晩年のお父様は、2013年1月13日の基元節奉献を目指して死線を越えようとされました。すべての祝福家庭にとって、基元節を前にお父様が聖和されるなんて想像すらできなかったのです。
基元節の最大の目的が、完成期の聖婚式を挙行する点にあったことを記憶する食口はどのくらいいるのでしょうか。

5分20秒〜
2013年1月13日、基元節のゴールは誰がしましたか? 真の母だけがゴールしました。
それで私は天一国を宣布しました。天一国元年を宣布しました。
そして3年間はお父様のために、天の父母の前に哀れみと赦し、愛を求めました。
真の父の生涯は地上において完成しなければなりませんでした。地上がまず先なのです。そのようにできなかったと言うのです。

天の父母様聖会では基元節を完了したことになっているので、オモニのメッセージに違和感を抱かなかったのでしょうか。
「霊界のお父様と地上のお母様は一つ」なのに、「お母様だけ」がゴールし、「ゴールできなかったお父様」を天の前に3年間執り成した(哀れみと赦しを求めた)というのです。

実際のところ、オモニの口から「霊界のお父様と地上のお母様は一つ」と指導されたことは一度もありません。
このメッセージが首尾一貫したオモニのお考えであり、基元節を奉献できなかったアボジは「完成できなかった人」なのです。

 

「お父様にできなかった仕事をお母様一人でやり遂げた」とは、摂理を知らない人から見たら美しい家族愛に見えるかもしれません。
しかし基元節関連のみ言葉を少し参照するだけで、「お母様一人でやり遂げた基元節」が全くの的外れであることが分かります。

基元節の意義は幾つかありますが、最大の目的は完成期の聖婚式を挙行する点にありました。
真の父母の聖婚式は蘇生期(1960年)、長成期(2003年)、完成期(2013年)の三段階で完成することを繰り返し語られました。
2003年の聖婚式では還暦を迎えたオモニがウェディングドレスを着て聖婚式を捧げたことを、記憶する食口も多いでしょう。

 

私は2013年当時家庭連合に所属していたので、予定通り開催された基元節にライブ配信で参加しました。
しかし当日の式典が聖婚式であるとの説明はなく、女王のような風貌のオモニが登壇されたのです。

 

独生女宣布がはじめてなされたのが2014年7月でしたが、それはあたかも「独生女戴冠式」とでも呼ぶべき式典でした。
いまになって振り返ると、アボジの聖和後天一国の国歌が変わり、家庭盟誓も変わり、天聖経も変わり、聖酒・聖塩・聖燭・聖土も変わり、この日に向けて全てが新しくされたかのようでした。

この日が聖婚式ではなかったことは、先月除幕された石像にも表現されています。
オモニにとって基元節は女王として戴冠される日であり、アボジと完成期の聖婚をなさる日ではなかったのです。

「お父様は聖和されたのだから仕方ないじゃないか、イエス様が十字架につかれたように、この犠牲によってお母様お一人でも二人のように勝利されたのでしょう」と反論される方もいるかもしれません。
ところがアボジの膨大なみ言葉をどれだけ探しても、「万一私が聖和したら、お母様が一人で基元節を捧げる」という預言はないのです。

どれだけアベル的な解釈であろうと、預言にないことは単なる個人の願望です。
神の摂理とはサタンとの条件闘争であり、解釈を「アベル的に盛った」ところでご褒美のように実現するのではありません。

 

生前のアボジをずっと見てきた祝福家庭に、再度問い掛けたいのです。
基元節奉献は、アボジの生涯のすべてではなかったでしょうか。
真の家庭の中枢からどれだけ遠い平信徒であろうと、この問い掛けには同意して頂けると思います。
しかしながら殆どの祝福家庭は、基元節を大切だと感じながらも具体的に何が起きる日かということを知りませんでした。

本来の基元節の根幹には、完成期の聖婚式と三大王権が実現するはずでした。
三大王権とはすなわち、祖父母、父母、子女の三世代が神様を中心に一つになることです。
当日式典にお孫様の姿がなかった訳ではありませんが、男の子女様があらかた不在という状況は、「一つになる」とは真逆でした。

その日を目前にアボジが聖和されてしまうことは、何をどう解釈しても神の計画ではなく、そのように預言したみ言葉もないのです。

カテゴリー: 原理的観点意見

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