文部科学省に対する文書郵送

統一教会が、文部科学省に対して、「財務や組織に関わる基本的なこと」に関する数百枚の文書で返答を郵送したことがニュースで報じられています。

統一教会が表組織、裏組織、表帳簿、裏帳簿で成り立っているのは、ほぼ常識で、書類破棄が定期的になされていたのもほぼ常識です。

ちなみに、U C I裁判でも、書類の保存が問題になります。原告統一教会側は、裁判を起こすと書類を保存する義務が生じます。米国では、書類を保存しなかった場合には、特に最高裁判所においては決定的な失態と見做され、裁判が成り立つのがほぼ不可能になります。

U C I裁判においては下級裁での証人証言の段階で、日本の統一教会を代表して米国に証言に来ていた岡村氏が、書類保存の指示を組織に出さなかったことを証言で語り、それが記録として残っています。その発言の時の、日本統一教会側の米国人弁護士の表情は、その証言のまずさを物語っていました。

統一教会で書類破棄が定期的に行われていたのは、特に経理関係の人なら知っていることです。

でも、破棄されたのは、書類だけでしょうか?

人は薪ではない

これは、日本の統一教会において顕著なことでしたが、例えば、新しい人が伝道レールに来ると、その人が献金できるお金を持っている間は熱心に指導するものの、お金を献金し切ってしまうと、関心を失ったり、ほったらかしにしたりするのが見受けられました。

それは悲しいことでした。まるで、木を集めて来ては燃やし続けられる火のようでもあり、軍隊のようにも見えました軍隊と言っても、様々な文化や形態があるのですが、兵を大切にする軍隊もあれば、大切にしない軍隊もあります。

極端な表現と思うかもしれませんが、今の日本でのように、激しい批判が全国で巻き起こるには、それなりの原因があったから、と思うべきはずです。そうではないでしょうか?

それぞれの組織とリーダーに事情と状況があり、40年荒野路程と呼ばれた信仰の期間の間には、他人には理解できないことがあったはずなので、簡単には言えないものの40年荒野路程の後はどうだったでしょうか?家庭連合に転換した後の、90年代半ば以降の時代のことです

家庭において、家族を木のように燃やしながら、何か解決か、天運が訪れるということがあるでしょうか?軍隊と家庭を比較したら、家庭とは軍隊ではない、ということが普通の人なら明確になるはずです。40年荒野路程においては、まるで軍隊の中に家庭があるようともいえます。でも、定着の時代には、家庭が基本単位となって、家庭連合や協会となって連結される形態に転換されるはずだったのではないでしょうか?

前回、ワシントン・タイムズが冷戦時代から911事件に象徴される時代の転換の中で、再定義される必要があったということを書きました。再定義はそれだけではありません。統一教会から家庭連合の転換の場合には、もっとはっきりとしていて、統一教会は終わり、家庭連合が出発しなければなりませんでした。

今からでも、神様の理想家庭を目指そうとすると、人によって状況は違うものの、課題として浮き上がるはずです。神様の理想家庭を目指すという目標そのものがショックかもしれません。なぜなら、今までがあまりに違うところに焦点が合わされていたからです。次に、一体神様の理想家庭とは何でどのような家庭なのか、何をしなければならないのか、という理解をする必要がありますが、その理解が始めると、試練を受ける方達も出てくるかもしれません。

このようなことも少しずつしか書くことができませんが、少なくとも人を薪のように扱うのが間違いであるのは明確です。

叱責される時と愛される時

今は、多くの教会員が、信仰をあきらめたり、卒業したくなったりする時で私は2001年の頃から5、6年、この問題に一人で立ち向かった時期があります。それは実に大変な時期でした。

神様への忠誠心や孝行心のゆえに、神様の名を呼べば、涙が出る絆は生きているでしょうか?その絆の存在をあきらめていないでしょうか?

たとえ感じるのが難しくなっていたとしても、そのような神様との絆は存在します。それは、人間が神様の子女として意図されているからです。少し固い表現をすれば、個性真理体であり、人権と自由を持っている存在です。皆さん、愛されることを求めているでしょう?

多くの教会員は、文顯進会長のブラジル6分ビデオを見てショックを受け、文顯進会長に対して心を閉しました。それは、「自分達は神様の前に尊い存在だ」という信念を脅かす人として目に映ったのが大きな要因でしょう。そのような人として描きたいと願った統一教会幹部の狙いに、引っかかったということでもあります。

の場合は、そのビデオの中で叱責を受けたリーダーが、とてもプライドが高いものの、以前は文顯進会長に認められて喜んでいた人だったので、その人の豹変ぶりに呆れました。

私は、2003年頃だったか、ある時、文顯進会長にばったり会い、何も言わずに突然肩を抱きしめられたことがあります。90年代に、文顯進会長が御長男の肩を抱きながら、将来を語りあうかのような姿を見たことがありますが、肩を抱きしめられた時は、ご家族の姿が思い出されるような時でした他人に対しても、そのように愛するということですし、愛されるのも叱られるのも理由があります

前回、金明大氏の説教に関して書きましたが、金明大氏は天から叱責を受けるべき人でしょうか、それとも、肩を抱きしめられる人でしょうか?間違ったことをして叱責を受ける人でしょうか?あの、金明大氏の説教は、金明大氏だけの問題ではありません。信徒の霊的生命に責任がある幹部全体の問題です。そのような幹部が、叱責されるべきでしょうか、そうではないのでしょうか?どんな時に抱きしめられ、どんな時に叱責されるべきなのでしょうか?

文顯進会長のしようとしていた事

2009年、文顯進会長が断罪されるようになる前、私には何年も文顯進会長に会えず、話も聞けなかった時期があるので、何をその時期に文顯進会長がしようとしていたのか、証言するにふさわしくはないのですが、その頃にしたお話を読む時に、多分、教会員たちが誤解しただろうと思う内容はあります。

ブラジル6分ビデオは、文顯進会長が教会内の悪いリーダー達の象徴のように見えた事でしょう。逆に、文亨進氏が教会員の足を洗ったりするのは、良いリーダーの象徴のように見えたはずで、それが教会員を惹きつけるための計算されたパフォーマンスであることなど、想像もできなかったかもしれません。

文顯進会長が叱った相手は、リーダーです。2001年の日本教会の監査の時からずっと同じことですが、統一教会は一般教会員は真摯で誠実でも、リーダーに数々の問題がありました。文顯進会長のお話を読めば、リーダー達を変えるためのお話、リーダー達から出発している文化を変えるお話、そのようなお話がたくさん出てきます。

しかし、リーダー達はそれを受け入れず、2009年からは文顯進会長を排斥する集団行動に出ましたが、それまでの時期に文顯進会長がリーダーシップに関してしたお話は、一般の教会員にもついていくのがなかなか難しかったと思われます。

日本はリーダーシップの文化は弱い国ですし、私もリーダータイプではありません。逆に米国のようなところに来ると、マネジメント力は弱いのに、リーダーシップには極端に長けている人に会うことがあります。ですから、リーダーシップに関して言われても、日本人の私達はピンとこないところがあるかもしれません。さらには、文顯進会長がリーダー達を叱責する言葉は、さらに一層、ついて行けない思いや躓く思いに誘われるかもしれません。

文顯進会長が語っていたリーダーシップは、サーバント・リーダーシップです。サーバント(Servantとは召使で、つまり、奉仕するリーダーシップという意味です。ピラミッドの頂点に立つリーダーシップと対比されるものです。米国の一般社会で、サーバント・リーダーシップの模範とされることがあるのは、イエス様です。

しかし、文顯進会長が統一教会のトップレベルのリーダーを、ピラミッド組織のリーダーからサーバント・リーダーシップに変革しようと強く指導した時に、中間層のリーダーにも、また一般教会員にも、文顯進会長がピラミッドの頂点で権力と強制を行使する人に見えたかもしれません。統一教会には、ピラミッドの上に上がった人は、カインとして降りていく道があるという信仰観のようなものもありましたし、弟の文亨進氏や国進氏がアベルで、文顯進会長がカインであると教会内で宣伝された時に、受け入れる土台が教会員にはあったはずです。

そして、文顯進会長を“破棄”することを意味する、「郭氏はサタン、顯進ニムは堕落したアダム」という宣伝をした時に、今度は偽神学の理屈までくっついてしまうようになりました。

この宣伝に乗った結果として、人を薪のように使うピラミッド・リーダーシップの団体から、サーバント・リーダーシップの団体に統一教会を変革しようとした文顯進会長の方を、見下し、攻撃する側に多くの教会員は持って行かれてしまった、と思うのです。


家庭連合の中で、一体何が起きているのか、天宙史的葛藤の詳細を知りたい方は、以下の動画をご参照ください。

統一運動の分裂の真相と神の摂理に生きる道 Part1

統一運動の分裂の真相と神の摂理に生きる道 Part2

(概要欄の目次のリンクをクリックすると途中から見ることもできます)

 


2件のコメント

· 2022年12月22日 10:30 PM

原理を読むとカインの責任が多く語られ、実践でもカインとしての実績や行動要求がとても強かったのを記憶しています。その時から疑問に感じていました。ある時期お父様が、「何故アベルがカインに殺されたか。アベルがカインを愛さなかったからだ。」と言われた時、アベルの成すべき事とそれ迄の教会内の誤った思考に気付いたのを覚えています。親が子供を愛する父母の心情下僕の体と全く同じ。文顯進会長が語るサーバント・リーダーシップは正にこの事だと思います。

    daichi · 2022年12月23日 11:33 AM

    >凛さん
    ありがとうございます。その通りだと思います。
    顯進様は初めから、アベルの責任を強調して語られていました。
    原理講論の復帰原理に示されているカインの責任分担を読む時、それを可能にさせるのはアベルの責任分担であるということを同時に重ね合わせて理解する必要があると思います。

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