昨日(8月26日)未明、UCI訴訟に関する電撃的なニュースが流れた。
【UCI控訴審 特報!】 – 1審判決覆る
原告側(家庭連合)が主張したUCI理事会の義務違反は控訴審で受け入れられず、1審判決の決定が覆る判決が下された。
「宗教的な問題は裁判所で扱うことができない」という被告側(UCI)の主張が受け入れられたものと見られる。
1年半続いた控訴審は、これによって原告側(家庭連合)の完全な敗訴で一段落した。より詳細なニュースが近いうちに伝わってくることであろう。
また、追加情報として以下の説明が流れてきた。
UCI控訴審判決に対する説明及び今後の展望
今回の控訴審の判決は「Reversed and Remanded」であり、日本語では「破棄差戻し」である。
Reversed (破棄) – 1審の判決を破棄する(取消す)こと
Remanded(差戻し) – 控訴裁判所の決定に従って地方裁判所で新たに判決させるため、事件を下級裁判所に戻すこと
▼何を破棄したのか?破棄の決定をした理由は何か?
1審で原告側の家庭連合は、被告側のUCI理事たちがUCI定款で「原理講論」という単語を削除し、「統一教会(Unification Church)」を「統一運動(Unification Movement)」に改め、法人名称を「Unification Church International」から「UCI」に変更するなど「理事たちの信託義務(fiduciary duty)」に違反したと主張した。
この主張に対して1審のコーデロ判事は「本来の定款を新たに変更したことは宗教的な解釈なしでも、また客観的に比較しても、相当な変更がなされたもの」と判断し、原告勝訴判決を下した。この判決を受け、コーデロ判事の後にこの訴訟を引き継いだアンダーソン判事は、1審判決を執行する最終決定を下した。
しかし今回、控訴審(2審)裁判所は、この1審の判決を破棄したのである。そのように決定した理由を簡略に要約すれば以下の通りである。
「原理講論」を定款から削除し、「統一運動の教え」に置き換えたことを裁判所が「正しい」、「正しくない」と判断することは不可能である。判断するためには教理を知らなければならず、宗教的解釈が伴わなければならないからである。同様に、「統一教会」を「統一運動」に、「Unification Church International」を「UCI」に変更したことを扱うにも宗教的な解釈が必要だ。したがって、これは裁判所が判断できる範疇を越えるものであり、これらの問題に対して裁判所が扱うことはできない。さらには、UCIの運営問題に対しても、これは宗教内で「メシア的人物」がすることであるため、宗教的な枠組みをはずして裁判所で争うことは難しいと思われる。
▼差戻し審の手続きは?
米国の裁判体系が韓国とどれほど違うか分からないが、韓国の裁判体系を例に予想することはできる。韓国の民事訴訟法では上告審が上告を理由があると認めて、原判決を破棄する時は差し戻すのが原則である。差戻しの判決が下された事件は再び原審裁判所で裁判をすることになるが、この場合の判断は、破棄の理由である上告審の事実上·法律上の判断に羈束(きそく:拘束の意)される。これを保障するため、原判決に関与した判事は、差戻し後の裁判に関与することができない。
米国でも韓国の裁判体系と同様に控訴裁判所の決定に従って、下級審ではこの決定にもとづいて実行しなければならない。上級審である控訴裁判所がこの問題を「法廷で扱うことができない宗教的な問題」と見なしたため、地方裁判所もその範囲から外れることは不可能だといえる。
▼原告の選択肢は?
- 訴えの取り下げ:民事訴訟であるため、控訴裁判所の判決を受け入れ、この訴訟を取り下げることができる。 訴訟を取り下げれば、このケースはそのまま終結する。
- 最高裁に上告:米国最高裁に上告できる。しかし、10年前とは大きく変わった教会状況の中で、控訴裁判所が宗教的な問題と判断した判決を最高裁で覆すことはほぼ不可能と思われる。結局、莫大な訴訟費用を更に負担することになる。上告することで時間を稼ぐことはできるかもしれないが、無理な訴訟継続に伴う莫大な損害賠償責任が加重されるという点を考慮せずにはいられないであろう。
情報は以上である。
近ごろ、家庭連合がしきりに訴えている「宗教の自由」に基づき、正しく判決がくだされたと見ることができる。
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