事必帰正

第3章 誰のための陰湿な行動と捏造と讒訴でしょうか

真のお父様の目と耳を覆い、文顯進会長を偽りで追いやった勢力に対して

第3章 序文

真の父母様に侍り、み旨の道を走ってきていつのまにか60年。満22歳の時から始め、まさに横も後ろも振り返る間もなく、与えられるみ言葉と指示に従い、忙しく生きてきた人生でした。つらくて大変な人生だと感じたことはありませんでした。神様のご加護と真の父母様の愛が、余りにも大きかったからです。真の父母様が主導してこられた神様の摂理が驚くほど進展する奇蹟の役事を、近くで目撃してきたからです。その過程において私は、原理講義と信仰指導を通して真のお父様の摂理進展に対する教えを述べ伝えてきました。

「神様の復帰摂理歴史(先天時代)は終結し、神様の本然の創造理想が実を結ぶ成約時代が後天時代として出発します。この時代には、地上に真の父母と真の家庭が定着し、全ての人類が神様の子女となり、一つの兄弟姉妹となって生きていく平和理想世界が実現されるでしょう」

お父様が、ご自身の生涯の目標としてこられた教えです。その夢が基元節を通して一段落し、ご自身の継代を通して発展し続けていくことを願われました。私はこのようなお父様の計画が、神様の天運と祝福の中で、お父様の生前に必ず実現されるだろうということを、ただの一度も疑わずに生きてきました。

ところが、お父様は基元節を目前にして聖和されました。

これがお父様の本来の願いではないということを、私はよく知っています。

お父様は、寝ても覚めても忘れることなく、この日に向けて投入し犠牲を捧げてこられたために、お父様の生涯を振り返れば振り返るほど、真に虚しく悲痛なることこの上ありません。

さらに喪失感を覚えるのは、お父様の生涯最後の4~5年間にわたって発生した統一家の葛藤と混乱が、ご自身の成しとげられた生涯の業績と基盤とを凄惨なまでに破壊してしまったことでした。最も尊貴な真の家庭に致命的な分裂と葛藤が生じたことも、何よりも胸が痛むことです。神様の摂理歴史6千年を通して最も輝いた勝利の金字塔を、わずか10年にもならない間に、統一家自らが崩してしまったのです。

一体どうして、こんなことが発生したのでしょうか。

これまで、お父様の最も近くで、多くの事柄を見聞きし経験してきましたが、私は目撃した真実についてなるべく言及を避け、沈黙してきました。この葛藤と混乱が、絶対に起きてはならない真の家庭の中にまで拡散し深刻化したからです。また、あくまでも尊重されるべき真の家庭の問題に対して、私の口で云々することは信仰的道理ではないと考え、天は生きておられるので、「事必帰正」の原則によって、早い時期に整理してくださるだろうと信じていたからです。

ところが、ある瞬間から、このような私の考えが誤っていたことを悟り始めました。原理的に見ても、人間の責任分担の原則があるため、私たちが責任を果たさなければ、状況はより悪化しかねません。この混乱に対して、私にも責任の一端があるとすれば、どんなに困惑せざるを得ないことであったとしても、回避するのではなく、誰よりも先に、この不都合な真実に対して明らかにして整理しなければならないと、決心するようになったのです。

この決心がつくまでには、もう一つ、特別な契機がありました。

それが、まさに顯進様でした。

顯進様が、聖和されたお父様を絶えず慰労されながら、この問題に対して最後まで責任を負われ、根本的に解決するための涙ぐましい闘いをしてこられたからです。

お父様の継代を継ぐ立場から無念にも追い出され、家族と統一家共同体から手酷い蔑視と迫害を受けながらも、顯進様は決然として自らの摂理的位置を守りながら、もつれた糸よりもっと複雑にからんだ問題を、根本から一つ一つ解いてこられたのです。

このような顯進様に対する度に、お父様に侍ってきた一世の元老として、本当に言うべき言葉が見つかりませんでした。弁解の余地もなく責任を果たすことができていないことを痛感し、神様に対して心から悔い改めるのみでした。

そうして、統一家の混乱に対する諸々の真実を記録するようになりました。

私が優れているからとか、よくやってきたからということで、この文を発表するのではありません。

私が責任を果たすことができなかったため、神様の前に、お父様の前に、預言者や先烈や多くの聖賢たちの前に、心から贖罪し悔い改める心情で記録を残そうと思うのです。

また、このメッセージに接する祝福家庭たちが、今からでも真実に目覚め、神様の摂理の前に正しい道に進むように願うばかりです。

神様の復帰摂理史において、アブラハムが鳩一匹を裂かなかった一つの小さな事件さえも、摂理史に重大な影響を及ぼしました。ましてや統一家はもちろん、真の家庭全体を混乱に陥れたこの問題が、神様の摂理に影響を与えないでしょうか。その影響が、祝福家庭たちの生き方と未来を避けて通り過ぎて行くとは考えられません。神様の摂理原則と原理的基準において、それはあり得ないことです。

すでにこぼしてしまった水を元に戻すことはできません。しかし、知恵があり勇気がある祝福家庭なら、今からでも目を光らせ心を引き締めなければなりません。どうしてこんなことが発生したのか、その原因を探し、正しく知って直していかなければなりません。天の前に痛哭して悔い改めながら、解決のために身悶えしなければならない時です。

天宙史的な混乱の始まり

天宙史的な混乱の始まり

人々は過去10年間、統一家に発生した混乱をめぐって、さまざまな解釈をしています。「兄弟間の争い」という人もいれば、「親子間の葛藤」と見る人もいます。「資産をめぐる争い」と分析したりもします。

表に見える諸現象がそうであるだけであって、これらは決して葛藤の本質ではありません。明確に釘を刺しておきますが、統一家の混乱の本質は、兄弟間の争いでも、親子間の葛藤でも、資産をめぐる争いでもありません。

この葛藤の本質を最もよく知っている方は、他ならぬ顯進様です。

顯進様は2011年10月29日、釜山のボンネッコル聖地を7年ぶりに訪れた際に、「統一家の葛藤は神様のみ旨と摂理を守る『天宙史的な闘い』だ」と語られました。「神様の摂理の方向性をめぐって起きた衝突」であり、さらには「神様のみ旨を果たすために生きてこられた、お父様の生涯と業績を守るための闘いだ」と見なしました。

神様の摂理歴史を振り返ると、このような事例が何回も登場します。

太初のアダム家庭でエバが天使長の誘惑によって堕落し、またそのエバがアダムを堕落させた事件は、確かに天宙史的な混乱の始まりと言うべきでしょう。それ以後、復帰摂理歴史4千年を経てイエス様が来られた時、ユダヤ民族の不信によってメシヤの使命を全て成しとげることができずに十字架刑に処せられた事件も、神様の摂理の方向を決定するもう一つの天宙史的な混乱でした。再び2千年を経て、第3アダムとして来られたお父様が、メシヤの使命を完遂するための生涯を生きてこられましたが、その基盤と権威を後代に相続する過程において大きな衝突が起きたとすれば、これもまた、神様の摂理に重大な影響を及ぼす天宙史的な混乱になるのです。

葛藤と混乱の本質

統一家の葛藤の本質を神様の摂理的な視点から捉えるなら、これがどれほど天宙史的な混乱になるのか、より正確に理解することができるはずです。そしてこの問題を解決するための正しい方法も見つけることができるでしょう。世俗的または人間的な視点からこの問題にアプローチすべきではありません。そのようなアプローチでは、葛藤の本質を明らかにすることもできず、問題を解決することもできません。

それでは、統一家の葛藤の本質は何でしょうか。

端的に言えば、それはお母様がお父様と一つになることができず、ご自身の定位置を離れて、非原理的で反摂理的な立場に落ちたことです。

お母様は、お父様の摂理を正しく理解することができませんでした。お父様が導いてこられた摂理の流れと方向と目的を理解することができなかったのみならず、ある瞬間からは、ご自身だけの目的と計画を貫徹させたりもしました。

お父様には、顯進様を「真の家庭の長子であり、第4次アダム圏時代の中心人物」として祝福し、ご自身の基盤と権威を受け継がせようとする、摂理的な意図と計画がありました。ところが、お父様の生涯最後の段階で、お母様はこのようなお父様の意図と計画を無視されました。そうして、ご自身がお父様の基盤を奪取しようとする意図を持つようになられたと感じます。

お母様は、自分の意図を貫徹するために、原理と摂理の認識が不足していた子女様たちと、家庭連合幹部たちまでも加勢させてお父様を孤立させ、顯進様を長子の座から追い払い、その座に内的・外的準備がまだ整っていない亨進様を立てました。お父様の聖和後には、亨進様さえ追い出し、統一家全体の基盤を独占し、結局はお父様の血統まで否定する「独生女」という非原理的で反摂理的な正体を現わしました。これは真のお母様の果たすべき道理ではありません。真のお母様! どうか初心に立ち返り、定位置に戻られることをお祈り申し上げます。

一時、後継者になろうという魂胆から、神様の戴冠式の行事を後継者冊封(さくほう)式 (*3)だとして、真実を偽った亨進様の場合はどうでしょうか。自分を支援するお母様を神格化してきた亨進様が、お母様と決別してからというもの、180度その立場を変え、お母様を極端に非難し始めました。その後、自らが第二代王に即位してからはお母様まで変えてしまうのです。

家庭連合はまたどうでしょうか。お父様の聖和後、お母様を前面に立てて教権を掌握した家庭連合の指導部は、根本のない天一国憲法を作り、ついには真の家庭の「血統」中心ではなく、教権中心のいわゆる「法統」を先立てて行こうとする魂胆を現わしました。

混乱の過程において、お母様と亨進様、國進様、仁進様、そして家庭連合指導部は、摂理的な使命を守ろうとする顯進様に、言葉では言い表せない人格殺人を犯しました。また数十件の訴訟を起こして、独生女の前に屈服させようとしました。お父様が導いて来られた「家庭中心」の摂理の方向を逆行させ、「教会中心」に引き戻し、お父様の聖和以後には、お父様のみ言葉と伝統、摂理基盤さえ破壊しました。

お父様の摂理的なビジョンと方向と目標を知って、そこに正しく合わせた方は唯一顯進様だけでした。

その方は、教権勢力の不義なる決定と圧力に屈服しませんでした。黙々と世界的な基盤を築きながら、神様の摂理とお父様の業績を守るための道を歩んでいきました。家庭連合側の攻撃によって無数の被害を受けましたが、一度も彼らを審判したり呪ったりせず、真の愛で克服していきました。

「原理も知らず、自己中心的な母と弟たちが父の基盤を奪い取っていかないようにして、顯進、あなたがこれから40年、この運動を導かなければならない」

そのようなお父様の願いを、顯進様は最後まで尊びました。

真の家庭の長子としての正統性を、固く守り抜かれたのです。


3.「古く中国で冊をもって爵位を授けること(大辞林 第三版より引用)」を一般的に表現した言葉。

長子権とは

最近、お母様は「お父様の長子は、2008年に聖和された孝進様であり、その方の息子が代を継がなければならない」と主張しているようです。家庭連合の幹部たちもこれに乗じてオウムのように同じことを言っています。

原理で言う長子権を、「生まれた順序によって決定する儒教的な方式」として理解し進められるとは。ある時は、末子の亨進様を後継者として熱烈に宣伝していましたが、今度は、東洋的伝統に従うように、孝進様の長子でもない息子を長子に立てるとは、無理なこじつけをしているようにしか見えません。

神様の摂理歴史を見てもそうですが、長子権は生まれた順序によって自動的に決定されるものではありません。神様の摂理歴史でいう長子権とは、単に一つの家系を継ぐという「血統的な側面と意味」だけではなく、最も重要な神様の摂理的な使命を正しく継承して、責任を持って成しとげなければならないという意味が、含まれているからです。

長子権は、摂理の中心であられる神様の祝福と公認を受ける立場です。ですからお父様は、お父様の家庭に最初の息子が生まれたからと言って、その方に長子権を伝授しませんでした。お父様も子女様の中に「自分の責任を果たし、天が公認せざるを得ない資格を備えた息子」が現われるのを待ってこられました。

最終的に、お父様が子女の中のお一方を長子の座に立てられれば、その息子は象徴的な次元ではなく、実質的に父の全ての使命と責任を継承するようになります。それのみならず、これを遂行するための父の権威と基盤の全てを相続するようになります。このように長子は父を継ぎ、摂理の中心人物として、責任をもって神様の摂理を導き、そのみ旨を果たさなければならず、後代にそれを完全に伝授しなければならない極めて重大な立場にあります。

「父がいない時は、母も他の兄弟たちも全て、長子に従っていかなければならない」とお父様は明らかに語られました。お母様と子女たちと幹部たちにまで明確に語られました。このようなみ言葉は私だけではなく、統一家の核心幹部たちも直接聞きました。お父様の『御言選集』にもはっきりと収録されている、誰も否認できない内容です。

長子を立ててお父様の継代を継ぎ、神様の摂理を完成しようとするお父様のみ旨は、状況によってあれこれと変えることのできる性質のものではありません。神様の摂理原則に従い、少しの誤差もなく、進行されなければならないのです。天道に引っかかっても駄目であり、方向が定まれば、必ず行かなければならないのです。

ある家庭連合幹部たちは、お父様を絶対視しながら、「お父様が決定を変えれば、誰でも新しい後継者を立てることができる」と主張します。不当千万な話です。

神様のみ旨の責任を引き受ける中心人物を、誰が決定するのですか。

お父様ですか、神様ですか。

結局、神様が最終的に選択されるのです。神様が認めなければならないのです。お父様から何らかの兆候を受けたからと言って、神様がその人を自動的に認めると考えるとするなら、その程度にしか神様の摂理を分かっていないということです。

お父様がおられないからと言って、お母様がその遺志を変えて、自ら権威を奪取してよいのでしょうか。

これもまた、神様の摂理歴史から見ても、原理原則から見ても、あり得ないことです。

「真の子女は皆、同等なので、どの真の子女に侍っても問題ない」と、単純な考えから語る人たちもいますが、これもやはり誤った考えです。血統的な側面では同等な価値を持っていますが、その責任と役割においては絶対に同等ではないのです。資格も備えることができていない方が、真の子女として天宙の主人である神様の摂理を率いることができるというなら、それは傲慢な考えでしょう。

摂理的大転換期と顯進様の登場

摂理的大転換期と顯進様の登場

それでは、お父様は生前にご自身の継代を継ぐ長子を選択されたのでしょうか。当然そうです。お父様はもうずいぶん前にその責任を果たされました。そしてそれ以後、一度として、その決定を変えませんでした。1998年の家庭連合世界副会長就任式で、顯進様をお父様の使命と権威を継承する長子として祝福されたのです。

その時にお父様がなぜ、顯進様を長子に任命されたのか、私たちはその摂理的背景を正確に知っておかなければなりません。人の生涯における重大事である結婚式も日付を決めて行うものですが、これほど重大な摂理的な意味が込められた出来事を、いつでも構わず行われるはずがありません。私が傍で見守ったお父様は、どれ一つとしていい加減に決めるようなことがない方でした。常に摂理の時に合わせて緻密に準備して、手抜かりなく神様の摂理を尊んでこられた方です。

摂理的な大転換期

1994年にお父様は、40年間導いてきた世界基督教統一神霊協会、すなわち統一教会の看板を下ろして、「世界平和統一家庭連合が新しく出帆する」と宣言しました。その2年後には米国で公式に世界基準の家庭連合創設大会を持たれました。

お父様は、宗教または教会を建てるために来られた方ではありません。

お父様は、この地に神様を中心とした家庭の根本の根を下ろすために来られました。

当初お父様は、神様が準備されたキリスト教の基盤の上にこのようなみ旨を展開しようとしました。

しかし、キリスト教がそのみ旨を受け入れず、やむなく世界基督教統一神霊協会を立てて40年荒野路程を経て来たのです。この蕩減期間が終わるや、お父様は再びメシヤの本然の使命を遂行することができる時を迎えて成約時代を宣言し、この時代に必要な摂理機構として家庭連合という新しい組織を創設されました。

それこそ正に、お父様によって、神様の摂理歴史上、一度も行ったことのない道を拓いて行こうという時でした。摂理のパラダイムが根本的に変わる大転換期でした。真の父母と真の家庭の理想が地上に定着して顕現する時であり、その理想を中心として、神様の主権が実体的に地上に立てられる時だったのです。宗教と教会の時代を越え、神様の縦的な軸に連結された祝福家庭たちが、各自の責任で家庭盟誓を中心として家庭理想を完成していく時でした。

お父様の一生において初めて迎える日…顯進様の就任

1998年2月2日にお父様は、漢南洞公館で再び「新しい成約時代」を宣布しました。家庭連合幹部たちが全て集まった場で、「過去40年の歴史は二世のために準備してきたものだった」と語られました。そして「父母はひたすら、その二世が神様のみ旨を継承した相続者になることを願う心以外にはない」と語られました。

それ以後、数ヵ月の準備過程を経て、1998年7月19日に米国ニューヨークのマンハッタンセンターで、顯進様が、世界平和統一家庭連合世界副会長に就任しました。前に言及したように、この行事は、摂理的な脈絡において、顯進様をお父様の使命と権威を継承する長子として継承し祝福する場でした。この日に下さったお父様の公式のみ言葉を見ても、行事の意味はさらに明らかになります。

「今日は神様が願われる日です。統一教会の歴史と先生の一生において初めて迎える日です。神様の願いがあったなら、このような日があることをどれほど待望しただろうかと思うと、私の心からの深い感謝を天の前に捧げます」

「アダム家庭で神様が第1代なら、アダムは第2代であり、アダムの息子たちは第3代ですが、3代が見られなかったのが堕落であり、3代の歴史を再び起こすためのものが救援摂理であり、復帰摂理の完成ということを考えると、この3代を中心とした天の公的な責任を任命するということは、天宙史的な異変だと思うのです。蕩減復帰という最後のページ、サタンの血統を断絶してきれいに清算した後に、天の直系の子女の家庭を中心として第4次アダム勝利圏を受け継ぐことのできるそのバトンを、ここから始めるようになったという事実は驚くべきことです」

顯進様以前に、兄であられる孝進様も公的な責任を任せられたことがありましたが、どうしてお父様は、この日を「初めて迎える日」であり、「天宙史的な異変」だと表現されたのでしょうか。

それは、ある組織の職責を子女に賦与する場ではなく、神様の摂理歴史以来初めて「天の使命が3代に継がれる場」であり、お父様の家庭で勝利した権限を直系の長子に継ぐ場だったからでした。

お父様はこの日、ご自身の喜びを隠されませんでした。感慨無量のご表情で、「顯進は、これから父よりも、父が成すことができなかったことまで、父より優れることをどれほど願うだろうかというのです。百倍ではない、千倍、万倍優れることを願うのです」と大きく祝福されました。そうしてこの日、世界の指導者をはじめ、外部から招請された宗教界や学界、政界など400人余りの指導者たちが共に喜び祝賀したのです。

顯進様は、就任の辞で力強い所感を明らかにしました。

「神様を中心とした家庭を通して、この地に神の国を立てようとしてこられた父母様を助けて差し上げることが、私の生涯の究極的目標でした。今日の就任を通して、私はついに、父母様のこのような救世活動に同参できるようになったのです」

就任行事後には、午餐と祝賀公演が開かれましたが、何よりも感動的な場面は、実の兄である孝進様が、極めて重大な摂理的使命を継承された顯進様の前途を心より祝賀してくださったということです。その重責を弟が背負うようになったことに対する、申し訳ない思いもあったことでしょう。孝進様は祝歌として、甘美なオールドポップ「ラブ・ミー・テンダー(LoveMeTender)」を歌ってくださいました。これに答えて、顯進様もやはり、エルビス・プレスリーのロックンロール「ブルー・スエード・シューズ」を熱唱しました。お父様は子女様たちの熱唱に、手でテーブルをたたいて手拍子を合わせ、参席者たちも子女様たちの歌に合わせて楽しくダンスをしました。最後に真の父母様も、「オンマヤ・ヌナヤ」と「大韓八景」を歌い、顯進様の就任を祝賀されました。

私は今でも、この行事の映像を見る度に、当時と同じ感激と歓喜で涙が出ます。顯進様の名前に込められた意味の通りに、お父様の家庭にあのように立派な息子が現われたのです。神様のみ旨を知って共に苦労した食口たちなら、誰もが私と同じ心情でしょう。

再度強調しますが、この行事は、お父様が真の家庭の長子を公式に認定して祝福する「最初で最後の行事」でした。

後日、天宙史的な混乱が発生し、末っ子である亨進様が「神様戴冠式の行事で王冠を被り参加したこと」を根拠に、または「お父様の寝室でお母様の強要によって作成された文書」を根拠に、自分がお父様の後継者であることを宣伝されましたが、実に聞くに心苦しい主張であるだけです。その厳重な責任を、お父様がそういうやり方で任せられたなどと言うのは、お父様を辱めることです。

一方でお母様は、「ご自身が決定する人が後継者になる」という主張をしておられます。これもまた、どれほど原理的に誤った主張であり、お父様の意図を歪曲したみ言葉なのか、私たちは明らかに知らなければなりません。

父子協助時代に転換

それでは、お父様が摂理的な大転換期を迎えて、顯進様を真の家庭の長子に立てた意味はどこにあるのでしょうか。お父様の次のようなみ言葉を見れば、すぐに理解することができます。

「父と息子が一つにならなければなりません。分かりますか。今まで復帰歴史においては母子が協助してきましたが、その母子協助時代が過ぎ去るのです。蕩減の歴史は母子、母と息子娘が犠牲になって復帰しましたが、9・9節を宣布して、南北が統一され得る運勢に入って統一される日には、父子協助時代に入っていくのです」

『文鮮明先生御言選集』303巻 264ページ
(1999年9月9日)

「国を建てようとすれば、父子協助時代に入っていかなければなりません。母を見れば血筋が違います。血筋で残るのは父子が残るのです。分かりますか、何のことか。(はい)母は畑です、畑。種は畑さえあれば、どこに植えても、いくらでも実を結ぶのです。ですから父子関係は、血統が連結されているというのです」

『文鮮明先生御言選集』318巻 172ページ
(2000年3月6日)

顯進様を真の家庭の長子に立てた意味が、明らかに現われているみ言葉です。すなわち神様の主権が実現した国を建てるためなのです。

メシヤには、この地上に来て成しとげなければならない重要な使命が2つあります。一つは神様の直系の血統である真の家庭を地上に定着させることであり、もう一つはその真の家庭を中心として神様の主権が定着した神様の国を建てることです。

40年蕩減路程を経て、このみ旨を完成するための新しい時代が出発した時、お父様はこれをご自身一人で成しとげる使命ではなく、「神様の3代の王権を代表した父と息子が一つになって成しとげるべきこと」という構図を立てて、顯進様を立てられたのです。

たとえ今、お父様は地上におられないとしても、顯進様がお父様の遺志を尊び、真の家庭を守って、神様の国を建てて差し上げるための道を歩み続けておられます。それゆえ、どんなにサタンがお二人の間を引き離そうとしても、父子協助は今まで堅固に守られているのです。お父様の体がなくても、顯進様が収められる全ての勝利は、正に「お父様の勝利」になるというのです。

絶対に兄を放り出すことはできない

公的路程を出発する顯進様に、お父様は、「誰の言葉も聞かずにお父様と絶対に一つになりなさい」というみ言葉を託されました。本然の真の家庭においては、神様のみ旨を巡る父と息子の関係(父子協助)が最も重要であり、このみ旨を中心として絶対に一つになっていなければならないというみ言葉でした。お父様が託されたこのようなみ言葉を、顯進様は今なお守っておられます。公的使命の動機を常に、神様の前に決意したお父様の約束とメシヤ的使命を成して差し上げることに置いてこられたのです。

ところが顯進様は、出発当初から難関にぶつかりました。まず最初に、ご自分の上の兄である孝進様家庭の問題を解くことでした。

1998年に、孝進兄が先妻である洪蘭淑(ホン・ナンスク)氏の問題で最大の困難に直面した時、顯進様は最後まで兄を守り、真の家庭全体と統一家の名誉を守ろうと努力しました。米国の指導者たちが米国の世論を意識して公式的に孝進様と距離を置き、「孝進様問題は家庭連合と何ら関係がない」という立場を取ろうとした時、顯進様はイーストガーデンの指導者会議で断固として言いました。

「私の死骸を踏み越えずしては、兄を放り出すことはできない」

そして、2001年9月9日にアラスカのコディアックから米国指導者と食口に特別書信を送り、真の愛の原則を守るように訴えました。

「父母の愛はいつも理解と赦し、和解を伴い、どんな状況でも救援の可能性を信じるものです。私は、この問題が真の愛を通して全て解決されるであろうことを知っています。私たちは、父母様と共に、蘭淑氏を今も変らず家族の一員だと思っています。彼女が本で言及した内容には同意できませんが、私たちは彼女を非難してはなりません。本が出版されて発生した被害に対して補償も願いません。蘭淑氏は私たちの怨讐ではありません。私たちの娘であり、妻であり、母であり姉妹です」

顯進様は、当時二世圏の収拾と新しい出発のためにアラスカで40日修練会を主管していました。多くの人々にはこの問題がどのように収拾されたのかよく分らないまま、時が過ぎ去りましたが、見えないところで真の家庭を守り、父母様の荷を軽くして差し上げようとする顯進様の苦労と意志がありました。おかげでその困難を収拾することができたのです。

過去10年余り、家庭連合が顯進様を相手に、ほしいままにしてきた幾多の非原理的な行動が思い出されますが、彼らのその方式は、難問題を真の愛の原則で解決してきた顯進様と、どれほど違っていることでしょうか。

最近、亨進様が米国サンクチュアリ教会で、銃器を携帯したまま祝福式を挙行したため、世の中が大騒ぎになりましたが、その時も私はお母様と家庭連合がどういう立場を取るのか関心深く見守っていました。

果たして、その方を相変らず真の家庭の一員として受け入れて責任を持つだろうか。

それとも一定の距離を置きながら、真の家庭がどうなろうと家庭連合を守ろうとするだろうか、と。その後、亨進様と一線を置く家庭連合協会長の声明書に触れて、実に苦々しい思いで心が痛みました。

二世圏教育と青年基盤強化のための努力

顯進様は今も変わらずどこへ行かれても、二世の指導に関心を傾けられますが、それこそ公的路程を出発した当初から、顯進様は統一家の二世圏を教育し、青年基盤を強化するために、多くの努力を傾けてこられました。2000年には「相続と発展」というテーマで、全世界を巡回されましたが、それまで顯進様をよく知らず、初めて接した若い聴衆たちは皆、とても驚いていました。

顯進様はどれほど特出した方でしょうか。お父様も「顯進は私より美男で、力もあり、逞しく、覇気もある」と、顯進様の男らしいお姿を心から喜ばれるほどでしたから、食口たちは如何ばかりでしょうか。しかし、私が当時、顯進様の活躍を見つめながらさらに驚かされたことは、若い時から摂理観が明確で、お父様がご苦労された路程と業績を正確に見抜いておられるという点でした。聴衆に向かって注がれるみ言葉もとても体系的であり、生まれつきの説得力をもってその場の人々を熱狂させる実力は普通ではありませんでした。

顯進様は、お父様のお若い頃の姿によくよく似ておられます。それは摂理の現場ごとに、私がはっきり感じた事実でした。

顯進様は、事務室に座って書類でもいじっているような方ではありません。お父様のように摂理の第一線の現場で食口たちと呼吸し、その場で天のメッセージを伝え、戦略を組み、最高の目標に向かって挑戦する方でした。

当時顯進様が、摂理の現場に向けて投げかけた最も重要なメッセージは、「神様の夢の主人になろう」でした。「真の父母様の業績を正しく相続しよう」ということでした。また、統一家の指導者たちには、「リーダーシップのパラダイムを転換し、正しい指導者の文化を構築しよう」と力説されたのです。人々は責任を与えられると、先ず組織を変え、その次にシステムを変えようとするものですが、顯進様は違いました。そうする代りに、統一家の根と言える真の家庭と祝福家庭たちのアイデンティティ、摂理意識と主人意識の強化に精誠を尽くされたのです。

興進様と顯進様に祝福権を移譲

顯進様の進取的な活躍に、お父様は大いに鼓舞されました。顯進様の「相続と発展」の世界巡回が終わった2000年9月24日、お父様は霊界と地上の祝福権を各々、興進様と顯進様に委譲する「祝福権移譲宣布式」を清平の天城旺臨宮殿で行いました。これは、摂理的に大きな意味をもつ宣布でした。真の家庭から真の子女が生まれることによって、全ての人類がサタンの血統から神様の血統に転換できる祝福の門が開かれましたが、今やその子女様たちが成長して、お父様の代わりに霊界と肉界で祝福を行うことができる権限を受け継がれ、その土台の上に祝福家庭たちにも、その子女たちと一族を祝福することができる道が開かれるようになったからです。

食口の中には、このようなお父様の意図と歴史的事実も知らないまま、いまだに「祝福は専ら真の父母様だけができるもの」と主張する人たちがいます。「顯進様には祝福権がない」とまで言っています。本当に残念な限りです。

核心既得権層と反目

顯進様を公的な位置に立てたお父様は、それに合わせて摂理組織全般にわたる世代交代を断行されました。先輩家庭たちを第二線に退かせ、6000家庭中心の若い40代の指導者たちを、全面的に責任者として配置したのです。このように措置されたお父様は、「息子の将来を開くためにそのように措置した」とのみ言葉も語られました。そして若い指導者を代表して、韓国と米国と日本の協会長だった黄善祚氏、梁昌植氏、大塚克己氏を呼んで、特に顯進様と一つになっていくよう願われました。

お父様は他の36家庭たちを退かせながら、私を続けて、主要摂理組織の責任者として置かれました。祝福二世たちと若い指導者たちをうまく導き、世界のカイン圏指導者たちを連結し、顯進様の将来を築いてあげなさいという意図がありました。お父様は、米国で私と朱東文氏と梁昌植氏に対して、顯進様のための「基盤を築かなければならない」と何十回も語られました。また「顯進様が父母の代わりに長子権を築くことができるように協助せよ」と語られ、こうすることが「天理原則」だとも言われました。

今になって思うと、私も朱東文氏も梁昌植氏も、顯進様のために基盤を築いて差し上げるに相応しい器ではありませんでした。当時の顯進様は、私たちの助けがなくても卓越した能力を発揮する最高の実力と内的な基準をすでに備えていたのです。

ところが一部の指導者たちは、顯進様の浮上を「脅威」として受け取りました。

顯進様の強くて率直な性格に「拒否感」を現わしたのです。

そんな中、2000年3月31日、顯進様はWorldCARP世界会長に就任され、続いて2001年2月25日には世界平和青年連合世界会長に就任されました。またその日を期して、顯進様は48歳以下の指導者たちに対する人事権限を委任されたのでした。

21日指導者修練会で表出した葛藤

この時、顯進様は一世指導者たちとは違い、「内部から先ず革新されなくては、世俗的文化に対抗できる新しい文化革命を主導することは不可能」ということをよくご存知でした。構造的な変化と革新よりも、根本問題として「統一運動指導者たちのリーダーシップのパラダイムと、祝福家庭の文化に革新が起きなければならない」と見られたのです。そして、このために全世界の48歳以下の指導者たちを対象に、3次にわたる21日特別指導者修練会を断行(2001年上半期)しました。これが「定着時代のための新しい指導者のパラダイム」を主題とした特別指導者修練会でした。第1回は2001年3月9日から30日まで、カナダのケベックで行われ、第2回は2001年4月19日から5月8日まで、米国ニューヨークのUTSで、第3回は2001年5月28日から6月17日まで、リトアニアで各々開催されました。

21日修練会を通して、顯進様はご自身の立場を明確にしました。

「統一家の信仰の中心の根は、神様-真の父母様-真の家庭としてつながる縦的な軸にあります。また祝福家庭は、縦的な軸に接ぎ木された拡大された真の家庭です。定着時代(天一国時代)のための祝福家庭の責任は、真の父母様の使命とレガシーを正しく継承し、それを成して差し上げることにあります」

ところが修練会は、出発から困難にぶつかってしまいました。顯進様は、第1回21日修練会を期して、多くの問題を抱えていた日本のリージョン責任者たちを全員整理したのですが、ここで統一運動全体を革新しようとする試みが強い抵抗にあったのです。問題は第2回21日修練会中に大きく浮かび上がってきました。

修練会中、顯進様が「家庭連合指導者の中には政治的な人が多い」と指摘すると、このみ言葉に憤慨した梁昌植会長が、顯進様のみ言葉に真正面から反駁するかのように、「真の父母様に侍り、み旨のためにあらゆる迫害を甘受しながら、青春を捧げて信仰の道を歩んできた」ことを強く主張しました。感情を収められないまま壇上で荒々しく抗言し、修練会の雰囲気を完全に乱してしまいました。その渦中に米国で活動していたク・ベクチュン教区長が、修練会の途中でお父様を訪ねて、「顯進様の教えはお父様の教えとは違う」と讒訴したのです。ク・ベクチュン教区長の報告を受けたお父様は、修練生全体をイーストガーデンに呼び出し、くじ引きをして半分はUTSに留学するように措置されました。

ちょうどその日、修練会を訪れた私は、しばらく前に膵臓癌の手術を受けて奇蹟的に生き返った内容の証をしましたが、そこで第2回21日修練会当時の複雑な事情を知るようになりました。

顯進様は21日指導者修練会を企画して、「成約時代と定着時代におけるお父様のみ言葉を最もよく理解し、摂理的なみ言葉を最もよく教えられる人は誰か」と問い、皆が異口同音に周藤健講師を推薦したと言います。

「済州島国際研修院で実施した日本女性指導者16万人修練会の時、原理講師としてお父様の指導を受けながら、成約時代のみ言葉を最もよく伝授された人は周藤健講師です」

そのように抜擢された周藤講師でしたが、これが問題になりました。日本食口たちは済州島3泊4日修練会を通してお父様のみ言葉を聞き、周藤健講師にも教育を受けていたので、その方の講義スタイルに慣れていましたが、近年にお父様が語られた新しい次元の摂理的進展と、それに関連するみ言葉をよく知らない韓国人指導者たちは、周藤健講師のみ言葉のフレームに慣れていなかったのです。そのため、修練生の一人であるク・ベクチュン教区長が、「周藤健講師が顯進様の主導の下で、とんでもない理論を教えている」といった歪曲された報告を、お父様に申し上げたのです。

第1回修練会以後に断行した日本統一教会指導者たちの人事異動も、実は顯進様の意図というより、徳野英治氏をはじめとした日本統一教会幹部たちの要請に応じて顯進様が行ったものでした。ところが後で、「日本からの献金が急激に少なくなったのは、顯進様の無理な人事異動のせい」だという言いがかり的な報告が上がり、このために顯進様はお父様から激しく叱責されたのです。

顯進様としては重苦しい状況が続く中でした。

指導者たちが顯進様を讒訴すると、お父様は公式的には彼らを叱るよりも、むしろ顯進様をより叱責されました。そして顯進様は、それを「摂理的な責任を負ったアベルが負うべき十字架」と理解しました。お父様から叱責され、はなはだしくは誤った報告によって地位から退くようになったとしても、それは顯進様には何ら問題になりませんでした。地位や体面といったものは、初めから顯進様の関心の対象ではなかったからです。

顯進様が本当に葛藤した部分は、それとは別のところにありました。お父様と真の家庭の周囲において、誤った指導者たちが何らかの影響を及ぼす場合、お父様が育くみ築いてこられた摂理基盤と業績が、ともすれば揺るぎかねないという問題でした。顯進様はこういった憂慮と苦悩について、お父様に率直に告白しました。その度ごとに、お父様は顯進様の摂理的な責任がどれほど重要であるかを懇切に語ってくださいました。

40年荒野路程の中で固まっていた「統一家の文化とリーダーシップパラダイム」を転換するための顯進様の挑戦と革新は続きました。食口たちと二世たちは歓迎しましたが、これにより、既得権層を形成していた統一家の核心指導者グループとの反目は、避けることができませんでした。顯進様は特に6000家庭を主軸とする一部の指導者グループが、「真の父母様の側近勢力に寄生し、政治勢力化していること」に対して、「コウモリ」という表現まで使いながら叱咤しました。

葛藤をもたらした真の子女の登場

葛藤をもたらした真の子女の登場

顯進様は、後天時代が宣布された2004年を、み旨に適うように整理し、実体的天一国が出発する2013年の基元節の目標を成しとげるために、「全統一家を新しく出発」させる決心をします。そして「心情文化創造の主人」という主題で、巡回講演会を実施しました(2004年11月25日から30日まで韓国5ヵ都市で、12月2日から13日まで日本5ヵ都市で)。誰の指示によるものでもありませんでした。自らが息子として、お父様を助けるための一念で断行された行事でした。

韓国巡回の出発に先立ち、お父様は顯進様にこの上ない祝祷をしてくださいました。そして顯進様は、真の父母様と真の家庭の勝利圏を統一家の食口たちに相続させようと、行く先々でとても心情的なみ言葉を伝えました。食口たちは顯進様のみ言葉を通して、真の家庭との文化的一体感を強化すると同時に、天一国建設のための決意を固めることができました。成功裏に終わった韓国巡回の結果報告を受けたお父様は非常に満足されました。

その次の巡回日程は日本でした。

大阪の歓迎式で顯進様は、日本指導者たちに悲壮なみ言葉を残されました。

「目標を成しとげることができなければ、皆さんの苦労は全て無為に帰すようになります。皆さんが苦労してきたことはよく知っていますが、この程度で満足せずに、神様の夢を成して差し上げる勝利者になるための道を歩んでください」

日本講演会で顯進様のメッセージは、「為に生きる心情文化創造の重要性と真の愛を実践する生き方」でした。

行く所ごとに大盛況でした。大きな大衆集会だけでなく、第一線の家庭連合現場とCARP学舎まで直接訪問してみ言葉をくださり、指導者と食口たちを励ましてくださいました。顯進様特有のみ言葉と講演は、大きな反響を呼び、復興会のような雰囲気が自然に演出されました。

結果的に、この巡回を通して「顯進様がお父様の後を継ぐ指導者」であることが日本食口たちに自然に受け入れられました。また神様の摂理と統一家の未来に確固たる希望が芽生えるようになりました。

文國進理事長と文亨進会長の登場

韓国と日本の巡回が成功裏に終わった後の12月13日、顯進様は直ちに米国に出国されました。ところが異常なことがありました。有終の美を収め成功した日本大会では、韓国に劣らず、日本食口、特に二世と青年達が大きな感動を受けていましたが、その実績と可能性と意味がきちんとお父様に伝達されていなかったのです。はなはだしくは「お父様に代わって顯進様が過剰に目立ち、権力が顯進様に集中している」という主張まで提起されていたようでした。

こうした影響のせいでしょうか。

2005年1月3日にお父様は、顯進様は西洋、國進様は東洋、亨進様は宗教に責任を持つと電撃発表されました。判断の早い顯進様は、この決定がなぜ起きたのかを理解していました。また、これが後日、とんでもない波乱をもたらしかねないことまで看破していたようです。そのため、普段とは違い、お父様を訪ねていって議論を提起されたのです。

「お父様、弟たちはまだ指導者としての準備ができていません。彼らが公職を引き受ければ、周辺の影響によって誤った欲望に捕らわれ、利用されかねません。國進と亨進は、私と最も近い兄弟たちですが、ややもすると互いに衝突するかもしれません。もう一度考え直してください」

しかしお父様は、顯進様の懇切なみ言葉に耳を傾けませんでした。顯進様はお父様の前でも常に率直で真実のみ言葉を語られる方でした。そのため、お父様は他の人の言葉はともかく、顯進様の意見はいつも耳を傾けて聞かれますが、その時に限っては、お父様も引き下がられませんでした。

お父様の断固たる意志を確認した顯進様は、それ以上、何も申し上げることができず、引き下がるしかありませんでした。しかし、この措置によってどのような困難が発生するか、よく分かっていました。これにより「真の家庭の諸々の欠点が世の中に現われ、指導者たちの党派的で自己中心的な問題が、真の家庭を汚染していくだろう」と見られたのです。

残念なことに、この措置を大喜びした人たちは結局、お父様の周辺にいる教権の既得権者たちでした。別の意図を持って、この事案を眺めていた人たちです。

家庭連合組織上、全てが複雑に絡まっている状況で、3人の子女様に対する曖昧な人事措置は結局、本格的な葛藤の触発を予告する導火線となりました。それ以後に起こった全ての事件が、事実上、顯進様が憂慮した通りに起ってしまうのです。

顯進様はお父様の決定を尊重し、発表があった直後6ヵ月ほど、地位を離れていました。心配は多かったですが、愛する弟たちに将来を渡すためでした。この期間、寒くて危険なアラスカの山奥に入って、3ヵ月以上多くの精誠を捧げたという消息も聞きました。顯進様がお父様に送った2008年3月23日付の書信を見ると、この山中で神様と出会ったという内容が出てきます。

「孤独に自己犠牲が求められる場で、神様を見つけることができました。『さあ、山から降りて、お父様を助けて差し上げなさい』というみ言葉を受け、お父様がいつよりも切実に私自身を必要としているということを悟ることができました」

党派色の強い家庭連合指導者たちが、状況をさらに混乱させていた時でした。

長子を立てて天の継代を継がせようとされる、お父様の意図を忘れたまま、新しい措置に対し「3子女の役割分担」「黄金分割」云々と言いながら、密かに2人の弟の登場を美化し、長子の承継構図を恥ずかしくも揺さぶっていた時でした。

正にそうした時に顯進様は、1人で大自然の中で精誠を捧げながら、将来発生する統一家の混乱の前に、神様をつかんで苦悩しておられたのです。

書信の末尾には、次のような切ない告白が書かれていました。

「……山から再び帰ってきた時、状況がはるかに難しくなっていたことに気づきました」

文國進理事長の独善

國進様が財団の仕事をするようにお父様が語られた次の日(2005年1月3日)、私はお父様に辞意を表明しました。もはや重い荷から解放されてもよい時が来たと判断したのです。しかし、お父様は首を横に振られました。

「駄目だ。彼(國進)が韓国を知っているのか、経験があるのか。足元にも及ばない。郭会長の下で最低1年半は学ばなければならない」

國進様が私から何かを学ぶ人でしょうか。それにも関わらず、財団理事長職に留まれということでした。その日は、もうそれ以上懇請できずに退きました。

國進様が財団に初めて出勤した2005年1月4日、國進様にお会いして丁重にご挨拶申し上げました。

「國進様は経営学を専攻しておられますので、財団の運営もよくされると信じて、お父様に辞意を表しましたが、すぐに許諾されないので、一旦公式的には私が理事長のタイトルを持っています。しかし、実務においては、財団や各会社と関連した全ての仕事は、國進様が管掌してください。財団の印鑑もそのまま、お預けしますので、必要に応じて決裁してください。財団理事長事務室もそのままお使いになり、業務に関しては財団職員たちに直接指示してもかまいません」

その後、私は実際に、企業に関連したことは報告も受けず、決裁もしませんでした。そして2005年中盤から、國進様は各会社を直接巡回しながら、社長たちから報告を受けるなど、実質的な財団理事長の役割を遂行しました。

ところが、どうしたことでしょうか。

財団の実質的な運営を任せられた國進様が、私に関して非常に否定的な報告をお父様に挙げ始めたのです。一言で言うと、「全ての会社の経営がめちゃくちゃで、不正まみれであり、嘆かわしいことこの上ない」といった内容でした。本当に話にもならないほど歪曲された報告でした。

1月4日の最初の会議の時から、國進様はこう言いました。

「1992年に統一重工業を整理しようとする私の計画を、郭錠煥理事長が反対して実現されず、それによって約20億ドルの損害が出た」

財団に初めて赴任して財団理事長である私に、根拠もなくこうしたことを言うのです。

空いた口が塞がりませんでした。私が統一重工業の整理や存続を決定することができたでしょうか。20億ドルなら2兆2000億ウォンを超えますが、財団と全ての会社資産総額よりも大きな金額の損害が私によって出たというのでしょうか。

それにもかかわらず、國進様は、財団と会社役職員たちと面談しながら「郭錠煥理事長の不正事実を報告せよ」と催促しました。

私に対する國進様の非難と暴言は続きました。さらには「世界日報敷地開発やアパート分譲などの出納を、郭錠煥が不正に記録した」という嘘を、お父様の前に並べ立てたりもしたのです。さすがにお父様も気に障ったのか、「國進! 郭会長に謝れ」と言われましたが、どうしようもありませんでした。

國進様は、初めから私を不正な人と断定し、國進様が直接採用した財団の会計士と弁護士たちを全て動員しました。不正と非道の嫌疑を立証するという名目で1年以上、私の周辺をしらみつぶしに調査しました。疑惑が全て事実であるかのように公的場で非難しながら人を泥棒扱いして追い込みました。

どんなに調査しても背任や横領の明らかな証拠が出てこないと、今度は「企業が赤字なのに黒字として報告してきた」というように、非難の矛先を変えました。

私は、理事長職から退きますとお父様に何回も申し上げましたが、お父様は結局は受け入れられませんでした。

その同じ非難と不信は、私だけに限ったことではありませんでした。國進様から見ると、当時の全ての幹部たちと会社役職員たちは無能で不正な人たちでした。

また、過去の統一グループの不渡りに対して、國進様は「満足に専門教育を受けることができていない牧師出身の経営陣たちのせい」という先入観を持っていました。IMF通貨危機 (*4)を前後した韓国経済の特別な状況や、社会的に私たちに非友好的だった特殊な国内環境、リストラなどを最大限後回しにしてきたお父様の設立精神や運営方針などはまったく考慮しない一方的評価でした。そのうえ、国家的な危機状況において全ての障害を克服し再起に成功した実績は、全く認めませんでした。

根本的な問題は、國進様が「統一グループに対するお父様の摂理観」を理解できていないという点でした。

お父様の企業経営は、利潤のみを追求する一般的な事業とはその次元が異なります。統一グループは、目の前の事業成果とは無関係に、「韓国の産業化に必要な技術を確保するために巨額を投資」する方式が多かったのです。

一和天馬サッカーチームの創設も、単に企業のイメージや収益のための事業ではありませんでした。スポーツ発展を通して、青少年たちに健全な精神を植えつけ、世界における韓国の位相を高めて、その運勢に乗って平和的な南北統一の道を拓くための布石でした。

荒れ地のようだった環境から、今日の韓国が世界の先進諸国と肩を並べることができるようになったのには、このようなお父様の献身的な投資が大きく寄与した面もありました。

もちろん企業に責任を持った者であれば誰であっても、より大きな実績をお返しできていないことに対して、常に自責の念を持つのは当然のことです。しかし、彼らは誰よりもまず、お父様のみ旨を理解しており、お父様が信じて仕事を任せることができた最善の人たちであり、生涯献身的な姿勢で職務を遂行してきた人たちでした。だからこそ、統一グループの不渡りを阻止しようと、喜んで個人連帯保証人になり、そのために個人的には信用不良者の生活を10年以上もした方々もいます。

当時、最高責任者だった立場で、私一人が非難され悪口を言われることは何とか忍耐できましたが、全ての経営陣の苦労が無視されたまま、むしろ非道徳的で不正な人たちとして非難される状況は余りにも心痛く遺憾でした。

呂英秀秘書室長は、私と一緒にIMF通貨危機を克服し、M&Aを通して財団が再起できる基盤を築きながら、実務の責任を引き受けてきた人です。國進様は彼に対しても、想像もできないような陰湿な攻撃をし、濡れ衣を着せて、公職から解任するようにお父様に要求しました。お父様はその言葉をそのまま信じて、呂室長の解任を何回か指示されましたが、私はその都度、事実の通りに説明しようと努力しました。國進様はこの件に関しても、「郭会長は信仰は良いようだが、お父様のみ言葉に従順でない者」として公然と非難しました。

結局、呂英秀室長は自ら公職を辞任してしまいました。


4.韓国は、金融機関の不実、借入中心の放漫な企業経営による大企業の連続倒産、対外信用度低下、短期外債の急増などで、外債を返済することができる外貨準備高が急激に減少し、1997年の通貨危機を経験した。これに対して韓国政府は、IMF(国際通貨基金)に救済金融を申請し、通貨危機の峠を越えたが、IMFは資金支援の条件として韓国経済の体質全般の改革を要求し、このような過程で、多くの企業や銀行が倒産し、大量失業が発生して、深刻な社会的苦痛を経験した。

ヨイド敷地に対する國進様の欲望

お父様は、國進様が財団の仕事に携わり始めた時から、ヨイド関連のことには関与しないようにと願われていたにも関わらず、國進様は自らヨイド敷地開発事業を直接担当したいと考えて、あらゆる方法を動員して、その意志を遂げようとしました。

2005年10月に世界巡回を控えたお父様は、「ヨイド敷地開発に対して財団がやるべき事務的な協助をしていない」として國進様を叱責される一方、「ヨイドプロジェクトに関与しないこと」を、繰り返し強調されました。しかし國進様はそのご性格のせいなのか、お父様のみ言葉を素直に受け入れませんでした。

私が真の父母様ご夫妻に侍り世界巡回する中でヨーロッパに宿泊した折、「敷地の所有者である財団が事務的な協助をしないため、ヨイド関連業務が進捗しない」との報告を韓国から受けたことがありました。これをお父様に申し上げれば、國進様に対して強く叱責されることが明らかだったので、お母様にだけご報告申し上げると、お母様が國進様に電話してようやく問題を処理することができました。

世界巡回中だった2005年11月初め、韓国プロサッカー連盟会長だった私は、プロサッカー理事会の仕事で一時帰国しました。会議を終えて午後8時ごろ、維持財団理事長室で國進様にしばし会うことになりました。國進様は座りなさいとも言わずに、「郭会長は監獄に行かなければならない。これ読んでみろ」と言いながら、部厚い書類を置いてさっと立ち去ったのでした。

それは國進様が財団で採用した弁護士と会計士に命じて作成した、「ヨイド敷地開発関連検討報告書」でした。それまでの事情は全て無視したまま、否定的視点から國進様の意図に従ってつじつまを合わせて作られた、とんでもない主張でした。一言で言うと、「ヨイド開発計画が根本的に間違って進められてきたので、郭会長は関係を切って原点から新たに始めなければならない」ということだったのです。國進様はどうしてもこれを奪い、自分が直接引き受けなければならないという考えのように見えました。執拗な彼の性格から見て、ヨイド敷地開発事業の前途多難な未来が予想される残念な報告書でした。

お父様の重大な決定

尊敬されることをしてこそ、礼遇するのではないでしょうか

2006年2月9日、國進様は光化門にあるパークワンプロジェクトの実務責任者ポール・ロジャースのY22事務室を訪ねて、殴り合いの一歩手前まで行く言い争いをしました。

外国の人たちは、約束もなしに訪問者が突然訪ねて来ることを、礼儀のない行動と思います。ところがその日、國進様は随行員を連れて、突然事務室に押しかけて来るなり、パークワン開発について、直ちに問い詰めたのです。ポール・ロジャースは「國進様がパークワン開発に関与してはいけない」と言われたお父様の意思をすでによく知っていました。さらに今まで財団が協助すべきこともまともにしていないのに急に現われて、道理を無視して追及し「資料を出せ」と大声を出すので、ポール・ロジャースも「資料を渡せない」と言い張ったのです。

ついには國進様は、右手を上げて殴ろうとしました。韓国食口なら、國進様が礼儀なく現れても、真の子女である点を配慮して我慢したでしょうが、ポール・ロジャースはイギリス人です。相手の無礼で不当な態度に我慢する理由がなかったのでしょう。國進様が殴ろうと近付くと、彼は後ろ手を組んで胸を突き付けながら「さあ、殴ってみろ」と言ったのです。すると國進様は、悪口を言いながらそのまま出ていったそうです。

後でその一部始終を説明するポールに私が、

「それでも真の子女なのだから、もう少し我慢して礼遇したらよかったのに」

というと、ポールは頭を横に振りました。

「尊敬されることをしてこそ、礼遇するのではないでしょうか」

その話を聞いて、目の前が真っ暗になる気分でした。「ヨイド開発はこれでもう終わりだ! 」と思いました。現段階ではポール・ロジャースが絶対に必要なのに、國進様と一触即発の状況にまで至ったからには、「これから、あらゆる偽りの報告が上げられるだろう」と思いました。

ヨイドパークワン開発は天が願う事業であり、お父様があらゆる精誠を捧げられた仕事です。

ところが、なぜ息子が出てきて、ポール・ロジャースを立てられたお父様の意図も知らずにひっかき回すのか、全く理解できませんでした。

國進様とポール・ロジャースの衝突に関して心配になった余り、その日の夕方に金孝南訓母に電話をしました。

「訓母様! 私が近頃辛いことが多くて大変です。それで聞いてもらいたいこともあるし、それを神様と霊界がどう見られるのか知りたいのですが、明日、市内で私と話す時間が持てたらよいのですが」

「はい、会長! そうしましょう」

翌日午前、ソウル市内のキャピタルホテルのコーヒーショップで訓母と会うことを約束しました。

間髪の時間差で暴露された偽の霊界指示

そのように日が変わって、2月10日の朝、漢南洞公館の訓読会に行ったのですが、お父様が私を見てお尋ねになりました.

「お前、孝律に会ったのか」

「いいえ、会っていません」

ちょうど訓読会に金孝律氏は見えませんでした。

「孝律と話をしろ」

「はい、分かりました」

お父様と少し言葉を交わした後、訓読会を終えました。

その後、キャピタルホテルに行って約束通り訓母と会い、前日に発生した國進様とポール・ロジャースの事件を詳細に打ち明けました。

「昨日電話で簡単に話しましたが、ヨイドパークワン開発事業は、困難な峠を奇蹟のように全て乗り越え、今や建築許可を申請して最後の段階を越えないといけない時ですが、國進様に理解していただけないので本当にもどかしいです。事業の進行がただでさえ難しいのに、國進様が財団に来られてからはさらに難しくなっています。昨日は肉弾戦一歩前まで行きました。これからさらに難しくなるのは目に見えています。お父様があれほど成就を願ってこられたことなのに、皮肉にもそのご子息が事業を難しくしてしまうとは」

「郭会長は、本当に神経を使われることが多いですね」

「いったいこの仕事が今できることなのか、できないことなのか。あるいは、天が願わないことなのか……。それで訓母様にお会いしようと思いました。もしかして近ごろ神様は、郭錠煥がすることを不満に思われる様子やみ言葉のようなものがあるのか、興進様が特に何か語られた内容があるのか知りたいのです」

私は霊界の言葉は比較的、真実として受け入れる方です。私も霊界を体験し、霊眼が開かれて幻想を見たり、声を聞いたり、夢示も経験しましたが、自ら霊界と通じることはできないため、「霊通する人」の言葉はいったん尊重して受け止めます。だからと言って無条件に従ったりはしません。いつも原理的に判断して、お父様のみ言葉によって妥当性を点検します。

訓母の話は極めて肯定的なものでした。

「何とまあ、会長! 神様は常に会長を貴く思われ、いつも陰に陽に助けたいと願っておられます。そして興進様も近ごろ会長に対して、こうしたらいいのにと言うような様子は全くないし、前にもそういうことはありませんでした。私が知る限り、神様は毎回、会長をお褒めになります」

金孝南訓母がそのように笑顔で対してくれたので、少し気分が楽になりました。

しばしの会合を終えて財団に行くと、ちょうど金孝律氏から電話がありました。

「郭会長、午後の早い時間にお伺いします」

「はい、そうしてください」

朝、お父様から金孝律氏と話せと言われていたので、お父様から話があったのだろうと思いましたが、午後訪ねて来た金孝律氏が思いもよらないことを言うのです。

「チャンウン証券と連携した債券整理の失敗で、8,000億の損失が出るかも知れません。お父様が郭会長とポール・ロジャースに対して、とても心配しておられます。それに霊的にも何か感じておられるようです。郭会長は米国の仕事に専念するようにし、ヨイド開発は國進様に任せて早く発てと言われました。清平の訓母様から霊界の指示があるはずなので、お受けください」

思いがけない内容でしたが、私は淡々と受け入れました。

「そうですか。お父様のご意思はよく分かりました。しかし、8,000億の損失の話は全く根拠のない話です。このことは2度と話さないでください」と言って彼を送り出しました。

「午前中に訓母に会った時には別に何もなかったのに、突然何の霊界メッセージだろうか」「朝お会いした時、お父様はなぜ、こうしたことを直接言われなかったのだろうか」と、少しいぶかしくも思いましたが、その一方では解放感がありました。その重苦しいヨイドプロジェクトの責任という重圧感から抜け出せる一方で、國進様と衝突することがなくなるだろうと思ったからです。ポール・ロジャースと國進様との関係が心配になりはしましたが、全てをお父様の意思に任せることで心の整理をしました。

ところが、事実はそれとは全く違っていることが分かりました。お父様は指示されたのではなく、昨日の突発事故に対して「私の意中をよく知って議論せよ」と言われたのでした。朝にもそういう意味で「孝律と話をせよ」と言われたのです。ところがそれに輪をかけて「お父様が指示されたこと」として伝達するとは、これをどう受け止めたらよいのでしょうか。

それだけではありませんでした。金孝律氏が去って1時間も経たずに、訓母から電話がありました。本当に消え入るような声でした。

「会長、私が少しお伺いしなければなりません」

「はい、時間があればいつでも来てください」

そのように午前中に会った訓母が、午後に私の事務室に訪ねて来ました。ところが何か非常に困った気配でした。

「……あのう、会長」

「はい、言ってください」

「会長、米国へ行かれて、もっと大きな仕事をなさるのを、天も望まれ、お父様も望まれているようです」

訓母は「啓示を受けた」とは言えずに、言葉を曖昧に口ごもっているのです。その瞬間、驚きで胸が潰れそうになりましたが、これ以上、訓母の立場を困難にさせる理由はないと思いました。

「分かりました。お父様が米国に行くように願われるのに、私がここにまだいるべきでしょうか。私もヨイドとの関係を切れば自由人になります」

霊界の啓示については言及せず、「お父様の意思に素直に従う」とだけ言って、訓母を送り返しました。

このようにして私は、2006年2月12日付で、重く立ち回りの難しかったヨイド開発業務から解放されたのです。

誰が訓母にこんな霊界メッセージを伝えるようにしたのか、充分に察しがつきました。私と「相談してみよ」というのを、「お父様の指示」にカモフラージュし、さらにそれを「霊界の指示」として偽装するよう指示する方は、たったお一方しかいませんでした。何年か後に束草でも似た事件が起こりましたが、この時からその方々は目的とするところを成しとげるためなら、神聖視されるべき霊界メッセージまでもためらうことなく悪用しました。

このために、その方々はまず、事件の内容を自分たちが願う方式の通りに脚色しました。國進様はこうしたことにかけては、尋常でない方のようでした。前日に発生した事件についてお父様に直接報告せず、周辺の人々が報告するようにしたのも、正にそういう理由のためだったのです。

そのため、事件の実際の内容とは完全に異なる報告がされたのです。それ以前には國進様がいくら「ポール・ロジャースは悪い奴」と言っても耳を傾けなかったお父様でしたが、第三者を通して「ポール・ロジャースと國進様が殴り合いまでしそうになった」という報告を聞いて、驚かれたのです。

「天下に私たち食口の中に、真の子女様に腕力を使う食口がどこにいるのか」

「その人間はもはや食口ではない。とても悪い奴だ」

繰り返された歪曲報告によって、お父様も混乱され始めたのでしょう。それに加え、お母様が訓母を利用して、お父様をさらに混乱させたのです。

「霊界から啓示が来たそうです。郭会長は米国に発ち、ヨイドプロジェクトは國進が担当するのが良いということです。訓母の啓示がそういうことだそうです」

その後、私にもその内容を伝えるようにしたのでしょう。

ところが決定的に時間差が問題でした。

午前に私に会う時まではお母様からは何の言葉もなかったのに、後でそのような指示を受けて午後にまた私に会った訓母としては、困るしかなかったはずです。

結局、私を米国に送り出し、國進様を立てて、ヨイドプロジェクトを推進しようとしたのは、天の啓示でもなく、お父様の指示でもありませんでした。正にお母様の計画だったのです。

明朝、私は仁川空港に向かいました。ピースカップの関係でスイスで世界サッカー連盟(FIFA)のヨーゼフ・ブラッター会長に会う約束があったのです。スイスに行って来るという報告を前日お父様に差し上げ、その日の朝は訓読会に出ることができませんでした。ところが出国手続きをしようとしていた時に電話がありました。

「お父様からのみ言葉ですが、郭会長が来るまでは、訓読会を終わらないとのことです」

お父様の呼び出しに逆らうことはできませんでした。結局、飛行機搭乗を取り消し、あたふたと車に乗って、正午近い時間まで続いていた訓読会にようやく参加しました。お父様は激怒されながら、多くの食口たちの前で私をひどく叱責されました。

「私がヨイドと関係を切れと言ったのがそんなに寂しいのか。それで訓読会にも出ないのか」

誰がどういう報告をしたのか、それでどういう誤解をしておられるかも分からないまま、長時間、お父様の叱責を聞かなければなりませんでした。

「お父様、昨日私は、金孝律氏と訓母にお父様のみ言葉通り、米国に行くと申し上げたのですが」

しかしお父様は、その報告も聞こえないかのように、私をお叱りになるばかりでした。そのお叱りを全て浴びて、その日の夕方に再び空港に行きました。ブラッター会長に会うために、香港を経由してスイスに行く飛行機に乗らなければならなかったのです。

顯進様のUCI理事長就任とヨイド開発に対する方針

ヨイド問題で騷がしかった2006年2月が過ぎ、4月17日に私の後任として顯進様がUCI理事長に就任することになりました。

その頃、ニューヨークのイーストガーデンに泊まっておられたお父様から、緊急な連絡を受けました。「國進様とポール・ロジャースを連れて急いで来るように」との内容でした。顯進様のUCI理事長就任式に参加して、帰国してから2日にしかならない時点でした。

理由も分からないまま、國進様と同じ飛行機に乗って、ニューヨークのイーストガーデンに行きました。

國進様の責任の下、ヨイド敷地開発は2ヵ月経っても全く進展がない状況でした。こうした渦中に、Y22を代表するポール・ロジャースが、「ヨイド事業が土地所有者である財団の非協力のために全く進捗しておらず、不必要な経費だけが莫大に出費されている状況」と嘆願する手紙をお父様に送ったのです。そこで真実を知らされたお父様が激怒され、直ちに國進様と私とポール・ロジャースを米国に呼び出されたのです。

2006年4月23日、イーストガーデン2階のリビングで、お母様、顯進様、國進様、通訳として金孝律補佐官などが参加する中で、お父様が会議を主宰されました。その場でお父様は、顯進様と國進様にパークワンプロジェクトに関する明瞭な指針を出してくださいました。

「國進はパークワンプロジェクトから完全に手を引き、これからはパークワンは顯進の責任の下で、以前のようにポール・ロジャースが実務責任者として推進せよ。郭錠煥は顯進を助けるようにせよ。パークワンは、韓国財団の土地に建てはするが、世界的なプロジェクトなので、UCIが管掌する。これからUCIは、世界財団の役割を遂行しながら、韓国と日本など世界の全ての財団まで管掌し、顯進が法的な理事長の職位を持って、これまで基盤を築いた国々に積極的に介入しなければならない。國進は韓国の仕事を中断して米国に戻り、顯進の下でUCI副理事長として仕事をせよ」

このようなお父様の決定の前に國進様は大きく反発し、お父様は彼を叱責し長時間にわたり教育されました。

最初の会議を終えて、お父様は通常とは異なり、國進様に下の階にいる私を呼んで来るようにと言われ、1階で待機していた私は、國進様について2階のリビングに行きました。するとお父様は、國進様に「これまでのことを郭会長に謝れ」と言われました。そして、先に発表された決定事項を私に全て語ってくださいました。

続いてお父様は、ポール・ロジャースを上がって来させて、彼に決定事項を話すようにと言われ、ニューヨークにポール・ロジャースを呼んだ意味を理解させました。

ポール・ロジャースに陰湿に危害を与え、ヨイド開発を遅延させ、私に対するお父様の信頼をおとしめた事態は、このように2ヵ月余りで正しく整理されました。

最後に会議を終えながら、お父様は、韓国の幹部たちにもこの内容を伝達せよと指示されました。ところがお母様が「もう遅いので、翌朝にするほうがよいだろう」と言われ、お父様は決定した内容を幹部たちに伝達せよと再び指示した後、集会を終えました。

この日、顯進様は「財団理事長を務めること」と、「國進様が副理事長の役割をすること」について明確にするために、お父様とお母様が一緒におられる場で再び尋ねました。そこでお父様は、「顯進様が韓国財団理事長に就任し、國進様はCEOとして顯進様の下で働きながらヨイドプロジェクトに確実に協助する体制」について、再度、明確にしてくださいました。

翌朝の訓読会でもお父様は、私を立てて、「これから全ての経済基盤は、UCI世界財団の管理監督を受けること」を再び明らかにし、また「ヨイドプロジェクトが極めて重要である」という点を強調されました。

私がUCIを引き受けた時も、法と定款に従い責任を持ち運営しましたが、顯進様が私の後任としてUCIを引き受けてからは、この点はより徹底しました。

真のお母様の約束違反と加重する混乱

会議があったその日(4月23日)の夜遅く、お母様が一人で顯進様のお宅を訪問されたという話を後で詳しく聞きました。その場でお母様と顯進様が交わした内容は次の通りです。

お母様の守られない約束

「韓国財団理事長職を國進に譲歩しなさい。そうしなければ國進は職責を拒否して真の家庭を離れるだろう」

ここで顯進様は返答しました。

「國進はそうしないでしょう。お母様を心配させて、自分の願いを貫徹させようとする國進特有の方法です。お母様、國進は理事長になってはなりません。ヨイドプロジェクトを台無しにし続けるでしょうから」

しかしお母様はご自身の意志を曲げませんでした。

「そう言わずに譲歩しなさい。あなたは全てを持っているが、國進は何もないではないか。あなたが理事長職を引き受け、國進が韓国を去れば、食口たちは『兄が弟を追い出した』と悪口を言うだろう。結局、真の家庭に恥をかかせることになる」

「お母様、申し訳ありませんが、そのみ言葉には同意し難しいです」

「何?」

「私は私が責任を負った分野を、ただの一度も私自身のものだと考えたことはありません。従僕として責任を持った公的資産を管理して殖やし、み旨と摂理の前にもっと寄与するようにしなければならないと、誓ってきただけです」

続いて顯進様は、弟の國進様に対するそれまでの考えを明らかにしました。

「私が理事長になるとしても國進は韓国を去らないだろうし、たとえ去るとしても、秩序が正されれば再び帰ってくるでしょう。お母様が國進をかばい過ぎると、むしろ國進の我執ばかりが強まるだけです。こうしたことをしているうちに、お父様の指示さえ無視する息子になりかねません」

「國進をかばうのではない。長い話は止めて理事長職を譲歩するようにしなさい」

「國進がその地位に就いた時、お父様が指示した内容に果たして従うか心配です。ヨイドプロジェクトのために全てを協助するのか、お父様の指示通り、上位機関のUCIを尊重し、兄である私を上官として尊ぶのか、率直に言って信頼できません。こんなことをせずに、お父様のところに行ってご相談申し上げたらどうでしょうか」

「そんな必要はない。この場で決定するようにしなさい」

顯進様は、これ以上この問題でお母様と論争したくありませんでした。お母様の考えがとても頑固であられる上に、6月からはお父様の指示に従い、UPF創設を知らせる世界巡回に、お母様と共に発たなければならなかったからです。

「お母様、3つの内容について協力してくださることを_—l‚É–ñ‘©‚µ‚Ä‚­‚¾‚³‚¢Bそうすれば、み言葉通り従います」

一番目は、「弟の國進様が、ヨイドプロジェクト成功のために全面的に協助すること」

二番目は、「UCI所有の韓国の資産をUCIが直接管理し、韓国財団はその活動内容をUCIに定期的に報告すること」

最後の三番目は、「真の家庭内で兄弟間の秩序を立て、弟の國進様が顯進様を真の家庭の長子として尊重するように、お母様が協助すること」でした。

お母様はこの提案に同意され、快く約束してくださいました。國進様が果たしてこうした内容を行うかは疑問でしたが、「お母様が協助されれば解決され得るだろう」と顯進様は考えました。こうして、最も近い弟である國進様に機会を与え、兄弟間の信頼も構築できることを心より願ったのです。

世界財団としてのUCIの位相問題

しかし残念ながらその判断は、天宙史的な混乱の火種を消すことができる最後の機会を逃してしまう痛恨の失策となってしまいました。さらには、お父様が深思熟考の末に決定した重大事案を、お母様が介入してご自身の意志通りに貫徹させた、重大な事例として残りました。

真夜中にこうした決定が下されたことも知らず、翌朝私は、お父様の決定を幹部たちの前で説明し、公文の起案も終え、決裁もしました。

お母様は果敢に行動されました。お父様に相談もしないまま、國進様を直ちに韓国に送って財団理事長に就任するようにされたのです。後日談ですが、2011年6月頃、スペインを訪問されたお父様は、「國進を財団理事長に任命したことがない」というみ言葉を、何度も語られました。

2006年5月8日10時、國進様はこのようにして韓国の維持財団理事長に公式就任したのです。それ以後、國進様は、ヨイドプロジェクトに対して、より一層非協力的に対処し、これを遅延させました。お母様が協助してくださるだろうと信じていた顯進様としては、ただあきれるばかりでした。

財団に難しい課題を要求するのでもありません。最終契約条件を守ることと、建築(許可)申請のための捺印などです。

仕方なく、顯進様は私を通してお父様にご報告申し上げ、これにお父様が積極的に協助してくださって、ようやく推進が再開されました。そして基盤施設分担金法施行一日前に、かろうじて建築許可を受けることができました。

2006年6月、天正宮入宮式の行事で韓国に来られた顯進様は、「UCIが世界財団として各国の財団を管理監督しなければならない」という趣旨で、韓国財団の指導者および数人の指導者と会議をしました。

この会議で顯進様は

第一、UCI世界財団に対する報告体系を立てるために、韓国財団に四半期別財務諸表と経営管理資料を要請しました。

第二、「韓国財団にUCI代表を理事として派遣し、財団の状況を把握」できるようにしました。

これ以外にもいくつかの要求事項を表明されましたが、これに対して國進様は「全てを拒否し、何も履行できない」と言いました。また、行事直前の食事の場で、お母様は「國進様がセントラルシティと龍坪リゾートに責任を持つ」と発表されました。顯進様とは一言の事前の相談もなく下した決定でした。

天正宮入宮式を控えて、家族間の摩擦を慎むべき時期でした。そのため、顯進様はそれについてそれ以上問題視しませんでしたが、苦悩は深まらざるを得ず、國進様を前面に立てたお母様の介入はさらに激しくなっていたのです。

お母様のとんでもない提案

当時としても、顯進様は、國進様が協調的に対応することを期待して、多くのことを譲歩しましたが、そういう兄を無視する國進様の態度はさらに深刻化しました。ついに國進様は、お父様の指示にも目配り一つしなくなりました。背後におられるお母様の存在ゆえでした。お母様の協助を固く信じていた顯進様としては、それこそ煮え湯を飲まされる状況でした。

沈黙していた顯進様は、入宮式以後、お母様と一緒に世界巡回に行かれた後、モンゴルでこれについて話をされました。するとお母様は、「UCIがヨイドに責任を持つようになったので、韓国にあるセントラルシティと龍坪は、何もない國進に任せるのが正しい」という論理を展開されました。顯進様が、「ヨイドまで支配している状態で、セントラルシティと龍坪まで奪おうとしている」と、お母様は認識しておられたようでした。

顯進様はそのようなお母様の主張を理解することができませんでした。

顯進様は、2005年にしばらく後ろに退いていた期間に、「自分に対するお母様の考えが大きく変わった」という感じを受けたそうです。

顯進様をさらに落胆させたのは、お母様がヨーロッパを巡回される期間に、私を通して提案した内容でした。

「韓国財団名義のヨイド敷地所有権を、UCIの名義になっているセントラルシティと龍坪などの株式と交換しなければならないというのでした。そうすれば、國進がヨイドにこれ以上神経を使わなくなるだろうし、互いがヨイドとセントラルシティに関して争わなくなるだろうから、きれいに整理されるのではないだろうか」

(國進様が金孝律氏を通してお母様を説得した内容と考えられます)

お母様の提案は、簡単に口頭契約でできるものでもありません。経済論理から見ても、でたらめな内容でした。法的な名義移転は、互いに売買する過程で、ものすごい税金を支払うことになりかねないからです。結局、「自分の韓国内での基盤を拡大するためには、そうした損害も辞さない」という、國進様の意図を伺い知ることができる内容でした。

さらに「真の子女たちが先頭に立って、あれこれと山分けする姿」が見えれば、食口たちの間にどういう波紋が広がるでしょうか。

深刻な摂理的な危機意識を感じた顯進様は、2006年8月10日付でお父様に書信を作成しました。そして、これをお父様に読んで差し上げるように私に依頼しました。

天が真っ暗になる不信の衝撃

8月17日の遅い時間、私は天正宮の夕食の食卓で、お父様に顯進様の書信を読んで差し上げました。手紙を読んで、その内容の素晴らしさに心の中で感嘆し、また感激しました。ご自身の覚悟と抱負はもちろん、真の家庭を気づかう親孝行の思いが、あふれんばかりに表現された手紙を通して、顯進様はご自身が処した深刻なジレンマを訴えました。

「天のみ旨が成就するか否かなのです。真の父母様の真の家庭が正しく立つか否かなのです。お父様、私はお母様と争いたくありません。兄弟たちとも争いたくありません。しかし、このまま放置したら、長期的に見れば、神様のみ旨とお父様が一生の間投入され築かれた基盤が、摂理の最終目標に向かっていくことができず、全て消えてしまうでしょう」

食口たちはただ、お父様の勝利に酔い、今後あらゆることが全てうまくいくと安易な考えに浸っていますが、顯進様は間近に迫りくる天宙史的な混乱に対して、お一人で苦闘しているところでした。私もまた、誰にも言えない困難な時期を送っていたため、手紙の中の顯進様の苦悩がどれほど大きく、深かったのかを、切々と感じることができました。

ところが、手紙を全て読んでからでした。お父様がつぶっていた目を開いて、顔を上げながら言われました。

「何をそんなに長々と! 」

そうして、しばらく後にまた、一言、言われました。

「その手紙、あなたが書いたのではないのか」

心が凍りつきました。私と顯進様に対する陰謀と不信のウイルスがこれほどまでに深刻だったのかと思わされました。そうでなければ、お父様の誤解がこれほどまでにひどくはなり得ないことでした。当時としても全く分かりませんでしたが、私と顯進様に対する嫉妬や妬み、陰謀にまみれた声が、お父様の耳に多方面から入っていった証拠です。

私は文字通り息が詰まり、胸が激しく高鳴り、言葉も出ないほどでした。

「お父様に50年間侍り、その歳月の分だけ私を知っておられるお父様であるのに、これほどまでに不信されるとは。私をご子息の名前まで利用して諌言する者として誤解されるとは! 」

「神様の摂理全般に合わせてみ旨を果たし、その中心に真の家庭を正しく立てようとする顯進様の親孝行の心情が分からないとは。ご自身の息子をこれほどご存知ないとは! 」

私がもう少し融通の利く人であったならば、冗談でも言いながら、じっくりとご説明申し上げたでしょう。

「何と、お父様、それは何のご冗談でしょうか。顯進様が書いて送った手紙に間違いありません」

それとも、真顔でこう言うこともできたでしょう。

「お父様、どうして私をそのように見られますか。どうして私が敢えて……。こんなにも明確に摂理が分かる方は顯進様しかいません」

しかし、その瞬間、私は衝撃がとても大きくて、頭の中が真っ白になってしまいました。微動だにできず、汗だけがしたたり落ち、到底その場に居続けることができませんでした。

「お父様、先に市内に帰ります」

結局、そのようにして退いてしまいました。いつかは、お父様にもこの真実が分かると信じて、その後、顯進様にはこのことについて語りませんでした。ややもすれば父子間の隙間がさらに広がるのではないかと心配したからです。

最高位の指導者たちは、公の場でお叱りを受けることが少なくありません。最も多く叱られた指導者が多分、私でしょう。しかしこのことに関して、私には生涯の信条があります。たとえ誤解による叱責であっても、公の場ではどんな言い訳も弁明もしないということです。そのようにして、お父様の位相を立てて差し上げるということです。

容易な事ではありませんでした。心が痛いことも多くありました。しかし、心の中で呑み込み、また呑み込みました、「事必帰正」と繰り返しながらです。

ところが、ずっと後になって悟ったことが一つありました。

真実が正しく現われるまでに、私が期待した時間と、神様の時間は次元が違うという事実でした。

2005年までは、國進様の否定的な糾弾や断罪のような発言に対し、お父様は私を保護してくれる側でした。ところが2006年に入ってからは、お父様も揺れ動くことが多くなりました。特に顯進様の手紙を読んで差し上げて、むしろ誤解を招いた後は、お父様の叱責がひどくなりました。私だけではなく、顯進様に対しても誤解が非常に多くなりました。

内的な苦悩は深刻でしたが、顯進様は決してその心を表わされませんでした。

2006年上半期に黙々とお母様に侍り、世界120ヵ国巡回に出発したのに続き、下半期には真の家庭三代圏四位基台40ヵ国世界巡回に臨みました。大小様々な困難の中でも、父母様の摂理的な目標を成して差し上げるために投入する顯進様の前途を、天はいつも大きく開いてくださいました。世界に向けて発展していくことができるように、いつも力いっぱい導いてくださいました。

2006年10月21日の原理研究会創立40周年記念行事に続いて、翌日には世界平和青年連合大会がありました。そして2日後の10月23日、お父様は平和大使の領域を全ての年齢層に拡大して、「平和大使に対する組織および管理」の責任を顯進様に依頼されました。これはすなわち、顯進様が家庭連合世界副会長、W-CARP世界会長、青年連合世界会長、UCI財団理事長に続いて、UPFに対する責任までも引き受ける準備をせよという意味でした。

兄弟間の葛藤に変質した統一家の混乱

一方、國進様は、お母様の全面的な支援の中で、2006年6月と7月に統一グループ機関企業体を対象に全面的な監査を行い、8月からは120教会の巡回を始めました。

現場把握という名分で進められた120教会巡回は、非常に大きな話題でした。毎週欠かさず家庭連合を訪ねて、家庭連合責任者と食口たちから意見を聞き、家庭連合の現場の劣悪な状況を把握していきました。監査と現場巡回は、事実上、財団内部の方針に従い、家庭連合を縮小するためのリストラの名分作りの手順でした。

透明性を強調した監査とシステム運営の旗の下で、現場を直接歩き回る國進様の歩みを、同調する勢力と言論記事は熱心に広報しました。これはお父様から厚い信任を得る契機となり、後日、家庭連合世界会長を亨進様に代える上で決定的な影響力を発揮するようになります。

2006年6月、ハーバード大学神学大学院を卒業して帰国した亨進様は、清心神学大学院を拠点に天一国民ワークショップを主管し、9月には自身の12,000拝敬拝精誠を広報しながら公式的な活動を始めました。

2006年11月1日、お母様は世界平和統一家庭連合宣教会財団理事長に就任されました。極めて一部にだけ知られた事実です。宣教会自体がIMF通貨危機の時に作られた、一般食口たちは存在することさえ知らなかった組織でした。

ここの理事長としてお母様が静かに就任した理由は、約2年後の2008年6月12日と13日の会議を通して明かされます。お父様が2006年4月23日のイーストガーデンでの会議で決定された内容を完全に無効にし、ご自身が「宣教会財団理事長になって、世界の全ての資産をUCIの代わりに直接主管しようとされる意図」が隠されていたのです。

2006年と2007年にわたって、國進様と亨進様は、顯進様を除いた他の兄弟たちからの協力を受けて、大衆の人気を得る戦略を展開しました。

彼らは、最初に「3者役割分担」(3男はNGO、4男は経済、7男は宗教)という論理を作り、自らの固有の活動領域を構築し始めました。そうして「顯進様が摂理の一分野であるNGO運動に責任を持った方」というイメージを植え付け、長子の位置から「真の子女の中のお一方」に格下げしました。反対に「亨進様は霊的な指導者」というイメージを父母様に植え付け、食口たちに強調するために露骨な広報を始めました。

特にお二人は、互いに称賛し高め合うやり方で、兄弟愛を誇示するように見せるなど、感性的なアプローチで相当な歓心を買いました。特に亨進様は、このようなアプローチに卓越した能力を発揮しました。初期に年配の食口たちの足を洗ってあげ、彼らの家庭を訪問して、午前2時に起床して精神修業をするなど、求道者としてのイメージを強調しました。麻浦教会牧師として公職を出発し、日本教会を訪問した時は、ホテルではなく、教会の中で寝袋を敷いて寝るなど、食口たちから相当な共感を得る行動を取りました。國進様も細密な経営管理の技法を持ち込み、専門会計士たちを採用するなど、経営者としての忠実な姿を見せようとしました。

お母様の積極的な支持の下、核心的参謀たちと同調勢力たちは、「民心は天心」という言葉まで動員しながら、國進様と亨進様を目立たせることに熱を上げました。ところが、それが度を越して、霊界まで利用しようとする試みが幾度かありました。訓母に「霊界では誰が最も親孝行なのかを祈ってみなさい」との依頼がありましたが、「顯進様」という答えが出ると、その結果を口外しないようにとの指示が下されました。私はこの事実を知っていたのでそのまま伏せておきましたが、知らなかったら多分、正反対の結果を作って広報したかも知れません。

ある時には、ある霊能者に「真の子女様たちのために祈祷してくれ」というお母様の依頼が伝えられ、その霊能者が「3人のご子息全員のために祈祷する」と言いました。ところが「顯進様は抜いて進めよ」という注文が下され、これを受けた霊能者が「そんな依頼は聞き入れられない」として連絡を断ったこともありました。

2007年2月、亨進様は、天一国指導者大会での発表を通して、「過去の王朝の権力争いと多様な政治体制」を説明しながら、「これから統一家の分裂と独裁を防ぐには、真の父母様の絶対的な権威を守る中で、カウンシル(議会)のような機構が必要だ」と主張しました。当時の指導者たちは、このような説明に対して大きく歓呼しました。しかし私は、それがどれほど摂理から遠くかけ離れていて、危ない発想なのかを知っていました。お母様と國進様と亨進様が互いに利害関係で結託して摂理を主導する時、それがどれほど大きな被害をもたらすか、恐怖さえ感じました。

國進様と亨進様は、「真の父母様はただお一方しかおられない」ということを強調し続けながら、まるで顯進様が真の父母様の権威に挑戦し、別の真の父母になろうとする人であるかのように世論を作っていきました。

彼らが真の父母様の絶対性をそれほどまでに強調した理由は、何だったのでしょうか。

お母様の全面的な支持の下で、全てを自分勝手に主管し、統制できると信じたからです。

それほどまでに、真の父母様を絶対的な存在として神格化し、絶対服従を強調した方々が、お父様の聖和以後にはお母様のみ言葉に服従せず、後にはお母様を非難し、はなはだしくは新しいお母様を立てることまでしました。結局、その方たちが行動してきた全ては、自分たちが目標とするものを得るための手段に過ぎなかったのです。

UCIを接収しようとするお母様と國進様の意志

顯進様は弟たちの挑戦にもめげず、摂理的に充実した活動を展開していきました。父母様のすぐそばで孝行心を現わし、食口たちの歓心を買おうとする弟たちとは違い、世界と未来に対するお父様の経綸と夢を成すことに力を注ぎました。また、お父様も、新しく創設したUPFに関して顯進様に大きな期待をかけられ、全世界を舞台に活動を展開していくよう指示されました。

2007年2月、顯進様は米国12ヵ都市キリスト教会巡回講演を実施し、3月17日にはハワイでの国際会議で基調演説をして、この行事に参加したVIPは誰もが大きな感動を受けました。そこでお父様は「2013年まで毎月17日に国際会議(ILC)を開催し、これを顯進と郭会長が主管せよ」との指示を下さいました。この時から顯進様は、UPFの共同議長として紹介され、公式的には2007年7月にUPF常任委員会の推戴により共同議長に正式就任しました。

お父様のみ言葉と指導によって顯進様は、UPFを国際会議だけする組織ではなく、実質的な平和運動と摂理運動を主導する最上位機関として成長させました。また、毎月実施されるILCを通して、真の父母様の業績と教えを鼎立(ていりつ)していきながら、国際舞台に広い人脈を築いていきました。

2007年4月から6月まで、韓国と日本、米国でお母様を中心としたみ言葉巡回がありましたが、お父様は韓国大会から顯進様夫妻を共に随行させました。

ところが、決定的にお母様の心境に大きな変化を与える契機が訪れました。日本巡回が終わり、お父様がお母様と顯進様に米国巡回を指示しながら、「お父様のみ言葉を顯進様が代読し、お母様は息子を紹介せよ」とのみ言葉を下さいました。このような指示は、梁昌植米国大陸会長とマイケル・ジェンキンス米国協会長を経て、行事を準備する実務者たちに伝達されました。

お父様の措置は再度、お父様の権威を誰が相続するのか、世の中と全体の前に現わす意味がありました。すでにお父様は、お母様が聞いている場で、顯進様に「これからお父様の代わりに、全てに責任を負うことができるようにせよ」というみ言葉を下さいました。すでに宣布された通り、母子協助時代が終わり、父子協助時代、二世時代が到来した摂理進展を実証されたのです。しかし、お母様はそれを受け入れることができず、そのため、お父様は公的場でその意志を明らかにされたのです。

以前のお母様なら、そういうお父様の指示に従順に従い、協助されたでしょう。しかし、高齢になられたお父様に対するお母様の態度は、明らかに大きく変わっていました。

結局、お母様は、大胆にもお父様の指示を無視されました。米国に到着した後、顯進様がお母様を紹介し、お母様がお父様のみ言葉を読むようにされたのです。

「顯進様を立てたお父様の意志に同意しない」というお母様の公式的な反発でした。ある意味、お母様は、「妻を選ぶのか、息子を選ぶのか、決定せよ」という深刻なジレンマをお父様に投げかけたのです。

こうした状況において、お父様周辺の不義なる指導者たちが先頭に立ち、「お父様の次にはお母様が実権を握る」という政治的判断によって、お母様の意志をより優先し、お父様を孤立させていくのです。

ちょうど米国の行事を終えて帰国した空港で、顯進様が國進様を叱責したことがありました。このことについて、お母様は「顯進が独裁者のように弟たちを主管しようとしている」とお父様に告げました。

そうかと思えば、國進様は顯進様と一緒に麗水に行った時、お父様と幹部たちが見守る場で、「兄は独裁者で、文顯進ではなく郭顯進だ」という卑劣な言葉までこぼしました。この時からお父様は、2人の兄弟が互いに深刻に争っていると認識され、公式的な場でも「争うな」というメッセージをたびたび言われるようになりました。

この時から、お母様とお母様周辺の幹部たちは、「2人の兄弟が争うので、お母様を立てて交通整理をしなければならない」という立場に追い込んでいきました。

結局彼らは、2008年4月6日、ハワイでの儀式と、6月13日の宣教会でのミーティング以後、「財団理事長はお母様」という名分を立てて、家庭連合宣教会財団をUCIを含めた世界全ての財団の中心に立てていこうとしました。また國進様は、お母様の威を借りて実質的な経営権を掌握しようとしました。

一方で、顯進様を立てようとするお父様の意志は、2007年までは何も変わりがありませんでした。お父様は何度も顯進様にみ言葉を下さいました。

「お母様は原理も分からず、弟たちは自己中心的なので、この運動を任せてはならない。彼らが奪って行くことがないように、あなたがこれからこれを守り導いていかなければならない。このお父様はやがて、幼子のようになる時が来るだろう。私の話を肝に銘じよ」

麗水では次のようなみ言葉も下さいました。

「過去40年は私が導いてきたが、これから40年はあなたが導いていかなければならない。祝福もあなたがしなければならない」

公的場ではそぶりも見せられませんでしたが、すでにお父様も、周辺で起きている変化の兆しを感知しておられたのです。この時までは、お父様はご自身が全てをコントロールできましたが、後日、もっと年老いていかれた時を心配して、「お父様の意図が顯進様にあること」を明確にされました。

お父様は、もう一度顯進様を立てようと、2007年の世界文化体育大典組織委員長まで顯進様に任せて、行事全体を統括させられました。世界文化体育大典は、1988年ソウルオリンピック以後、各摂理機関の能力を総結集した最大の行事でした。これまで私がずっと組織委員長を担当していましたが、この時初めて、顯進様が組織委員長に就任されたのです。

顯進様を立てようとするお父様の変わりない意図と共に、お母様と他の2人の息子に対するお父様の認識も、お母様は明らかにご存知でした。

そのため、2007年以後、顯進様は、お母様の野望を成しとげるにおいて最大の脅威であり、障害物として認識されたことでしょう。それは他の2人の弟たちとお母様を支持する指導者たちにとっても同様でした。

結局、お母様を求心点とする「反顯進様勢力」が形成されました。

彼らはそれ以後、数年間、天正宮と内室に入る人々と情報を統制し、実際にお母様の許諾なしには、指導者たちがお父様にお会いすることができなくなり、お父様の目と耳はますます遮られ、高齢のお父様を孤立させていきました。また、顯進様を追い出すために、想像もできない手段と方法を動員したのです。

2006年6月に漢南洞から天正宮に居所を移したお父様は、それ以後、正確な情報と報告を聞く機会がますます減っていきました。その一方、顯進様に対する否定的な報告は、ますますひどいものになりました。結局、顯進様に対するお父様の視点は、従来と違う様相を見せ始め、行ったり来たりするお姿がよく目立つようになりました。私に対しても同様でした。

2008年からは、急激な混線と変化がやってきました。10年以上、顯進様を主軸に立てられてきた後継構図に根本的な地殻変動が、そしてそれによる大混乱が押し寄せつつあったのです。

目標と方向が異なる2つの運動

目標と方向が異なる2つの運動

2008年2月12日の真の父母様ご聖誕日、2月14日の遊天宮奉献式に参加した後に米国に帰った顯進様に、お父様の特別な要請が下されました。南米パラグアイで発生した危機を解決し、同時に中南米平和大使12,000人を教育せよとのことでした。

パラグアイでは2007年に日本人の国家メシヤが拉致される一方、チャコ地域で購入した約60万ヘクタールの膨大な土地が没収されるかも知れない最悪の状況に直面していました。

顯進様は2月27日、米国大統領の弟であるニール・ブッシュ氏と共にパラグアイを訪問しました。状況は思ったより深刻でした。

第7章で説明しますが、顯進様は大統領と談判しながら誰も手に負えなかった危機を見事に乗り越えたのです。

顯進様が世界で大きな目標を定めて投入している時に、韓国では亨進様が熱心に基盤を広げていきました。

2007年12月1日に本部教会の堂会長(担当牧師)に就任しましたが、数日後には人為的に龍山教会と麻浦教会など、周辺の幾つかの教会を本部教会に統合して、21万人世界平和統一聖殿建築に関する青写真を掲げ、徐々に教会を中心として自分の色を明らかにしていきました。顯進様が米国でキリスト教の大型教会である「メガチャーチツアー」を進めると、自分も大型教会牧師としてのイメージを構築しようと思ったようです。ところが自分の力で成長したキリスト教の大型教会と違い、亨進様の教会は規模も小さいということで、國進様の支援まで受けて人為的に周辺教会を合併したのです。

顯進様は、お父様が推進していかれる摂理の方向と、弟たちが追求する活動方向が「互いに逆行している」と見ました。そしてこれは、将来「お父様のレガシーにとって重大な障害物」になると見ました。米国イーストガーデンで、お父様宛てに率直な表現を盛り込んだ書信を作成し始めたのがこの頃です。この書信は3月中頃に完成しましたが、3月17日の孝進様の急な聖和によって、数日後の3月23日付でお父様に報告されました。

顯進様の書信は、「2008年とそれ以後の摂理の道を進む息子の出師表 (*5)」のようなものでした。

「お父様は、天意と普遍的な原理によって、神様の下の人類一家族の世界を実現していく摂理的な目標に焦点を合わせてこられました。このため、統一教会の看板を下ろし、包括的な摂理運動を展開してこられました。私も過去10年間、お父様と同じ夢と目標を持って邁進してきました。こうした点で、既存の教会制度と基盤を維持しようとする家庭連合指導部は反省しなければならないことが多いのです。これから私は、統一教会の枠を脱して、UPFとUCIを中心として、真正な超宗教超国家運動を展開していくつもりです」

お父様は、この手紙の内容を充分に受け入れました。4月6日にハワイで開かれた真の父母の日の行事で、訓読会に参加した全ての指導者たちに、この内容を読んでやるようにとまで指示されたのです。


5.「出師表とは、臣下が出陣する際に君主に奉る文書のことである。(Wikipediaより引用)」を一般的に表現した言葉。

亨進様の家庭連合世界会長就任

顯進様が中南米6ヵ国訪問に出ていた2008年4月18日、亨進様は家庭連合世界会長に就任します。これは郭錠煥から文亨進に人事異動になったのではありません。実際の世界会長である兄を追い出した人事です。それも、兄である顯進様は中南米6ヵ国巡回中の期間でした。顯進様は、大陸会長が受け取った公文を見て、このような事実を知られたのですが、これが正常なことでしょうか。

私は亨進様の任命の背後に、お母様と國進様がおられることを知っていました。2008年1月だったか、國進様が私にメッセージを送り、「お父様の指示で亨進様が家庭連合世界会長になったので公文で発表せよ」とまで、通知したことがありました。その後、孝進様の聖和と総選挙の結果にハワイで落胆しておられるお父様を訪ねていき、韓国家庭連合の状況に関する資料を持って、亨進様の任命を貫徹させたのです。

亨進様の就任式は、人事発表の約2日後に迅速に行われました。余りにも急で大陸会長たちが全て参加できないほどでした。彼は就任の辞を通して、顯進様の3月23日の手紙に正面から反駁する一方、教会と神学の必要性を強調しました。

地位のためにこの道を歩んできたのではない

その次の巡回地であるパナマで、就任式の消息を聞いた顯進様は、大きな混乱に陥りました。

その混乱は、「地位」ではなく「方向」にありました。3月に送った手紙の内容通りに、顯進様が所信を持って進んで行けば、結局は2人の息子は互いに違う方向に向かい、「お父様が一つの口で2つの言葉を話す結果」をもたらすからでした。

顯進様には2つの選択がありました。

一つは、残り3ヵ国の巡回日程を取り消して米国に帰り、全ての地位から退くことでした。

もう一つは、そのまま巡回を続けることです。それは後日、大きな衝突をもたらし得ますが、これが家庭連合全体に大きな試練を及ぼすとしても、摂理の正しい方向性を立てることを意味していました。

結局、顯進様はパナマから続けて巡回を行われました。

「地位のために、この道を歩んできたのではない」と顯進様は語りました。

また「神様の前に約束した内容があるから」と語りました。

神様の役事は奥妙でした。

全てをなくした顯進様は、行く先々で火のようなみ言葉を吐き出されました。それによって、ブラジルでは、マノエル・フェレイラ主教のような南米最高のキリスト教指導者がGPF運動の心強いパートナーになるのです。お父様は、顯進様の巡回の報告に鼓舞され、特にフェレイラ主教とのミーティングが成功的だったとの報告に非常に喜ばれました。

ハワイからニューヨークに来られたお父様は、巡回を終えて帰って来た顯進様を歓迎し、顯進様と共にワシントンでの国際会議行事を主管されました。

天の理知は実に奥妙でした。

顯進様が、家庭連合の責任者の地位に未練がましく執着することなく巡回を続けていくと、多くの指導者が連結され、巡回を終えて帰ってきた顯進様の家庭には9番目の子女様である信恩様が誕生しました。

教会内で顯進様の基盤をなくそうとする魂胆

顯進様がこの時の状況について最も残念に思ったのはCARPでした。1998年に家庭連合世界副会長に就任して以来、顯進様はCARPと二世教育に大きな情熱を注ぎました。未来の摂理が彼らの手にかかっているからでした。

顯進様は功績も称賛されない状況で、突然、W-CARP会長の立場まで明け渡さなければなりませんでした。彼らは顯進様がお父様に侍り、米国のワシントンとテキサスで国際行事を行っていた4月28日~5月3日の期間中の5月2日を選んで、世界のW-CARPの指導者たちを韓国に呼び集めました。そして、顯進様の離任式もしないまま、独自に就任式を行ったのです。

國進様と亨進様は、W-CARP世界会長就任式で「大学生組織と活動」には特に意味を置かず、ただ教会復興を強調しました。そればかりか、就任式直後、國進様はW-CARP本部の米国事務所を直ちに閉鎖し、本部を韓国にある家庭連合世界宣教本部と統合しました。また、長い間独立して活動してきた大学生組織を、「信仰運動だけ行う家庭連合の一般教会組織」にしてしまいました。顯進様が苦労して育ててきたSTF教育プログラムと、宣教師養成プログラム(MTF)も解散され、海外に出て活動していたMTF団員に対しても解散が命じられました。

当人の不在に乗じて、電撃的に家庭連合会長とCARP会長を代え、二世教育プログラムを全面廃止したことは、家庭連合内から顯進様の基盤をなくそうとするお母様と國進様、亨進様の下心が明らかに表に現われた事件でした。

これと時を合わせて、ヨイドパークワン・プロジェクトにも重大な危機が発生しました。

ヨイド敷地に設定された根抵当権 (*6) 抹消申請書に、5月8日までに財団がサインをしてこそ建築許可申請条件が完全に整うのですが、國進様が最後まで印鑑を押さなかったのです。財団の財産であるヨイド敷地が債務担保から外れる喜ばしいことに感謝できないばかりでなく、捺印を避けながら開発計画の妨害までするのです。こうなると、パークワン事業に社会的なイメージ損傷が発生し、債券銀行団が協力を拒否する恐れも生じかねませんでした。

ヨイドプロジェクトは、お父様が「顯進が担当して推進せよ」と、2006年4月の会議で整理してくださったのですが、國進様は初めからヨイドに対する自分の考えを変える気持ちはありませんでした。

締め切りの5月8日が過ぎて、顯進様は一晩中眠れませんでした。すでにデフォルト状態(約束不履行)になったため、銀行側がいつでもY22を相手に制裁をかけてくることができたからです。

結局この問題は、お父様に正式に報告されました。ラスベガスで報告を受けたお父様は、國進様に直接電話をかけて強く叱責されました。國進様が固執し続けたため、金孝律氏は「俗な言葉で(米国に)追い出される寸前の立場まで叱られた」と言いました。

状況の突然の急変に当惑したのは、お母様と亨進様でした。國進様が固執すれば、本当に國進様の「首が飛ぶ」恐れがありました。結局、彼らの説得で、國進様は固執を解き、5月10日に劇的な解決が成立しました。しかし、あくまでも暫定的な解決でした。

顯進様は、國進様が財団理事長の位置にいる限り、いつでも自分と衝突し、ヨイドプロジェクトを妨害し、ついにはUCIにまで欲を出すであろうということをよく知っていました。


6.抵当権の一種で、債務者との持続的な取引契約等によって発生する不特定債権を一定額の限度で担保とする抵当権を言う。

お母様を摂理の中心に立てるための試み

こうしたことがあった後、一方ではすでに決められていた長子中心の後継体制を覆すための作業が秘密裏に、そして着々と進められました。

お母様を中心とした教権勢力は、「顯進様と國進様の対立」をお父様に積極的に強調し、息子として責任を果たそうとする顯進様の主体的な主人意識を、「お父様の権威に挑戦する姿」として映し出しました。そして、徐々にお母様を摂理の中心に立て始めるのです。

その最初の試みが2008年4月6日にあったハワイ儀式に関する広報でした。

金孝律氏は、この行事を真のお母様の完成宣布儀式として宣伝しました。これによってお母様は完全であり、お父様と同格であるとしました。これが発端となって鮮文大学校神学大の呉澤龍(オ・テギョン)教授は、「真のお母様、神様の夫人論」を主張しました。

一方、この行事でお父様は、顯進様と國進様を各々お母様の右側と左側に立てた後、祈祷されたのですが、これを根拠に家庭連合は「顯進様は堕落したアダムの立場、國進様はイエス様の立場、亨進様は再臨主の立場」という論理を展開しました。「顯進様がカインであり、國進様はアベル」という論理も出てきました。

お父様の摂理的な儀式を政略的利害関係に従い利用し宣伝する様子を見ながら、私は苦々しさを禁じ得ませんでした。神様を中心として侍る、堕落と無関係な真の家庭の中で、「神様の夫人」だとか、「カイン・アベル関係」だとか、「堕落したアダム」だとか言うことが、あり得る主張でしょうか。

この儀式について、顯進様が記憶している内容は異なっていました。

顯進様の説明によれば、霊界では長子の孝進様が弟の立場であり、次子の興進様が兄の立場となって、兄と弟の位置が入れ替わっていますが、地上では顯進様が霊界の兄である興進様の位置と役割を代身し、國進様が霊界の弟である孝進様の位置と役割を代身するという意味だったということです。お父様がこの儀式を行った背景には、「真の家庭内でお母様が家庭の秩序と兄弟間の秩序を正しく立てる責任を果たさなければならないという期待が込められている」と顯進様は見られました。

それにも関わらず、家庭連合側は真の家庭に復帰摂理の論理を引き入れ、「カインがアベルに従順屈服し、お母様を通してお父様の前に出なければならない」という概念で解釈し広報しました。これは、母子協助時代を終結し、父子協助時代を拓いていかれるお父様の意図に逆行する主張でした。本然の兄弟間の秩序が定着すべき真の家庭内に、堕落したアダム家庭で適用されたカイン・アベル関係の原理を引き入れ、結果的に父母様の家庭を復帰摂理の原則に拘束される家庭へと転落させたのです。

家庭連合世界会長とCARP世界会長の人事異動を契機に、顯進様側と國進様・亨進様側は公式的に方向を異にするようになりました。

W-CARP本部に所属していた主要指導者たちは青年連合に移ってきて、2009年に顯進様が青年連合世界会長の位置まで剥奪されると、完全に辞表を出して、GPYCを作り新しく出発しました。統一家で最も優れた若い指導者たちは、顯進様の下で活躍していました。彼らは盲目的な信仰に慣らされた二世たちではありませんでした。彼らは國進様と亨進様の方針に決して同調できなかったため、結局は未練なく辞表を出して、顯進様と歩みを共にしたのです。

2008年6月13日の天正宮入宮戴冠式記念行事のために、世界の主要指導者たちが入国した時、UPFと家庭連合は前日の6月12日、大陸代表者会議を別に召集しました。この日、大陸会長たちは午前中にはセントラルシティで顯進様主管のUPF会議に参加し、午後には青坡洞協会本部で國進様と亨進様主管の家庭連合会議に参加しなければなりませんでした。

この時に國進様は、大陸代表たちの前で、家庭連合宣教会の組織構造と役割などに関して直接説明し、「これから真のお母様が理事長である宣教会が、世界の全ての資産を管理監督するようになる」と発表し、そのチャート上には自分が宣教会財団のCEOであることを表示していました。そして翌日の6月13日午後、金孝律氏はUCIと韓国および日本の財団実務関係者たちを召集して同じ内容を説明し、「これがお父様の指示」だと通報しました。設立目的が全く異なる宣教会を國進様と金孝律氏が持ち出して、お母様を理事長に擁立したのは何のためだったのでしょうか。世界財団の位相を備えてきたUCIの格を引き下げ、UCI所有の資産を主管しようとする意図でした。そして顯進様がこの指示に従わない場合、「宣教会vsUCI」「お母様vs顯進様」のような葛藤構図を作り上げようとする意図でした。残念なことに、実際にそのように状況が進められたのです。

2008年6月の会議以降、宣教会は何度かにわたって、世界の公的資産を把握する公文を発送し、7月からは、一成建設のような韓国内のUCI所有資産の株式を宣教会所有に変えるための試みが続けられました。日本統一教会がUCIに献金していた資金を宣教会に送るようにした後、この資金でUCI所有の一成建設の持分を購入しようとする小細工でした。(これは結局無に帰しました)

宣教会とお母様を表に立ててUCIを統制し、韓国内の主要資産を自分の手中に入れようとしましたが、これさえも思い通りにならず、2009年からはUCI理事陣を差し替える方に方向を変えました。これさえも金孝律氏と朱東文氏が解任されて無に帰すと、最後の手段として資金支援の中断と法的訴訟というカードまで切ったのです。

パラグアイGPFの成功

2008年7月5日、顯進様は、宣教基盤が劣悪なパラグアイでGPF行事を成功させました。顯進様の熱い闘志を感じさせる画期的な勝利でした。

顯進様は、パラグアイの指導者たちと国民の心をつかむために、直接パラグアイの奥地まで入り、パラグアイ最高のサッカースターであるチラベルト(Chilavert)選手を含めたパラグアイ最高指導層の子弟たちと共に、キャトルドライブ(牛追い)プロジェクトを進めました。

パラグアイGPF成功の牽引車の役割を果たした方は、パラグアイの多数党の党首であり上院議員でもあるリリアン・サマニエゴ女史であり、それ以後この方は、パラグアイだけでなく南米圏で顯進様を最も確実に支持するGPF運動のパートナーとなりました。

この時、ブラジルのジャルジンと新しい希望農場に責任を持っていた楊俊洙氏などの韓国指導者たちが顯進様を訪ねてきて、「ブラジル問題を解決して欲しい」と助けを求めました。詐欺師の弁護士たちにたぶらかされてジャルジンの土地を全て奪われ、その訴訟もままならない事態に不安を覚え、顯進様を訪ねてきたのです。忙しい日程にも関わらず、顯進様は彼らの事情を全て聞き、「お父様の許諾が得られれば、喜んで協助しよう」と答えました。顯進様は一切、彼らの過ちについて引き合いに出しませんでした。ある時、私にこのように言われました。

「郭牧師、私はあの方たちが悪いと責めることはできません。彼らがブラジルで法を犯して問題を起こしたのはその通りなのだと思いますが、皆、お父様の希望事項を早く遂行しようとしてやったことなのでしょう。この年になるまでお父様に従ってきて、また指示に従ってブラジルまで来た人たちなのですから、私が彼らを審判することはできません。彼らには、これからは法を犯すことなく、教育にのみ神経を使って、法律的なことは私たちの専門家に任せなさいと言ったのです」

実に感嘆し感動すべき指導力ではありませんか。その後、顯進様は静かにUCI担当者を呼んでブラジル最高の法律会社に接触させ、その後、山積になっていた問題を緻密に解決していかれました。

ところが、これがその後、どうなったでしょうか。

しばらくした後、家庭連合は顯進様を「ブラジルの土地を奪おうとしている泥棒」として追いたて、劇的に反転させた訴訟関係の仕事も、「全て手を引いてブラジルから出ていけ」と責め立てました。仕方なく、彼らの願い通りにしましたが、それ以後、ブラジルで家庭連合が土地を取り戻し、訴訟で良い成果を収めたという報告を聞くことはできませんでした。

私が本当に心痛く思うのは、当時、私が見ている前で顯進様を訪ねて来て、「助けてください」と頼み込んできた数人の家庭連合の元老たちです。彼らの一人は、今も「信徒対策委員会(信対委)」という家庭連合の私的組織の代表となり、これまで8~9年間、執拗に顯進様を苦しめてきた人物です。水に溺れているところを無償で救ってもらった相手に、ふろしき包みを差し出せと言っているようなものです。

真の父母様のヘリコプター墜落事故

奇蹟の中の奇蹟

2008年7月19日午後5時、真の父母様と補佐陣と乗務員など16人が乗ったヘリコプターが、台風による悪天候の中を運航中に、不時着する事故が発生しました。

父母様ご一行はこの日の午前9時9分、天正宮を出発してソウルに到着した後、ソウル盤浦のマリオットホテルで家庭連合宣教会の指導者たちと集会を持ち、天正宮に戻る途中でした。ところが、急な気象悪化により、ヘリコプターが清平の張洛山中腹の林の中に不時着してしまったのです。

ヘリコプターは不時着後に、燃料タンクに火が点き火炎に包まれましたが、機体が爆発する前に、父母様を含めた搭乗者16人全員が奇蹟的に脱出し、人命被害はありませんでした。事故直後、父母様は、近隣の清心国際病院に入院し治療を受けられました。

ものすごい衝撃でした。国内外の言論も、リアルタイムで事故のニュースを伝えました。ヘリコプター事故は、生存率が極めて低いと言われますが、機体が爆発して搭乗者全員が生存するというのは奇蹟だったのです。私も事故現場を見て回りましたが、天の守りと言う以外に、「搭乗者全員が無事だったこと」を説明できないでしょう。

私は、この事故を神様の恐るべき警告だと思いました。真の家庭と統一家が本当に一つになるように願う、天の警告のメッセージだったと感じました。

清心国際病院の病室を訪問した3人のご子息、顯進様と國進様と亨進様を立てて、お父様は「兄を中心として兄弟間で互いに一つになるように」と懇切に願われました。國進様は、顯進様の右腕になり、亨進様は顯進様の左腕になれというみ言葉です。お父様もこの事故の原因について何かを感じたので、このように願われたのではないでしょうか。

当時お父様は89歳でした。「一つになれ」というみ言葉は、激励の次元ではなく最後の遺言だったのです。どんな状況でも3兄弟が正しい摂理目標と方向で一つになること、これが真の家庭に賦与された子女様たちの責任分担だったのでしょう。

ヘリコプター事故から3週間後の8月7日、第12回七・八節記念行事が天正宮で開催されました。

お父様は顯進様にこの行事を主管し、お父様を代身してみ言葉を語るようにと指示されました。家庭連合世界会長には亨進様が任命されていましたが、病室で兄弟間の秩序を立ててくださったように、公式的にそれを現わされたのです。

顯進様は「この日を期して、全統一家と私たちの運動が一つの目的とビジョンを中心として、完全に一つになって新しく出発しなければならない」とのお父様のメッセージを、その場に参席した真の子女たちと祝福家庭の代表たちに伝えました。

「一つになれ」というお父様の願いのみ言葉は、2008年12月24日、クリスマスイブの行事の時にも続けられました。

「先生が90歳になる時(2010年)までに自分たちがすべきこと、天の国の何をしなければならないのかということを指示された全てを、皆終わらせなければならないのです。今日も力強い指示をしました。さて、それでは前に立ちなさい。兄を中心として並ぶのです。顯進が中央に立ち、一足後ろに國進は左側に立ち、亨進は、あなたが全体の責任を負うので右側に立ちなさい。兄を中心として、父母様と神様を中心として一つにならなければならないのです。6数が一つになるのです。個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代……」

『文鮮明先生御言選集』604巻 201ページ
(2008年12月24日)

仁進様まで立てて破局に突き進む統一家の分裂

厳重な天の警告にも関わらず、真の家庭と統一家の分裂は鎮静どころか日々破局に向かっていきました。

ヘリコプター事故の衝撃がまだ冷めやらぬ7月29日、お母様を中心とした家庭連合指導部は仁進様を米国総会長に任命する発令を出しました。10年以上公的生活から遠ざかっていた仁進様を急に引き入れた理由は明らかに見てとれます。「米国で顯進様を牽制するため」でした。

仁進様の登場で、米国では大きな混乱が起こりました。米国には大陸会長がいて、顯進様がその上で長年にわたり米国摂理全体を導いてきたのです。新たに登場した仁進様が果たして総会長として米国全体に責任を持ったのか、それとも家庭連合だけの責任を任せられたのか、その点を明確にする必要がありました。当時の金炳和および朴正海共同大陸会長は、お父様を訪ねて直接伺いましたが、お父様の答えは明らかでした。

「仁進は総会長ではなく牧会にだけ責任を持つ祝司長だ」

さらには「夫の朴珍成は、教会の仕事に関与するな」との指針まで下さいました。金炳和会長はお父様のみ言葉を録音までして仁進様に持っていきましたが、仁進様はお父様の音声を直接確認したにもかかわらず、受け入れませんでした。仁進様は自分に実際に発令を出したお母様、実権者である國進様と調整できれば問題がないと見ていたようです。堂々とお父様のみ言葉に背いたのです。

8月9日、顯進様は米国国会議事堂前でGPF行事を開催しました。しかしこの日、当然参加すべき仁進様夫婦は参加しませんでした。そうして、8月14日に就任式が行われると、仁進様はすぐに家庭連合理事陣の交代を試みました。既存の米国理事陣たちを交代し、米国統一神霊協会が所有している資産を、顯進様につながっている人々の干渉なしに自由に主管しようとしました。特に呼び値にして数億ドルの、ニューヨークの象徴とも言えるニューヨーカーホテルとその横のマンハッタンセンターなどは米国統一神霊協会理事会が経営権を持った建物です。

彼らは深夜の連絡を通して、「翌朝早く電話会議を通して理事会を開催する」と通知し、「既存の理事たちの一括辞任と、仁進様が立てた新しい理事陣の着任」の案件を通過させました。理事会の召集方式も非常識でしたが、仁進様が既存の理事たちを追い出し、代わりに迎え入れようとした理事たちの顔ぶれは常軌を逸したレベルでした。

一連の事実がお父様の耳に入り、お父様は遅滞なく原状復帰を命じました。仁進様は辞任した理事の一部だけを復帰させ、自分が入れた何人かはそのまま続けて残しました。それが、2009年2月の米国理事会事件と束草事件の火種となったのです。

理事会騒動の直後、顯進様は韓国に立ち寄ってお父様にお会いしましたが、称賛ではなく叱責を受けました。お父様は、顯進様が米国資産を統制しようと直接理事会を変えたものと誤解していたのです。誰がお父様にこうした嘘をついたのでしょうか。仁進様がしたことを顯進様になすり付けたのは誰なのでしょうか。こうしたことが真の家庭で起きてよいのでしょうか。

「なぜ理事会を全て変えたのか! 」

激しく叱責された顯進様が「自分は何もしていない」と申し上げましたが、お父様は聞こうとはされませんでした。

「あなたが米国責任者なのに何もしていないとは何だ! 全員元通りに入れ替えろ! 」

どうにかしてGPFの価値をおとしめようと

顯進様はパラグアイと米国での成功に続いて、2008年末までに、全世界10ヵ国以上を訪問しながらGPF旋風を巻き起こしていきました。顯進様が直接訪問しなかった国まで計算に入れると、世界20ヵ国以上でGPF行事が開催されたことになります。

顯進様は主要大陸会長たちを行事に参観させ、その結果がお父様にすぐに報告されるようにし、時にはお父様に直接お会いしてご報告したりもしました。

現場の指導者たちの大部分は、顯進様の指導力とGPFの可能性に対して大歓迎している様子でした。顯進様はいつでもどこでも壇上に立てば、それ自体がお父様を代身したご子息の姿として現れ、自然にお父様の位相と価値を輝かせました。

一方、顯進様に反対する勢力は、何としてもGPFの価値をおとしめようと努力しました。彼らが常套手段として用いた嘘は、お父様の価値をより大きく根本的な次元で証す顯進様を逆に「顯進様はお父様を証さず、GPF行事はお父様を表に現わさない」というものでした。

否定的報告の先頭に立った人は、金孝律氏と朱東文氏でした。朱東文氏は自分が発表した公開書信で、「GPFは真の父母様を度外視し、神様の摂理の前に一致せず、目標を喪失した一時的な社会運動に過ぎない」と批判して、本性を表に現わしました。これは彼だけの考えではありません。背後で彼を指揮する勢力全体の視点であり主張でした。このような視点または主張が、現場の雰囲気とどれほど大きな隔たりがあったか、GPFに直接参加した人々には全て分かる内容です。

國進様と亨進様も、GPFに対してこの上なく否定的で冷淡でした。國進様は「社会運動、平和運動によって神様のみ旨がなされ得るのか」と批判しました。顯進様がされるGPF運動を単純なNGO活動に格下げしたのです。世界的な宗教指導者たちがどうしてこの運動に参加しているのか、その方の精神世界ではとても理解できなかったのかも知れません。そのため、後に亨進様がUPF責任者の位置に上がった時、UPFを統一教傘下の宣教のための一つの道具かつ手段として認識したのです。

國進様と亨進様が兄のする仕事をどれほど無視したか、あきれ果てる事例が一つあります。顯進様がモンゴルのGPF行事を終えて韓国に帰ってきた時、鮮文大で進められた子女様たちの名誉博士学位授与式に参加することになりました。全淑様も学位を授与されることになり、空港に到着すると、すぐに鮮文大の行事会場に向かいましたが、式典では学位を授与された子女様たちを代表して亨進様が挨拶をしました。行事会場にいた多くの人々が、「モンゴルで顯進様が大きな行事を成功裏に終えて帰国し、その行事には亨進様の夫人である李妍雅氏も参加して帰って来た」ということを知っていました。ところが亨進様は、挨拶の中で國進様に対しては長く称賛の言葉を並べ立てる一方、顯進様に対しては一言も語らなかったのです。

こうした状況でしたが、世界をかけ回る顯進様の活躍ぶりに最も大きく満足し、喜ばれた方は、他ならぬお父様でした。マレーシアでのGPF行事を終えて帰って来た時、お父様は「顯進がイスラームの門を見事に開いた」と喜ばれ、日本でのGPF行事を終えて帰って来た時は、パンフレットに「顯進王」という称号を書いてくださいました。その一方で、高齢のお父様はGPFについて、たびたび顯進様に確認されました。

「これはお父様のものか、顯進、あなたのものか」

誰かがお父様に悪意の報告をし、それにお父様がどういう影響を受けられたのかが明らかに見てとれました。

顯進様は2008年の後半期はずっと、全世界を回ってGPF旋風を巻き起こし、真の父母様に捧げた書信にあるように、統一運動全般を家庭連合を脱した超宗教運動へと革新しようとしていました。

しかし國進様と亨進様は、お母様の威を借りて、韓国と日本を中心に「統一教」を前面に押し立てる正反対の道を進んでいました。新しい職責を受けた仁進様も「ラビング・ライフ・ミニストリー(Loving Life Ministry)」という自分の牧会ブランドを作って、米国に独自の基盤を構築し始めました。

これら4人の真の子女様は、表向きは各自の分野で忙しく時間を過ごしているように見えましたが、実際は、他の3人の兄弟たちが、顯進様と対決する構図を構築していったのです。

2008年は天宙史的な葛藤の本質が本格的に現われ始めた年でした。

言い換えると、これは単純な兄弟間の葛藤や資産争いではありませんでした。その中に隠された根本の摂理観、摂理運動の目的と方向、真の父母様のレガシーに対する認識などの問題が徐々に外に表出し、誰が、なぜこの問題を主導し操ってきたのか、その実体が表に現われ始めたのです。

2009年からは葛藤の様相が急速に悪化していき、「全ての葛藤構造の核心にお母様が腰を据えておられるということ」が7年間の過程を通して明らかになっていきました。

2005年、3人の子女様に許諾した各々の責任は、期待通りには進みませんでした。顯進様は責任を自覚してこれを収拾しようとしたものの実現できず、結局2009年以後、荒野に追い出され、徹底的に否定される中、自力で長子権を取り戻す道を始めなければならなかったのです。

後継者冊封式に変質した神様王権戴冠式

2008年のGPF行事を終えた顯進様は、これまでになく大きな抱負を持って新年を迎えました。顯進様には、「GPFを掲げて、2013年までどのように摂理的目標を成しとげていくか」についての明確なロードマップがありました。

しかし、2009年に入り、真の家庭と統一家から完全に捨てられた立場で、顯進様は公的路程を再び出発するようになりました。これは誰にも想像できなかった衝撃的事態でした。顯進様は、この苦痛を神様の摂理と真の父母様のレガシーを守るための天宙史的な葛藤として認識し、正面突破していくのです。

2009年1月3日、いつもと変わりなく朝の訓読会が終わりつつある頃、お父様は1月15日に予定されていた「神様解放圏戴冠式」行事について「亨進様夫婦が子女たちを代表して、2001年の神様王権即位式行事の時に使ってきた王冠と龍袍(ヨンポ:皇帝が着る龍の模様の外衣)を着て後ろから従う」という内容のみ言葉を突然、切り出されました。

この一言が、2009年以後の摂理の方向を完全に変えてしまうのです。

このみ言葉に接した顯進様は、何か直感したことがあるのか、すぐにマリオットホテルに居所を移し、天正宮との全ての連絡を遮断しました。そして「如何なる誤解を受けても15日の行事に参加せず、政治的にこの行事を利用しようとする者たちの手に巻き込まれてはいけない」という意図を明らかにしました。そしてきっぱりと1月6日に出国を決行しました。

ここで最も当惑したのは、当然この全てを主導したお母様でしょう。自分たちが作った罠に顯進様が巻き込まれないと見ると、お母様は多くの人を送って顯進様と接触を試み、出国を阻もうとしました。結局この試みは無に帰しました。

顯進様は米国に到着し、お父様に捧げる懇切な手紙を作成しました。この手紙は密封されて、1月15日の行事を目前に控えた天正宮に伝達されたものの、お父様に報告する過程で制止され、読まれることはありませんでした。結局お父様は、顯進様が何の連絡もせずに摂理的に重要な行事に参加しないまま、家族と一緒に消えたものと思われました。

その後1月25日、顯進様はラスベガスに泊まっておられたお父様を直接訪ねて単独面談し、言葉を交わしました。

「神様の戴冠式ということだ。先生の戴冠式ではない。神様の戴冠式は歴史上初めてだ」

お父様は初めにそのように行事の重要さを語られながら、顯進様の不参加を叱責されました。3時間ほど進められた対話の中で、お父様はずっと神様戴冠式の重要性を強調されました。亨進様を後継者に立てたという表現は、一言もされませんでした。顯進様がニューヨークでもお父様に確認しましたが、「変わったことは何もない」と言われました。

それにも関わらず、この時から家庭連合は、意図的にこの行事を「後継者冊封式」として内外に宣伝しました。そして金孝律氏と米国のジョシュア・コッター副協会長のような人が現れて、ラッパ吹きの役割をしました。ジョシュア・コッターは「冊封式を3度も行ったのは、顯進様が韓国の行事に参加しなかったから」と言い逃れをしました。

どういうわけで、お父様が精誠を込めて準備した神様戴冠式まで利用するような無理をしたのでしょうか。

結局、顯進様が彼らにとって最も恐ろしい存在だったからです。

そのまま放置すると、お父様が全ての基盤を顯進様に譲り渡すことが明らかだったからです。

2008年初めから12月までのほぼ大部分の日々を家の外で過ごしながら、全世界で収めた顯進様の実績に、お父様がどれほど喜ばれ大きく期待されたか、お母様が横で余りにも生々しく確認されたからです。

彼らには、これを覆すだけの極端な手段が必要だったのでしょう。

それで、戴冠式行事で本来顯進様が遂行すべき役割を亨進様に任せたのであり、それをもって「後継者が交代した」と宣伝したわけです。お父様の意図とは正反対に、彼らがお父様の目と耳を覆い隠してそのように装ったのです。

お父様が亨進様を公式的に後継者として任命する行事を行われるなら、こうした便宜的手段を用いる必要があったでしょうか。神様の三大王権を代表する最も高貴な長子権相続儀式を、他の行事に差し込んで進める理由がどこにあったのでしょうか。

1998年の顯進様の就任式行事の時、お父様がどれほど感激されたでしょうか。

全世界の前に、これを神様が待望された天宙史的な事件として表されなかったでしょうか。

後日、亨進様がお母様と決別した後、この行事を後継者冊封式だと宣伝するので、その時になって、やむを得ず当時司会を務めていた梁昌植会長を立てて「あれは後継者の冊封式ではなく、神様戴冠式行事であった」と釈明させました。自分たちの口で神様戴冠式を文亨進後継者冊封式だと宣伝しておいて、今になってそうではないというのでしょうか。

ラスベガスのミーティングで、顯進様がお父様に申し上げたことがあります。

「後継者を定めることは全的に天のお父様の権限であり、その後継者が正にお父様のレガシーを代表するでしょう。お父様がこれから私に願われることは何でしょうか」

この時、お父様は答えられました。

「世界巡回をしながら、グローバル・ピース・ホーム・アソシエーション(Global Peace Home Association)を組織するようにせよ」

顯進様はモンタナに帰る途中で1泊しましたが、その日の夜、夢である啓示を受けられたといいます。

朝早く目を覚ました顯進様は鄭元周氏に連絡し、「お父様をお助けしたい」との旨を伝えられました。お父様は、「1月31日に韓国と米国で同じ日に開催される戴冠式行事に必ず参加せよ」と願われ、顯進様は全淑様と共に、その両方の行事に参加しました。

米国行事が終わった後の指導者会議で、お父様は顯進様に「世界180ヵ国巡回講演を7月までに完了すること」を指示されました。顯進様が全て回ることができない時は「郭錠煥の家族がこれを分担せよ」との指示まで下さいました。特異なことは、巡回講演の演説文に関する部分でしたが、「お父様のみ言葉ではなく、顯進様がGPFで発表した演説内容が良いので、それにせよ」とのことでした。

日本で発生した大事件

巡回準備で慌ただしかった2009年2月初め、日本で大きな事件が発生しました。

日本警視庁公安部(公安)が、日本統一教会本部教会が属している南東京教区の印鑑会社を家宅捜索し、過去10年間管理してきた1千人以上の顧客リストを押収したのです。それまでも日本の公安は何度かにわたり、全国にある地方の教会または関連会社の捜索を試みてきましたが、教会に大きな影響はありませんでした。それに対して、この時の事件は大きな衝撃でした。

公安が日本統一教会本部の鼻先にまで接近したからです。まさかの本部捜索が現実になり得るという不安と焦りが生じました。驚いた日本本部は、2月12日に浦安研修院で全国公職者総会を召集し、徳野英治協会長は公式見解を発表しました。

「宗教法人である統一教会は一切の経済活動をせず、教会の公職者が組織的に信徒を動員して経済活動をすることが一切ないようにします」

神様戴冠式行事が終わった直後に発生したこの事件は、約6ヵ月前に発生したヘリコプター墜落事件に続き、今一度、大きな衝撃を与えました。何かが大きく間違っていると判断されたお父様は、2月15日に帰国するや否や、米国ハワイで決定した新しい人事措置の内容を知らせるように指示されました。そこで金孝律補佐官が、日本から来た責任者たちと家庭連合幹部たちが集まった場で発表した内容は次の通りです。

「韓国は亨進様、米国は顯進様、日本は國進様が責任を負うものとして、お父様が決定されました」

戴冠式行事を、後継者冊封式行事と装って宣伝していたお母様と亨進様の側では、この予想できなかった措置に慌てるしかありませんでした。なぜなら、皮肉にも、彼らが当初、顯進様に相続される長子承継構図を壊すために持ち出した、2005年からの3子女役割分担論を、お父様がここで再度取り上げて、3人の息子に各々、摂理中心3ヵ国の責任を分担させたからです。これにより、彼らが宣伝している亨進様承継構図は始めから不安定さを現わしたのです。

彼らはお父様の措置内容をしばらく口止めし、ついには公文としても出しませんでした。顯進様は米国でこの消息を聞き、米国の分捧王だった朱東文氏を通して、お父様の意図を確認しました。何日か後に朱東文氏は、お父様から直接確認した内容を正式に知らせてきました。「顯進様が米国に対する全ての責任を持ち、仁進様は祝司長の役割だけをする」ということでした。

顯進様は、家庭連合の核心指導部が、なぜお父様の決定を内密にしているのかを、よく知っていました。お父様によって、自分たちが仕組んだ構図に変化が生じたため、これに備える対策を立てようとする魂胆であったことが伺えます

顯進様を批判する食口集会

顯進様には、こうした権力争いに割り込もうという思いはありませんでした。ただ世界巡回を通してお父様を助けようという思いに満ちていました。また日本から経済的支援が切られても、米国が自力でワシントン・タイムズの基盤を守らなければならないと考えられました。顯進様は、世界巡回に発つ前に、こうした意図を米国指導者たちに伝えようとしました。そして、出発2日前の2月23日に、ニューヨーカーホテルで「家庭連合とUPFを中心とした摂理機関合同指導者会議」を持たれます。

また、このミーティングに先立ち、仁進様に別途に会ってお父様の決定を伝達し、協助を依頼しました。ところが、仁進様は「お父様に直接会って確認する」と言いながらその場を離れ、結局、顯進様は一人で指導者たちとのミーティングに臨みました。

金炳和大陸会長は、お父様に捧げる報告書の中で、「顯進様が米国を担当するようになり、困難な局面を打開するのに大きな解決点が見出されるだろうと、全員が歓迎する雰囲気でした」と言及しています。

米国指導者会議はこのように、始めから終わりまで真摯な内容でしたが、その反応はあきれ果てるものでした。約1年後の2010年1月11日、仁進様の指示を受けてニューヨークのベルベディア教会で開かれた「顯進様を批判する食口集会」において、ジョシュア・コッター米国副協会長は、「昨年2月23日の会議は最悪の集会」だったとひどく歪曲しました。彼はこの日の顯進様と仁進様の対話の内容についても、「顯進様の人格を完全に冒涜する捏造された内容」を並べ立てました。「私が召集した集会に同席しなければ、姉に恥をかかせるつもりだ」と仁進様を脅迫したと述べたのです。

後で分かった事実ですが、ジョシュア・コッター氏は朴珍成氏側が作成した「仁進様と顯進様の捏造対話録」の内容をそのまま引用したのでした。仁進様側は2月23日の顯進様と仁進様の対話内容を捏造して対話録というものを作り、この資料をもって顯進様に対する中傷宣伝をしてきました。朴珍成氏は、当時米国CARP会長だったケンシュウ・アオキ氏を呼び出し(2009年3月25日)、捏造された対話録を見せて顯進様に対する悪いイメージを植え付けようとしました。また「顯進様か、仁進様か」を選択せよと言いながら「仁進様チーム」に入るように強く勧めたのです。

ケンシュウ・アオキ氏は後日、この対話録は「顯進様を極めて残酷で無慈悲な人に見えるように作成されていた」と述べました。「本当にその方(顯進様)がこうした言葉を全て言ったのですか」と珍成氏に尋ねると、珍成氏は強く「そうだ! やっと私が何の話をしているのか分かっただろう」と答えたそうです。ケンシュウ・アオキ氏が2010年3月29日に公証文書に残した陳述内容です。

後でこの内容の報告を受けた顯進様は、驚いたり怒ったりはされませんでした。充分にそういうことをし得る人だと、すでに把握しておられたようでした。こうした非倫理的行動にどう対処すべきかと尋ねると、顯進様は仁進様について残念がりながらも、「そのまま放っておきなさい」とのことでした。

霊界メッセージ捏造事件

2月23日に米国で指導者会議があった日の夜、世界宣教本部の石俊淏(ソク・チュノ)本部長が発送した電子メールが、金炳和米国大陸会長宛に到着しました。

公文には、「仁進様の総会長の地位には変わりがない」との國進様の指示が書かれており、「亨進様はお父様の代身者であり、顯進様の上官」であるという説明が図表で描かれていました。仁進様と緊密に連絡を取り交わした國進様と亨進様側が、お父様の決定と指示事項に逆って顯進様を牽制する目的で急きょ作成して送りつけた公文でした。

翌朝、その報告に接した顯進様は、明らかに不快に思われたようでした。そうして、本来理事会に手を付ける意図がなかった顯進様ですが、「米国理事陣を原状復旧させる」ことを決心するに至るのです。こうした決定に対して、家庭連合側は「顯進様が米国でクーデターを起こしたかのように」報告し、前から顯進様に対して誤解していたお父様は、4人の子女様たちを江原道の束草に召還しました。束草の会合を通して子女たちが互いに対話を交わし、問題を解決できるように機会を下さったのです。顯進様は國進様と対話を試みたものの、始めから言い争いになり、何も得るところなくソウルに帰りました。

顯進様は、お父様が1月に指示された通り、2月27日から世界巡回に出発しました。

最初の国である日本では5万人大会が盛況の内に終わり、成功裏にテープを切りました。次の国はフィリピンで、長年にわたり顯進様が精誠を込めてきた国であるだけに、盛大な歓迎の中で行事が進められました。特に2007年12月12日、フィリピンでは最初の公式的なGPF行事が開催され、翌年2008年12月13日には、同年GPF大会のラストを飾る最後の行事がマニラのキリノ広場で開催されました。相次いでフィリピンを訪問する顯進様を多くのVIPたちが心から歓迎してくれたのです。

顯進様の巡回は、5月15日までに各大陸26ヵ国を、一日も休む間もなく訪問する大長征でした。フィナーレの行事は、ニューヨークの国連で予定されていたのです。

行く先々で、朝から夜遅くまで、ぎっしり詰まったスケジュールであり、細部に至るまで全力投球されるため、さらにきつい強行軍でした。2008年下半期だけで10ヵ国を回り、驚くべき反響を呼び起こしましたが、2009年上半期に26ヵ国の巡回を終えたら、その結果はどうなるか、想像しただけでも胸が躍りました。この勢いに乗って、2013年の基元節に向かって行ったなら……。

もしかしたら神様は地位に執着する人々には地位を与え、み旨を成しとげようとする人々には、自由に世界に出て堂々と自分の道を開拓する道を拓いてくださるのかも知れません。顯進様の世界巡回がそのように続けられていたとしたら、それは現実になっていたことでしょう。

ところが、3番目の巡回地である台湾で行事を全て終えた時、お父様が急に顯進様を束草に再び召還されました。残った巡回日程を全て取り消せという命令でした。

束草でどんなことが進められているのか、顯進様はすでに多くのルートを通して見抜いていました。束草にいたある指導者が、緊急に電話で「今ここでは顯進様を謀反者として追放し除去しようとする計画が推進されています。早く備えてください! 」という連絡をして来たからです。

しかし顯進様は、自分に近づく運命を避けようとはしませんでした。

3月8日、江原道束草の天情苑での早朝集会には、真の子女様や私を含めた家庭連合の高位指導者たち、そして日本から来た修練生など400人余りが参加していました。

訓読会が進行中だった8時頃に顯進様が到着すると、お父様は「さあ、訓読はここで止めて、今から霊界メッセージを読もう」と言われました。壇上のお母様が、封筒を司会役で訓読をしていた梁昌植会長に手渡しました。梁会長は封筒からメッセージを取り出して、孝進様の霊界メッセージを朗読しました。長くないメッセージで、お父様は途中、「孝進が霊界で感じることが多いことだろう」と簡単に言及されました。

問題はすぐ次に読んだ報告書でした。お父様はこれを「訓母メッセージ」と言われ、朗読のために金孝南訓母を探しました。

「さあ、今度は訓母様、訓母様のメッセージだ。霊界の実相だ。訓母! 訓母様は来ているのか、聞いているのだ。どこだ、訓母! 」

訓母は見当たりませんでした。

梁会長が報告書を読み始めました。

「……敬愛する万王の王、真の父母様にご報告申し上げます」

すると、お父様がまた強調しました。

「よく聞け。これは訓母様の霊界メッセージだ」

お父様がこの報告書をどう思っておられるのかを、端的に見せてくれる場面でした。これはお父様に「金孝南訓母の個人的意見を書いた報告書」ではなく、「霊媒者である訓母が霊界から受けた内容を整理した霊界報告書」ということでした。お父様がこの点を何度も強調されたので、その場にいた人々は皆、「孝進様の霊界書信に続いて、この報告書も当然、霊界メッセージだろう」と認識しました。

ところが、梁会長が読み進んでいく報告書の内容というのは、「実に異常なもの」でした。家庭連合内に葛藤が起きている組織、指揮体系、後継構図に対する具体的な提案で、すっかり埋め尽くされていたのです。一言で言うと、亨進様を相続者に任命し、顯進様はその下に、そして子女たちは必ず、お母様を通してお父様の前に出ることなどを霊界が提案するという内容でした。

さらに異常なことは、米国で組織原理に従い顯進様に侍って働いているニール・サローネン米国ブリッジポート大学総長、タイラー・ヘンドリックス統一神学大学長、ヒュー・スパージン理事、郭珍滿モンゴル分捧王などを全て免職させる人事異動の内容までありました。

今まで多くの霊界メッセージに接してきて、お父様に直接伝えて差し上げたりもしましたが、こうした種類の報告書を訓母が霊界から受けたとは、想像もできないことでした。お父様のみ言葉にも関わらず、どうして訓母が現われなかったのか、初めて理解できました。神様の摂理史においていつまでも問題となる、実に暗たんたることが起っている最中でした。

報告書が全て読まれると、お父様はもう一度「霊界がこう見ているので…」とされながら、これを「霊界の事実」として釘を刺しました。続いて所感を述べる場では、最初にお母様がこう語られました。

「最終的なことはお父様がされますが、霊界から見ていること、今メッセージを通して見ると、余り残りのない2013年に向けて、お父様の生前に……。お父様が秩序を正してくだされば……」

霊界のメッセージに対してお父様が、早く最終決定を下してくださればよいということでしょう。これが「霊界報告書」であることをお母様も再び強調したのです。お母様の次に朱東文氏も、「霊界を知らずに自分の考えのまま錯覚を起こして、こうした混乱が起きた」といったような発言を続けました。

この日、お父様は私の意見を尋ねられたので、こう答えました。

「このように定めた決定が父母様の意図なら異見はありませんが、果たしてその過程が純粋に展開されたのかという点には遺憾な内容もあります」

ここでお父様から制止されました。

お父様は「米国理事会変更の件に加担してきた人たちの責任を問うて解任する」と語られ、顯進様の意見を聞かれました。ずっと沈黙しながら聞いておられた顯進様が、ついに全体が見ている前で、惨たんたる心情を爆発させられました。

「あきれ果てるようなことであっても、お父様を見て耐え、かわいそうなお父様を助けるために世界に向けて旅立ちましたが、そんな息子を整理したければそうしてください。どうしてこうした霊界報告書で人民裁判をされるのですか。ここにいるこの人(そのメッセージによって免職された指導者)たちが私の人たちですか。まさにお父様を尊敬しながら従ってきたお父様の人たちではありませんか。彼らは位置に就こうとして従ってきたのですか。首にするなら私を首にしてください。私が全責任を負って退きます」

余りにも激しい思いに、韓国語がまともに出てこないようでした。途切れ途切れに少し話された顯進様は外に出ていきました。

私が書いたものではありません

後にこの事件は、「束草霊界メッセージ捏造事件」と呼ばれるようになりました。

お父様は霊界の実相を知らせる訓母の霊界メッセージと言われ、お母様も霊界からのメッセージと言われたのですから、誰がこのみ言葉の権威に挑戦するでしょうか。平常時であれば、想像もできないことでしょう。

ところが、とんでもない内幕が一気に現われます。顯進様がその場を離れてから、わずか10分も経っていませんでした。霊界が生きて働いているということが、恐ろしいほど、また戦慄を覚えるほど実感させられた瞬間でした。

私は顯進様を止めようと、舞台の裏門を通して外に出ました。そして、凍りついた顔で裏門の前にたたずむ訓母を通り過ごして顯進様に追いつき、「もう一度お父様のところに行きましょう」と切実にお願い申し上げました。ちょうど朱東文氏がついてきたので、私は「顯進様を連れて戻るように」と頼み、再び訓母のところへ行きました。

「訓母様! いったい何のためにそうされたのですか。これは何をしようということですか」

「会長、私は何も知りません。私は関与していません」

心が凍てつくような瞬間でした。短く一言ずつ交わしたその対話だけで、み旨の中にあって最も恥ずべきことがこの場でほしいままにされたことが事実として現われたのです。「生命より貴い天理原則を、真の父母自らがもてあそんだ」この事件をどう収拾すべきか、目の前が真っ暗になる瞬間でした。

これ以上、訓母と言葉を交わし合うべき事案ではないため、再び会場内に戻って座りました。

その後は、どんな言葉もまともに耳に入ってはきませんでした。

集会が終わり、顯進様から内幕を伝え聞いた金慶孝氏は、その翌日、司会を担当した梁昌植会長とウォーカーヒルホテルで会ったそうです。その場で「訓母が報告書を作成していないと顯進様に直接白状した」というと、梁会長はもっと驚くべき事実を打ち明けました。

「その報告書はお母様の依頼で私が作成し、金孝律氏の監修を受けてお母様にお伝えしたものです」

後の集会でお母様から手渡された封筒を開けた際、自分の作成した報告書がそこに入っていたのをみて驚いたといいます。陰謀のからくりが明かされた瞬間でした。

類推してみると、自ずと答えが出ます。お母様が梁会長に報告書の作成を指示し、梁会長が作成した草案を金孝律氏が仕上げてお母様に差し上げ、お母様がこれに「訓母報告書」というタイトルを付けて、お父様に「霊界メッセージ」とカモフラージュしたのです。

私としては、お母様の計画が余りに大胆不敵だという思いと共に、一つの疑問が浮かびました。初めから、お父様の決定と指示として言いつくろうこともできたであろうに、なぜ「一歩遠回りして」、霊界が推薦しているといった形を作り、それをもってお父様が決定されるようにしたのだろうか。

お父様は、孝進様の急な聖和で衝撃を受けられ、束草の天情苑に閉じこもっておられるかのようでした。金炳和会長の証言によると、天情苑の湖で釣りをされながら、お父様は、「私は神様と霊界の啓示のみを信じる」と周辺の人たちに繰り返し語られていたそうです。お母様はこのようなお父様の心理状態を利用して、「霊界メッセージ捏造」を準備したように思えてなりません。

正確な理由は、これを企てた当事者たちだけが知っていることでしょう。私の考えでは「お母様の選択した後継者が、霊界の認定と支持を受けている」ということを現わし、お父様にもこれを刻印させて、「お父様の決定に楔を打ち込もう」としたのではなかったかと思うのです。

結論として、「束草霊界メッセージ捏造事件」は、天宙史的混乱の中で最も恥ずべき歴史の1ページとして残りました。また、お父様の基盤を奪取した現教権勢力たちの非正統性をそのまま現わした事件として記録されました。

束草集会以後、顯進様はUPF共同議長職から免職され、お父様は「1年間休め」と言われました。金起勲会長に、「顯進様の代わりに1年間GPFの責任を担当せよ」とも言われました。同時に、顯進様の側に加担していた理事たちも皆、退くようにと言われ、特に米国総責任者だった金炳和および朴正海共同大陸会長も辞職するようにと言われました。

顯進様は束草事件以後、米国に帰ってモンタナ州の山奥に閉じこもりました。そこで5月になり、40歳の誕生日を迎え、新しく出発することを天の前に決意しました。偽の霊界メッセージを動員した、何よりも孝進様を先にあの世に送り出され、辛い思いをされていたお父様の感情まで利用した、お母様と家庭連合指導部の圧迫に、顯進様は絶対に屈することができませんでした。

摂理的葛藤の拡散

摂理的葛藤の拡散

顯進様がモンタナに蟄居(ちっきょ)し、全ての状況は整理されたかのように見えました。

仁進様は4月からニューヨークのマンハッタンセンターを中心に、韓国で亨進様がしてきた方式で家庭連合を統合して礼拝を始めました。

國進様と亨進様は、顯進様が依然として青年連合世界会長職におられるにも関わらず、3月には韓国青年連合の財政監査を断行し、4月28日には韓国青年連合を家庭連合の傘下に置いて統合管理すると同時に、韓国会長を一方的に交代すると発表しました。

理事会の変更を通してUCIを接収しようとした計画

5月には、朱東文氏がお父様にUCI理事2人の追加に対する意見を申し上げることによって、UCIを掌握しようと具体的に試みました。國進様や金孝律氏、朱東文氏などは2008年6月に、家庭連合宣教会を再稼動してお母様を理事長として擁立した後、UCIの主要資産を宣教会に帰属させようとし、これが無為に帰すと、UCI自体の接収に方向を変えたのです。彼らは先ずUCI理事に登録されていた金孝律氏と朱東文氏を押し立てて、UCI理事陣の改編を試みました。朱東文氏は2009年5月、お父様にお目にかかる場で、「UCI理事をもっと補強し、その数を7人に増やしましょう」と提案し、候補者として新任の米国大陸会長であり、お父様が信任され、顯進様とも交流のある金起勲会長と真の子女様である善進様を推薦しました。これは一見顯進様のための配慮に見えましたが、UCIから顯進様を追い出すための狡猾な策略と戦略が隠されている提案でした。

米国家庭連合理事会の波乱に続いて、UCI理事会まで話が出ると、お父様は「なぜしきりに理事会のことばかり言うのか」と立腹されました。すると、横におられたお母様が朱東文氏を助け、口添えしたと言います。

結局、お父様は、金起勲会長に顯進様に会ってみるように指示され、金起勲会長と朱東文氏は一日間隔でモンタナを直接訪ね、顯進様に会いに行きました。朱東文氏は顯進様が本音を打ち明けて語ったみ言葉を曲解し、主観的な考えを付け加えて韓国に帰りました。それ以後、お父様周辺では、「顯進様がお父様と張り合い、自分を新しいメシヤだと言っている」という話が出回り始めたのです。理事会補強のための彼らの提案が顯進様側に受け入れられないと、金孝律氏と朱東文氏は、2009年7月9日に理事2人を追加で選任するためのUCI理事会を召集しました。しかし、他の理事たちが応じなかったことから理事会は無為に帰しました。

一方、顯進様は同年7月30日から8月7日にかけて、南米のパラグアイとブラジルを訪問することになりました。1年半ほど投入してきたパラグアイの基盤を点検し、プエルト・カサドにある真の父母様の公館を再びオープンする予定でした。ところが、8月2日にパラグアイのプエルト・カサドに向かう飛行機の中で、「カサド市の真の父母様公館をとり巻いて発生した騒乱事件」に関する報告を受けたのです。結局、訪問計画を取り消し、他の地域の巡回に日程を変更しました。

事件発生後すぐ、事件が起きた背景に「韓国財団が関連している」という情況が露わとなり、その後約1ヵ月間にわたり調査が進められました。その結果、宣教会所属の朴珍用(パク・チニョン)弁護士が、現地で採用されたサボリオ弁護士などと共に、騒乱事件を起こした過激団体「プロティエラ」と交流していた事実が発覚したのです。

これに対して韓国財団は、「UCIの下で働くパラグアイ土地管理責任者トマス・フィールドが顯進様のカサド訪問をむりやり推進して自ら招いたこと」と偽りの主張をしました。そしてこの時から國進様側は、「UCIがパラグアイの土地を私有化する過程を踏んできた」と非難し、「家庭連合の財産を守らなければならない」という論理を展開するのです。

数年後、この事件は新しい局面を迎えました。騒乱事件を起こしたプロティエラ組織の会員だったプエルト・カサドの前市長(2006~2010)が良心宣言をしたのです。「國進様と亨進様に背後から操縦されている韓国人とコスタリカの弁護士が、2009年中盤にこの地域にやって来て、顯進様を、道徳的に問題がある人物であり公金を濫用してお父様の財産を横取りしようとする泥棒として追いたてた」という内容でした。

本論に戻って、プエルト・カサド訪問を取り消した顯進様は、8月2日にメノナイト定着村に立ち寄り1泊するようになります。この日の夜、顯進様は重大な決断を下しました。UCI理事会を召集し、金孝律氏と朱東文氏を電撃解任したのです。これはパラグアイまで来て犯罪集団と手を組み、摂理を破壊する行為として引き起こされた暴動事件と共に、もはや引き返せない川を渡った事件となりました。

顯進様の立場からすれば、これはお父様を「隠居老人」の境遇に追いやり、全てを思うがままにしているお母様と弟たち、金孝律氏と朱東文氏のような指導者たちの横暴を、これ以上座視することはできず、積極的にお父様の摂理的基盤を守ろうとする力強い意思表示とも言えるものでした。

家庭連合側もいよいよ顯進様を圧迫するための本格的な実力行使に出ます。「理事会変更によってUCIを接収しようとした計画」が無為に帰し、かえって金孝律氏と朱東文氏まで解任されると、國進様と亨進様側はUCIに入る資金源を遮断して、保有資金を枯渇させる戦略に転じました。

彼らはまず最初に、日本統一教会から毎月ワシントン・タイムズのために支援されていた数百万ドルの資金を即時(2009年8月から)中断する超強硬手段に出ます。それは、約30年間で2兆ウォン余りを投資して築いてきたワシントン・タイムズの崩壊さえも甘受するということを意味していました。

そこで顯進様は、8月から9月にかけて、何度もお父様に手紙を送り、ワシントン・タイムズに関する問題の解決を訴えました。しかし、明らかな解決策は提示されませんでした。金孝律氏はUCI理事をまず元の位置に戻すよう要求し、「財政については日本に責任を持った國進様と相談せよ」とその責任を押し付けました。國進様側がこれ以上支援する意思がないので、UCIは米国家庭連合から貸出金返還形式で、約900万ドルを返してもらった後、強力なリストラと最小運営資金で1年近く持ちこたえました。

國進様はメディアに対する支援金を遮断したのに続いて、父母様が使う専用機の運営資金の支援さえも中断してしまいました。父母様の専用機はUCI系列会社の中継を経て、外部専門会社の管理の下、日本から支援する資金によって運営されていました。それ以後、家庭連合は専用機使用中断に対する責任を、執拗なまでに顯進様になすりつけました。また「高齢のお父様が専用機も思い通り使用できないように妨害してしまった」と陰湿に非難しながら、顯進様を親不孝息子とののしりました。

11月8日には、UCI系列会社であるワシントン・タイムズ航空(WTA)の会社資金2,100万ドルが、朱東文氏によって宣教会の口座へと不法送金される事件が発生しました。これも、UCI資金を根本的に遮断するための一環として実行された計略に見えました。WTAが米国会社の規定によって、資金を返してくれるように要請する通知書を送り、口座を凍結させると、家庭連合側は大々的に「顯進様が真のお母様を告訴する背倫行為を行った」という、最悪のネガティブキャンペーンを展開しました。これには、朴珍用氏、申東謀(シン・ドンモ)氏、イ・サンボ氏といった人々を先頭に立てました。彼らをはじめとするその他の教権と指導者たちが、今日に至るまで他の子女様たちの本当の逸脱行為に対しては、なぜおしのように黙っているのか興味深いところです。

特に南米大陸会長の申東謀氏は、2010年3月頃に顯進様のケニア訪問活動を非難した「仮面」という文の中で、「真のお母様を借金取りにしてしまいました。まさか! ! ! ! 息子が母親を! ! ! ! ! 何と真のお母様を告訴した彼ら」という露骨な表現もためらいませんでした。

韓国と米国での変化

韓国は完全に國進様の手中にありました。

9月2日、私は鮮文大学院財団理事長の職から退きました。韓国で持っていた最後の家庭連合の肩書きでした。

離任した翌日、韓国財団から派遣された数人の監査が、大学課傘下の中・高等学校に押しかけてきました。きっかけ一つでも見つけようと、私の周辺をしらみつぶしに探し回りました。しかし鮮文大のお金で渉外費一つ使ったことがないので、何も出てくるはずがありません。ただ、それは予告編に過ぎませんでした。後日、私に対する無差別の訴訟が次々と殺到し始めたのです。

國進様は私の後任に、石俊淏理事長と方永燮常任理事を送りました。方理事は引き継ぎの過程で、「韓国財団からは年俸2億ウォンをもらっていた」と言いながら、それに準ずる待遇を要求してきました。鮮文大では、そんなに多くの給与が与えられる訳もないでしょう。しかし、そこはもはや私の管轄ではないため、身軽な気持ちで最後の公職を下りました。

米国では、仁進様の牧会が次第に奇形的な形となって展開していきました。

亨進様と仁進様は、ロサンゼルスやシカゴ、首都ワシントンD.C.を経て、9月6日にニューヨークで合同礼拝を持ちましたが、仁進様は2度目の21週間の路程を出発すると話しながら、「9月6日から米国家庭連合傘下の全教会は、21週間、毎週1回、21週礼拝ビデオを視聴する礼拝キャンペーンに入る」と語りました。各レベルの教会の礼拝を、21週間も、「仁進様の過去の説教と礼拝映像」をもって代替する無理なやり方は、現場の不満を呼び起こしました。

それにも関わらず、このキャンペーンが終わると、仁進様はマンハッタン本部教会で実施される礼拝を、全国にインターネット中継して同時視聴し、礼拝を捧げるようにさせました。結果的に、現場の牧師たちは説教権を喪失したまま、真っ暗な聖殿で、単に司会者レベルの役割をこなす立場に転落しました。結局、2010年に入ってから、全国の教会の平均礼拝参加者数は目立って減り、「半分に減った」とまで言われる始末でした。

この渦中にあって、顯進様はワシントン・タイムズ問題解決のために、お父様に何度も手紙を差し上げましたが、その内容の一つがお父様の心を動かしました。

当時、お父様と顯進様の間でメッセンジャーの役割をしていたのは金起勲会長でした。顯進様は、お父様周辺の指導者たちに対して極度の不信感を表わしており、お父様に伝えたいメッセージは金起勲会長を通して直接、伝達していました。金起勲会長から手紙の内容を聞いたお父様は、この時、顯進様に会ってみようとされました。顯進様もお父様に再びお会いし、摂理をめぐる深い話を交わしたいと願っていました。

お父様がラスベガスで待っておられる間、顯進様は山奥で2週間の精誠期間を送りました。お父様と顯進様がすぐ会われるという知らせに、当時、統一家においては精誠を捧げる食口たちが急増したといいます。

精誠を全て終えて山から下りてきた顯進様の耳に最初に入ってきた消息は、「タカエの手紙事件」でした。イーストガーデンで長年にわたり働いてきたタカエという日本婦人食口がいますが、お母様がこの婦人を通して、顯進様家庭の長男夫婦に手紙とメッセージを伝達したのです。ところがその中にあった「父が祖父と一つになっていないので、いつも祖父に従わなければならない」という内容が問題になりました。

顯進様はこの事件を極めて深刻に受け取りました。

顯進様は、真の家庭と統一運動内で起こっている全ての問題から、何とかしてご自身の子女たちを介入させずに保護しようとしてきたのです。ややもすると、子女たちが持ってきた真の父母様、すなわち祖父母と真の家庭に対する基準が崩壊していく恐れもあったからです。顯進様の子女たち、特に成長した子女たちは顯進様がどういう基準でどのように生きてきたのかをよく知っていました。米陸軍将校に任官した長男の信元様は、ウェストポイントの卒業式で父親を「真の原理人(Youareamanofprinciple)」と証して、部隊上官にも父を誇らしく証すほどに、父に対する信頼が堅固でした。ところが、祖父母がこうした父を不信する姿を見たら、幼い子女たちとしては大きな衝撃を受けないでしょうか。

顯進様は、モンタナまで直接出迎えに来た金起勲会長を通して、「お父様と単独面談したい」という意思を伝達しました。顯進様としては神様のみ旨と摂理について、お父様と深い対話を交わしたいと願い、息子としていつもそうだったように、お父様に全てのことを率直に申し上げたかったのです。お母様が横におられると、対話が円滑にできないことをよく知っていたのです。

9月9日夕方、ラスベガスに到着した顯進様は、直ちにお父様に会うことを願いました。ところが、到着報告を申し上げに行った金起勲会長が、約1時間後に顯進様のところに戻って来てお父様のメッセージを伝えました。「顯進様が精誠を捧げて遠い道を来たので、この日はゆっくり休んで、翌日いつでも訪ねて来れば、話を充分に聞けるだろうし、精誠期間に天からどんなメッセージを受けたのかも聞きたい」という内容でした。顯進様の目には涙が浮かびました。息子の事情を理解してくださったお父様が余りにもありがたかったのです。

翌日9月10日の夜明け前、朗報が飛びこんできました。真の父母様の4代孫であり顯進様家庭の初孫が予定日より1週間早く生まれたのです。朝、その消息を聞いたお父様は、喜んで「定男」という名前を下賜されました。

全ては順調に見えました。

お父様に会いたければ、まず署名しろ

ところが、当日午前、状況が完全にひっくり返りました。金起勲会長と趙晶淳(チョ・ジョンスン)会長など、数人の一行が、顯進様が宿泊している宿所に訪ねてきたのです。彼らはお父様からの伝言だと言いながら、「お父様のみ言葉に絶対服従するという署名をしなければ、お父様に会うことはできない」と主張しました。

顯進様は、「これは何か共産党の話か」「息子が父に会って言葉を交わすのに、何の署名が必要なのか」と彼らを追い返しました。

お父様がなぜ、一晩で考えを一新したのか、それが本当にお父様の意図なのかは分かりませんでした。この機会に、誰かが顯進様の署名を受けようとする意図は明らかでした。その日の会見の結果とは関係なく、必要によっていつでもこの署名を活用する魂胆であり、特に密かに準備してきた法的訴訟のために、それを何かの根拠にしようという腹づもりだったのでしょう。顯進様がそんな浅はかな手段を見破れないはずがありませんでした。

大陸会長を歴任した統一家の最高指導者たちに、「署名をもらって来い」と命じ、「お父様に会わずにそのまま帰るか、それとも持っているものを全てさし出すと署名してお父様にお会いするか、二つのうち一つを選択せよ」と迫った方は正に、お母様だったのです。

お父様の使者という人たちが、再び顯進様を訪ねて来ました。そして困った表情で、全く同じ内容だけを伝達しました。しかし顯進様は結局、署名しませんでした。

彼らが帰った後は何の連絡もないまま、一日が全て過ぎ去っていました。顯進様は結局、お父様に会うことをあきらめて、定男様の奉献式のためにニューヨークに帰る飛行機の便を予約しました。その時、金起勲会長から連絡が来ました。「お父様はしばらく外出され、顯進様からも近い場所に出て来ておられているので、直接会うのはどうか」という提案でした。顯進様は挨拶だけでもして出発できればと、お父様がおられる公共の場所に向かいました。

顯進様の挨拶を受けるお父様の表情は、明るくありませんでした。お父様は近いところにおられたお母様を呼ばれ、父母様は、しばらく休もうと準備しておいたホテルの客室に上がられました。

お父様との対話は1時間にもなりませんでした。対話を進める上での状況認識が余りにも違っていました。結局、顯進様が「今度またお伺いしたい」と申し上げ、その場を立とうとしました。その時、お父様は突発的に顯進様の服をつかんで放されませんでした。

「全てさし出すまでは、絶対にそのまま行かせることはできない! 」

全人類の救世主として来られたご自身の父親につかまれ、このような言葉を聞かなければならないことが、顯進様には耐えられない苦痛であり悲しみでした。ひと時もお父様を離れず、全ての時間をお父様のために捧げてきた立場であるにもかかわらず、余りにも変わり果てられたお父様に接しながら、お父様の目と耳を遠ざけた者たちに対する憤りがこみ上げてきました。顯進様は、とりあえずお父様を安心させて差し上げ、部屋を出てニューヨークに帰りました。

顯進様の家庭の西部移住

奉献式の日が近づいていた頃、父母様がアラスカを経て、イーストガーデンに来られる計画だという消息が入ってきました。顯進様は金起勲会長に連絡して、「イーストガーデンに訪ねて来られるのを今回だけは断念してくださるように」と懇切に依頼しました。幼い子女たちが見る前でどんな状況が起こるか不安だったのでしょう。それにも関わらず再三、父母様の専用機がアラスカを出発して9月17日にニューヨークに向かうという消息が伝わりました。定男様の奉献式の日でした。

9月17日夕方7時、信元様は顯進様のお宅のリビングで、つつましく奉献式を行いました。大げさな垂れ幕もなく、装飾品と言えば、プリンターで出力し、セロテープでつなぎ合わせて作った紙のバナーが全てでした。祝ってくれる客人もいませんでした。真の父母様の歴史的な直系4代のお孫様の奉献式がこのように行われるとは、夢にも考えられないことでした。

奉献式を終えた顯進様ご夫妻と信元様は、深刻な内容の家族会議を持ちました。その場で顯進様は自らの意思を表明し、息子の意見を求めました。そして信元様が勇断を下しました。この状況では、父の家庭と幼い弟妹たちを守ることが何よりも重要なことでした。反対する人々から誤解され非難されようとも、父を助けて真の家庭を保護することが長男の役割であることを信元様はよく分かっていました。

家族会議は長くは続けられず、そうした時間の余裕もありませんでした。それから何時間か後に深夜0時を目前にして、顯進様の家庭は数十年馴染んできたイーストガーデンを発って、大陸を横断する移住の旅に発ちました。準備したものと言えば、しばらくの間だけ過ごすことができる衣服と生活道具が全てでした。モンタナにしばらく留まった顯進様の家庭は、比較的近い都市のシアトルに定着することを決定し、家を借りて引っ越しを完了しました。

離婚させてでも顯進を連れて来い

こうしたことがあってから、しばらく後の10月2日、お父様は首都ワシントンD.C.での国際会議に来ていた私を呼び出しました。呼ばれた時間に合わせてイーストガーデンに行くと、お父様はご不在で、お母様だけが2階の応接室に一人でいらっしゃいました。「静かな所に行って話をしよう」と言われるので、お母様が案内する部屋に付いて行きました。そこでお母様は私を呼び出した理由を明らかにされました。

「どうしても、郭牧師の家庭が、顯進の問題に対して責任を負わなければならないようだ。珍滿も離れなければならず、全淑も離れれば、顯進一人でどうして持ちこたえようか。だから郭会長が皆、連れて来なければならない」

その時、急にお父様が入って来られました。

「郭錠煥はこの事態をどう見るのか」

「お父様、お母様に私が敢えて一言申し上げます。私が知る顯進様は、父母様の前に親孝行であられます。また、お父様とお母様が顯進様をどれほど大事にし、愛しておられるかも、私は知っています。ですが、どうして事を大きくして解決しようとされるのでしょうか。父母様が愛するご子息を呼ばれ、孝行を尽くしておられるご子息が、父母様と心ゆくまで互いの事情を打ち明けて対話を交わすなら、解決できない問題がどこにあるでしょうか」

ここまで申し上げると、お父様はもはや、誤解の思いであふれているのか、かっと立腹されました。

「こいつ、私を教育しようというのか。黙れ! 」

そうして、青天の霹靂のようなことを言われたのでした。

「行って顯進を連れて来い。来ないと言うなら、全淑を離婚させてでも連れて来い。一人で放っておいても、自分から頭を下げて戻ってくるはずがない。珍滿も連れて来て、珍滿までも来ないと言うなら南淑と離婚させろ。あなたの家庭が責任を負いなさい」

お父様の口から「離婚」という言葉が出てきたことに、ただただ目まいを覚えました。

「お父様が語られた祝福の価値はこの上なく素晴らしいものであるのに、実のご子息を離婚させろとまで言われるのですか。どうして離婚しろとまで言われるのですか」と問い返したかったのですが、口をつぐんで何も言うことができませんでした。お父様も惨たんたる状況に直面しておられるのだということを、誰よりもよく分かっていたからです。

その翌日、モンタナの山奥に顯進様を訪ねて行きました。

息子の珍滿が空港に出迎えに来ていました。車に乗って行きながら顯進様の近況を聞いてみると、「山に入っておられる」とのことでした。

自動車で向かいながら、まず珍滿にお父様のみ言葉を伝えました。

「もしも顯進様が行かれないなら、あなただけでもお父様の前に行かなければならない」

すると黙って聞いていた息子が口を開きました。

「お父さん! 私が真の父母様に逆らいながら、顯進様に侍っているとお考えですか。顯進様が今、真の父母様に逆らっておられますか。父母様と対話ができなくて寂しく思っておられるのに、私までいなくなれば顯進様はどうされるでしょうか。私が顯進様に侍って助けることが真の父母様に逆らうことになるとは、夢にも考えたことがありません。私は真の父母様に侍る心で顯進様に侍っています。お父様の前に引っぱられていくとしても、私は今と全く同じ言葉しか申し上げることがないでしょう」

珍滿の話を聞いて、深い感動が私の心を涙で濡らしました。

「ああ、この子もいつのまにか40歳を越えて、いつのまにか私よりも器が大きくなったのだ……」

これ以上、息子に強要することはできませんでした。

顯進様が山から下りてきたので挨拶をしました。私は私の立場から、また原理的な立場から、言えることを全て言いました。私の言葉を全て聞かれてから、顯進様は語られました。

「郭牧師。郭牧師がお父様を心配してそのお考えについて心を砕くのと、息子である私が父母様を心配してそのお考えについて心を砕くのと、どちらがより大きいと思いますか」

私は何の返事もできませんでした。その通り、私がいくらお父様に対する心情的因縁を語ったところで、直系の息子の切々たる父子の関係とは比べものにならないでしょう。顯進様はお父様への深い孝心を抱かれた息子として、今日の摂理的な混乱の中、誰よりも悲痛な心情をもって激しく身悶えしていたのでした。

真のお父様に捧げた手紙

結局その日、お父様から言われたみ言葉を切り出すこともできず、帰途につくしかありませんでした。なす術もなく韓国に帰って、父母様への手紙をしたためました。

尊敬し愛する真の父母様にお捧げします。

不足な小生、父母様のみ言葉を受けて西部モンタナに行き、顯進様にお目にかかってから、ここ韓国に帰って不憫な心情でペンをとりました。

小生は、天の大きな恩賜により、身に余る恩恵の道を歩んできました。雲の柱と火の柱に包まれ、ただみ旨のみを見つめながら、感謝する心で多忙な生涯を生きました。罪悪の世の中を解放し、太初の夢である地上天国と天上天国を創ろうとされる、あなたのみ旨を奉る以上の喜びを私は知りませんでした。

与えられるみ言葉で一日が明け、指示を尊び、昼夜なく走り、一日一日感謝しながら生活しました。与えられる指示を首尾よく成しとげなければならないという責任感をもって、み旨の前に恥ずかしくない姿になるために、最善の努力を尽くしてきました。父母様を誇り、愛するその信仰で生きています。すべきこと一つ一つ、み旨を行い、み旨を立てること以外に何のなすべきことがあったでしょうか。大きな父母様の愛により、何の不満も、人を羨むこともなく、あなただけを見つめてきました。ただみ旨の完成、父母様に似ること以外に何の意味がありましょうか。

愛する真の父母様!

父母様の限りない愛により、私どもの家庭は驚くべき祝福を受けて過ごしてきました。真の家庭の一員になる栄光に浴し、代表家庭として公職の道を歩んできました。あなたの恩恵を知っているがゆえに、ただ感謝するばかりです。二世たちはあなたのみ旨を尊び、首尾よく成しとげるために努力する、感心な姿が見られるようになっております。

しかし、想像だにできないことが起こっています。

何がどうしてこうなったのか分かりません。

どこがどう間違ったのか、理解しがたい境遇に追い込まれています。

これにどう対処すべきか答えが見えず、糸口を見出すことができません。

私ども夫婦は、真の父母様と真の家庭に侍ることを至上課題とし、子女たちにみ旨のために最善を尽くさなければならないと教えてきました。どう生きることが真なる公道の道なのかを示し、その道に従わなければならないと言いました。そのため、天の召命により孝進様と興進様と顯進様と國進様に侍るにおいて、自分の志よりも天を中心として侍ろうと努力する姿を見て、貴い子女を下さった天の前に常に感謝しながら生きてきました。

愛する真の父母様!

そんな子女たちが、今や私の懐を離れようとしています。私が父母様に侍り、一生涯従ってきたように、顯進様に侍って一生涯を共に行くといいます。顯進様に侍ることが真の父母様のみ旨を実現することだと信じています。一つの神様の下の人類一家族の夢を成すことが、真の父母様のみ旨を果たすことだと本当に思っています。顯進様に侍ってみ旨のために努力することが、父母様のためであると思っています。

父母様のみ旨を伝えながら、余りにも大きく成長したことを知らされました。私の懐の中に留まるには、余りに大きな子になってしまいました。幼い時に見た珍滿ではなく、40歳を過ぎた息子の姿を見て驚きました。私が44歳の時に何をして、どんな決断をして生きていたのかを考えてみると、それ以上の夢を見ることができなかったことを知りました。

私どもが父母様に侍って世界を巡回した時代を、二世たちが生きています。40代にみ旨を成しとげなければならなかった恨み多いその時代を、二世たちが生きています。お父様の恨を解怨するために、世の中とぶつからなければならないと、天の公道を決意しています。天のみ旨を果たそうと、その道を行こうとしています。

私がこれをどうすべきでしょうか。

真の父母様を、全人類の真の父母として侍ることができるようにしなければならないとして進もうとするのを、どうすべきでしょうか。私の懐を離れようとする子を見ながら、「これが人生というものだ」と思っています。父母の懐を離れて、真の父母様のための道を開拓していこうとしています。

愛する父母様!

今、小生は、父母様のみ旨を実践していくことの難しさを感じています。私が公職を去らなければならないことが、信じられません。遺憾な思いだけが心を占めています。

父母様と顯進様の関係を理解するのが困難です。

私が不足なゆえに、分かり得ません。真の愛の道がなぜ、このように難しくなければならないのか分かりません。

私はこれから全ての公職から外れて、祝福家庭の一人として行く道を歩んでいかなければならないようです。氏族的メシヤとして自分に与えられた責任を果たします。

愛する父母様!

間違いがあるなら、全ての責任を私に負わせてくださり、父母様に栄光をお返しできる道を承諾してくださることを懇切に願います。

2009年10月7日

お父様を直接訪ねずにこの手紙を書いたのは、み言葉をきちんと実行できなかったとして、足でけられ、頬を殴られるのが怖いからではありませんでした。顯進様の不変の基準と意志と決意の前に、私が行くことのできる道は全ての公職から去ることだけだという判断をしたからです。そのゆえ、恐れ多い心情で父母様に手紙を書いたのです。

お父様が誰からどんな話を聞かれたのかは分かりませんが、顯進様について恐ろしいほどの誤解をしておられることが、今回はっきり現われました。高齢のお父様に、偽りと不義によって誤まった判断をさせ、それにより何らかの決定や宣布がなされたとすれば、そこに神様が運行なさることができるでしょうか。それは非原理であり、反摂理です。「離婚」という言葉まで出されて、ご自身の息子を連れて来いと催促されるとは、どれほど憤っておらたからでしょうか。お父様の目と耳を遮り、父子の間にすき間ができるようにそそのかし、惑わした人々は、明らかにサタンの相対になった者たちでした。

こうした非運の境遇においても、顯進様は失望するのではなく、お父様が成しとげようとする神様の崇高なみ旨を果たすために、精誠を捧げて東奔西走しておられました。その姿のおかげで私は、自分の心を鎮めることができました。

神様は決して、失敗した神様ではありません。泥沼のような現実の中でも挫折せずに、むしろ蓮の花のような希望を抱いて、祝福家庭たちを陣頭指揮しておられる顯進様を発見したからです。

700万ドル横領事件の真相

私は全ての公職から退くという書簡を鄭元周(チョン・ウォンジュ)氏の電子メールを通してお父様に伝達した後、突然、お父様から電話を受けました。韓国に帰国してから何日にもならない時でした。「顯進がUCI財団の公金700万ドルを盗み横領したことを、あなたは知っているか。そんなことがあり得るか。あなたが今すぐ米国に来て、告訴してでも取り戻して来い、郭錠煥。分かったか! 」

驚くべきみ言葉でした。余りに激怒されたお父様は、翌日のイーストガーデンでの訓読会でも「顯進様が公金をむやみやたらと使っている」と立腹されたのです。食口たちは訳も分からないまま、その話を聞いていなければなりませんでした。

旅の疲れがまだ残っているうちに、再びニューヨーク行きの飛行機に乗りました。10月8日午後1時頃にJFK空港に到着し、まっすぐに父母様がおられるイーストガーデンに向かいました。お父様は昼食も召し上がられずに私を待っておられました。その場には金孝律氏が同席していました。

お父様にお目にかかり、それまで私自身も知らなかった内容について説明して差し上げなければなりませんでした。ニューヨークに出国する前に顯進様側から聞いた話でした。あきれ果てました。事実の確認もせずに、むやみにお父様に対してそんな陰湿な行動をするとは。真の家庭を破壊しようとするサタンがどのように役事しているのか、天ははっきりと見せてくれました。お父様も驚かれたのか、私の説明を聞いておられました。

2007年11月頃、米国で朴珍成氏の会社が不渡り直前に追い込まれたと言います。それで彼は「家も財産も全て失い、仁進様と離婚する状況まで追い込まれた」として、顯進様に緊急な支援を要請しました。顯進様としても、姉の家庭が崩壊するのを見て見ぬふりなどできませんでした。その上このことは、米国社会に大きな物議をかもしかねない問題でもありました。そこで、麗水におられたお父様を訪ねて状況を説明し、支援することのできる方案を相談されたのです。

その後、朴珍成氏は顯進様の助けで500万ドル余りの支援を受けました。もちろん、お父様もこれを認知され、無償支援ではなく借用となりました。この資金を作るために、UCI傘下の会社から配当700万ドルが出されましたが、この中の約500万ドルが、朴珍成氏の会社に支援され、残りは家庭連合指導者たちの過失によって発生した「ブラジル・ジャルジン地域の土地と関連した訴訟問題」を解決するための法律費用として出費されたと言います。お父様は黙々と私の説明を聞いておられました。そうして、700万ドルの件はその場で判明し、解決したのです。

仁進様の家庭は奈落に落ちる寸前で顯進様の助けを借りて、辛うじて息を吹き返したのです。顯進様は真の家庭の位相を気づかい、側近のスタッフたちにも知らせませんでした。700万ドル事件がこのような形で発覚しなければ、心の中に埋めて行くつもりでした。

700万ドルの件についてお父様に報告したのは、金孝律氏と朱東文氏であることが分かりました。きちんと調べもせずに、顯進様を泥棒として責め立てたのです。お父様はかつて彼らに、「顯進様の基盤になってくれること」を何度も頼まれましたが、反対に顯進様を摂理の中心から追い出そうと、陰湿な言動と誹謗に明け暮れていたのです。

真相が全て明かされたにもかかわらず、金孝律氏からは一言の謝罪もありませんでした。それどころか、平然と「それ以外にも釈然としないことが沢山ある」という話をするのでした。遅れて到着した朱東文氏は、お父様とのミーティングを終えて、下の階の待機室に下りてくると、私に「顯進様はお父様のメシヤ性に対して違った見方をし、疑っている」という話をするのです。私は「そんなとんでもない話をどうして簡単に口にするのか」と問い返しました。すると「顯進様と話してみて、そういう感じを受けた」と言うのでした。

私の前でもそのように堂々と顯進様を評価するほどですから、これまでお父様に対して、どのような表現をどれほどしてきたのか、充分に察しがつきました。

真の家庭を破壊しようとするサタン的役事

彼らが裏でどのような徒党を組んでいるのか、顯進様は明らかに知っていました。お母様の支持を後ろ盾に、他の子女様たちと徒党を組んだ彼らが、父母様の目と耳を覆い隠し、UCI理事陣を掌握しようとして企んだ執拗な試みを全て説明しようとすれば、キリがありません。

その後、彼らの戦略は急旋回し、「UCIを法的に奪取する方案」を極秘裏に推進しました。ところが、これを具体化するためには、お父様の裁可が必要でした。例の700万ドル事件は結局、お父様の感情を刺激して、法的訴訟に対する許諾を得るための自作劇に他なりませんでした。これを立証する手がかりが正に、2009年10月8日、私が米国に到着した日に開催された米国家庭連合理事会で、金孝律氏が國進様と電話で話した内容です。

金孝律氏は、理事会を主管していた國進様に電話をかけて、「お父様は人を監獄に入れるだけではなく、どんなに費用がかかっても全ての法的手段を動員して、UCIを取り戻して来るようにとの指示を下さった」と言いながら、「日本の支持、すなわち國進様の支持があれば、朱東文氏を使って、これを継続して推進させる」と言いました。「朱東文氏はすでに、首都ワシントンで最高の法律会社と接触してきた」とまで言いましたが、訴訟のために、すでに相当な事前準備をしてきたのでした。

このような金孝律氏の報告に対して、日本に責任を持っていた國進様は、「日本は用意ができており、お父様の指示であれば何でもする」と答えました。

その後、國進様側は、日本からUCIに入る全ての資金源を遮断し、秘密裏に世界の各大陸と連絡を取り合いながら、本格的にUCIに対する法的訴訟を準備しました。

朱東文氏がワシントンD.C.で最高の法律会社にまで接触してUCIに対する訴訟を準備し、これを公けの場で金孝律氏が発表したため、UCIの立場からは朱東文氏をそれ以上、UCI傘下の組織に残し続けることはできなかったのでしょう。彼は2009年10月22日と28日に、タイムズ航空関連企業から解任され、11月8日、解雇事実の通報を受けました。顯進様は相手の法的訴訟の試みに対し、冷静に対処していきました。また破局を防ぐために、11月20日にお父様に書信を差し上げ、「彼らの危険な策動を止めてほしい」と懇切にお願いされました。

「お父様、この書信では直接的な表現で説明申し上げることはできませんが、今ある一方では極めて危ない方式で、現在の問題を解決しようとする試みがあります。お父様はこれが何を意味するのかよくご存知であられ、現在の核心幹部たちも、絶対にこの方式だけは用いてはならないということで意見を同じくしています。私が深刻に憂慮する理由は、これは摂理を台無しにし、父母様を直接的な苦境に追い込むことだからです。特にワシントン・ポストをはじめする主要言論社や反対勢力が私たちを注視している状況において、これは絶対に受け入れることができないことですので、彼らを退かせるしかありませんでした。

現在、危険で誤まった判断に歯止めをかけることができる唯一のお方は、お父様しかおられないのです。なにとぞ、この息子が責任を持って行うことを信じてくださり、不信と血気に満ちあふれた根拠のない報告を全て退けてください。そして、冷静な対話によって解いていき、この息子の説明が屈折なくお父様に伝達され得るなら、これまでの多くの誤解が解けるようになるはずです」

顯進様のこのような訴えをよそに、その頃、國進様側は訴訟についての必要性を強調して、内部世論を造成していきました。世界を回りながら何度も批判講演を実施し、顯進様をお父様に逆らった親不孝息子であり、お母様を告訴した背倫児であり、摂理の異端者・爆破者に仕立てていきました。そして結局、2010年11月、ヨイド地上権無効訴訟を提起するに至るのです。12月にはブラジルで顯進様を相手に刑事訴訟を起こし、2011年5月11日にはUCIに対する訴訟状を米国の裁判所に受理させました。

家庭連合を統一教に戻した事件

2009年10月に亨進様は、家庭連合の名称を「統一教(Unificationism)」に代えよと正式に指示しました。

お父様の摂理的方向を逆戻りさせた衝撃的かつ反摂理的な事件でした。

「摂理が 統一教会(Unification Association または Unification Church) - 家庭連合(FamilyFederation) - 統一教(Unificationism) と展開され、統一教は完成段階の宗教」という主張は、実にナンセンスでした。こうしたことをお父様が許諾されたというのでしょうか。お母様の後ろ盾なくして、こんな大胆なことを企てることはできなかったでしょう。しかし、このような反摂理的決定に対して、家庭連合側では誰一人として異議を唱える人はいませんでした。お父様を訪ねて確認する指導者もいませんでした。そうすれば、亨進様によって首になるのは明らかだったからです。生活がかかっているという問題の方が、彼らにはより重要だったのでしょう。

問題の深刻さに対して勇気をもって指摘してきた人たちは、専ら顯進様に従う指導者および祝福家庭たちだけでした。当時、顯進様側が公開した文書には、亨進様の問題点が鋭く指摘されています。

「文亨進会長は『蘇生期は統一教会、長成期は家庭連合、完成期は統一教』とも言った。長成期の摂理機関である世界平和統一家庭連合が完成期の統一教に発展したというのは、摂理史的に重大な事件であり大転換に他ならない。だとすれば、これと関連した真の父母様のみ言葉と摂理的な行事と記録が、無数に残っていなければならない。しかし悲しくも残念なことに、真の父母様のみ言葉と摂理行事に関する記録を隅々まで検索してみたが、これに関する如何なるみ言葉や行事も見つからなかった」

「文亨進会長の統一教は最近の摂理、そして原理的なプログラムによって進められている未来摂理のどこにも立つ位置がなく、原理的にも全く成立しない。文亨進会長の統一教(Unificationism)は、統一教会(UnificationChurch)と家庭連合によって続けられてきた摂理史を破綻させて出現した、ルーツが分からない私生児のようなものだ」

この文書は最後に「摂理の時計を逆戻りさせた文亨進会長の統一教は、神様と真の父母様の摂理の前に異端者・破壊者なのか、相続者・代身者なのか」という質問で締めくくられています。
 

お父様の聖和以後の2013年1月に、お母様は「亨進が教会を台無しにしてしまった」と叱責しながら、組織の名称を再び家庭連合に戻しました。

亨進様の背後にお母様がおられたということは誰もが知っている事実であり、お父様の家庭連合を統一教に替えたのがお母様と亨進様の合作であることは、お父様の寝室で作成された文書(2010年6月5日)に明らかに現れている内容です。それにも関わらず、事態の責任を息子に被せるなど、私の信仰的基準では理解できないことでした。

約3年間、お母様の実質的な支配下において、全世界の統一家は「統一教」として存在してきましたが、お母様はこの事実に対して、今まで何の説明もなしに沈黙しておられます。

顯進様の出師表

2009年10月21日に、統一教世界本部が亨進様の名義で一つの公文を発送しました。

「UPF(天宙平和連合)の世界会長を、10月20日付で郭錠煥会長から黄善祚会長に交代する」

最小限の形式手順も経ていない公文です。

そして、黄善祚会長が、韓国でUPF世界会長就任式を行いました。

その数日後の11月4日、統一教世界本部は亨進様の名前でもう一つの公文を発表しました。

「UPF世界会長である黄善祚会長は首席副会長に下り、その位置は文亨進会長が担当する。11月18日に離就任式を行い、UPF理事会が参加しなければならない」

世の中に果たして、こうした人事があるでしょうか。

お父様が最上位の摂理組織として創設され、UNにも登録されている公信力のある国際組織の世界会長の人事が、これほど短期間に繰り返し変更されたのです。こうした前例は、今までありませんでした。「人事に慎重なお父様とは全く合わないこと」という言葉も出ました。法的には互いに別組織である統一教本部が、UPF世界会長の人事異動の公文を出すことも理にかなっていません。

UPF世界会長の人事が統一教によって牛耳られ、UPFが統一教の下部組織に転落している状況で、顯進様は米国の日付で11月4日に、全世界のUPF指導者と平和大使の前で声明書を発表しました。

「統一教が発表したUPF世界会長の人事は、UPFの理事陣や事務局職員の誰とも論議されないまま成されました。法的にも政策的にも、現統一教およびUPFと関係のないGPF財団を別途に設立し、お父様の遺志を続けて尊重していきます」

同日、顯進様は、自分の心境を率直に打ち明けた書信を、真のお父様に伝達しました。この書信で、顯進様は自分の凄絶な心情を次のように訴えました。

「お父様、統一教会にはもはや真実と正義が死んでいます。偽りが正統になり、非原理的な方式が摂理を決定する手段となっています。

お父様は、真実をご存知ないまま、誤った報告のみを信じて、この息子をかえって道に背く者として追いやり、分かれざるを得ない窮地に追い立てています。

40年間見続けてこられたこの息子の生き方と行動、幾多の公的壇上でお父様を証しながら叫んできたこの息子の訴えと叫びはお父様の記憶から消え、今や残っているのは、私がお父様の地位と権限、はなはだしくは財物を濫用し、第2の真の父母となってお父様と分かれようとしているという偽りの証言しかありません。

どこまでもお父様に近づき、40年間変わらず、お父様と共に駆け抜けてきた息子がここにいることを知らせようとしましたが、お父様はもはやどんな声も、私の欲心と執着としてしか受け取ってくださいませんでした。

神様の摂理史において重大な峠を迎えたこの時に、苦痛と試練が繰り返されるほど、私の役割と使命はより明らかになっています。端的に申し上げるなら、私は神様の摂理的方向とお父様の永遠の業績を守るために、どんな闘争や困難をも甘受する覚悟ができています。これは決して妥協できないことだからです。

このような決断と共に、私はお父様を保護し、UCI財団を守るために必要な措置を信念に従って取っていきます。最近の多くの措置とこれからの歩みに関して、お父様は理解しがたいかもしれませんが、いつかは全ての真実が現われるものと信じています。

断じてこれは、お父様の権威を見下げることでもなく、個人的な地位と権力に執着した紛争でもありません。ひたすら神様のみ旨と摂理のために、一生涯、基準を守ってこられたお父様の崇高な名誉と権威を守って差し上げ、窮極的にそのみ旨を果たすためです。

どうかこの息子の偽りのない心を信じてくださるようにお願いします」

家庭連合側の実力阻止にも屈せず

お父様と世界のUPF関係者たちに自分の立場を伝達した後、顯進様は本格的に独自路線を歩み始めました。

12月にフィリピンのマニラで、GPC(Global Peace Convention)の開催を決めると、家庭連合側ではお父様の指示を前面に押し立てて、フィリピンGPCに反対する動きを起こしました。それに対して顯進様は11月20日にもう一通の手紙をお父様に伝達しました。

「人々は、私をお父様と敵対する者として追い立てています。これは言うまでもなく偽りです。『神様の摂理』と真の父母様の『生涯の業績』を守るために、GPCを中断したり延期する計画はありません。お母様と兄弟たちは、原理的ではない方式で、神様の摂理を左右しようとしています。私は絶対にこれに従わないでしょう。誤った報告で私をののしり続けるなら、これ以上、沈黙し続けることはできません」

12月10日にフィリピンGPCが予定通り開催されました。

亨進様が主導する統一教は、龍鄭植(ヨン・ジョンシク)アジア責任者を押し立てて、実力阻止に出ました。しかし、フィリピン、ネパール、マレーシア、モンゴルなど、アジアの若い指導者たちはこれに屈せず、顯進様の意思に同参してくれました。フィリピンの中心的な平和大使たちも、全員が顯進様を支持しました。マレーシアのタンスリ・ザレアUPF会長、セーシェル共和国のジェームズ・マンチャム建国大統領など、世界的にUPF運動の求心点の役割を果たした中心的なVIPも、顯進様を信じてこの行事に同参しました。

彼らは、顯進様が世界的なGPF運動を起こし、UPFを成功に導いてきたことを知っていました。一方で、その顯進様を引きずり下ろした勢力によって、亨進様がUPF世界会長に就任し、UPFを統一教の下部組織に転落させた時、とても大きな失望を覚えたのです。そのため、顯進様が不義に屈せず、GPFを独立させ出発させたとき、喜んで力を貸してくれたのです。

家庭連合側は、「お父様の協助がなければ顯進様は何もできない」と考えました。しかし、現実は違いました。フィリピンGPCは家庭連合の激しい反対にも関わらず大成功を収め、2010年にGPF活動を再開できる足場を築きました。ケニアで東アフリカ最高の経済人として活動するマヌ・チャンダリア・コムクラフトグループ会長、ケニアのエリウッド・ワブカラ聖公会大主教、インドネシアで広い基盤を持つチャンドラ博士がGPCを契機に顯進様と初めての縁を結び、彼らは2010年にインドネシアとケニアでGPF行事とGPCを成功させるのに、決定的な寄与をしてくれたのです。

異端者・爆破者宣言文とビデオ

遊天宮で始まった食口による人格殺人

顯進様が、GPFを独立させてフィリピンで行事を行うと、お母様と國進様と亨進様、そして教権勢力は、公の場で顯進様を非難し始めました。2010年2月22日に遊天宮でなされた金孝律補佐官の非難が、食口たちによる顯進様非難の始まりでした。

お父様は、顯進様が責任を任せられたCARPの若者たちを教育するために、特別な下賜金を下さったことがあります。その資金で下渓洞教会の敷地に遊天宮を作るようになったのです。遊天宮という名前も、お父様が直接つけてくださいました。献堂式も、2008年2月14日に顯進様が直接来られて行いました。その2年後の真の父母様ご聖誕日の直後に、正にこの遊天宮で、世界指導者総会が開催され、金孝律氏が顯進様を表立って非難したのです。

金孝律氏が発表した内容を受け取って見た私は、自分の目を疑いました。彼は40年も真の父母様のご家庭に侍ってきた背景を押し立てて顯進様を非難していましたが、顯進様の立場を実に悪く歪曲する内容に過ぎませんでした。

「(顯進様側にいる人たちは)お父様が子女たちと共に、真の家庭を成しとげることに失敗したと言っている。

(顯進様は)世の中の前に真の家庭の見本を立てたので、『皆さんは私に従え』と語っている。彼はお父様が失敗したとはっきりとは言わなかったが、その集会を通してそのように暗示している。

彼(朱東文)は、顯進様がこのような分裂と自分の活動を、4、5年前から準備してきたことが今になって分かったと言った。

時としてお金はとても魅惑的な餌である。誰かとの親交関係や顯進様との個人的な親交など、どんなことであろうと、私の永生よりも重要なことがあるだろうか。そのことをはっきりさせないといけない」

お父様が金孝律補佐官をどれほど信頼しておられたのか、私はよく知っています。子女様たちが彼について率直にご報告申し上げる時にも、お父様はむしろ金補佐官の側に立ちました。父母様の近くにいる者が、あのように限りなく歪曲した言葉を伝達すれば、結局どんなことが起こるでしょうか。お父様は顯進様に対して、結局どういう考えを持つようになるでしょうか。誰よりも真の家庭を保護すべき位置にある者が、実のご子息を攻撃する先鋒に立ってよいのでしょうか。いつかは真実が現われるに違いありませんが、あのようにとんでもない言葉を吐き出すとは、いったい彼は何を信じているのでしょうか。私は憤りを感じる一方で、長年の歳月にわたって共にみ旨の道を歩んできた兄弟に対して、残念であわれな思いにもなりました。

顯進様がどういう方かということは、私でなくとも多くの人が証しています。食口たちだけではありません。著名な言論人、宗教人、政治家など各分野の数多くの人が、顯進様の人格と信仰、指導力に尊敬を示しています。そのように困難に会いながらも変わることなく父母様を愛し、お父様の教えと業績を正しく現わす姿に大きな感動を覚えています。

顯進様が主管する大小の集会に、私は数え切れないほど参加し、単独で話し合うことも多くありましたが、顯進様が「お父様は失敗したので私に従え」と語るのを、私はただの一度も聞いたことがありません。

顯進様が、高い公的基準とみ旨に対する熱意をもって、特に真の父母様と真の家庭に侍る基準を失わずに生きておられることは、私の子供たちを含め、顯進様に従う二世たちと祝福家庭なら皆、分かっている事実です。

私は、金孝律氏が一日でも早く真実を悟るよう願うのみです。その時になったら、真心から顯進様に許しを請うように願います。

遊天宮で、顯進様を「お母様を告訴した人」として追い立てたもう一人の人物が、朴珍用弁護士です。私と同じ36家庭の祝福を受け、共にみ旨の道を歩んできた朴鐘九牧師の息子です。朴鐘九牧師は残念なことに早く霊界に逝きましたが、かつて近くで一緒に働いてきた方でした。ある時、弁護士として社会で働いていた彼の息子が、み旨に貢献しようとしていると聞き、本当に嬉しく思いました。こうした人が顯進様を正面から非難し、また顯進様と私に対してあらゆる訴訟を起こそうなどと、どうして想像できたでしょうか。私の長男の珍滿と同じ年齢であるため、さらに切ない思いがします。

神様は公平で義理がたい方です。神様の天法の前に、顯進様や私に罪があるなら、当然その蕩減を払うことになるでしょう。しかし天法はもちろん、世の中の法においても、何の過ちもない人を誣告し、天文学的な額の公的資金を浪費して訴訟を起こし、それによって祝福家庭の根となる真の家庭を泥沼の争いに追いやったなら、誰がその人の罪を問うのでしょうか。

顯進様が本当に貴いのは、すでにそういう段階を超越した方だという点です。自分を殺そうとした人たちの罪を数えることよりも、彼らを生かしてあげるための道を探しておられる方なのです。

礼拝を妨害する恥ずかしい公文

2010年の真の父母様のご聖誕日に、ブラジルで有名なキリスト教牧師の一人が招請を受けて来られました。南米最大のプロテスタント教団を導いているマノエル・フェレイラ主教でした。2008年に顯進様に初めて会って以来、顯進様のGPF運動に積極的に協力してこられた方です。

この方が韓国の行事に招請された時、「文顯進会長も韓国におられるのか」と尋ねたそうです。家庭連合関係者がそうだと答えると、フェレイラ主教は「顯進様がいるので」招請に応えたと答えました。ところが、ご聖誕日の行事に来てみると、顯進様がいないので、とても不審に思われたのでしょう。ブラジルに帰って事情を調べてみると、顯進様が大きな困難を経験していたのです。そこで、フェレイラ主教は顯進様に次のような激励のメッセージを送ってきました。

「何か困難があっても、あなたの父君が神様から受けた『神様の下の人類一家族』のビジョンをしっかり守って発展させていってください」

予想外のメッセージに、顯進様は非常に感動しました。家庭連合全体が「お父様を離れた者」として自分を責めている時、フェレイラ主教が顯進様の偽りのない心を認めてくれたのです。

2010年5月30日、顯進様はフェレイラ主教と一緒に、世界的なGPF運動の構想を論議するためにブラジルを訪問しました。顯進様がブラジルに来られるという消息が知られると、食口たちは当然ながら、顯進様を教会に招いてみ言葉を聞くことを願いました。何よりもブラジルの食口たちは、韓国を中心として起きている家庭連合の混乱に対してまだよく知らず、さらには顯進様に対して格別の感謝と尊敬の心を持っていました。2008年に、ブラジルのジャルジン問題を解決してくださり、2008年12月にはブラジルでフェレイラ主教と共にGPF行事を大きく成功させた方が正に顯進様だったからです。そのため、普通なら百人余りが礼拝に集まるサンパウロ本部教会に、この日は顯進様に会おうと、千人近い食口たちが集まって来たのです。

顯進様が教会に来るという知らせに、韓国の家庭連合本部は非常事態となりました。彼らは顯進様の集会を妨害するために、5月27日付で世界本部公文を発信しました。実に呆れ返るような恥ずかしい公文でした。

「大陸本部、または国家協会本部の支援で開催される食口集会や行事は、真の父母様の許可を得なければならない。(顯進様主管の)日曜礼拝は、真の父母様の公式許可がないため、食口たちは大陸会長と協会長の指示に従わなければならない」

公文の内容も話になりませんが、こんなやり方で真の父母様を引き込み、歴史に汚点を残したことがただただ残念なばかりでした。

食口たちがみ言葉を聞きたがっているという要請を、顯進様は拒絶されませんでした。あのような公文まで出す家庭連合が、またどんな罠を仕かけて待ち伏せているか分かりませんが、それを恐れて天のお父様の家を避け、食口たちを避けていく顯進様ではなかったのです。

日曜日、顯進様はサンパウロ本部教会を訪ねられました。食口たちは大歓迎でしたが、当時大陸会長だった申東謀氏は顯進様が入場されているのに壇上から降りようとせず、それどころか壇上に横に寝そべる醜態を演じて集会を妨害しました。翌日の訓読会で、顯進様は大陸会長の指導者らしくない行動に対して強く叱責されました。

家庭連合側ではこの場面を隠れて撮影し、その映像を韓国に送り、「顯進様の暴力的なイメージを演出」するための巧みな編集を加えた後、インターネットに流しました。

しかし、彼らが見逃した部分が一つありました。メディアを利用した偽りの扇動の逆効果がそれだったのです。映像が出れば、全ての食口たちが背を向けるだろうと彼らは考えましたが、偽りと歪曲を根拠とした混乱と衝撃は一時的なものに終わりました。後には、真実に触れた食口たちの反発の方がむしろ激しくなりました。こうしたことを指示した家庭連合指導部に対して背を向ける人々のほうがもっと多くなったわけです。

彼らは、この映像を根拠に、顯進様をブラジルの裁判所に刑事告発しました。この過程でも見逃した部分がもう一つありました。

彼らは、当時の協会長フェラボリ氏の名前で顯進様を告訴します。顯進様を刑事告発した初めての事例でした。信じられないことですが、このためにお母様が直接協会長に電話までされたというのです。この映像さえあれば、顯進様が間違いなく、刑事処罰を受けると思われたようです。ところが、ブラジルの裁判所は家庭連合が提出した編集映像ではなく「集会全体の動画」を分析しました。その結果、最終結論として当時の集会と申東謀氏に対して顯進様が指導された行動は、「問題になり得ない」と判断しました。

より刺激的な6分ビデオをもう一度作れ

ブラジル騒動から数日後の2010年6月5日土曜日の早朝、驚天動地の出来事が清平天正宮のお父様の寝室で起こりました。

その数日前、金孝律氏などは、お父様が署名した命令書を全世界に送ろうと、6月2日付とされた「真の父母様の特別指示」という公文を作り、6月1日に梁昌植氏に送ったのです。しかし麗水におられるお父様は、この公文を見られて承諾されませんでした。するとお母様が直接電話されたのです。当時、船でお父様の釣りを手伝っていたチェ・ジョンホ氏の証言によれば、「大変なことが起こったので早く上京してください」という内容だったそうです。

お父様がソウルに帰って来られると、亨進様は協会が16分の長さに編集したブラジル事件の映像を「もっと刺激的な6分の映像に作り直せ」と指示しました。6月5日の早朝にお父様にお見せするためでした。一方で、九里の水沢里中央修練院に全国の牧会者たちを待機させていた亨進様は、お父様の署名文書を受け取ると、すぐにこれを公開することを決定しました。

問題の5日早朝、お父様の寝室には4人の方々がいました。

お父様とお母様がベッドの前に腰かけておられ、亨進様は床に座っていました。困った表情のお父様は、お母様が催促と要求を続けられるのに負けて、厚紙板に文章を書いておられました。亨進様は、何がそんなに気がかりなのか、じっと座っていられず、しきりに体を動かされては、映像がよく撮れているか、カメラの画面を確認していました。その場で交わされる対話の内容は、実に聞くに堪えないレベルでした。

真のお父様の宣布文が作成される過程がそっくり記録された、正にその動画に映し出された場面です。その場にいた李妍雅氏が撮影し、統一教がアップしたその動画は、全食口を衝撃に追い込みました。映像を見た平和大使や世の中の人々も、口をつぐむことができませんでした。私も胸がつぶれる心情でその動画を見ました。過去数十年間、貴く守ってきた父母様の位相が、ただの一瞬で崩れてしまうとは、これほど虚しいことはありませんでした。

ほとんど強要に相違ないものでしたが、いずれにせよ、お父様が直接書かれた2つの宣布文は次の通りです。

「万王の王はお一方の神様、真の父母様もお一方の父母、万世代の民も一つの血統の国民であり、一つの天国の子女である。天宙平和統一本部も絶対唯一の本部である。その代身者、相続者は文亨進である。その他の人は異端者であり爆破者である。以上の内容は真の父母様の宣布文である」

「特報事項は、天宙統一教、世界統一教宣教本部の公文のみ認める」

これまで50年以上、父母様に近くで侍り、摂理の道を駆けぬけてきた者として、あえて申し上げるなら、お父様が重要な公的文書をこのような方法で書いたことは、それまでただの一度もありませんでした。いつでも幹部たちが見ている前で、自然にその意味を説明してくださるお父様でした。夜明け前に、整頓もできていない父母様の寝室で、無理やり強要されて宣布文を書かれるそのお姿は、私が見てきたお父様のお姿ではありませんでした。

文亨進以外は異端者であり爆破者だとは?

彼らは、どこでどのように作成しようが、「お父様が直接書かれたメッセージ」であればよいと考えたのでしょうか。そこに「文亨進が相続者」という文さえ入っていれば問題ないと思ったのでしょうか。

お父様のイメージがどうなろうと、自分たちの目的さえ達成すればよいと思ったのでしょうか。

そんな無惨な場面を演出し、自らビデオに撮って、世の中に公開したことでもたらされた結果は、皮肉にも、この謀議を計画した人たちの純粋でない動機が、世の中に如実にさらされただけでした。

あらかじめ準備した内容を、「書き取るように」とお母様がお父様に催促するそのお姿は、もの悲しさを越えて、悲痛そのものでした。何よりも、その動画の中のお父様のお姿は、高齢の肉体的限界をそのまま露呈していました。健康な時の明晰で鋭利な判断力は鈍り、お母様によって思うままにされている残念で胸が痛むお姿でした。

お父様のサインさえあれば、その過程がどんな偽りと強要と不義なる欲望と歪曲があっても、果たして神様は公認されるのでしょうか。

さらに唖然とさせられたのは、「異端者・爆破者」という単語でした。亨進様を相続者に立てようとする意図が余りに切実だとしても、他の子女様に異端者・爆破者という烙印を押すような表現を目の当たりにしながら、頭の中が混乱しました。

私が知っているお父様は、真の愛と真の平和のために一生涯を生きられた方です。そんな方に、「文亨進会長以外は異端者であり爆破者」という宣布文を書くように仕向けるとは、これは間違いなくお父様を冒涜する行為です。

異端者・爆破者とは誰を指すのでしょうか。お母様や國進様、亨進様、そして金孝律氏、朱東文氏、梁昌植氏といった人たちが一様になくしたい人と言えば、その人は誰でしょうか。

顯進様を長子の座から除去しようと、お父様の手でご自身の息子を審判する文を残させるとは、これは神様の摂理歴史において、最も痛ましい痛恨の過ちではないでしょうか。

もし高齢のお父様が過って判断してそう書かれるとするならば、むしろ、お母様が、横にいる子女様たちが、侍っている補佐陣たちが、悪口を言われ、頬を殴られたとしても、これを引き止め、さらにはその紙を破り捨ててしまわなければならないのが、お父様に正しく侍る道理ではないでしょうか。

それの何が誇らしい姿だとして動画に撮影してインターネットに掲載し、メディアにまで公開するのでしょうか。

私の記憶の中の真のお母様は、本当に清純で崇高な方でした。最初の印象はとてもお美しくて、一点の汚れもなく清い一方で、お年に比べて気品と荘重さを備えた方でした。歴史上初めての小羊の婚宴、真の父母様の聖婚式に、忽然と現れたお母様にお会いした時の感じがそうでした。初めての感激に胸が高鳴り、感動と感謝と言葉にできない恩恵に酔いしれ、襟を正して参加した真の父母様の聖婚式も、もはや過ぎ去った遠い過去のことです。あの時の感動はまだ、私の心に深く残っています。父母様に侍る生活の中で、何の言葉も言わずに私たちの前で微笑みながら座っておられるお母様の姿を見るだけでも、大きな恩恵となり、感謝した歳月でした。

ところが、亨進様を相続者に立てようと、やきもきしている映像の中のお母様のお姿に、私は言葉を失いました。それは一生涯、尊敬し侍ってきた本然のお母様の姿ではありませんでした。どんなことがあっても、お父様を守ってくださらなければならないお母様が、なぜそこまでしなければならなかったのか、全ての子女を一つにして、お父様の前に連れて来なければならないというお父様の再三の教えから見ても、真のお母様の本然のあるべき姿から見ても、どうしてご子息に異端者や爆破者という烙印を押すようなことをなさることができるのか、私は今なお理解ができません。

この宣布文はその日の朝、水沢里に待機していた全国の公職者たちに公開されました。宣布文を紹介した金鐘琯(キム・ジョングァン)協会総務局長は、亨進様が統一教(Unificationism)の名前を持ってすることに対して、「父母様は『統一教』と確かに語ってくださった」と発表しました。それまでお父様をあざむき、摂理の進行を逆行させた大胆不敵な者たちの断面を垣間見ることができます。

お母様と亨進様が二番目の宣布文に、なぜそこまで執拗に「統一教」という文句を入れようとしたのか、その答えが金鐘琯氏の口から出たのです。お母様は最初の宣布文が作成された後も満足せず、およそ10回以上、「統一教」を繰り返しながら、お父様に「統一教が入った追加文を書いてくれ」と頼みました。亨進様が家庭連合を統一教に変えたことについて、これを「真の父母が認めたこと」にするために、お父様にしつこく要求したのです。はなはだしくは、顯進様が現在の法人名を無視しているとして、息子まで引き合いに出して話しながら、統一教の名前を書いてくれと言いました。動画の中で、お父様はこれ以上お書きになりたくなかったのか、1度はお母様に、「あなたが書け」と言われているのです。

食口たちの前では、「統一教会、家庭連合時代を経て、統一教が完成段階の宗教」と説明しているのに、どうしてお父様の前では、そのように堂々と説明して裁可を受けなかったのでしょうか。どうして統一教世界本部の公文だけ認めるという文だけを書いてもらうようにしたのでしょうか。

こうした公文を見せて、「お父様がついに統一教を認めた」と叫べば、食口たちが、また後世の人々が、全て信じると思ったのでしょうか。

しかし、この文を書いてもらうための対話の内容が、世の中に赤裸々に公開されました。この映像を見た人なら誰でも、お母様と亨進様がお父様を利用したと思うでしょう。お父様が本当に、亨進様の統一教を認めたと思う人はいないでしょう。

そのビデオを見ると如実に表われていますが、真のお父様は異端者・爆破者という文を書きたくないということを明確に知ることができます。

「私はここに顯進の名前を書かない」

「誰の名前も書きたくない」

しかし、お母様と亨進様が書いてもらった宣布文は、全世界に公文として出されました(6月7日)。この時、金孝律氏は南米大陸会長の申東謀氏に送る文で、「宣布文に文顯進の名前3字を刻み込めなくて惜しい。いつかはそうしたい」という意図をほのめかしました。

「一つ惜しい点は、その宣布文に『文顯進』の名前3字を刻み込めなかったということです。後で必要であれば、再度、名前を打ち込んで、最後通牒をすることもできるでしょう」

天宙史的葛藤の背後で、この人がどんな役割をしたのかを示す明確な証拠です。

彼らは、1年後の2011年5月29日、顯進様の名前が入った真の父母様の宣布文(2011年5月25日)を作って発表し、ついに自分たちの意志を果たしました。

世界的に行われた指導者と祝福家庭の逸脱と非難キャンペーン

お父様の寝室での宣布文が発表された翌日の6月6日、天福宮教会では顯進様に対する批判講演が実施されました。日曜日の礼拝時間に、趙誠一(チョ・ソンイル)氏があらかじめ準備したパワーポイント資料を持って、顯進様とUCIを批判したのです。2010年と2011年にわたって集中した「人格殺人キャンペーン」の始まりでした。

翌日に協会は、「世界平和統一家庭連合の名称を統一教に変更する」との公文を世界に発送して、祝福二世の柳慶錫(ユ・ギョンソク)氏や鄭珍華(チョン・ジンファ)氏などを立てて、韓国と日本、米国など全世界を回らせながら批判講演を続けました。

批判のレベルは、ますます高まっていきました。2010年10月13日に清平修練苑で開催された日本指導者修練会で、亨進様は、「郭錠煥は堕落したルーシェルであり、兄である顯進様は堕落したアダム」と非難しました。10月17日、天福宮牧師の金甲用(キム・ガビョン)氏は次のように非難を続けました。

「郭会長と顯進様は、数え切れないほど真の父母様の指示とみ言葉を守らなかったことから見て、明らかに堕落した立場にいることを否認できません。郭錠煥会長は堕落した天使長の立場、顯進様は堕落したアダムの立場なので、私たちは全く尊敬できません。そして愛することもできません」

10月1日の日本統一教会創立50周年記念行事では、梶栗玄太郎協会長が「郭錠煥はサタン、文顯進様は堕落したアダムだ」と公的な場で宣言しました。

挙句の果てに、韓国では全国の牧会者たちをビデオカメラの前に立たせて、忠誠盟誓を強要しながら、顯進様と私を堕落したアダムとサタンとして糾弾し、断罪するよう強要しました。この渦中で、ある良心的な牧会者は、忠誠盟誓のビデオ撮影を拒否し、次のような良心宣言を行いました。

「罪のない顯進様を堕落したアダムとして非難することはできません。また、生涯、公的生活を送ってこられた郭錠煥会長をサタン、ルーシェルとして断罪することはできません」

彼らとしては、お父様から書いてもらった1次、2次の宣布文を実行するという名目で、「自分たちに代わり、顯進様側を攻撃し続けてくれる人たち」が必要だったのでしょう。自分たちが先頭に立ち続けるのは負担になったわけです。そこで、2011年7月に作られたのが「真の父母様宣布文実行委員会」(委員長:朴普煕)でした。また、この宣布文実行委員会を前面に押し立てて作られたものが、9月19日の「真の父母様宣布文成就のための36家庭声明書」です。

36家庭の人生経歴から消してしまいたい、それこそ恥ずべき歴史です。

文國進様と文亨進様お二人の招請で、彼らは漢南洞国際研修院での秋夕節晩餐集会に参加しました。全17家庭26人が参加しましたが、午餐中に安豪烈(アン・ホヨル)氏が出てきて声明書の内容を説明し、署名を要請したところ、皆これに応じました。お父様の摂理的夢を成して差し上げるために粉骨砕身される顯進様と、天が結び兄弟と呼んできた郭錠煥を糾弾し、また実体もない郭グル-プとしてののしる文書に署名をしたのです。摂理の中における36家庭の位相について、少しでも意識があるなら、署名する前に先行すべきことがどれだけ多いかということぐらい、言葉と行動で示すべきではなかったでしょうか。今後、返す返す、反摂理的な行為として、歴史的な評価を受けざるを得ないでしょう。36家庭ですらこうですから、全祝福家庭の摂理認識がどれほど低かったか、この事例を通して思い知らされます。

彼らが悪意的な非難キャンペーンを数年間展開した理由は何でしょうか。

摂理の核心部において不義なる指導者たちが作り出した、顯進様と私に対する歪曲された固定概念を強固なものにしようとしていたようです。大衆言論を動員して世論を起こし、熱心に宣伝し続けました。真の父母宣布文実行委員会、信徒対策委員会、元老牧師の集会など、御用団体を活用してその認識のフレームを固着させていったのです。果たして神様が、その偽のフレームの上に臨まれるでしょうか。

そうした非難に対して、顯進様は長年の間沈黙してこられました。

私もそれまで、如何なる立場も表明したことがありません。偽りの理論とデマを無視し、放置しながら、効果的な対応をしてこなかったことも事実です。

今日はこのことに対して、一言述べたいことがあります。

世の中でも、誰かが犯罪者として確定されるまでは、その人を決して罪人としてはののしりません。

「被告人または被疑者は、有罪判決が確定されるまでは無罪と推定する」という、いわゆる無罪推定の原則です。

ところが、神様の心情と真の愛を論ずる、永遠の理想と永生を信じる、世界平和統一家庭連合において、これは一体、何ということでしょうか。

顯進様が果たして何の過ちを犯したと、私が何の罪があると言って「堕落したアダム」だの「サタン」だのと言いながら、犯罪者としてののしり、天下の大悪党として人格殺人をするのでしょうか。摂理の道中にあって、こうしたとんでもない濡れ衣を、これほどたやすく着せることができるのでしょうか。

無理に追いやれば、顯進様と私が罪人になるのでしょうか。

何の罪もない人を断罪した人々、特に顯進様を断罪した人々は、一日も早く、自分の言葉と身の処し方に責任を感じ、深く悔い改めて、自分たちの定位置に帰ることを祈るばかりです。

GPF (Global Peace Festival) に対する活動妨害

GPF(Global Peace Festival)に対する活動妨害

このような大混乱の中で、神様の摂理を発展させ、前進させる実際の統一家の主流は、お母様と亨進様が率いる、いわゆる「統一教」ではなく、顯進様の業績と活動でした。

前述したように、2009年11月、顯進様は、これ以上家庭連合内で神様のみ旨とお父様のレガシー(業績)を守っていくことは難しいと見ました。そのため、GPF財団を設立して独自の活動を始めるのです。すると、統一教指導部は、待っていたとばかり、顯進様のGPF活動を阻止し、妨害し始めました。顯進様を単に誹謗するレベルを越え、GPF活動を妨害し、前途を閉ざそうとしました。そこには明らかな理由があったのでしょう。

2008年、顯進様がわずか6ヵ月の間に世界的なGPF旋風を呼び起こしたという事実を、お父様が大きい期待を持っておられるという事実を、彼らも知っていました。そんな顯進様が、再度全世界を相手に成功的なGPF基盤を起こすようになれば、お父様の心が再び顯進様の方に傾くだろうということでした。

彼らは正にそれが恐ろしかったのです。

そして彼らは速断しました。お父様の基盤と統一教の協力なしには、顯進様は何もできないだろうと。自分たちがその気になれば、いくらでもGPFを崩壊させられるだろうと。

結果的に、彼らの行動は顯進様の将来を阻むことができませんでした。単に今日の統一家の恥ずかしい側面をさらけ出しただけだったのです。迫害される顯進様の周囲には、正義を尊ぶ良心的な世界の指導者たちがさらに多く集まり、協力するという結果を生んだだけでした。

ネパールGPFに対する妨害

2010年9月末にネパールの首都カトマンズで、西南アジア地域のGPF行事が開催された時のことです。

2010年にGPF活動を再開した顯進様は、1年間の活動を集約して、10月と11月の間に世界の四大陸圏でGPF行事を計画しました。ネパールで開催された西南アジアGPFを皮切りに、アジア太平洋地域の行事がインドネシアのジャカルタで、南米地域の行事がパラグアイのアスンシオンで、そしてアフリカ地域の行事がケニアのナイロビで準備されていました。

顯進様のGPF活動は、最初から行事自体には焦点を合わせませんでした。それよりも各界指導者と市民と青少年たちを啓蒙し、社会が抱えている多様な問題を実質的に解決し、その成功的な事例を共有して、より大きい可能性を開拓していくことに焦点を合わせてきました。

例えばネパールでは、数千人のカトマンズの青少年たちを動員して、バグマティ川浄化プロジェクトを推進してきましたが、これは数十年間汚染され、誰も対処できなかった川をきれいに回復させる決定的な契機となりました。

ケニアでは、リフトバレーで起きていた根深い部族間の紛争問題解決のために、GPFがたゆまぬ努力を傾け、その結果、国連までがその功労を認めて、GPFを表彰し激励する実績を収めました。

このように「具体的な成果の上に開催」されたので、行事自らの規模と関係なく、人々はGPF活動が自分たちの国や地域社会に必ず必要な運動だと、認識しながら参加しているのです。

2009年12月、フィリピンGPF行事を阻止しようとして失敗した家庭連合の指導部は、それでも撤退しませんでした。アジア大陸会長の龍鄭植氏を押し立てて、再びネパールで開催されたGPF行事から、積極的な妨害活動に出たのです。

行事がこの上なく平和的に進められているにも関わらず、龍鄭植会長は2010年10月1日、顯進様の行事を悪意をもって陰湿的に非難する報告書を、真の父母様に送りました。GPFの本行事を一日前に控えた時点で、金孝律氏や鄭元周氏などに伝達したこの報告書は、実に開いた口がふさがらない内容ばかりでした。

彼は平和的に進められたGPF行事について、「世界大戦のような戦争をしている」としながら、「GPF阻止のために全力を尽くして奮闘中」と書きました。「新聞と放送がGPFに対して極めて否定的に扱っている」とし、「GPF側から1万人が集まって奉仕活動をしたが、メディアでは言及されていない。エクナとロバート・キトル博士がメディア管理をうまくしてきたおかげ」であり、「学生たちが強制動員されている」と付け加えました。

これは完全な嘘です。

1万人が奉仕活動をしたことは認めながらも、自分たちがメディア管理をうまく行なったので、メディアで全く言及されておらず、さらにはその学生たちをGPFが強制動員したとは、いったいネパールという国をどのように見て、こんな話にもならない偽りの報告書を真の父母様に提出することができるのでしょうか。

彼らはこの報告書が真の父母様にだけ報告され、その他には秘密にできるとでも思ったのか、根拠もない言葉をあらん限り並べたてました。

「GPF側から脅迫電話がかかってきている」

「私(龍鄭植)を捕まえようとGPFの人々が空港で待機している」

「大会だけでも300万ドルが投入され、その他に政治資金はいくら投入されたのか分からない」

2009年10月8日に、金孝律氏が「顯進様が700万ドルを横領した」とお父様に報告した悪意の報告を思い出させる内容です。

よくも顯進様に対して、これほどまでに陰湿な行動ができるものです。

お父様と息子の間を、ここまで引き裂いてよいのでしょうか。

この報告書に接してからは、「私がサタンの下手人を育てたのか」という自責の念で、心が痛みました。こうした人を一時は誠実な天の働き手と思い、オセアニア大陸で彼が犯した決定的な失敗をかばってやろうとしました。最も重要な宣教地であるアジアの責任者として、お父様に推薦までしたことを、天の前に心から悔い改め、痛哭しました。

2007年までは「オンマと弟たちにこの運動を横取りされてはならない」「これから40年はあなたが導いていかなければならない」というみ言葉を下さり、顯進様に対して確固たる信頼を見せてくださったお父様でした。2008年の顯進様のGPFでの活躍に対して、あれほど誇らしく思われたお父様でした。

そのお父様が2009年から、なぜそのように急に顯進様を誤解するようになったのでしょうか。解けない疑惑の糸口は、龍鄭植氏の天をも恐れない陰湿な偽りの報告書一つ見ても、その顛末が分かるようでした。アジア大陸会長がこうしたことをするのですから、高齢のお父様の側近で、陰湿な偽りの報告によって、天の恩寵を惑わす人たちの悪逆非道は如何ばかりだったでしょうか。

インドネシアGPFに対する妨害

彼らのGPF行事妨害は、同月のインドネシア行事でも続きました。

彼らが阻止しようとしたアジア太平洋GPF行事は、インドネシア最大のイスラーム団体であるNUとGPFが共同開催する行事でした。結論的にこの行事は大成功し、現地メディアでは「GPF運動は最も大きく心強い守護天使に会った。それは世界最大のイスラーム団体NUだ」という言及までしました。NUの参加でGPF行事が引き立ったことは事実ですが、行事成功の最大の原動力はGPFのビジョンでした。行事会場をいっぱいに埋め尽くしたインドネシアの若いイスラム教徒の大学生たちが、顯進様の先唱に従い、「ワンファミリーアンダーゴッド(One Family Under God)」のビジョンに熱狂していた姿を、私は忘れることができません。

こうした行事を家庭連合が阻止しようとしたのですが、彼らがお父様の顔にどれだけ泥を塗って回ったか、統一家の食口たちは明らかに知らなければなりません。

アジア巡回師のロバート・キトルは、GPF行事が終わった2010年10月18日に世界本部にいる文亨進様、文國進様、金孝律氏、龍鄭植氏、トーマス・ウォルシュ氏などに「妨害(intervention)」という報告書を送りました。

彼は報告書の中で、「世界本部がインドネシアのGPF活動妨害のために、UPF所属のタージ・ハマドを送ったことは最高の戦略だった」と書きました。顯進様の行事を妨害するために、タージ・ハマドを送ったこともあきれることですが、実際には、GPF関係者たちはタージ・ハマドが入って来たことすら分からないほど、彼の及ぼした影響はありませんでした。それにも関わらず、まるでその妨害工作が大きな成功でも収めたかのように、偽りの報告書を挙げたのです。

「タージ・ハマドをここに送ったことは、最高の戦略でした。絶対的に! 彼はほぼ50回もここに来たことがあり、多くの人々を長い間知って過ごしてきました。また彼にはイスラームの背景があるため、その分、信頼が早く得られます。彼は非常に忙しく、高い地位の人たちととても容易に約束を取ることができました」

私が余りにもよく知っているタージ・ハマドを、このように過剰宣伝して、虚偽の報告をする彼らを私は理解することができません。

ロバート・キトル氏の報告書に接しながら、胸深く悟ることができました。

摂理的方向とビジョンを喪失した家庭連合が、どれだけ早く影響力の微々たる組織に転落してしまうかを。

その反対に、神様の摂理とビジョンに一致した運動が、わずか一回だけでもどれだけ大きな影響力を発揮するかを。

その真理を、この行事を通して天ははっきりと見せてくれたのです。

朴普煕会長の恥ずかしい試み

朴普煕会長が、「2010年12月4日に、真の父母様からモンゴル分捧王および国家メシヤに任命された」という消息を聞きました。当時、朴普煕会長は、モンゴル分捧王の責任を任されてきた私の息子珍滿に、12月8日付の手紙を送ってこの内容を知らせてきました。

私たちの運動は、真の父母様が関与された人事に対することは、信仰的に受け入れて、尊重する文化が構築されていました。神様のみ旨と摂理のために、父母様の決定に従順に従うという信仰が特別だったのです。ところが統一家に迫った天宙史的混乱は、このような信頼と信仰に取り返しのつかない傷を残しました。

モンゴルの若い食口たちは、私や私の息子に従う食口たちではありませんでした。私たちは彼らをそのようには指導しませんでした。彼らは私たちが入教した当時の若い姿のように、初めから神様のみ旨を中心として献身を決心し、祝福を受けた貴い食口たちでした。特に顯進様がその食口たちを直接指導された後、彼らの摂理意識はより強化され深まりました。

こうした食口たちが「尊敬してきた顯進様が一瞬にして堕落したアダムになってしまい、長年モンゴルのために情熱を傾けてきた私と私の家族が、堕落した天使長、サタンになった」と主張する言葉を信じるでしょうか。

あげくの果てに、家庭連合指導部は真の父母様宣布文実行委員会の代表になって、顯進様と私に対する非難の先頭に立った朴普煕会長をモンゴル分捧王に任命しました。ここで当然ながら大きな動揺が起きました。世界の国家メシヤの間ではすでによく知られている通り、朴普煕会長はアフリカのカメルーンの国家メシヤの任命を受けてからも、それまでその国に行って祈祷すら一度もしたことがない人なのに、そのような人物をモンゴル分捧王に任命した意図を、賢い若い食口たちが分からないはずがありません。

そうして、2010年12月13日、モンゴルの統一運動基盤全体が、「モンゴル平和統一運動共同決議文」を発表しました。混乱が起こった後初めて、国家単位の教会基盤全体が世界本部の指示に異議を提起し、「不義なる決定には従わない」と宣言したのです。

私は彼らが発表した文を読んで、心痛くも、実に誇らしい思いがしました。

モンタナで私を感動させた私の息子のように、彼らは賢明な正義の人として成熟していました。

「16年前に暗うつな共産治下から脱したばかりのモンゴルが、世界摂理に寄与できる成長した国家に生まれ変わるまで、果てしなく投入された真の父母様の精誠と愛をどうして忘れようか。今日のモンゴルの平和統一運動があるまで、真理と共に一片丹心で生きてきた先輩たちの血と汗と涙の基台、若い食口たちの熱意が共に一つになっていることを歴史が証す。私たちは真の父母様から啓示された神様のみ旨とみ言葉を相続し、祖国復帰のビジョンと使命を受け継いだため、酷寒の中でみ言葉を叫び、異国の地で万物復帰の現場を歩き回っても、口元にはほほ笑みと自信が消えず、目からは神様の涙が乾くことがなかった」

このように始まる声明書を読んでいる間、涙が止まりませんでした。不義に抵抗する宣言文は本当に人の心の琴線に触れるものでした。

声明書の結論は、このように締めくくられていました。

「私たちは、統一家内で真実であるかのように装った偽りが勢いを得る文化を、これ以上受け入れることはなく、現統一家指導部が志向する政策と決定において、偽りと偽善が発見される時、これを強力に拒否するであろう」

有名な36家庭をモンゴル分捧王に任命すれば、食口たちが簡単に従ってくると家庭連合指導部は思ったのでしょう。しかし、世界は彼らの意図の通りにはなりませんでした。

食口たちが従わないと、朴普煕会長は言葉にできないような悲惨な計画を試みました。この内容が何なのか私は知っていましたが、今までその方が超えるべきではない線を越えないことだけを祈ってきました。いちいち対応することなく沈黙を守ってきました。当然、天は非原理的な道を歩む彼の側ではありませんでした。

彼は2011年5~6月頃、「モンゴルにある顯進様の基盤を全てなくす条件」として、モンゴル現地のブローカーと非常に大きな金額の契約を締結し、巨額の手付け金まで渡したと言います。幸いにも彼らが願う通りには進まず、大金だけ浪費したことを知っています。こうした試みが神様の摂理にどれほど大きな誤ちになるのかと思うと、同じ36家庭の同僚として、ただただ残念に思うばかりです。

当時、顯進様は、韓国で南北統一運動の火を再び灯すために、8月にモンゴルでGPF行事を準備していました。モンゴルから統一運動の旋風を起こし、11月に韓国で「コリアンドリーム」のビジョンを中心として、新しい次元の統一運動の展開を夢見ておられました。

これは誰の仕事でしょうか。

神様の仕事であり、お父様の仕事ではありませんか。

その仕事を成そうとする息子の前途を阻む人たちは、いったい誰のための仕事をしているのでしょうか。

義を重んじる祝福家庭

神様のみ旨と摂理を守るための顯進様の闘争は、決して孤独なものではありませんでした。どんな状況でも傍らにあってお父様をお支えした草創期の兄弟たちのように、顯進様の傍らにも勇気ある祝福家庭たちがいました。

彼らは家庭連合側の除名と免職の圧力にも絶対に屈しませんでした。

2009年からは、顯進様に従うと決意した指導者たちが現われました。顯進様に対して人格殺人に近い非難が続いて家庭連合から統一教に摂理が逆行すると、2010年からはこれについての不当性を指摘する、良心的な祝福家庭たちの叫びが聞こえてきました。2010年3月、米国UTS神学大学院の校牧だった金慶孝牧師が初めて、公開書信を発表しました。その後、金東雲会長、權龍顔(クォン・ヨンアン)会長、鄭滿會(チョン・マネ)牧師など多数の祝福家庭が除名されながらも、数多くの祝福家庭が勇気ある行動を続けたのです。

個人的な次元だけでなく、教会と国家の次元でも、摂理の正道を逸脱した家庭連合指導部を叱咤し、真実を知らせる活動が展開されました。義のための勇気ある歩みです。モンゴル食口たちが連合して2010年12月に公開決議文を発表して行動に出ると、2011年10月には釜山教区所属の食口たちが良心宣言文を発表して、崔鎭泰(チェ・ジンテ)牧師と共に顯進様に従うことを決心しました。

祝福家庭たちの決起は、韓国、日本、米国はもちろん、アジア、南米、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア大陸まで全世界に拡散しました。

家庭連合が食口たちの自由な疎通を抑圧し統制すると、食口たちはインターネット上に個人ブログなど、独自の疎通チャンネルを作り、腐敗した家庭連合指導部の過ちと顯進様に関する真実を世に知らしめました。

その結果、アフリカの奥地にいる食口たちまでが真実の情報に触れて、良心的な行動に出るようになったのです。このような祝福家庭の勇気ある行動は、去る2017年の家庭平和協会の発足につながりました。これから、創設の主役たちによって摂理の内的基盤が全世界に堅固に築かれていくことを確信します。

今まで彼らは、熾烈で切迫した闘いをしてきました。

それは昼夜の区別なき闘いでした。

真実と正義が正され、摂理が正しく立てられることを彼らは望みました。

過去に私たち皆が一つになって走っていったように、神様のみ旨を中心として再び一つになることを彼らは望みました。

天宙史的混乱期に顯進様に侍って闘う祝福家庭の行跡は、将来の摂理歴史の1ページとなって永遠に残されることでしょう。

いつの日か誰かによって、摂理を守った彼らの大切な活躍の姿が、詳しく記録されることを私は願います。

その方たちに真心から尊敬と感謝の心を伝えながら、神様の加護が常に共にあるように祈ります。

ここまで統一家の葛藤の本質が何であり、この葛藤がどのように展開されてきたのかを整理してきました。

そして今、皆さん全員にこう問いたいのです。このような葛藤は、果たして誰のための葛藤でしょうか。

皆さん全員は、葛藤に対して自由でしょうか。

神様が願われるのは「事必帰正」ではないでしょうか。

-事必帰正