これまでOneTruth有志の会は、真実を伝えることで祝福家庭の眼を開き、2009年より始まった葛藤を終結させることを目標としてきました。
「信仰が小さくなると現実が大きく見える」という基本セオリーは、「信仰者は現実を無視しましょう」という意味ではありません。
顯進様は困難な現実と向き合う姿勢について、「知的に正直であれ」という表現で重要視されます。
持病を抱えながらもビジョン2020に邁進されたオモニに対して、正しくないという理由だけでこの方を裏切ることは良心が許さないという気持ちがあると思います。
いつの間にかオモニに対して実の母親以上の愛着心が湧いてしまい、「たとえ地獄であってもこの方にお供する」という忠誠心が芽生えた方もいらっしゃいます。
前回記事でかつてのオモニの写真を掲載したのは、そのような忠誠心が本当にオモニを幸せにできるのでしょうか?とほのめかす意味がありました。
オモニの本当の幸せは真の家庭の四大心情圏にあり、独生女として全人類から崇拝されることではありません。
「独生女=独りで生きていく女」なんて皮肉も言えないくらい、悲しい出来事が展開されているのです。
「信仰が小さくなると現実が大きく見える」という基本セオリーは、「信仰者は現実を無視しましょう」という意味ではありません。
顯進様は困難な現実と向き合う姿勢について、「知的に正直であれ」という表現で重要視されます。
創造本性として理性を与えられた私たちは、認めたくない現実の困難をしっかり認識しています。
石像問題については、「お母様は『お父様と最終一体』を重視されていない」という認めたくない現実があります。
その現実と向き合って、誠実に解決を目指すのが「知的正直さ」です。
日本食口はこの「知的正直さ」の欠如から、傍から見て非常識で不誠実な文化を醸成してきました。
しばしば揶揄される「統一教会に愛はない」について、殆どの食口は善良で愛すべき本性を持っています。
ところが隣で困窮する食口がいても無関心で、離教していなくなってもそのことに気付きすらしません。
愛がないのではなく、「良いことだけを見る」習性故に、悲惨な現実を「見ないようにしている」からです。
堅固な信仰の代償として、食口は誠実さを失ったのです。
とは言え、長年育まれた忠誠心と分派への敵愾心から、節操なく「三男派」の主張を聞くことなどしたくないという反発心は理解できます。
「真実」とやらがあるにしても、支持する人たちで勝手にやってくれという投げやりな気持ちもあるでしょう。
ところで「三男派」と一括りにされる集団は、軍隊のように統制された集団ではなく、考えることも行動も自主性に委ねられています。
FPAの有志では八大教材や成約のみ言葉を訓読しながら、天宙史的葛藤がなぜ起きたか、祝福家庭の責任はどこにあったのか、教訓があるとすれば何か、と現在進行形で探求されています。
そして天の父母様聖会が独生女を崇拝し跪くように、第4アダムである顯進様に跪くことを要求される先入観も間違っています。
「第4アダム」という語感はアボジの「唯一無二の後継者」であり、第3アダムが失敗したという前提があり、女性であるオモニを排除しようとする悪意すら連想させます。
しかし顯進様がそのようなニュアンスで第4アダムを表明されたのではないことは、原典となる第4アダム関連のみ言葉を訓読すれば分かります。
第4次アダム圏とは第3アダムの完全勝利の基台に宣布された勝利圏であり、全祝福家庭が歩むことになる創造原理の路程に他なりません。
キリスト教徒が十字架と復活をイエス様の完全勝利とみなすように、祝福家庭が第3アダムを完全勝利したとみなすことに問題はないのです。
ただし第3アダムの勝利とは蕩減復帰の勝利であり、その先に開かれる創造原理の世界は、アボジ自らもまた歩まれる必要がありました(家庭的四位基台)。
2001年の神様王権即位式からスタートした第4次アダム圏の競争は、当然アボジ率いる真の家庭が一番乗りでゴールされるのだと、期待されていました。
ところがその後「誰が後継者か」を巡って争いが勃発し、いまの混乱に至っています(家庭的四位基台の破綻)。
第4アダムを表明された顯進様もその道半ばであり(家庭的四位基台の成長期間)、宗教権威を傘に自分に跪かせることを望んでおられるのではありません。
OneTruth有志の会はこれからも知的な正直さをもって、天宙史的葛藤に取り組んで参ります。
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