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顕進様の真実〜希望の未来へ
チョ・ヨンジュ氏の心情日誌
Statements

チョ・ヨンジュ氏の心情日誌(2018-11-15)

チョ・ヨンジュ氏の心情日誌(2018-11-15)
2018.11.15(金)

周辺の友達に、顯進様側の講義を聞いた後、「素晴らしい」と言った。「君たちも一度は聞いてみるように」と勧めたが、もしかしたらこういう私の提案を聞いて、学生達は本当に恐ろしかったのかも知れない。私が狂ったと思うだろうが、答えのないことについて答えを捜したのだから、皆に聞かせたいと思うのは当然ではないか。私たちがなぜこのようになってしまったのか、どのように解決していくべきなのか。本当に神様を愛し、真の父母様を愛し、統一家を心配する人なら…、聞いてみるべきだと思った。皆、聞きたいとは言うものの、聞いた後、写真を撮られたり、電話番号を書いたり、自分の親に被害が及ぶのではないか…、と恐れるのが目に見えて、強要はしたくない…!

ところで…、そのように家族たちや親戚、周辺の人たちにまで圧迫を加えながら周辺への拡散を妨げてきたこと…、そんなふうにしたのは亨進様や國進様がおられる時の雰囲気ではなかったか、と言いたいが、それは私の推測なので…、そうとも言えないし…、ところで最近はSNSも発達していて、#Me Too運動も可能で、そういった方式の圧迫があれば、反対にそういうことを利用してでも告発しなければならないのが正常ではないだろうか。いつまでその不合理な状況に対して黙って無視するのか…、世間が私たちをどう見ているか知りたい。

私が周囲の人たちに言い続けられる理由の一つは、やっと知らされた現実の諸問題に対して悲壮に話しかけると、大部分の反応が「ええ、私も知っている」だったこと。ということは、私だけ知らなかったということか。

「(頷きながら)そうだ」

「そういうことで討論してみたい」

「君、気を付けな」

「君がそうして言って回っていることが上に知られると、家庭連合が君をただでは置かない」であった。忠告は有り難かったが、私はそういう言葉を聞く度に「何だって、本当は全て知っていたのか。ならばなぜ黙っているのか」という気がした。

「全て知っているわけではなく、まだいい加減に知っているだけなのか」

「損になるからか、心配で伏せているだけだからなのか」

「顯進様側で何を言っているのかよく知らないが、どうせとんでもないことだけだろう」

「いずれにせよ家庭連合の問題点は全て知っているということか」

といった様々な思いが浮かんだ。

私は初めて聞いた時、こういうことが私達の教会で起こり得るのか、という衝撃を受けたが、皆は既に慣れている…。それでも志のある人々は後で出世し上の地位へ行けば変えられるだろうと考えるようだが、現実を見ると、それが可能とは思えない。教会で出世する為にはどうすべきかというと、黙らなければならず、知らない振りをしなければならず、非原理的に流されることに暗黙的に同参しなくてはならないだろう。

私はひたすら待つことなどできない。

私が単に好奇心程度だったら「セミナーを聞いてみて」と勧誘できなかったはずだ。恐ろしくて、どうして言えよう…。(イム・ヒョウォン)部長が顯進様を支持した瞬間から、部長に石を投げつける人たちを直接見てきたが…、罵倒する人たちの二面性には驚かされる。その直前まで尊敬していた態度はどこかに消え去り、たちまち豹変して全てを否定する姿を目にすると心が痛い。…本当に恐ろしい…。それが本当に霊界を知り真の父母を証す人びとが行うことなのか、心情文化を語る人びとなのかと思わされ…、びっくり仰天だった。

多くの人びとがそうだ。問題を指摘して調べようとすると、サタンだと線を引き、分派として追い出す。外の人を伝道すべきなのに、なぜ私達の内部で人を奪い取っていくのかと言う。教会内に限定されて壁を作って生きているのはむしろ私達だ。それを今正に私が直接経験中だが、驚くべきことだ。よく知りもしないのに後ろ指を差す人びとを見ると本当に惜しい…。あちら(顯進様)側にいる人びとが10年間これをどうやって堪えて来たのか、それだけでも大したものだ。むしろ撃っている側はどちらなのか、自分たちを通じて確認してみればよかろう。

これはちゃんと覗いて見なければ絶対に通じない話だ。惜しい。神様を失ってしまった人びとは果たして誰だろうか。お父様のみ言葉も原理も神様から出てきたものだが、どうして彼らは神様を忘れて自分たちを立てるのか。自分たちは真のお母様を助けることが優先と言いながら…、熱心にやっているが、彼らが神格化している真のお母様は歴史にどのように残されるだろうか…と考えさせられる。

もちろん、セミナーを聞いたからと言って全てが解決されるのではないということは私も分かる。聞いてからでも、関心のない人びとは相変らず関心がないだろう。そして自分にはできることがないと手をこまねいている人もいるだろう。最後まで聞かずに「結局、顯進様は自分を偉くして、真のお母様を否定している」と断定する人もいる。「お母様がそんなはずがない」として現実を否定する人も多いだろう…。

私もそれと大差なかった。初めは聞いてから「そんなはずはない」と否定してみたり、「私にできることはない」と自暴自棄にもなり、「早く人びとに言わなくてはならない!」と試みたり、人びとの反応を見て「あぁ、無駄に喋った…」と怖気づいたり…、後悔もした。しかし、今に至っては、知らせなければ私の良心が咎めるだけだ。全て知っているのに知らないふりをする上司たちのようにはなりたくないだけだ。

そのように周辺の人たちと少しずつ話しているところを、誰かが自分の親に言ったようだ。(安山教会で)急遽、学生父母役員会議が作られた。成和教育について会議しようと呼ばれたけれども、言うことがなさそうなので次にしようと申し上げたら、今週に必ずしなければならないと言われた。あっと感じた。「H1に行っているようなので、呼ばれたようだ」… という予想が当たった。会議に行く前に家で母に先に話した。

「もし教師として私の本気度を疑われたら、私はやめると言うつもりだ」と。

対話の初めはそういう対話ではなかった。徐々に対話の内容が変わった。「いつまで教師をするのか」、「H1側と交流しているのか」という質問から始まり「もしかして部長のようにメッセージを書くのか」という質問まで受けた。質問の意図は把握した。そして唯々…、こういう待遇が…、心痛かった…。「心配されるのは分かりますが…、それは犯罪ではありません」と言いたいのが私の立場だ。「単に私の考えであり、私の良心です…。私はこれが原理の中での自由であり責任だと思います」と答えたが、これは心の中で百回以上叫んできた言葉だった。とても悲しかった。

心を落ち着けて率直な考えを表現した。「顯進様が進んでおられる方向性が正しいと思います。そちらの講義を聴いた時、二世の弟(妹)たちに聞かせたかったのです。このように実践しなければならないし、これが真なる私たちの責任だと知らせたかったのです」という私の答えに対し、学生たちの父母は「そちらの講義が良ければ、それをそのままここで教育すればよいではないか」と言った。「私に能力があれば多分そのまま講義してあげるでしょうが、そうはできないから学びたいのです、これからも」結局、対話は感情論に流れていった。

「ヨンジュまで行くと教会長が辞職願を書かなければならない」

「いくらそちらが正しいと主張しても、何一つ変わりはしない」

「お母様と顯進様の問題であって、私たちにできることはありません」

「行っても、学生達には明らかにしないで下さい」

「(イム・ヒョウォン)部長も後悔しているのではないですか。変えたければ、この中で変えるべきでしょう」(部長は後悔していない)

それら全ての言葉に反駁が「可能」で心が痛かった。説明できて嬉しいはずなのに、通じないようで一層心が痛かった。聞いてくれる気がしないので、いくら説明しても意味がなかった。充分に理解させてあげることができるほどもっと努力しなければならないと決意した。対話した多くの親たちの結論は「私たちも問題があることは全て知っているが、それをこの中で変えて欲しい」ということであった。

私のこれまでの見方は既になくなった。制度化された宗教に閉じ込められていたり、専ら私たちだけが正義という考えに騙されている。顯進様側のセミナーに参加した後、このように教えてくれる先輩はいなかったし、実践した先輩がいなかったことに限界を感じた。「このようにちゃんと実践していたら本当に真の父母様がこの地上に来られたことを実感する時代が開かれたはずなのに…」だから私たちは祝福の価値、二世の価値、原理の価値、真の父母の価値、真の家庭の価値、神様の価値といった全てを新たに学ばなければならないと感じた。教育者としてさらにそう感じたし、二世として私も学びたくて、弟妹たちに対してだけはちゃんとできたものを学ばせたいと願う。神様をもっと愛したい心で。

私を前にして、すぐに次の教師をどうするかが悩みの種となって、役員の方の子女を教師として立ててはどうかと尋ねてみると「うちの子はそんなことに関心がなくて」とのことだった。それが私に聞かせる最善の返事なのかも知れない…。本当に神様が一番哀れだ…。

真実を見つけたくて、真の原理を学びたくて、正義を見つけたいだけなのに、私が学生達を捨てようとしているという雰囲気に追いたてるようで心が痛い。いつか(イム・ヒョウォン)部長が「離れようとして書いたメッセージ(声明書)ではない」と言っていた言葉が今では理解できる。

今の文化はそういう考えをすること自体が罪、話をするだけで追い出されるのが一般的な流れではないか…。その大人たちの我執ゆえに、何も知らない学生達が哀れだ。

「学生達にとって良い内容ならここで教えればよいではないか」

「悪い話をしないで、良いことだけ教えればよいではないか」

「そちら側の学生達は良いことだけ学ぶのではないか。うちの学生達だけ何故悪いことを聞かなければならないのか」

「そちら側は結局、教育はあっても祝福を受けられないのではないか。希望がないではないか。可哀想だ」

対話がもどかしい。ただ良いことだけ持って来て使おうという態度、神様中心に考えると、私たちが行って学ぶべきだというのが正しいが、実は私たちが追い出した人びとなので、正しいことを言うから追い出された人びとなので、私たちの方が謝罪するべきだ。それほど大変な目に遭いながら正しい道を歩んで来られたのか、と尊敬してさし上げるべきだ…。

教育が良いか悪いか、持ってきて利用するというような問題ではなく、根本的に私たち皆の正しい摂理的方向を苦悩すべきなのに…。

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