ピラミッド型の宗教組織
宗教団体というのは、教祖を信じて崇めることが多いものです。旧統一教会も、文鮮明夫妻を神格化して崇めています。これは他の宗教でも見られる組織化された宗教団体の姿で、文鮮明師が本来意図したものではないということは、旧統一教会の中にいたら、気が付き難いことかもしれません。文師は、自叙伝の中で、世界基督教統一神霊協会という団体名を、40年間の荒野時代において使ったことにおいて、以下のように語っています。
「仕方なく教会の看板を付けたに過ぎず、いつでもその看板を外したい思いです教会の看板を付けた瞬間、教会は教会でないものと区別されます。一つのものを二つに分けることは正しいことではありません。それは、私が夢見ることでもなく、私の行くべき道でもありません。」
そして、実際に教会の時代が終わったと宣言したのが1990年代の半ばでした。同時に平和が名前に付く数々の団体をつくり、世界平和統一家庭連合も出発しました。家庭の連合であって、教会ではないのですが、信徒には、ただの名称変更で、同じ教会だと見えたはずです。故に、文鮮明夫妻をより一層神格化して、黄金の像や石像をつくったとしても、「既存の教会に逆戻りしている」という違和感は少なかったかもしれません。
「教会の看板を付けた瞬間、教会は教会でないものと区別されます」と文鮮明師は問題を指摘しています。何のことでしょうか?例えば、今の旧統一教会の姿を見ればわかります。記者会見などの姿を見ても、声明文を見ても、デモを見ても、「この教会を守る」という組織防衛意識が前面に出ています。
教会という組織化された宗教をつくるとき、その団体はまるで一つの生き物のように、自分を守ろうとし、一人歩きを始めることがあります。資金の流れはまるで血液の如くになり、団体という体が、精神をも引っ張るようになります。団体の維持のため、信念も曲げることも起きます。それは、体が心を引っ張るような状態です。人間を考えれば、体が心を主管してはいけないのは、原理講論が教えていることです。
教義と行動の矛盾も団体を守るために無視される内に、リーダーたちは、組織を守ること以外に何も信じていない状態となります。団体の内部と外部と区別し、壁を立てます。自分達の教団に属する人は天国に行き、外れれば地獄に行くと区別するようになります。
教義である原理講論の内容も、教祖を神格化されたメシアとして信じることがゴールとなり、そのために神様の存在を信じること、罪を信じること、メシアの必要性を信じることを、信仰指導のガイドラインとして用いていました。これは、人を組織的宗教団体に、従順な信徒として組み入れる指導です。
教会の中にいれば、それが当然のことで、それ以外はないと思われるでしょう。あったとしても、教会のための周辺団体があるだけで、そうした団体は教会を中心としたピラミッド組織の一部として位置付けられます。
ビジョンによる運動
このようなピラミッド型の組織的宗教団体に対比されるのが、ビジョンを中心とする運動で、統一運動とは、本来、ビジョンを中心とする運動です。例えば、原理講論の終末論には以下のようにあります。
「こうして流れてきた歴史が人類に与えるべき一つの最後の賜物がある。それは、何らの目的なくして一つの庭園に集まり、ざわめいている旅人たちを、同じ父母を中心とする一つの家族として結び合わせることのできる天宙的な理念であるといわなければならない。」
文鮮明師の教えを信じた方達は、この教えを信じたはずで、それは、一つの家族世界というビジョンを信じたということです。ですから、文顯進会長が、神様の下の一家族世界というビジョンを語り、どんな宗教、人種の人でも感動させる時、それはまさに父である文鮮明師の相続者として使命を果たしているということです。そして、私たちが信じるべきものも、同じビジョンです。
ビジョンというものは壁を超えます。世界で冷戦が終わったと言われるようになった時代から起きたのは、アイデンティティの衝突による危機です。それを象徴するのが2001年9月11日の米国におけるテロ事件です。宗教的アイデンティティが政治的、武力的力と変わり、破壊をもたらしました。アイデンティティの衝突による危機は、人種と宗教などのアイデンティティを根としながら、世界各地で起きました。
文顯進会長が文鮮明師の相続者として登場したのは、自由主義と共産主義というイデオロギーを中心としたぶつかり合いである冷戦が一つの段階を終え、新しい時代が始まったと世界の人たちが感じていた時期でした。その時に世界が必要としていたのは、世界を分断する国境、人種、宗教の壁を越えて、人類を平和に導くビジョンでした。そのビジョンを、世界の人が捉えることができるように、神様の下の一家族世界というビジョンとして世界に伝えたのが、文顯進会長でした。このビジョンを信じる中で、旧統一教会の方達も一つとなるべきでした。ビジョンで世界のリーダーシップを取るとは、人間に例えるならば、心が体の主体に立つようなものです。
宗教組織vs ビジョンによる運動
2008年、文顯進会長は、ビジョンによる運動を展開し、世界で成功を収めました。しかし、統一教会のリーダーの方達は、文鮮明師に、文顯進会長が文鮮明師の証をしていない、つまり、メシアだと語っていない、あるいは、自分が父に成り代わろうとしていると告げ口をしました。次には、「我々はN G Oに入ったのではなく、教会にメシアを信じて入ったのだ」と文顯進会長の弟の口を通して言うようになりました。
これはまさに、統一教会のリーダーの方達が、組織的宗教団体を第一に考えていたことを示していますし、それはまた、自分達が教団内部で持っていた、特権的位置を守ろうとしていたことを示しています。
その後、文顯進会長が、旧統一教会の支援なく、独自にN G Oを通して、世界的に成功しているのを見るようになると、それを真似たイベントを、旧統一教会の巨額の資金と教会員を動員してするようになりました。今年の夏も、そのようなイベントを、韓国でいくつもしました。
傍目から見れば、文顯進会長がしている行事と、旧統一教会がしている行事は、差がないように見えるかもしれません。しかし、中身は全く違います。
旧統一教会はお金で会場を飾りあげ、億単位のお金を動かして、V I Pのビデオや動員をします。そこにやって来るV I Pは、ビジョンに賛同しているわけではないので、ビジョンと関係のない話をしたり、すぐに帰ってしまったりします。この夏も、アフリカから政府の教育機関と関係があるとされる人たちが参加していたものの、いざ教育関係者を集めた国際会議となると誰も参加しませんでした。また、安倍元首相のような方もいますが、その方達は、文鮮明師の示したビジョンと共産主義との戦いを評価しているのであって、独生女神学で夫人を崇拝する、現在の旧統一教会のことを知っているわけではなかったはずです。
また、旧統一教会のリーダーの方達による行事のやり方は、V I Pをお金や選挙応援などで動員しておいて、そこで文夫人に見せることにより、文夫人には実績を評価してもらい、教会員には「この方も賛同しています」と宣伝することに用いています。一言で言えば、自分達の教団を維持するための行事となっています。
それに対してビジョンによる運動とは、ビジョンにより人を動かすリーダーシップのことです。お金を払わなくても、ビジョンに対する賛同の故に、教会員ではない人たちが、自分達で資金と人材を投入して、共に目標を達成しようとする運動です。原動力がビジョンとなっている運動のことです。
今年の夏、文顯進会長は2万人の前でスピーチをしましたが、その場に集ったのは、韓半島統一のビジョンに共鳴した人たちです。旧統一教会とは関係のない人たちです。1000以上のN G Oが協賛し、その中には、数百万人の会員を持つN G Oがいくつかありました。そのN G Oのリーダーたちに対する、韓半島統一のビジョンに関する地道なセミナーの繰り返しの成果として、彼らが人々を連れてきたのです。そして、その場で発表されたのは、2023年には10万人、2024年には10万人、2025年には1000万人の、韓半島統一のための集いをする計画です。それを文顯進会長が語って、「できますか?」と大声で問いかけ、「はい!」と2万人が答えた、これがリーダーシップと呼ぶべきものです。
また、米国では、文顯進会長の「コリアン・ドリーム」の本が、米国国防局長の推薦する図書の中に選ばれ、また、地道な米国リーダーたちとの交流を通して、北朝鮮の核問題の解決は核問題だけに集中して成し遂げられるのではなく、韓半島統一のビジョンの中で解決されていく道があることが伝えられ、トランプ大統領が韓国国会での演説で、コリアン・ドリームという言葉を使ったり、あるいは、ベトナムでの米朝会議で何が起きるか、文顯進会長が予告することもありましたが、このようなことは、まさに世界的リーダーシップです。
ビジョンによる運動
私がビジョンによるリーダーシップの力を初めて見たのは、2010年の1月、ケニアに行った時のことです。2005年から2008年は、私は一度も文顯進会長に会っておらず、NGOの行事も米国以外、参加しませんでしたから、2008年に何が起きたのか、よくわかっていませんでした。
しかし、米国人の友人に誘われて、2010年をケニアのナイロビで出発するために、N G Oの職員として訪問しました。ケニアは、2008年に文顯進会長に一度、行事をしたことがある国でした。それは、2007年の大統領選挙の後の暴動の後で、対立する民族の代表候補が、大統領や首相となって、暴動は収まっていたものの、国民が民族対立の大きな傷を負っている時でした。ケニアの旧統一教会は、2010年にはすでに文顯進会長に反対する側に立っていました。
ケニアは国民の平均年齢が若い国で、若者が大きな比重を占めます。まず、その青年リーダーたちの会合に行ったのですが、そこで、神様の下の一家族という言葉に、彼らが共鳴しているのをまず見ました。次に、V I Pと自宅で会いました。ケニアの閣僚に自由に電話のできる方でした。その時、その方が、次の大統領選挙では民族対立から内乱になることを真剣に憂慮し、神様の下の一家族というビジョンがケニアに必要であると確信し、文顯進会長に大会をして欲しいと真剣に願っているのを見ました。それを通して、神様の下の一家族というビジョンがどれほど人々の心を動かしたのかがわかりました。数ヶ月後、文顯進会長はケニアを訪問し大統領と会談し、ケニアで行事をするのは確定しました。
ケニアでの行事は、2010年末に行われました。コンベンションの行事は、国家的行事となり、国の予算があてがわれ、会場の準備も空港でのゲストの出迎えも政府が取り仕切りました。V I Pの待機室から会場まで、大統領が歩いて来る時、大統領は、文顯進会長の手を取り、敬意を表しました。壇上には、大統領、首相、副大統領と並び、文顯進会長は神様の下の一家族というビジョンを中心としてお話しされました。もちろん、メディアでも大々的に報道されました。その後の大統領選挙では、暴動は防がれました。
ちなみに、ケニアの旧統一教会は、大統領や首相が参加する行事の会場の周りを、行事反対のためのデモをして、警察に排除されました。
当時、文顯進会長は、世界的に、旧統一教会の激しい攻撃にあっており、韓国、日本、米国のような北半球よりも、南半球から運動を展開する戦略を実行していました。そして、ケニアでの大会をステップとして、次の年には、韓半島統一へと運動を展開しました。2011年の韓国における大会は、「誰も統一になど関心がない」と開催を反対されました。ところが、2011年の大会の直後、金正日総書記が死去し、選挙では統一を語らねばならない気運が生まれ、人々は、文顯進会長の先見の明を知りました。
このようにビジョンによる運動には、リーダーシップがあり、戦略があり、バラバラなことをあちこちでしているように見えて、精神、政治、経済、メディアなど、さまざまな分野が一つの方向へと展開されていくものなのです。統一運動を導くものは、ビジョンだということです。
なお、新しいブログを始めました。こちらは、一般の方達も含めて、読むことができる内容にすることを意識したものです。
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