(※編集者駐:パシセラ氏の寄稿をシリーズで掲載しています。)


UCI裁判

このシリーズは、神様を信じ、文鮮明師の教えを信じた方たちを対象としているのですが、文鮮明師の教えを信じた方たちは“旧統一教会”、サンクチュアリ教会、文顯進会長のグループ3つに分裂しています。“旧統一教会”側は世界で30以上の訴訟を起こし、文顯進会長を攻撃したものの“旧統一教会”側の敗訴に次ぐ敗訴でした。その中で最後まで残っていたのが、UCI裁判と呼ばれる米国での裁判です。

UCI裁判の、控訴審になる前の、地方裁判所の判決は、“旧統一教会”側の主張を認め、約600億円の賠償金を、UCIと被告個人たちに負わせるものでした。600億円の賠償金を個人が負担しないといけなくなれば、その人の人生は終わります。まさに、“旧統一教会”側は文顯進会長の息の根を止めようとしていたと言えます。その600億円の賠償金という、悲劇的意味を持つ判決が出たことに対して、“旧統一教会”のリーダーたちは、「勝った、勝った」と喜びました。当然、被告側は宗教の自由を根拠とし控訴をしました。

そのUCI裁判の控訴審判決が先月8月25日にようやく出ました。控訴裁判所は原告“旧統一教会”側の主張を退け、被告側であるUCIと文顯進会長の主張をほぼ全面的に認めました。米国の場合、控訴裁判所の判決を不服として最高裁判所に訴えても、審議してもらう許可が出るのは1.4%位しかないので、控訴裁判所の判決は、ほぼ決定的な判決となります。

その裁判の中で、被告側が「統一運動は、メシア的、カリスマ的、摂理的運動である」と主張している内容が出てきます。この主張は、統一運動の根幹と分裂の原因に関わる主張だと見ることができる言葉です

世の中では、これがカルトのたわ言に聞こえることでしょう。確かに原告である、旧統一教会の理解しているメシアや摂理の内容によれば、カルトのたわ言になることでしょう。しかしながら、本体の統一運動の意味するところ、あるいは、被告側の意味するところによれば、たわ言ではなく、宗教に限定されない幅広さと高さを持った内容です。

旧統一教会の問題の一つは、宗教的内容に集中してしまい、世界と時代を忘れ、自分達の宗教内部でだけ通用する独自の善悪観で、世の中の法も無視して、走ってしまったことにあります。

メシアの定義

メシアという言葉の意味は、宗教によって違います。メシアという言葉は、日本では一般に全知全能に近い神格化された存在のイメージがあります。これは、パウロ神学が主流になったキリスト教を通して、メシアのイメージが出来たからです。イエス様が死んだ後、信徒はヤコブ派とパウロ派に分かれ、キリスト教の主流になったのは、イエス様を神格化したパウロ派で、ルターのような人は、ヤコブの手紙は聖書に必要ないとまで言いました。

ヤコブの理解は伝統的ユダヤ人のメシアに対する理解でした。イエス様が生きていたユダヤの社会でのメシアとは、ダビデの血筋に現れてユダヤ人を解放する男性、つまり人間のことです。イスラム教の聖典コーランでもメシアという言葉は何度も出てきますが、メシアは神様ではなく人間だ、神格化するのは間違いだ、啓示されています

世界の人口の55%くらいは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の人たちですが、日本では一神教のイメージは良くないはずですその原因は宗教間の争いが大きいです。その宗教的論争の源を見ていくと、メシアという存在に対する理解の違いが大きな原因であるのがわかります。ユダヤの人はイエス様をメシアと認めず、キリスト教はイエス様を極端に神格化して神様とほぼ同一視し、イスラム教は、イエス様は預言者でありメシアだとしています。コーランは、何度か、イエス様をメシアと呼んでいますが、この文脈でのメシアは預言者であり人間です。

統一運動の分裂においても、メシアという存在に対する理解の違いが大きな原因となりました。本来、文鮮明師が教えていたメシアとは、アダム的男性のことです。原理講論を見れば明確です。エデンの園でアダムが失敗してしまったので、その使命を、もう一度担う男性のことです。

ですから、イエス様を第二アダムであると言いましたし、御自身を第三アダムであると言いましたそれは、「人間だ」ということです。創世記のアダムが超人であったという記録が聖書に無いように、アダム的人物とは超人ではありません。超人ではないのですから、間違いをすることもあれば、歳をとれば衰えることもあるのは当然ですこの当たり前のことに反発があるとしたら、それはメシアを神格化していることになります。

文鮮明師は、パウロの信仰観に影響されたキリスト教のメシア観を否定する意図を持って原理講論を世に出しました。文鮮明師がどれほどパウロを批判したかは、知られていることです。ところが、旧統一教会では、パウロ的キリスト教のメシア観を持ち込んで、文鮮明師をメシアとして崇拝するようになったというのは前回書いた通りです。全知全能で間違いをしないメシアであるという信仰観は、教会のリーダーの方達が逸話などを通して広めたものです。この「いつでも正しいメシア」という信仰は、宗教団体をまとめ上げ強くするのには役に立ちます。「この方がメシアだ」と信じる教会にいるだけで救われたような思いとなり、「この方の言葉の一字一句に従おう」となります。

この信仰観点で最も益を受けるのは、文鮮明師と信徒の間に立つ教会のリーダーの方達です。間違いをしないメシアの言葉と指示を伝える立場に立ち、「メシアの代身」の立場に立つので、教会員を従え、お金と権力と位置を得ることができるようになります。1980年代、90年代と教会員が増える中で、旧統一教会はピラミッド体制のようになり、ピラミッドの上に近ければ近いほど、神様と天国に近いかのようなイメージになりました。さらに、組織のリーダが指示するのなら、不法なことをしても良いと思うようにもなったのを見ました

教会時代の終焉と反逆

前回書いた、文鮮明師の教会時代の終焉宣言は、このピラミッド体制が終わることを意味しました。教会組織のピラミッドを通して神様との関係を持つのではなく、神様を中心とした家庭を通して神様との関係を持つというのは、組織的には、縦型ピラミッドではなく、フラット型組織を意味します。

会社などにおけるフラットな組織の利点は、各自に自主的な意思決定と行動を促し、末端まで主体性を持たせることができるようになることです。しかし、中間管理職の権威と権力は下がります。

統一運動において、教会時代を終わらせて、神様を中心とした家庭に転換する具体的な仕事の先頭を切ったのは、文顯進会長です。そして、旧統一教会のピラミッド組織の中の腐敗とウミを除去しようとしたのも、文顯進会長です。予想できるように、これはとても大きな反発を生みました。教会のリーダーの方達は、さまざまな理由で、教会組織を優先しました。

教会員は、2009年から、文顯進会長に関する様々な嘘を組織内部で伝えられて、文顯進会長を不信し怒りを覚え、裁判を起こすのは当然だと思うようにされました。「メシアは何もかもわかっていて間違いをしないし、教会のリーダーたちはメシアの代身だ」と信じていることも利用されました。教会員は操られたのです。

メシア的、カリスマ的、摂理的運動

統一運動は、メシア的、カリスマ的、摂理的運動と言うと、旧統一教会ではピラミッド組織のことであると誤解される可能性があります。そうではありません。フラットなのです。神様を中心とした神様の家庭をつくる運動というのは、教会組織を通して神様との関係を持つのではなく、家庭ごと、個人ごとに神様との関係を持つのですから、たくさんの家庭がフラットになるのです。

それがどうしてメシア的、カリスマ的なのでしょう?それは、統一運動において見ている個人と家庭の姿の可能性がとても高いからです。個人と家庭の抱える限界を乗り越えて、神様が本来人間始祖に意図した人間と家庭の姿を取り戻そうとするからです。メシア的、カリスマ的という言葉は、不可能を可能にするような含みを持った言葉です。人間としての可能性を最大限に発揮することができるということです。つまり、神様と人間の間の壁が引き下げられて、それぞれの人が神様に子として侍ることができる時代を迎えたからこそ、フラットになれるのです。

超人となるのが人間を高めるのではなく、時間と空間の中で生きるようになっている環境の中で、自分で判断し、自分で行動することから、人間は高まるのです。原理講論では、人間の責任分担と呼ばれている内容です。

これは世の中に誤解を生んでいることとも関連するのですが、旧統一教会では教会員を服従させる決まりがたくさんありました。いわゆる祝福となると、とても細かな分類と決まり事がありました。そして、教会内の教えは、「堕落するな」を代表として、「するな」が中心にありました。これが、自由を奪うと批判される原因ともなっています。ピラミッド組織を維持しようすれば、起こりやすいことです。

統一運動が、神様の理想家庭を目指す運動になった時には、「するな」体制から変わらないといけなかったはずで、それはつまり、たとえ現状は不足でも、理想を目指して前進し続ける姿勢のことです。それは、たとえ不足な人、あるいは人生でつまずいた人がいたとしても、神様の理想を目指して歩み続けましょう、と励まし、抱擁することを意味します。

具体的なことをここで書くことはしませんが、大きな変化になるはずでした神様の摂理は、全ての人類を抱くことを目指しています。神様が全ての人類を導くのは、「するな」を中心とするより、志を共有することから可能になります。そのようなことをすることが可能な時代になっていたのに、旧統一教会では気が付かなかった、ということです。

この志を中心にすることに関連して言えるのは、一神教の問題です。一神教には、最後の審判などの象徴されるように、人を善と悪にイメージや、イスラム教のように、細かな規則で人を縛るイメージがあります。これは、神様の目的を知ることが難しいかったことに関係しています。

創造主がいると信じる立場からは、善と悪の定義は創造主から定義されます。しかし、創造主の定義する善と悪は、神様の創造目的がわからない限り、「するな」に象徴される、法律のように細かな決まりとなる傾向があります。

創造目的がわかって初めて、その創造目的を達成する志を大志として持ちながら、大善から小善、大悪から小悪まで、さまざまな段階を認識できるようになります。その場合、善と悪の基準そのものは、はっきりあっても、その中でのさまざまな段階は抱擁できるようになります。

メシア、カリスマ

メシア的とか、カリスマ的と言うと、何か衣を着て杖でも持って人を支配することを意味するかのようなイメージもあります。旧統一教会はまさにそのようなイメージを前面に出しています。

しかし、歴史上、メシアとしてカリスマ性を持って登場した最初の人物は、イエス様です。イエス様は、神様の長子として、先例を立てる使命を持った人でした。この理解は、メシアは崇拝されるべきお方であるというのとは違います。崇拝されるべきは神様で、人間ではありません。

イエス様が生まれたユダヤ教の社会は、十戒を中心とした、「するな」と規則の社会でした。その社会で、イエス様は、「するな」と言われていたことをし、社会の一番底辺にいた人たちを救い、社会の一番上にいた聖職者たちを戒めました。山上の垂訓に代表される教えは、「するな」と規則の時代の教えとは異なるものでした。聖職者たちの目には、イエス様は「するな」を破る人物に見えました。神様を父と呼び、全ての人は神様の子であると、認識させ、解放する教えでした。これこそが、本来のメシア性であり、カリスマ性であるはずです。

歴史上、ほぼどの社会でも奴隷制度はありました。第二次大戦の後、基本的人権と自由が世界的に認められるようになり、日本でも憲法が米国の独立宣言の影響を大きく受けたものに変わりましたが、米国の思想の源はイエス様の教えにあります。この例にあるように、本来、メシアと呼ばれる人は、基本的人権と自由を高く掲げる人です。

なぜそうなのでしょうか?それは、メシアとは超人ではなく、アダムの使命を持った人だからです。本来アダムとは人間始祖であり、神様が子として創造した期待を背負った人です。人間は本能だけで生きる存在ではなく、霊的意識があり、自由意志を持っています。神様は期待と希望を持って人間始祖を創造し、放縦ではなく、責任を与えました。

人間がこの神様の期待に応えるようになる時、そこで登場する人には、カリスマ性を見るようになることでしょう。そのような人は、宗教と人種の壁を超えて、「この人は誰だ?何かが違う」と感じさせるものを発揮します。

旧統一教会の過ち

旧統一教会の過ちは、文顯進会長を排斥し追い出したことで、2009年に決定的となりました。文顯進会長は教会員をピラミッド的支配体制から解放しようとしていました。それはピラミッドの中のリーダーの方達にとって望ましいことではありませんでした。

文鮮明師がしていたのは、メシア的、カリスマ的、摂理的運動でした。それを引き継ぐのも、メシア的、カリスマ的、摂理的運動を継続できる人です。そのような人が、文顯進会長でした。公職に着く前の経歴、オリンピックへの二度の出場、コロンビア大学卒業、ハーバードM B A取得という経歴を見ただけでも、教会内のリーダーの方達が競走できる人ではないのは、明らかでした。しかし、教会内のリーダーの方達は、組織を使って、対抗し、迫害し、追い出しました。

追放されて14年経ちますが、今、文顯進会長が語るのは、基本的人権と自由が守られ人間の価値が高められる理想であり、創造主である神様に主権があることを認めてこそ、本当に基本的人権と自由が守られるという、米国の独立宣言にも合致するお話です。これは、人間を解放するための教えで、教会内に人を縛ろうとするのとは、180度違います。メシア的、カリスマ的、摂理的運動とは、人間を解放する運動です。

文鮮明師の教えを信じた方たち集うべきは、文顯進会長のもとです。

なお、シリーズが長くなりますし、記事の内容に関連性があるので、順番を追って読むことができるように、私のブログにこのシリーズを、テーマの下で集めて行こうと思います。過去の記事を順番に読みたい方は、そちらを御覧ください。

https://ameblo.jp/pacificera/theme-10105595655.html


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