本来の道
先回、2008年4月のハワイでの儀式に関連して、中心的カインの子女が、韓鶴子夫人を誤導し、アベルの子女の中の摂理的長子である文顯進会長を攻撃し、血統的継承が挫折するようにして、愛の秩序を破壊したということを書きました。
今回は、韓鶴子夫人に本来願われていた役割と逸脱への道について書きます。
ほとんどの統一教会の方は、母子協助か、儒教の概念に基づいて、韓鶴子夫人が正しいと思うようにさせられていたことでしょう。でも、弟が兄の上に立つ中での母子協助は、ヤコブとエサウの例のように蕩減時代のものですし、儒教というのは神様の存在と原理が明確でない環境で形成されたものです。
これに対して、1999年から2000年にかけて始まった父子協助の時代は、もう母子協助の時代ではありませんし、また、儒教とも違います。本然の原理に従う時代です。
そこにおいては、韓鶴子夫人の役割は、父である文鮮明師から、摂理的長子として認定された文顯進会長に霊的権威が円滑に相続されるように援助することであり、自分が相続者となることではありませんでした。
この時代の簡単な説明は、郭錠煥先生の本、「事必帰正」の145ページ(父子協助時代に転換)にあります。
また、2000年11月11日の父子協助時代宣言で、文鮮明師は次のように語っています。
「直接的で完全な愛の種を家庭的に受けて、父と息子が直系で連結されるのです。そこには母親は必要ありません。蕩減というものがなくなったのです。母子協助時代が完全になくなって、神様と真の父と真の息子の血筋が連結しうる解放圏の最上地点に立ったのです。」
「母子協助時代から父子協助時代に転換するのです。そのためには、母親がいなくならなければならないのです。それゆえ、蕩減時代の母ではなくて、直接的時代の父が母を通じて生んだ息子が相続するこのできる時代が来るのです。」
父子協助時代は、「女の全権時代」と文鮮明師が呼び、日本女性を修練会に集め、韓鶴子夫人を先頭に立てた、2000年までの7年期間からの大転換でした。
逸脱への道
しかし、この時代を歓迎せず、自分達が相続者となろうとする可能性を持った人たちがいました。それがまずカインの子女である祝福家庭の幹部達でしたし、そして、直系の兄弟姉妹でしたし、母親にもその過ちをする可能性がありました。
事実、統一教会においては、母子協助時代に関しては知っていても、父子協助時代に関しては知らない場合がほとんどではないでしょうか?それは、教えるべき幹部が、教えなかったからです。
長子を潰すのに最適の方法は、父の心に長子への不信感を吹き込むことです。これは一人ではできませんが、皆が力を合わせ、時間を掛ければできます。
文鮮明師が願っていたこと
「事必帰正」の「UCIを接収しようとするお母様と國進様の意志」(186ページ)から引用します。
文鮮明師は、2007年までは文顯進会長を立てようとしていて、以下のように文顯進会長に語っていたとのことです。
「お母様は原理も分からず、弟たちは自己中心的なので、この運動を任せてはならない。彼らが奪って行くことがないように、あなたがこれからこれを守り導いていかなければならない。このお父様はやがて、幼子のようになる時が来るだろう。私の話を肝に銘じよ」
「過去40年は私が導いてきたが、これから40年はあなたが導いていかなければならない。祝福もあなたがしなければならない」
このようなお話を文鮮明師がされていたのは、文顯進会長自身も語っています。
でも2007年までの間にも、もう文鮮明師の不信感は積み重なっていたはずで、それは前回書いたように、2005年の1月に「顯進は西洋、國進は東洋、亨進は宗教に責任を持つ」と突然発表したのを見てもわかります。
文鮮明師が郭先生や文顯進会長に対する不信感を表に出した逸話として、2006年8月17日のことを郭先生は180ページから述べています。手紙には以下のようにありました。
「天のみ旨が成就するか否かなのです。真の父母様の真の家庭が正しく立つか否かなのです。お父様、私はお母様と争いたくありません。兄弟たちとも争いたくありません。しかし、このまま放置したら、長期的に見れば、神様のみ旨とお父様が一生の間投入され築かれた基盤が、摂理の最終目標に向かっていくことができず、全て消えてしまうでしょう」
文鮮明師に手紙を読んで差し上げた時に、「その手紙、あなたが書いたのではないのか」と文鮮明師に疑われました。郭先生は、以下のように書いています。
「私と顯進様に対する陰謀と不信のウイルスがこれほどまでに深刻だったのかと思わされました。そうでなければ、お父様の誤解がこれほどまでにひどくはなり得ないことでした。当時としても全く分かりませんでしたが、私と顯進様に対する嫉妬や妬み、陰謀にまみれた声が、お父様の耳に多方面から入っていった証拠です。」
そして、郭先生は本の題名となる信条について書いています。
「私には生涯の信条があります。たとえ誤解による叱責であっても、公の場ではどんな言い訳も弁明もしないということです。そのようにして、お父様の位相を立てて差し上げるということです。容易な事ではありませんでした。心が痛いことも多くありました。しかし、心の中で呑み込み、また呑み込みました、『事必帰正』と繰り返しながらです。」
おそらく、様々な混乱の中で、文鮮明師の心は、文顯進会長を信頼するかどうかで揺れていたはずです。疑っているフリをしているのではなく、本気である場面を、郭先生は目の前で見ていたはずです。
自分がどんなに努力をしても、周りは悪い方向に向かうということはあります。それが、183ページの「兄弟間の葛藤に変質した統一家の混乱」という節と185ページの「UCIを接収しようとするお母様と國進様の意志」という節に展開されています。いくつかの出来事を箇条書きにしてみます。
逸脱の展開
*2006年11月1日、韓鶴子総裁が宣教会財団理事長に就任し、世界の全ての資産をUCIの代わりに直接主管しようした。
*3男はNGO、4男は経済、7男は宗教という役割分担の理屈を宣伝し、文顯進会長を長子から子女の一人に引き下ろした。
*2006年と2007年、文亨進氏と文国進氏は、教会員の人気を得る戦略を展開。お互いを賞賛しあい兄弟愛を誇示。足を洗ってあげるなどの感性的アプローチで、文亨進氏は卓越した能力を発揮。求道者としてのイメージを強調。「真の父母様はただお一方しかおられない」と強調し続け、まるで文顯進会長が文鮮明師の権威に挑戦しているかのようにイメージを形成。文鮮明師が他界した後で、韓鶴子夫人が絶対的な存在として受け入れられるように準備。
*幹部たちは、「民心は天心」と言い、文亨進氏と文国進氏が目立つように行動。
*2007年2月、文亨進氏は統一家の独裁を防ぐためと言いながら、議会のような機構が必要だと主張。それを望んでいた幹部は歓迎。
*2006年春の講演巡回で、「お父様のみ言葉を顯進様が代読し、お母様は息子を紹介せよ」と米国講演に関して文鮮明師が指示。韓鶴子夫人はその指示を無視し、父子協助時代に、文顯進会長を文鮮明師が立てることに公式的に反発。「妻を選ぶのか、息子を選ぶのか、決定せよ」という深刻なジレンマを投げかけたことになった。
*幹部は、「お父様の次にはお母様が実権を握る」という政治的判断をし、文鮮明師を孤立させた。
*米国の行事を終えて帰国した空港で、顯進様が國進様を叱責したことについて、韓鶴子夫人は「顯進が独裁者のように弟たちを主管しようとしている」とお父様に告げ口。
文國進氏は文顯進会長と一緒に麗水に行った時、文鮮明師と幹部たちが見守る場で、「兄は独裁者で、文顯進ではなく郭顯進だ」と言った。
*韓鶴子夫人と周りの幹部は「2人の兄弟が争うので、お母様を立てて交通整理をしなければならない」と主張。ハワイでの2008年4月6日の儀式への伏線となった。
*2007年、世界文化体育大典組織委員長として文顯進会長が就任すると、韓鶴子夫人と幹部にとって、文顯進会長が最大の障害物として認識された。それ以降、数年間、天正宮と内室に入る人々と情報を統制し、韓鶴子夫人の許諾なしには、指導者たちが文鮮明師にお会いすることができなくなり、文鮮明師の目と耳はますます遮られ、高齢の文鮮明師を孤立させた。
このような状況を図にするとしたら、以下のような図となるでしょう。
韓鶴子夫人を誤導した幹部
金振春氏の独生女論講義の中で、韓鶴子夫人が、文鮮明師に対する不満を何十年も持っていたという話を伝えています。そのような韓鶴子夫人にとって、文鮮明師の父子協助時代の指示は、消化するのが難しかったはずです。
1990年台の終わりには、金孝南氏が、韓鶴子夫人の母に対する霊媒として韓鶴子夫人に影響を与えるようになり、韓氏の家系の特別さなどを吹き込むようになっていました。そして、「女の全権時代」と呼ばれる2000年までの7年、韓鶴子夫人は世界の表舞台で活躍していました。
そのような中で、父子協助時代になったわけで、いきなり完全否定されるようなことになったということです。文鮮明師は先ほど紹介した2000年の父子協助時代宣言のお話の中で、以下のように語っています。
「生命の根本となる種のなることができる根を中心として回らなければならないのであって、自分が根の立場にいようとして、自分を主張したら大変なことになるのです。それは女性が今まで蕩減した全てを再び堕落させることと同じです。お母様も同じなのです。黙って見ていると、お母様は今でもそうなのです。少し気分が悪ければ、その思いが一日、二日、三日続くのです。それではいけません。真の父母が . . .、先生がどんなに気分を悪くするような接し方をしたとしても、気分が悪いなどと考える、それ自体によって霊界に入っていくことができなくなるのです。 」
これを乗り越えるために、同じお話の中で文鮮明師が教えていたのが絶対服従です。以下のように語っています。
「母子協助時代と父子協助時代は違うということです。父子協助時代に生命の種を抱いて育てようとする女性たちは、夫に対して絶対服従しなければなりません。」
つまり、韓鶴子夫人が文鮮明師に絶対服従によって、その時代を超えていくことができるはずだったということです。
しかし、今の独生女信仰が絶対服従を示しているでしょうか?示しているのは、夫を見下げてしまった主管性転倒であり、エデンの園のエバの過ちの繰り返しです。
独生女信仰が教会員には受け入れ難いとわかると、今度は幹部は韓鶴子夫人を否定するような行動に出ると予想されます。その実例が、金振春氏の独生女論講義を否定した、世界本部のユン・ヨンホ氏の公文です。
でも、韓鶴子夫人をそのような道に導き、さらに「お父様の次にはお母様が実権を握る」という政治的判断をして背中を押したのは、統一教会の幹部です。本来なら、韓鶴子夫人が間違った道に行き、文鮮明師を見下して主管性を転倒するのを止めないといけませんでした。特に、文家の特別補佐官のような、天使長的立場にある、金孝律氏のような場合はなおさらです。
統一教会の幹部は、文顯進会長を文鮮明師に対して不従順であるとして讒訴したでしょう?実際に不従順だったのは、「顯進と一つになれ」という文鮮明師の指示を無視し、アベルである文顯進会長を拒否し、韓鶴子夫人の逸脱を後押しした幹部たちでした。
人が他人を讒訴するときに、自分の持つ欠点や罪を見て讒訴していることがあります。泥棒の人には他人が泥棒に見え、傲慢な人には他人が傲慢に見え、不従順な人には他人が不従順に見えるということがあります。2009年からの統一運動の分裂の中で、文顯進会長はあらゆる悪口を投げかけられました。その悪口は、すなわちその悪口を言った人たち自身の姿が、文顯進会長という鏡に映った姿だったと思うのです。そして、沢山の悪口が文顯進会長に浴びせられたのは、それだけ統一運動に過ちと罪が多かったからだ、と思うのです。
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