2020年11月11日、お母様は清平修練苑に韓国牧会者を集めてメッセージを語られました。その内容はとても深いお母様の真意を含むものだったと言えます。
今回から印象的な箇所を一つずつ取り上げて見てみたいと思います。
「2千年前に独り子イエス・キリストは来られました。初臨だ。天の摂理は、地上で成さなければならないため、再び来られる独り子の使命をされる方は再臨のメシヤ。そうであるならば、メシヤの責任をお持ちの方は、独生女に会わなければならない。独生女に会う前に自己を中心とした判断で仕事を広げてはならない。」
ここでいう「独生女」というのは、お母様のことで間違いないでしょう。お母様が第一・第二のお母様を指して「独生女」と語られたことはありません。
お父様とお母様が聖婚されたのは1960年のことです。
「独生女に会う前に自己を中心とした判断で仕事を広げてはならない」とは何を意味しているのでしょうか?
第一に、私たちは、お父様はいつも神様を中心に歩んでこられ、それはイエス様を通して天の召命を受けて依頼、生涯一貫したものだったと信じています。
そしてそのお父様を主体として、お母様は対象の立場に立たれ、1960年に神様を中心として聖婚されたのではなかったでしょうか。
ところがお母様は、実際にはどのように考えていらっしゃるでしょうか?お母様と聖婚される前には、お父様は自己を中心とした判断で仕事を広げてはならないと語られています。
お父様はお母様と出会う前も後も、一度も自己を中心とした判断などされていないはずですが・・・。
第二に、お母様は1960年以前のお父様の歩みの何を指して「自己を中心とした判断で仕事を広げてはならない」とおっしゃっているのでしょうか?
お父様の公的な生涯はすでに1944年前後から始まっていると見ることができます。
1944年 崔先吉女史と結婚
1946年 金百文牧師の失敗、北韓へ
1948年 興南監獄に収監
1950年 国連軍の空爆により南下
1954年 世界基督教統一神霊協会創立
1955年 梨花女子大学事件、西大門刑務所へ収監
1960年 韓鶴子女史と結婚
11.11メッセージだけでは、お父様の1960年以前の歩みの中で、どの部分をお母様が「自己を中心とした判断」とおっしゃっているのかは分かりません。
そこで、お母様が以前語られたという、以下のお話を参考にしてみましょう。
「お父様は私に会う前に、他の女性との結婚をしてはいけなかった(*1)」(2016年12月30日)
これを見れば、お母様は第一・第二のお母様との関係を問題視していらっしゃるのではないかと考えることができます。
摂理の失敗と延長故に、お父様はお母様を「第三の」お母様として選ばれた訳ですが、それまでの歩みを「自己を中心とした判断」と表現してしまっては、まるで堕落行為のようになってしまいます。このように感じるのは、私だけでしょうか?
私の言葉に反発を覚える方もいるかも知れません。
では、少なくとも11.11メッセージを通してお母様は、お父様の存在をより高めて下さっているでしょうか?それともその反対でしょうか?
お父様は7年の患難について語られたことがあります。今は信じていたすべてが揺れ動くときです。各自が真実を探すべき時だと感じます。
(*1)お母様のこのお話は、その日の集会に参加した430双以上の元老夫人の証言であり、教理研究院では「伝聞に過ぎない」と片付けています。「伝聞に過ぎない」とは微妙な言い方で、つまりは嘘なのか、本当なのかが分からない表現です。
お母様が開くほとんどの集会ではテレビカメラが回っているか、録音をとっています。あとでPeaceTVや機関紙に載せるためです。
「伝聞に過ぎない」などと中途半端なことを言わず、映像か録音をノーカットで公開して、嘘か真かハッキリさせれば良いのです。ところが天の父母様聖会ではそれをせず、いつまでも「伝聞に過ぎない」と言い続けています。2016年12月30日にその場にいた指導者もいますし、映像を確認した人もいるでしょう。それでもその日の映像を公開しない理由を、考えてみるべきでしょう。
2件のコメント
yama · 2020年11月24日 10:47 AM
「結婚」するべきではなかったという話は、清平や教会内部でも言われている内容です。平信徒の私でさえ聞いたことがあります(根拠や理由もきちんとせつめいされています)。
daichi · 2020年11月24日 4:24 PM
yamaさん
コメントありがとうございます。
根拠や理由はどのように説明されていましたでしょうか?
教えていただけるとありがたいです。