金明大氏の説教
既にご覧になった方も多いでしょうが、金明大氏が韓国の和順教会でお話した録音ビデオが、日本語でも英語でも出ています。
お話の中で、以下のように言っています。
「お父様の御言は95%が真の御言葉ではありません。」
「オモニが、原罪のない方が原罪のあるお父様を選びました. . . 接木したので、その日、その時、お父様は原罪が解脱されました。」
「お母様は『お父様は責任を果たせなかった』と語れました . . . 何の責任を果たせなかったか?存命中に子供達を前において、『お前のオモニは肉体のオモニではなく、独生女だ、聖霊様になられた独生女だ、オモニに侍れ。一度もこんな表現をしたことがない』というのです。お母様の御言葉です。」
ここからは、このお話がとんでもないことは、わざわざ説明する必要がないと、敢えて想定して書きます。
金明大氏は93年から94頃の日本の統一教会の総会長で、献金集めに大きな記録をあげたことで知られており、言い換えれば、日本の教会員にひどい献金を強いたことで有名です。また、90年代後半、金孝南氏が、清平の霊能者として表舞台に立つようになった後は、金孝南氏を伝道した霊の親であると自負していた人です。韓鶴子夫人が独生女思想を持つようになったのは、韓鶴子夫人の母と霊通しているとされていた、金孝南氏が長い時間をかけて、韓氏が特別であり、「あなたがしなければ」と教えたことが大きい要因なので、霊の親子で韓鶴子夫人を逸脱させているとも言えます。そして恐らく、金明大氏は「お母様を支える」ヒーローになろうという思いがあるでしょう。
前回の記事で、2001年の頃のことを書きましたが、文鮮明師の後継者として立てられた文顯進会長を教会の幹部が受け入れることができなかったのは、もっとずっと前から「統一運動の堕落」と呼ぶべきことが積み重なっていたからのはずです。金明大氏が先頭を切って、無慈悲な献金集めをした頃、その命令を受けた教会員は己の信仰で受け止めようとしたことでしょうが、今回の金明大氏のお話は、金明大氏の信仰がいかに脆かったか、あるは、間違っていたかを示すと同時に、統一教会の全般的問題の象徴であると見ることができると思われます。
無慈悲な献金集めへの理由付け
統一教会で無慈悲な献金集めがされた背景には必ず理由付けがされました。代表的なものとして、米国のワシントン・タイムズ紙に対する支援が、いつでも持ち出されたことが思い出されます。
ワシントン・タイムズ紙は共産主義との戦いの真っ只中の1982年に創刊されました。その後、ソ連が崩壊し、世界は新たな時代を迎えた中で、その変化を最も象徴するのが、2001年の米国での同時多発テロでした。
それは、世界が自由と共産の二極の冷戦の時代から、世界各地で、宗教、民族などのアイデンティティを根とする衝突が起きる時代となり、それを平和に導く必要性がある時代となったことを示していました。文鮮明師が、平和と名のつく沢山の団体を作ったのも90年代です。ワシントン・タイムズ紙も再定義される必要がありました。ワシントン・タイムズの維持そのものが目的ではなく、ワシントン・タイムズの使命の成就が大事だからです。
2001年、私が日本の統一教会の監査をした頃、日本の教会に現れた問題の根は世界的なものであり、お金を要求する米国や韓国の活動が変革されなければならないのは、私にも明らかでした。そして、文顯進会長が、ワシントン・タイムズの改革に着手しようとしたのが2002年でしたが、日本の時と同じく、改革を望まない幹部の間違った告げ口情報で、米国でも改革はブロックされました。
統一教会の幹部は、いかに誇張して文鮮明師が喜ぶ報告をしてお金と人材と位置の支援をもらうかを競っていました。これは、特に韓国人リーダーに顕著に見受けられました。例えばワシントン・タイムズなら、「スクープしました」と報告したり、V I Pを文鮮明師がお話しする行事に参加させることが大事でした。
文鮮明師は、「何でも全てを見通す」と教会員は信じていたので、幹部がどんなに間違っていて誇張した報告をしたとしても、それを文鮮明師が否定しないのなら、正しい報告であるとされ、報告をした人は認められた人となりました。当然、献金要請も文鮮明師要請とされましたし、献金を多く集めた人は認められた人となりました。
これがどれほど間違った文化を作り出すことでしょうか?文鮮明師と原理講論は、イエス様は人間だと教えていました。文鮮明師も人間であり、「何でも全てを見通す」と考えるのは真理に則しません。幹部の嘘や誇張に取り囲まれた文鮮明師は、真実の中にいることができたでしょうか?神山会長が、御自分を文師の番犬のように感じていると言うのを聞いたことがありますが、それだけ詐欺のような話が持ってこられたということです。
カトリックの教会に行けば、沢山の聖人の像があります。幹部たちには、願っていたのは、メシア的人物に認められ、イエス様の弟子たちが歴史的偉人や聖人と認められたように、現代においてそのような人物となることを願う人たちがいました。
しかし、人間世界でそのように認められるのが大切なことでしょうか?キリスト教においては、名も残さずに消えていった無数の信仰者、善人が、神様に愛される人だったと思わないでしょうか?イエス様は、良きサマリア人の譬え話をしなかったでしょうか?
信徒の精誠は無駄にはならない
昨今の混乱と、金明大氏のような人のお話が出る中で、統一教会では信仰そのものを放棄する方達も出てきているのを存じています。何か自分の人生がとてつもなく無駄なことに浪費されたかのように感じる方も多いかも知れません。
私は、神様の孤独を思う時があります。子供達が信仰と希望を失い、立ち去ってしまった後に残された神様の孤独です。神様はそのような思いを、人類の歴史を導きながら、何度感じられたのでしょうか?
統一教会の幹部たちは、「神様の下の一家族世界の夢を共に実現しよう」と文顯進会長が全世界に呼びかけ、世界が呼応した時に、それを、自分たちが必要ではなくなり教会組織の中の権威も薄れる、脅威であると見做しました。
つい先日、文顯進会長はフィリピンで大会をし、「神様の下の一家族世界の夢の主人となりますか?」と沢山の若者たちに呼びかけました。地政学的なフィリピンの立場、神様の主権を認めることを通して次元が高まる人権や自由の意味など、深い意図があってされたお話しだったと思いますが、若者たちが、もしもそのような深い意図をわからなかったとしても、若者一人一人に語りかける文顯進会長の姿は、人々を動かしました。
果たして、文鮮明師から祝福を受けた祝福家庭、つまり多くを与えられた人達は、フィリピンの若者たちに負けず劣らず、神様の下の一家族世界の夢の主人となれるでしょうか?
お金持ちは、お金を与えるのが難しくなったり、自分が持っているものの価値がわからなくなったりします。イエス様は「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言ったのですですが、祝福家庭は祝福も受け、沢山の御言と愛を受けた人たちであり、霊的な意味で沢山与えられた人達です。
私たちが立ち帰るべきところは、神様の御旨、神様の創造理想と目的が成就されるための信仰と心霊と接木です。私たちはその大きな御旨の中の、共同創造者です。「神様の下の一家族世界の夢を共に実現しよう」と聞いた時、そこに自分の心霊の呼応を感じるでしょうか?そこには、自分がこの世で認められる褒美のようなものは、無いかも知れません。教会内で認められるとか、そのようなことも無いかも知れません。それでも、神様の下の一家族世界を実現する夢の主人となるのなら、そこに神様が相対する一筋が現れる、そうではないでしょうか?
イエス様は以下のように語られました。
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。
もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。もしわたしに仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう。(ヨハネの福音書12章)」
統一教会の幹部がしたことは、「自分の命を愛する」ことでした。その結果は、金明大氏の言葉に象徴されています。
彼らだけが悪く、私は悪くないと言っているのではありません。心すべきことは、多かれ少なかれ、私達自身が過ちをする可能性があるということだと感じます。自分を否定し犠牲にし、永遠の命に至るのは簡単なことでしょうか?その犠牲と否定の中で、自分の心霊の復活を経験するのは簡単でしょうか?その経験が感謝と謙遜の経験となるのは簡単でしょうか?
信仰生活を卒業したい、放棄したい、という誘惑は、今、多くの人たちに訪れているはずです。それでも、「お母様を支えたい」と思ったとしても、それは文鮮明師の語った御言を放棄することになるので、矛盾の中で心霊の力は枯れていく可能性が大きいです。
イエス様は「狭き門から入れ」と言われ、「命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」と言われました。またイエス様は、神様は「あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている」と言われました。神様に仕え続けるのは難かしく、人間が立ち去ったとしても、神様が子供達を忘れるということはないのを教えているはずです。
家庭連合の中で、一体何が起きているのか、天宙史的葛藤の詳細を知りたい方は、以下の動画をご参照ください。
(概要欄の目次のリンクをクリックすると途中から見ることもできます)
1件のコメント
岡田安武 · 2022年12月9日 1:36 AM
要するにこの人は自分のことだけ大事なだけで、神様のことも御父母様のこともどうでもいいんだな。
違う国にいてよかった。何十年も恩讐を愛するとか戦ってきたけどそんな積み重ねも小さく感じられてしまう。この人に殺意を抱いてしまうのを禁じ得ない。