原理講論のキリスト論は、イエスを神格化したキリスト教にたいする挑戦だと言えると思います。天の父母様聖会の食口は、キリスト教の歴史や神学にたいして原理講論が影響を与えたことについてピンと来ないかもしれません。

イエスを神格化するとはどういうことなのか?何故キリスト論が神学的に物議を醸すのか?それを良く分からないまま再臨主を迎え「祝福中心家庭」の責任を与えられたのです。
お父様の聖和後に独生女神学が現われ、御父母様の神格化作業が目の前で行われているのに、キリスト教と同じ過ちを繰り返していることに気付く人はごく僅かです。

「イエスの復活」を体験した者たちが「イエス信仰」を始める

金曜日の午後、エレサレム郊外にあるゴルゴダの丘で磔の刑に処せられたイエス。ここで終わっていれば、イエスの生涯はユダヤ教改革の一物語として語られるだけだった。
ところが三日後の日曜日の朝、イエスは「復活」する。
「イエスの復活」を目撃した人たちが、同じ時間に何人も現れ、その目撃体験が人から人へと伝えられた。
エレサレムの町にはすぐに「イエス復活の奇跡」が広まることになった。
「復活」を目撃、体験した人の中には、イエスを否定していたファリサイ派の律法学者だったパウロがいた。パウロはこの体験によって回心し、一転してイエスの教えの熱心な信奉者となり、得意のギリシャ語でユダヤ人以外の異邦人へ熱心に布教した。「イエス信仰」の芽が出始めた。

「信仰を説く者」から「信仰される者」になったイエス

死んだはずのイエスが「よみがえった」…これを目撃、体験した多くの人々によって、イエスの存在は大きく変わっていった。それまでのイエスは、ユダヤ教の改革者として、神の国の到来で永遠の幸せを得ることのできると説く一宣教師に過ぎなかった。
ところが「復活」によって、今度は「信仰される」立場に変わった。
ユダヤ教の異端の一派のような存在だったイエスの教団が、ユダヤ教とは一線を画した新たな教団に転換していく。
イエスは「救世主(キリスト)」「神の子」「主」と呼ばれて神格化が進んだ。
パウロの布教により、イエスを信仰の対象とする人々が増え、教団へと成長していく。こうしてまったく新しいひとつの宗教が誕生することになった。キリスト教の誕生である。

異邦人への布教でキリスト教は世界宗教になる
イエスが「他者への愛」「隣人への愛」を説き、独自の宣教活動を行ったのは、30歳前後からのわずか3年間。
イエスの死後、イエスの行動とその教えを多くの人に伝えようと、布教に熱心だった信仰者の一人にパウロがいた。それまでユダヤ教を信仰する者はほとんどがユダヤ人だったが、パウロはユダヤ人以外の異邦人に対しても積極的に教えを広めようとしたのだった。それは彼自身がキリキア(小アジア)のタルソス出身のユダヤ人であり、ギリシャ語なども話せた「国際人」であったためだ。
パウロの伝道活動は小アジアを越え、あるいは地中海を渡って広がり、キリスト教が世界宗教となるきっかけとなった。

キリスト教の正統と異端
イエスの復活を認めるなら、イエスを神の子あるいは神と同一の存在と認めなければならない。ところがイエス本人がわが主と呼びかけた唯一神ヤハウェが存在する。ヤハウェとイエスの関係は、いったいどうなるのか?さらにイエスの母マリアは、普通の女性であった。イエスが神なら、人間マリアが神を産んだことになる。初期のキリスト教徒たちはこの矛盾に悩み、論争を繰り返した結果、いくつかの派閥に分裂した。
特に重要なのはアリウス派とネストリウス派、アタナシウス派の三つだ。
アリウス派はイエスを人間と考え、崇拝の対象にはしない。ユダヤ教やイスラム教のイエス観に近く、もっとも合理的な考え方だ。アリウス派はその後、中東方面に広まりながら消滅したが、イスラム教の下地になったという説がある。
ネストリウス派は、人間として生まれたイエスが神の性質を帯びた、と考える。生まれたときのイエスは人だったので、母マリアの聖性は認めない。
アタナシウス派は、神ヤハウェが聖霊に姿を変えて処女マリアに宿り、イエスとして生まれた、と説明する。マリアは「神の母」だから聖性も認める。

ミラノ勅令(313年)でキリスト教を公認し、帝国統治に利用しようとしたコンスタンティヌス帝は、話し合いによる教義の統一を求めた。ニケーアで開かれた最初の公会議(宗教会議)は、アリウス派を「異端」と断罪して追放し、次のエフェソス公会議ではネストリウス派を追放した。

ローマ帝国の国教として認められたアタナシウス派は、自分たちが異端でないことを告白する義務がある。そのため、天にまします父なる神、子なるイエス、イエスによって遣わされた聖霊は一体のものである、という意味で「父と子と聖霊の名においてアーメン」といって十字を切る。この教え方を三位一体説という。その後キリスト教会は西のカトリック教会と東の正教会とに分裂するが、いずれも三位一体説のアタナシウス派である。

 

イエスの十字架からローマ帝国でキリスト教が国教化されるまでの混乱は、同じような環境の中にいる私たちにとっては、大きな教訓になると思います。時間がたてばたつほどに「神格化」にたいする反論は難しくなってくると思います。

カテゴリー: 原理的観点

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