だったのは、立場や権限ではなく、神の摂理の成就であり、真の家庭の伝統と文化とを祝福家庭に正しく受け継がせることだった。それが祝福家庭の兄としての、真の家庭の「長子」としての責任心情だったのである。しかし、指導者たちはそれを「彼ら自身の権力や地位に対する脅威」として見つめ、甚だしくは「お父様の権威に対する挑戦」として讒訴し、父母様や子女様を巻き込んで反対して行ったのである。 顯進様は2001年当時、こう語られた。「私がお父様から受け継いだものは、組織でも権限でもない、神の摂理である」と。顯進様にとって、長子とは、父が背負ってきた「神の摂理を正しく受け継ぐ者」に他ならない。 多くの祝福家庭にとって、顯進様を直接糾弾し、排斥した自覚はないだろう。しかし、私たちは少なくとも、教会指導部における「長子殺し」を傍観し、また同調する立場をとってしまった。教会史上類を見ない、当時の一方的な排斥運動に、私たちは神の愛を見出していただろうか? たとえ顯進様に誤りがあったと仮定しても、アベルの子女を打つという原理はない。「父母様に背を向けた者」「教会の資産を奪った者」「堕落したアダム」…etc。 事実でも真実でもない、原理的でも摂理的でもないことを、私たちは「教会が言うから」「責任者が言うから」「父母様が許していることだから」と言いきかせ、どこかに責任を押し付けながら、本気で真実を求めようとも、問題解決の道を探そうともして来なかったのではないだろうか? カインの子女が責任を果たせない時、アベルの子女が犠牲になるだけでなく、既に勝利された真の父母に対してさえサタンが打ってくるようになる―。もし、私たちが本当に「カインの子女」としての正しい心情姿勢を備えていたとしたなら、過去のカインの失敗を繰り返し、「教会総力を挙げてアベル(天の長子)を打つ」という惨状など起こり得なかったであろう。私たちは皆、祝福家庭としての連帯的罪を負っているのである。

3-3) 統一運動の歪曲と変質 ― 神の摂理からの逸脱

成約時代は、神のもとの一家族世界、「天一国創建」に向け、宗教の枠組みを越えて、普遍的な原理と価値を広げていく時代であった。父母様を信奉する信者を増やすことが目的などではなく、神の夢の実現に生きた父母様の生涯を受け継ぎ、神主権の国と世界を立てようというのが私たちの運動の精神に他ならない。 しかし、これを訴えていた顯進様が教会組織から追われ、弟の子女様方がその位置に立つと同時に、家庭連合に代わって「統一教」の看板が掲げられ、独自色をもった宗教路線へと舵が切られたのである! 神の理想家庭と理想世界を探し立てようとしてきた真の父母の生涯が、ただ「罪人を救うための苦難と苦労」に置き変えられ、祝福家庭のアイデンティティーが「神の真の息子・娘」から「救いを必要とする罪人」に取って換えられた。家庭連合、改め「統一教」の目的も、UPFの目的も、「真の父母を明かすこと」とされたのである。 お父様の聖和以後はまた、「独生女信仰」という、お父様の従来の教えから大きく逸脱した「新しい信仰」が掲げられ、お母様を信奉する新たな宗教路線へと突き進んでしまっている。 統一運動の路線変更にしても、多くの祝福家庭からすれば、それは「私たちがしたことではない」と言える。しかし、私たちはどこまでも、そうした方向転換と摂理からの逸脱を「許してしまった」ことは否めないであろう。 同時に、先に述べた教会指導部による「長子」の排斥運動は、全信徒を巻き込み、父母様を巻き込んでなお飽き足らず、法廷闘争にまでエスカレートしていった。教会指導部は長子を抹殺するため、何十にも及ぶ無益な訴訟を繰り返したのである。これによって被ったものは経済的損失だけではない。何よりも損なわれたものは、お父様の高貴な生涯路程であり、教会が大切にしてきた真の愛の伝統である。真の家庭の位相は崩れ、統一運動に対する社会的信頼は著しく損なわれた。 これは決して、私たちが直接手を下したことではないかもしれない。しかし、私たちが天一国創建の責任を担うべき天一国主人であるなら、私たちは皆、統一運動の歪曲と変質の責任の一端を負っているのである。

(4) 真の家庭と祝福家庭の惨状

統一運動は過去においても課題を有していた。組織内の不条理も、今に始まったことではないだろう。しかし、私たちが今、起こってきている問題を看過できないのは、それが私たちの運動の本質と方向性を決定づける「根本的問題」だからである。真摯に現実を直視する勇気があるなら、次の現実を認めざるを得ないであろう。 それは、真の父母は定着できておらず、真の家庭の位相は地に落ち、基元節も天一国時代も到来していない!という事実である。

4-1) お父様の聖和と独生女信仰 ― 真の父母は定着していない!

「天宙史的葛藤」がもたらしたものは、第一に、お父様の聖和であった。本来、お父様は基元節を前にして聖和していい方ではなかった。それは祝福家庭の多くが当時、深いショックと共に抱いた実感であろう。お父様は神と交わした約束を果たせずして、悲運の聖和を迎えられたのである。 果たし得なかったお父様の御旨はお母様によって受け継がれている―。教会ではそう教えているが、お母様を中心として新たに掲げられた「独生女」の信仰は、決してお父様の従来の教えに合致するものではなかった。 「お父様は原罪をもって生まれた」。教会ではそれを反対派がでっち上げた虚言だと主張するが、お母様がそう語られたのは周知の事実であり(*15)、教理の責任者がお母様の指示のもと、「お父様有原罪・お母様無原罪」という新たな教義を確立するために動いていたことは紛れもない事実である(*16)。また、「お母様の無原罪誕生」ということ自体が「真のアダムがエバを堕落圏より復帰し再創造した」という従来の血統転換の説明を覆すものとなり(*17)お母様との聖婚以前の歴史を否定してしまうこと(*18)になることを、原理を知る多くの人々は気付いていることだろう。 独生女信仰がもたらす、より根本的な課題は、第一に「真の家庭」を見失わせることにある。お父様の教えの中心は「真の家庭」であり、「理想家庭を通した平和世界実現」であった。独生女の強調は「家庭の勝利なくして母の勝利もない」という現実から目を逸らさせ、三代圏の未来を代表する「真の子女」の存在を見失わせている。 第二に「お父様」を見失わせることである。聖霊の役割とは、人々をイエス様(本然のアダム)につなぐものであった。独生女の教えが、お父様の存在と勝利とを証し、お父様を慕う思いを想起させるものになっているだろうか(*19)。それは多くが危惧し、実感している通りである。 そして、第三には「神」を見失わせることである。天一国時代は神と共に生き、神の真の息子・娘としてのアイデンティティーを取り戻す時代である。お父様は「メシヤすら不要」とまで言われながら、「先生よりも神様を求めよ」と言われた。独生女の教えは、それと合致しているだろうか? 原理と摂理を理解する者たちの多くは、それがお父様や原理の教えと違うことに気付きつつも、「何か意味があるに違いない」として判断を保留し、或いは「たとえ原理的に間違っているとしても、お母様なのだから支えていくのが子女の道理ではないか」と言う。しかし、それが「原理的に違っている」なら、そのまま黙って従うことが本当にお母様のためになるのだろうか? 顯進様は、親が誤った道に進もうとするなら、何を言われようともそれを必死で食い止め、自らがおぶってでも、共に原理と摂理の道に進もうとするのが本当の孝子だ!と言われる。 「真」という言葉は「神」から来る。語弊を恐れずに言うなら、メシヤも真の父母も、神の原理原則を越えた存在ではなく、5%の責任を免れることはできない。「なぜ真の父母が最終一体し、勝利したというのに、父母様の家庭が分裂しているのか?」という素朴な疑問に答え得るのは、たったの一つの回答しかない。それは「真の父母はいまだ定着できていない!」ということである。

4-2) 真の家庭と祝福家庭の漂流 ― 祝福家庭の基盤が崩れた!

お父様の聖和以降、まるで堰を切ったように、お母様の周りの子女様方が総崩れとなっていった。仁進様は不祥事が発覚したことにより公職を離れ、國進様と亨進様はお母様と衝突し、要職から外れることとなった。 特に「お父様に任命された後継者」と見なされてきたはずの亨進様が「お父様とお母様の不和と不一致」を公けに訴え始め、その後、「失敗したお母様」に代わって別の女性を「真の母」として立て、今や、「お父様が立てた後継者を罷免した」として、お母様を相手に訴訟を起こすに至っている。 これが「真の家庭」の偽らざる現状である。カイン圏が、サタンがこれを讒訴しないだろうか? 教会内では「真の家庭」とは、もはや単なる教義上のセオリーとなり、実体のないシンボルとなった。もし「それでいい」と言うのであれば、2000年前の「霊的救い」と一体、何が違うと言えるのだろうか? 原理が教えてきたことは、神の摂理は地上に「真の家庭」を打ち立てることであり、イエス様の救いの限界は、神の愛を示しながらも、それを実体化し得る「家庭」を出発できなかったことにある。「真の愛のモデル」を示しつつも、「真の家庭のモデル」を実体化できなかったことにあった。 六千年を経て復帰された「アダムの家庭」が崩壊している―。この事実の深刻さに気付いているだろうか?祝福家庭は「真の家庭」に接ぎ木された存在である。接ぎ木した根となる木が崩れてしまっては、祝福家庭という木がどうして立ち続けることができようか!それはあたかも、根を失って漂流している「根無し草」のようである(*20)。 お父様は確かに、聖和に先駆け、最後の祈祷を捧げられた折、「全てを成した」と語られた。しかし、教会が当初、発表しなかった原文には「14名の子女たちを中心に(勝利すれば)(*21)」という前提条件があった。即ち、祝福家庭は真の家庭なくして御旨を成就することはできないのである。無論、真の家庭も祝福家庭の基台なしには定着できないが、真の家庭が崩れてしまっては、祝福家庭が依って立つ基盤そのものが失われてしまうのである!

4-3) 天一国のビジョンの喪失 ― 基元節は到来していない!

基元節は本来、真の父母の勝利が確定し、真の家庭が祝福家庭と共に定着し、神主権の国を出発していく起点となるはずであった。しかし、真の父母も真の家庭も定着しておらず、神主権の国は立っていない。即ち、基元節は到来しておらず、天一国時代は始まっていないのである! 今、多くの食口が「ビジョンの喪失」を感じているのは、果たされていないことを「果たした」と宣言することで、進むべき「本来のゴール」を見失っているからであり、理想と現実、ビジョンと実体の間に大きなギャップを覚えるからだろう。 統一運動の目的は、神の夢の実現に生きた父母様の生涯を受け継ぎ、私たちがまた神の夢の主人となって、神主権の国と世界を立てようというものに他ならない。お父様が創設された数々の摂理機関はどこまでも、神のもとの平和世界実現のために捧げられたものであって、教理の拡散や教勢拡大のためのツールではなかった。 強いて言うなら、私たちの運動の目的は、ただ世の中に父母様・独生女を認めさせ、信徒を獲得し、教勢を拡大することでもなければ、私たちが取り組む一つ一つの活動も、ただ父母様・お母様を喜ばせ、満足して頂くための活動ではない。現場で純粋に平和運動、社会運動を展開しようと取り組んでいる実務責任者や食口たちであるほど、その本来の目的と教会組織の目的とのギャップに苦しんでいるのではないだろうか。 多くの祝福家庭が生涯を投入し、資産を捧げ、時には自らの家庭をも犠牲にしながら取り組んできたことの目的は、「神の御旨」のためであり、天国建設のためであった。どんな荘厳な建築物が立とうと、そこに自らの名が刻まれようと、そうした一つ一つの祈りと精誠と投入と犠牲が、「天一国創建」という神の夢の実現につながっていなければ、そこにビジョンを見出すことはできないだろう! 10年前、顯進様がこの運動の中心におられた頃、UPFを通して展開していた取り組みは、私たちの既存の考え方や宗教の枠組みを越え、「神のもとの一家族世界」に向かう無限の可能性を有していた。私たちは「天宙史的葛藤」によって、天一国創建に向かうそうした力強いビジョンと気運、夢と希望とを失ってしまったのである。

(5) 顯進様の勝利と真の家庭の伝統

成約時代以降、天一国創建に向かう最も大事な時期に、祝福家庭(カイン)が真の家庭の長子(アベル)を打ったことは、真の家庭を瓦解させ、父母様にまで課題をもたらせた。 亨進様が「お父様・お母様の間の不一致」を指摘するよりも遥か前から、顯進様はそこに、根本的な「摂理観の不一致」があることを知っておられた。お母様を中心に他の子女様方と教会指導部とが協働するなか、顯進様がこれに応じず、自らの立場から退くことを拒み続けたのは、教会側が言ってきたような、プライドゆえでも資産ゆえでも、愛の減少感ゆえでもない。彼らがお父様と異なる方向へ舵を切ろうとしていることを知っていたからである! 盗人扱いされ、不孝者呼ばわりされながらも、顯進様がこの期間、神の御旨を想い、父母様を想い、勝利して来られた内容を、今一度、振り返ってみたいと思う。

5-1) 神の長子としての勝利 ― 神と共に荒野路程を越えた!

顯進様は、かつてのヤコブのように、親元を離れ、故郷を離れ、荒野に出ることを余儀なくされた。しかし、荒野にあって、神と交わした約束と誓いを守って来られたのである。それはまた、イエス様がかつて、人々の罪を一身に背負って蕩減し、新しい時代を切り開く上で、十字架上、人々だけでなく、神からも背を向けられるなか、神と人類に対する変わらない信仰をもち続けなければならなかったことと酷似している。 顯進様は兄弟たちばかりでなく、父母様からも背を向けられるような状況に置かれながらも、ひたすら神の御旨を掴んで放さず、父母様に対する、兄弟たちに対する、変わらない心情を貫かれたのである。 それは、2001年以降に起こってきたあらゆる祝福家庭の罪を、真の家庭の課題を、一身に背負って蕩減していくための路程であったと言えよう。そしてまた、神の真の息子として、真の家庭の長子として、天の摂理を守り通してきた歩みでもあった。 顯進様は言われる、「長子とは位置ではなく、責任なのだ」と。もし、顯進様が本当に愛の減少感や我執ゆえに荒野に飛び出して行ったなら、恨みや怒り、傲慢さにまみれ、神から祝福されることもなかったであろう。 迫害の荒野の真っ只中にあって、神の御旨を掴んで放さず、お父様が天に誓った約束を「自らの責任」とし、真の家庭に起こった問題を「自らの課題」とし、自らを批判し迫害する祝福家庭を、同じ兄弟として愛し許し、かき抱く心情をもって歩まれた…、それが顯進様のその間の歩みであり、勝利に他ならない。 教会では顯進様を「社会運動」ばかりに偏った「外的な指導者」として描いてきたが、顯進様の実体に触れれば、そうでないことが分かるだろう。顯進様は常に神を求める神霊的な方であり、祈りと精誠、涙をもって摂理の道を歩まれてきた真の孝子である。

5-2) 真の家庭三代圏の確立 ― 家庭的な基台を備えた!

顯進様はその間の荒野路程を、ただ個人として通過し、勝利したばかりではなかった。この逆境を家庭と共に直面し、家庭と共に越えて行かれたのである。 家族だと思ってきた祝福家庭から排斥されるという、理解し難い憂き目に遭いながらも、全淑様と子女様方は父母様に対する変わらない心情姿勢を貫きながら、神の御旨に生きる夫、そして父親と思いを共にしながら、荒野路程を越えて来られたのである。 顯進様家庭の情報については、幼い子女様を保護し、身の安全を守る理由で、積極的な広報は控えられてきた。が、顯進様のもとの食口たちが、また顯進様に接する社会の人々の多くが感動を覚えるのは、正に顯進様家庭の実体の姿であった。子女様方が神を愛し、御旨に生きる親を心から愛して尊敬し、自らがまた世のため、人のため、神の御旨のために生きようとする真摯な姿に深い感動を覚えるのである。 顯進様が語られる「真の家庭」、神を中心とした理想家庭のモデルとは、①家族の構成員一人一人が神と父子関係を結び、②神に似た真の愛の主人となって互いのために生き、③共に周囲のため、国と世界のために生きる家庭を言う。顯進様家庭に触れる時、祝福家庭の多くが、失いつつあった「真の家庭の理想像」を、「神と共にある家庭の姿」を、もう一度、思い起こすことだろう。「私たちが求め、目指していたのはこういう家庭の姿だった」と! 顯進様の勝利とは、単に社会的に功績を立て、認められるようになったという外的次元の勝利を言うのではない。それは、父母様の遺産である真の家庭を守り、その伝統を受け継ぎ、その誇りと位相を守り抜いたことにある。 多くの祝福家庭に知らされなければならない事実は、人類を神につなぐことのできる、未来に続く真の家庭の根、お父様が残した真の家庭の種はまだ死んでいない!という事実である。

5-3) 天一国創建の基盤とFPAの出発 ― カイン圏の基台を作った!

顯進様は迫害期にあっても、変わらずに「神のもとの一家族世界」実現に向け、たゆみない歩みを続けて来られた。宗派・教派を越えた顯進様のグローバルな平和運動は、ビジョンに共鳴した人々の賛同を得ながら数年間で大きく広がり、特にお父様の悲願であった「韓半島平和統一」に向けた実質的な草の根基盤を築くに至った。 こうした情報は恐らく、祝福家庭の多くには知らされてこなかったに違いない(*22)。しかし、これらの取り組みの全容を知る時、私たちは顯進様の中にお父様の志が生き続けていることを実感し、神の摂理と統一運動の本流がここにあることを知るだろう。 成約時代から天一国時代へと越えていく上で、お父様は家庭運動と世界平和運動とを推進する母体として、各々、家庭連合(FFWPU)と天宙平和連合(UPF)を創設された。これが摂理を推進する両輪であり、顯進様は当初、この両方の責任を担っておられた。 その後、天宙史的葛藤が生じたことで、両機関を追われたものの、顯進様は神の御旨を変わらずに推進すべく、UPFに代わって平和運動を推進するNGO団体を立ち上げ、一昨年には、家庭連合に代わるFPA(家庭平和協会)を創設するに至った。 FPAの創設大会で、顯進様はそこに込められた思いを涙ながらに語られた。「98年の家庭連合の就任式は、神と人類の前に交わした父との約束だった。家庭連合で果たし得なかったその約束を、私はこのFPAを創設することを通して守っていきたい」。 どの責任者よりも家庭連合を愛し、その改革のために投入されたのが顯進様であった。しかし、その基盤が失われるなか、尚且つ、新たな基台をもって、神の御旨を、お父様との約束を果たして行こうとされたのである。 お父様が立てられた二つの基盤が方向性を見失っていくなか、顯進様は荒野路程の中にあって、失われた二つの基盤を取り戻し、国と世界を思う志ある人々と、たとえ一握りであっても、真実を知って顯進様のもとに集ってきた祝福家庭と共に、天一国創建に向かうカイン圏の基盤を築かれたのである。

(6) 特別祝福の意義と祝福家庭の再出発

晩年のお父様は「もう一度、統一教会をやり直したい」(*23)と嘆かれた。真の家庭と祝福家庭の現状が、また周囲の環境が基元節を迎えられる状況になかったからである。 聖和7周年を迎える今年、顯進様はもう一度、そのお父様の願いと伝統に立ち返るべく、真の家庭の基台を整え、全ての基盤を天の前に整備しようとしている。それは祝福家庭にとっては、失われた本来の立場に立ち返り、基元節に向けて再出発していくための「セカンドチャンス」と言える。 この最後の章では、今回8月に予定されている特別祝福式の意義について要点を整理してみたいと思う。

6-1) 第四次アダムとの連結 ― 再び真の家庭につながる

神の摂理の中心軸は、最初のアダムが果たし得なかった「真の家庭」を再び地上に打ち立てることにあった。父母と子女の二代にわたって失われたアダム家庭を復帰するためには、父母と子女の二代、神を中心に見れば、神-父母-子女(長子)の三代が立って初めて定着できる。したがって、お父様の使命も「真の家庭の三代」の確立にあり、それが全人類に神の愛と生命と血統を受け継がせて行くことのできる「根」の家庭となる。 かつてお父様は、神の直接主管圏の時代、天一国時代(後天時代)を迎えるのに先立ち、祝福を受けた全ての家庭が「第四次アダム(圏)」、即ち、第三次アダムまで続いた蕩減時代を越え、罪の歴史とは一切関係のない「創造本然のアダム」の立場に立って、神と真の父母が安着できる時代を迎えなければならないと言われた(*24)。 98年の顯進様の就任式とは正に、その「第四次アダム圏」の中心(=第四次アダム)、次の時代の本然的摂理を担う中心として天が公認された者を、お父様自らが歓喜をもって満天下に知らしめた歴史的事件であった(*25)。 しかし顯進様はその間、自らを「第四次アダム」として主張されたことはない。神の摂理の中心は神が決定されるものであって、組織が決めることでも、誰かの権威をもって人々に従属を強いるものでもないと考えられたからである。神の長子、第四次アダムとは、どこまでも、神の摂理に正しく立ち、神中心の家庭(三代圏)と天一国創建の基盤(カイン圏の基台)を築き、天の公認を経た上で、初めてその権威を受け継ぐことができるのであろう。 それゆえ、顯進様は自らそうした基台を築いた上で、昨年2018年の神の日、初めてご自分を「第四次アダム」として明かされた。それは「お父様の継代を正しく継ぐ者」を意味し、これからの時代、真の家庭を代表して神の愛と生命と血統を広げ、「神の直接主管圏」の時代を開いていく中心的立場を意味する。 家庭連合では「血統よりも法統が重要である」と謳い、お母様亡き時代は、お母様に侍った指導者がその権限を代行するとも言われているが、摂理的に見る時、真の家庭の継代を継ぐ長子が立たない限り、真の父母は定着することもできず、祝福も「一代」で終わってしまうだろう。祝福とは神の血統を代表した「真の家庭」に接ぎ木されることだからである。 顯進様は、神が六千年ぶりに探し立てたのにも関わらず破綻してしまっている「アダムの家庭」を、長子の責任をもって背負われ、第四次アダムとしてその継代を受け継がれた。お父様の家庭が基盤を失っている今、その種を受け継いで立たれた顯進様家庭に改めてつながらない限り、祝福家庭の立つ基盤もないだろう。 今回の祝福式とは即ち、神の愛と生命の血統の根源(生命の木)である真の家庭、第四次アダムの家庭にもう一度つながることを意味する。元より、天一国の実体化は第四次アダムの家庭から始まる(*26)のである。

6-2) 祝福家庭としての悔改めと罪の清算 ― 祝福家庭本来の位置に立ち返る

祝福家庭は「真の家庭」に根差さない限り、根無し草も同じである。真の家庭の直系ではない、いわば「養子」のような立場にあった祝福家庭に、それでも「実子」の立場が許されてきたのは、真の父母のみならず、直系の子女であるアベルの子女と「一体化した」という条件ゆえであった。しかし、私たちはそのアベルの子女を、真の家庭の長子を、教会を挙げて「打った」のである! かつてイエス様を直接排斥し、十字架に追いやったのは、一部のユダヤ教の指導者たちだった。しかしその罪は全ユダヤ民族が負ったのである。私たち祝福家庭は皆、「長子を打った」ことの連帯的罪を負っている。 復帰摂理歴史において、神は摂理的使命を果たせずに失敗した人物や家庭、民族や宗教を、再び摂理の中心(中心人物・中心家庭・中心民族・中心宗教)に用いることはされなかった。サタンの讒訴ゆえである。 どれほどの歴史を持ち、精誠を立ててきた民族であったとしても、どれほど天のために犠牲を払い、天を慰労してきた宗教であったとしても、ひと度、中心人物を排斥し、神の摂理から離れてしまった時、神は無慈悲にそれらを中心的立場から退けざるを得なかったのである。私たちは今、神の真の息子・娘であり、拡大された真の家庭の一員としての祝福家庭本来の立場とその資格とを失っているのである。 人々の過ちを許し、天の前にその執り成しができるのは、直接、その被害を被った者だけである。かつてサタンの讒訴圏内に置かれた人類に救済の道が開かれたのは、彼らによって十字架にかけられたイエス様が彼らを許し、天の前に執り成しの祈りを捧げられたからだった。顯進様もまた、兄弟たちと祝福家庭による全ての矢と槍を消化し、自らを迫害する者のために祈り続けて来られた。その心情的勝利ゆえに、再び許しと救済の道が開かれたのである。 顯進様は、今なお攻撃をやめることもしない、真実を求めることも、義の声をあげることもしない祝福家庭に対してまでも、「私には彼らに対する責任がある」と言われ、兄としての変わらない心情をもって呼びかけられ、また真実に気付いた者たちには、彼らの罪を裁く代わりに、ただ「私と共に来なさい」と言われる。今、私たちに必要なことは、まず天の前に悔い改めることではないだろうか? カインの子女としての過ちを自覚し、深く悔い改め、祝福家庭としての連帯的罪を清算することをもって、祝福家庭本来の位置に立ち返ること。それが今回の祝福式の意義であり、そこに込められた天の願いである。

6-3) 天一国主人としての再出発 ― 基元節を目指して再出発する

今、私たちが立っている時代は、天一国の創建に向け、残された完成期を越えていく「成約時代」である。それは、神の真の息子・娘として自らの5%の責任分担(三大祝福の実現)を果たしながら、神が人類にかけた夢と期待を実現していく時代であり、アベルの子女とカインの子女とが一つとなって、共に天一国創建を目指していく時代である。 今回の祝福式は、私たちが神の真の息子・娘として再び生み変えられ、「天一国主人」として、天一国の創建を目指し、本当の基元節に向けて再出発していく機会である。それはただ、聖酒を飲むことで「救いに与る」とか、「裁きから免れる」といった観念的、救済論的理解のなかで同参すべきものではないだろう。 私たち自身が、実体として、もう一度、神の真の息子・娘としての祝福家庭のアイデンティティーに立ち返り、真の家庭の拡大家庭として、私たち自身の家庭を神中心の家庭としていくことを決意し、韓半島の平和統一を中心に、神主権の国と世界、「神のもとの一家族世界」の普遍的ビジョンを実体化していくことを、心から決意して出発する場にしていなければならない。 そして、これを通して、神の夢を共通のビジョンとする本当の統一運動を再興し、本来の理想を見失っている祝福家庭を奮い立たせ、漂流している真の家庭を呼び覚まし、真の父母が正しく定着できる基台を整えようとするものである。 かつて天宙史的葛藤が勃発した当初から顯進様はこう語っておられた。「これは私たち子女たちが解決しなければならない課題である。アベルの子女とカインの子女が神を中心として一つとなる時、そこに父母様が定着できる基台が立つ」。 お父様の聖和7周年を、もう一度、本当の基元節を迎えるために、失われた全ての基盤を取り戻し、新たに出発していく場にしたい…、それが顯進様の願いであり、今回の祝福式が行われる理由である。

さいごに ― 「私」自身の悔改めと再出発

今年2019年5月、顯進様は満50歳の誕生日を迎えられた。50歳は「知天命」と言われ、天命を知る歳とされている。また、ちょうど今年は、顯進様の98年の公生涯出発から21年目(=完成数)を迎える年であり、天宙史的葛藤が本格化した2009年から10年目(=帰一数)を数える。今回の聖和7周年を越えれば、「再出発」を意味する8年目に入ることとなり、来年はお父様の御聖誕100周年を迎える年となる。今年を転換点として原点に立ち返り、新たな再出発をしていく―。これが今回の祝福式の摂理的背景となる。 振り返ってみる時、2001年以降、基元節を迎えるために、お父様は私たちに幾度も、こうした悔い改めと再出発の機会を与えてくださった。しかし、こうした機会が与えられる度、私たちの多くは、それを「私自身のこと」として受け止めようとはしなかった。 指導者たちは食口たちに悔い改めを迫り、食口たちは指導者たちにこそ悔い改めを求めた。また、私たちの殆どが―顯進様を支持する者たちも含め―、この運動の混乱に対する責任が、「私」でない「他の誰か」にあると考えてこなかっただろうか?しかし、誰かを批判し、断罪することが目的なら、「祝福式」を行う意味などないだろう。 今回の祝福式は、私たち一人一人に対する天の要請であり、「私」自身に対する問いである。他の人々がどう考え、どう反応し、どう行動するかが重要なのではなく、「私」がこの深刻な摂理を前に、これをどう見つめ、どう考え、「私」が摂理のためにできることは何かを問うことが大切であろう。顯進様と共に、祝福家庭を代表し、深く悔い改め、新しい出発を決意する、そのような群れが必要なのである。 この文書が今一度、私たちに本来の摂理観を想起させ、祝福家庭としての本心を呼び覚まし、真理と義と善を探し求め、再出発していくための貴い切っ掛けになることを願う。 最後に、今年の3.1節の行事後、祝福家庭に向けて語られた顯進様の言葉を記して締め括ろうと思う。 ************* 『 祝福家庭は、暗闇から抜け出て、光のうちに歩み、私が私の家族を救えるよう助けてくださらなければなりません。どれほど多くの裏切りにあったとしても、私はまだ彼ら一人一人に対する希望を諦めていないからです。神様による贖罪ゆえに。贖罪がなければ、復帰摂理もなかったことでしょう。…どうして自分の家族を糾弾できますか。家族を救うためには、皆さんはどんなことでもするでしょう。 * 今は神様の真理と義と善が輝かなければならない時です。お父様のメシヤ的使命を見失って分裂した私たち統一家が、再び明るい場所に戻ってきて、私たちの行動に対する責任をとり、神様の贖罪の恩赦を受け、新しく出発することにより、分裂された家族を復帰する時です。 * 世間が持ってきたお父様に関する誤解を、私は完全に変えつつあります。何故なら、私がお父様の息子だからです!…お父様の人生に生命を吹き込んだ魂で満たされ、お父様の生涯と摂理的責任を代表するお父様の血肉として、私もまたお父様と同じ夢の主人であり、喜んでその夢の実現のためにすべてを捧げます!それゆえに、お父様の魂は私のなかに生きているのです! * 統一運動に希望を見いだせなくなった人々、過去10年間の醜さを目の当たりにし、教会を離れた人々がいます。彼らは暗闇から出てきて、再び光のなかを歩み、私たちの運動が代表していたことは何なのか、真の父母と真の家庭の顕現が本当に意味していたことが何なのかを理解することでしょう。これが皆さんの家庭に対する救いの道であり、祝福中心家庭として皆さんのアイデンティティーを取り戻す道なのです。』
  1. 血統転換を「真の父母」に接ぎ木するものと理解している信徒が少なくないが、正確には「真の家庭」に接ぎ木することを言う。「メシヤの使命はそこで終わるのではありません。真の父母の位置まで進み、絶対的真の家庭を探し立てなければなりません。この真の家庭を中心として、神の創造理想を完成した地上天国と天上天国を創建することができるのです。この目的のために、堕落の後裔である60億人類は、その誰も例外なく、メシヤの真の家庭に接ぎ木されなければなりません。絶対的要件です」(2004.12.2)▲ 戻る
  2. 「私は今日、人類の最初の真の家庭の完成を、皆様の前で宣布することができたことを無上の光栄と思います。(中略) 三代が一つの家族として共に生きながら、私たちは家庭的次元で、聖書で述べている生命の木の中心の根(祖父母)、中心の幹(父母)、そして中心の芽(子女)を確立しました。皆様も真の家庭の血統に象徴的に接ぎ木されて、共に理想国家と理想世界建設のために、先頭に立ちましょう。これが正に、成約時代の幕開けを意味します。」(1993.9.14、韓総裁「真の父母と成約時代」)
    「今年の標語は『真の父母と成約時代の安着』です。真の父母様の家庭が初めて定着するのです。真の父母の家庭を中心として、今まで祝福を受けた家庭を中心として、氏族、民族、国家が編成されるのです。」(1994.5.19)▲ 戻る
  3. 「今日、このような集まりをもつようになったことは、統一教の歴史にあって、また先生の一生において、初めての記念の日だと考えます。それのみならず、神様に願いがあったなら、この日があることをどれほど待ちわびて来られたか、ということを思う時、私の心からの感謝を天の前にお捧げします。アダム家庭において息子・娘は2代ですが、3代を見ることができなかったことが堕落であり、3代の歴史をもう一度起こすためのものが救援摂理と復帰摂理の完成であることを考える時、この3代を中心として天の公的な責任を任命することは天宙史的な事件と言えます」(1998.7.19:顕進様就任式)▲ 戻る
  4. 2001年当時、天一国時代が「宣布」されたものの、神主権(神中心)の家庭と国が確立していなかったため、実際は「成約時代」の延長路程となったと言える。そのことは、2001年以降も、家庭盟誓において、「成約時代を迎えて」と唱えていたことからも分かる。▲ 戻る
  5. 「後天時代は、蕩減復帰により、まだらに染まった旧約、新約、成約時代までの先天時代を勝利することによって、影のない正午定着時代であり、アダムの堕落以前の本然の平和理想世界を創建していく時代です」(2007.2.23、平和メッセージ12) ※成約時代まで「蕩減復帰時代」とされている理由は、成約時代にもサタンの侵入を受け、蕩減が必要になったからだと思われる。▲ 戻る
  6. 第四次アダム圏時代とは、アダムとエバが堕落しないで完成し、理想家庭を築いたという、そのような時代圏を言います。ここには堕落や蕩減や復帰といった概念は存在しません。神様の理想が実現する本然の時代を意味するのです」(1997.9.11)▲ 戻る
  7. 血筋で残るのは父子が残るのです。母は畑です。種は畑だけあれば、どこに植えても実るのです。父子関係は血統が連結されているのです。堕落によって血統が誤ったことを否定しなければなりません。母を中心とした母子協助時代が父子協助時代に入ることにより、天の国の伝統的基準、個人、家庭、氏族、民族、国家の基準が設定されれば全てが終わるのです。」(2000.3.6)▲ 戻る
  8. 「死のうと生きようと、父なる神様のために生きなければなりません。父のために生きなければなりません。すべて蕩減路程を経て来て、真の父母のために生きるという言葉も必要ありません。真の父母も必要ないのです。(中略) 真の父母の苦労までも、それを崇拝することよりも、苦労して成した全てのものを踏み越え、真の父母がいなかった、神様が真の父母の位置にだけあったその位置を追及することで、皆さんが祝福中心家庭誰々の名で報告するようになったという事実を知らなければなりません。(中略)救援が必要な時には、地上に真の父母が必要です。真の父母を通さなければ救援できません。救援があって、それから「神様王権即位式」をしたのですが、すべてを知り、世界的にそれを宣布した時は、先生よりも神様が必要です。それが直接の根です」(2001.1.15)▲ 戻る
  9. 基元節は本然のアダムとエバの結婚式(神の結婚式)でもあり、真の父母様においては、1960年の聖婚式(蘇生-教会次元)、2003年の聖婚式(長成-国家次元)に続く、完成段階の聖婚式に当たるものとされた。また、お父様は、2000年9月(入籍恩赦)、2006年10月~(新しい出発恩赦)、2010年10月~(10.14恩赦)と、幾度にもわたり恩赦を施され、祝福家庭の罪を清算する機会を与えられた。▲ 戻る
  10. 2000年に行われた顕進様の最初の世界巡回講演のテーマは「相続と発展」であった。顕進様がそこで語られたメッセージの骨子とは、即ち、「定着時代に向けた祝福家庭の意識の転換」である。▲ 戻る
  11. 成約時代は、カインの代表である祝福家庭が真の子女をアベルとして侍り、一つとなることを通して、復帰摂理上のアベル・カインの関係を蕩減復帰し、創造本然の兄弟関係長子・次子)へと越えていく時代であった「…祝福を受けた家庭や子女は、父母様を中心とした、直系の子女たちの前に絶対服従しなければなりません。なぜかというと、ここでカイン・アベル問題を清算しなければならないからです。…先生を父母様として侍ったとすれば、先生の息子の位置はアベルの位置なので、これが長子の位置に上がっていくのです。…先生の家庭の息子たちを長子圏として見れば、お兄さんとして見れば、世の中から復帰されて入ってくる人たちは次子圏になるのです。…その長子たちの行く道についてだけ来れば、統一教会の祝福を受けた家庭はもちろん、二世全体も自動的にアベル圏として設定されるのです。これは蕩減復帰が必要ない時代に入っていくということなのです。」(1985.8.16. 「一勝日」)▲ 戻る
  12. 「我々(あなた方)は真の父母、及びその父母から生まれた真の子女と一体化することによって、再び生まれるための条件を立てていくのです。…カインの立場にあるものは、アベルであるところの真の父母、真の罪なき子女と一体化しなければならないのです。彼らと一体化することにより、我々(あなた方)は復帰された子女として、同じ恵みを受けることができるのです」(1972.4.1)▲ 戻る
  13. 1993年以降の成約時代の御言を整理した周藤健講師の講義資料『成約摂理解説』(95年執筆、P272)より引用。今年(2019年4月)になって正式な書籍として発刊されているが、現状の家庭連合の主張に合わせて添削が加えられているものと思われる。▲ 戻る
  14. 前身は「超宗教超国家連合」(IIFWP)。1999年2月6日に創設された。これをベースにUPFが創設されたのは2005年9月12日。▲ 戻る
  15. 「ここに座っている真の母は、6千年ぶりに誕生した独り娘です(中略) 血統転換、私は胎中にいる時からそうなのです。皆さんがこのことを信じなければなりません。(中略)お父様の歴史は、イエス様の使命を引き継いだその時、その瞬間がお父様が独り子となられた資格です。そのことを分からなければなりません。これまでの2千年歴史は、独り娘を探してこられた歴史です」(2014.7.1)
    [先輩家庭婦人集会でのお母様の御言](2016.12.30)「お父様は原罪をもって生まれ、原罪なく地上に生まれた独生女に出会って原罪を清算された。それゆえにお父様は私に出会う前に他の女性と結婚してはいけなかった」(参加者の証言より)▲ 戻る
  16. 金辰春教授(天法院院長)の『真の父母様の独生子・独生女研究』より 「お父様も神様の血統で生まれず、堕落の血統で生まれたため接ぎ木されなければならない」 (2017.2.7)
    尚、金教授は3月29日・4月24日に各々、全国牧会者・教区長を対象にこれを講義し、「お母様の意向」であると説明している。「まずこの内容はお母様が『牧会者たちに教育せよ』と言われたので、私が今こうして教育しているのです。自発的にしているのではなく。『教材をそのように作りなさい』とおっしゃられたので。」(2017.4.24)▲ 戻る
  17. お母様の血統については確かに両面の御言があるが、総合的に理解するなら、①メシヤの新婦は「聖別された血統」をもつ女性でありながらも、②「本然のエバ」(無原罪の立場)として復帰されるには、アダムを通して「再創造」される過程があった、と見るべきだろう。実際、血統転換の摂理とは「アダムの無原罪誕生」の摂理を言うのであって、「エバの無原罪誕生」などという摂理は一切ない。
    「皆さん、オモニは生まれながらにして王女のように生まれ、再臨主の妻として生まれたと思いますか?言ってみなさい。堕落した血筋を受けて生まれました」(2004.7.19)
    「天国に入るためには、独り子が出てきましたが、堕落は男女が血筋を覆したものなので、独り娘独生女)が必要です。独り娘はどうなるのか?アダムの体からあばら骨を抜いて女性を作ったので、独り子はエバを再創造しなければなりません」(2005.01.14)
    「イエスは神様の息子です。独り子です。血筋を清めて来たのです。…血筋を清めたその男が、アダムに象ってエバを創ったので、女性に出会って血筋を清める業をなさなければなりません。アダムがエバの言葉を聞いて血筋を汚してしまったので、エバを絶対服従させ、血筋を清めなければならないのです」(2000.6.30)▲ 戻る
  18. 真の母も無原罪誕生であるというなら、第1,第2のお母様もそうでなければならない。それであるなら、「お母様だけが無原罪の独生女」というセオリーは成立せず、逆にお母様以外は有原罪というなら、お父様の過去の結婚を全否定することになる。▲ 戻る
  19. 「私(お母様)を教育した人は誰もいない。独り子と独り娘は同等である。独り子が独り娘を教育したとは言えない」(2014.10.27) 「神様が私(お母様)の父。人類のうち、神様を父と知って生まれた人は私ただ一人。二千年前のイエス・キリストと。」(2017.3.29) ▲ 戻る
  20. 祝福(血統転換)とは、「サタンの主管圏」から「神の主管圏」に転換されることを言う。その転換が可能であったのは、神の主管圏にある「真の家庭」に接木されたからである。サタンが真の家庭を讒訴するとすれば、祝福家庭も同じ讒訴圏にあることを意味する。▲ 戻る
  21. 「(前略) 14人の息子、娘達を中心として、氏族的メシヤが国家を代表する名称となって387の国々(アベル国連圏194カ国・カイン国連圏193カ国)さえ復帰すれば、すべてが終わることを宣布します…」 (2012年8月13日:真のお父様の最後の祈祷より)▲ 戻る
  22. 「顕進様の社会的活躍をなぜもっと積極的に『内部広報』しないのか」という声もあるが、それはまず、教会側の反対・妨害を避けるためであり、また、普遍的ビジョンを中心に他団体ともパートナーシップを結んで進めているため、宗教目的(教理の伝播や教勢拡大)と誤解されるような独善的な広報は行ってこなかった、という経緯がある。▲ 戻る
  23. 日本中央修練所(可知講師)の講義資料より「(2011年11月29日) 訓読会では泣かれながら、話すこともできない状態となり、食堂に向かうときには号泣しておられました。そして巨文島に向かうヘリ機の中で「統一教会をもう一度やり直したい」と言われ、泣き続けられたのです。2012年に入り、真の御父様は、訓読会で泣かれることが多くなりました。」
    劉大行氏の本体論講義(2012.7.27)より「最近のお父様を見てください。…最近は御言を語りながら、喉がつまって御言を語れない時が多く、その姿を見せまいとしている姿、そうやって生きておられる父母様です。(中略)一生、苦労して勝利の栄光の日を迎えようとしたにもかかわらず、私たちが勝利して侍れないために、その日を迎えられない。そのための涙を子に見せまいと苦悶しながらも泣かれてしまうのです」▲ 戻る
  24. 「第四次アダム圏時代に相応しい家庭を築くようになれば、それ以上、先生は必要ありません。第四次アダム圏時代に入る時、初めて神様と真の父母の安息圏が訪れ、安着できるのです」(1997.9.11)▲ 戻る
  25. 「顕進をこのように副会長に立てるということは、父母として、私として嬉しく思った、というのです。(中略)サタンの血統を根絶し、清算した後に天の直系の子女が家庭を中心として第四次アダムの勝利圏をこのように受け取ることができるバトンの出発が始まったという事実は驚くべきだと、皆さん、知らなければなりません。」(1998.7.19:顕進様就任式)▲ 戻る
  26. 「第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムは、神様の恨を抱いてこの地に来ました。そのような恨を第四次アダムにまで抱かせてはなりません。第四次アダム圏時代には、定着時代に入らなければなりません。第四次アダムを中心とした本然的家庭から天国が始まるのです。」(1997.9.11)▲ 戻る

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