前回記事では、法廷記録に残る韓鶴子女史の発言に関する教理研究院の反論を載せました。前回は公平性を保つために事実のみを載せましたが、今回は私たちの主張を述べたいと思います。
①教理研究院は法廷記録そのものを確認せよ
教理研究院は反論の中で、「彼らが公開した、いわゆる「法廷記録」によれば…」といかにも当ブログで提示した証拠が偽物である可能性を匂わす発言をしています。
しかし読者の皆さまに良く考えていただきたいのは、天の父母様聖会はこの訴訟の当事者なのであり、一般に公開された記録なのですから、彼ら自身も裁判所のサイトにアクセスして訴訟の記録を確認することができるということです。
「いわゆる「法廷記録」によれば…」などと言わず、本物か偽物かをハッキリさせなければなりません。訴訟の当事者であるにも関わらず、法廷記録の確認をしないまま相手を批判するというのは、非常に無責任な態度だと言わざるを得ません。
②「伝聞に過ぎない」は教理研究院の常套手段
教理研究院はこれまでも、韓鶴子女史の集会での数々の問題発言に対して、参加者の証言を「伝聞に過ぎない」と片付け、機関紙やPeaceTVなどの媒体では問題部分を削除して祝福家庭に伝達してきました。
彼らは映像記録を持っていますし、その映像記録を確認すればそれらの証言が嘘か真実か確認できるにも関わらず、いつも「伝聞に過ぎない」としてきたのです。問題発言のあった場所が彼らの会場であり、映像を撮っているのも彼らだったため、それが可能でした。
「伝聞に過ぎない」とは都合の良い表現です。韓女史の問題発言が「本当だ」と認めることも出来ませんし、「嘘だ」と言えば後で録音が出てきた際に困るのです。ですから「伝聞に過ぎない」と曖昧にしてきたのです。
ところが今回、裁判所の記録というのは、彼らの管理下にありません。封印しようとしても、これまでのようには出来ないのです。
③教理研究院は肝心の箇所を引用していない
そして彼らは反論の中で、当ブログが公開した韓鶴子女史の最も決定的な発言を引用していません。
「私に会うプロセスにおいて、文牧師が私に会うまでは、私たちは彼が原罪が無かったとは言えない。支払わなければならない蕩減条件があった。」
「真の父母に関して言えば、6000年ぶりに原罪なしで来た独生女が独り子を探しだした。それで原罪についての答えになっているはず。」
この部分を引用せずに無視して反論を展開し、自分たちに都合の良い韓女史の発言のみを引用しています。
④「誤魔化し」は通用しない
教理研究院は、韓女史に対してサンクチュアリ教会の弁護士が「(文牧師に原罪があるかないかについて)あなたは答えていない」と言ったのを取り上げて、「真のお母様はお父様に「原罪があった」とも「無かった」とも明言しておられません」と述べています。
これは明らかな誤魔化しだと言えるでしょう。弁護士が「あなたは答えていない」と言ったのはかなり最初の方で、その後、弁護士がさらに追及したため、韓女史はついに上記赤文字部分のように発言したのです。
念のため、もう一度載せておきましょう。
「私に会うプロセスにおいて、文牧師が私に会うまでは、私たちは彼が原罪が無かったとは言えない。支払わなければならない蕩減条件があった。」
「真の父母に関して言えば、6000年ぶりに原罪なしで来た独生女が独り子を探しだした。それで原罪についての答えになっているはず。」
客観的に、結論は明らかです。韓女史はお父様の原罪について「原罪が無かったとは言えない」と答えました。
反論を書いた本人も、本当は分かっていることでしょう。
⑤教理研究院は当ブログの記事に対してリンクを載せない
このように、当ブログが公開した法廷記録を全文確認すれば一目瞭然、韓鶴子女史がお父様が有原罪で誕生されたと発言されたことが分かります。
しかし、彼らは祝福家庭が教理研究院の「真の父母様宣布文サイト」だけを読んでくれることを願って、「反論しているように見える」記事を書いたのでしょう。
それゆえ、彼らの反論では、当ブログの記事へのリンクを載せていません。両方読んでもらっては困るのです。
通常、批判や反論を述べるからには、相手の記事のリンクを載せておくのは、当然のマナーと言えるでしょう。
⑥「お父様は言うまでもなく無原罪で誕生された!」と断言されない韓鶴子女史
イエス様は大祭司カヤパから「あなたは神の子キリストなのか?」と問われ、命を懸けて「その通りである」と答えられました。
たとえそのことによって十字架の道を行くことになっても、ご自身が神のひとり子であるというアイデンティティを棄てることはありませんでした。
それに比較すると韓鶴子女史は、お父様の原罪について法廷で問われた際、何と答えられたでしょうか?
祝福家庭ならば何と答えて下さることを期待するでしょうか?「お父様は言うまでもなく、無原罪で誕生された!」ではないでしょうか?教理研究院だってそう答えて欲しいでしょう。ところが次のように答えられたのです。
「私たちは彼が原罪が無かったとは言えない。」
まとめ
最後に、読者の皆様に問いかけたいと思います。
- 今回の両者のやり取りをご覧になって、あなたは教理研究院が天の側に立っていると感じますか?
- これまで当ブログが伝えてきた韓鶴子女史の問題発言に対する彼らの反論一つ一つは、本当に信頼に値しますか?
- 神様が生きておられるとするならば、地上で摂理を引き継ぐ方が必ずおられます。その方はどなたですか?
今回は以上で終わります。
まだ読んでいない方はこちらもセットでお読みください。(【注目!】法廷記録に対する天の父母様聖会の反論)
7件のコメント
そこいら辺のシック · 2021年3月11日 8:43 AM
これはまさしく、かつて天使長ルーシエルがエバに語った言葉の意味と同じですね。
狡猾な言葉で本人の良心に、心が向かないようにさせる。
そこいら辺のシック · 2021年3月11日 8:59 AM
ここで原罪なく生まれたと言っている独り子はイエス様でしょうね。
そう指摘すれば、それはあなたの私見という。
狡猾な意味のすり替えばかりです。
プードル · 2021年3月11日 12:20 PM
教理研究員の反論のタイトルからして失礼すぎです。
「UCI側の〝偏見〟と〝曲解〟に基づく「法廷記録」を用いた虚偽の主張」とありますが、法廷記録自体が〝偏見〟や〝曲解〟に基づいたものと読者に誤認させえます(個人的には法廷に対しても失礼に感じます)。
また投稿主様がブログ記事中の法廷記録の引用部分に関しては、人間なので多少恣意的な部分も出てくるかもしれませんが、それも枝葉を省いて重要な箇所をまとめるためで、適当な範囲内だと思います。〝偏見〟や〝曲解〟とつけるのはどういうおつもりなのでしょうか?
加えてそもそもどこに「虚偽の主張」があるのでしょうか?まさか法廷での「お母様の主張」が…!?
本文に関しては、韓鶴子総裁御言葉集1の箇所、「私たちが公表したものが正式なものです (ただし全ては公表しませんが)。それ以外は認めません(たとえお母様でも)。」と言っているように感じました。
(お手を煩わせるのもあれなので、特に返信は大丈夫ですよ)
yumichan · 2021年3月11日 1:08 PM
自分は信仰が持てず、お父様を神格化できず、客観的にしか見つめられなかったので、櫻井夫人の語るお母様のみ言葉の内容に問題を感じません。
日本が滅ぶといわれ、主人の経済的援助で、数回韓国での、お父様の修練会に参加しましたが
★主語と述語がはっきりしない、後から小山田先生や周藤先生が解説してくれてやっと少しわかる
★子供たちがハーバード出身を自慢する⇒自分はそれよりも、神様のもとに家庭が一つになることの方が大切だと思っているので、反発心が沸いた
★私たちは、経済や時間を犠牲にして修練会に参加しているのに、話す内容がまとまっていなく、こちらは眠くなるだけ
★お母さまからもそのことを注意されたが、女性たちが好きだからとかなんとか弁明したらしい
結論として、自分はお父様は頭が悪いんじゃないかと思った
しかし神様はメシアとして彼に頼るしかないので、その足りない部分を弟子たちが補わなければならないのかもと感じた
一方お母様は、原稿も見ずに、み言葉を語り、主語述語も、私でもわかる感じに語られる
自分は聖和はおめでたいことで、霊界への誕生日として祝うべきと理解していたので、お父様が聖和されたとき、祝ってない雰囲気に違和感を感じた|
高齢の、言動が老化した、彼に任せるより、若いお母様が摂理を担当された方が、摂理が早く進むと判断された神様の、霊界人事だと、私個人的には受け止めている、地上天国早期実現のためには必要だったと
又、文先生はメシアとしては頑張ったけど、父親として、夫として、との観点からは不合格と自分は思っている
弟子たちの中には、後者に関してはもっと合格に近い方がいらっしゃると思う
信仰を持っている方にとっては、不快な意見だと思いますが、自分はそんな状況です
今を生きる人類の目的や神様の願いは、文先生をメシアとして慕うことではなく、一刻も早く、地上天国を建設することだと思う
各宗教団体の指導者はその事のために協力してほしいと願っています。
2000年前聖別されたマリア様の胎に原罪のないイエス様が宿る
本来、イエス様は一人っ子であるべきだったが、妹や弟が出来てしまった
イエス様と聖婚する予定だった、洗礼ヨハネの妹は、聖別された胎からではなく、兄達が誕生したあと、出生し、原罪があった
お二人が聖婚することにより、原罪のない真の父母が誕生する予定だった。
2000年後
文先生のお母様は聖別された胎ではなく、お兄様を産んだあと、お父様を授かった
お母様は、聖別された大母様の胎から誕生し、(原罪のない?)一人娘として育ち、兄弟はいない
お二人が聖婚することにより、原罪のない真の父母が誕生
どちらか一人が無原罪であれば、聖婚により、原罪のない真の父母が誕生
2000年前、原罪の無いアダムであるイエス様をこの世に産み出す摂理は成功
残された原罪のないエバを誕生させる摂理が、大母様の信仰により成功
以上のような解釈ではダメですか?
自分が得られる情報では、お母さまが1番、地上天国建設のために頑張っていらっしゃると思う。
地上天国建設を優先して、各宗教指導者は協力してほしいし、それが神の願いだと思う。
加油 · 2021年3月14日 1:34 AM
>yumichanさん
>結論として、自分はお父様は頭が悪いんじゃないかと思った
晩年のお父様の印象だけ切り取れば、言葉は悪いですが、そのような結論も理解できます。老化による肉体や脳の衰えは、神様がそのように創造したのであり、自然の摂理です。
ですが、お母さまが90才ぐらいになって同じように衰えたら、「頭が悪い、早く霊界に行った方が摂理が早く進む」と言われるのでしょうか。「信仰が持てず~」と書かれていますが、まさしく信仰抜きに判断すれば、そのような結論しか出ないのは、当然だと思います。
信仰が生まれ、それが慕わしさに変わり、さらには自分の父母であり親なのだとしたら、子としてどう願うべきでしょうか。お父様は「生きて天一国を見たい」とおっしゃったのですから、それをかなえるのが孝子ではないでしょうか。
>文先生はメシアとしては頑張ったけど、父親として、夫として、との観点からは不合格と自分は思っている
そんな父親を、子として愛せるわけはないですよね。そんな父親を否定する母親の方が、慕わしいし、応援したくなるのは、それはそうだと思います。おそらく反対派の元食口の方が書かれているブログなどを読まれたのだと思いますが、人間的に見ると疑問を感じるお父様の歩みは、ほとんど全て現代摂理史できちんと理由と背景が説明されています。鵜呑みにする前に読むべきみ言葉がたくさんあると思います。
懇切に問いかけたいのは、本当にお父様への評価は「信仰が持てずに」判断してよいことなのでしょうか。
>今を生きる人類の目的や神様の願いは、文先生をメシアとして慕うことではなく、一刻も早く、地上天国を建設することだと思う
お父様という一点から、神様の血統が始まったのであり、我々が神様の子となる道が開かれています。その神様の血統への誇りと愛がなければ、隣人も神の子になってもらいたいという純粋な伝道欲は生まれません。「神様のもとに一つの家族」なのであり、血統の出発点、家族の中心を否定して、地上天国はできません。
>2000年前、原罪の無いアダムであるイエス様をこの世に産み出す摂理は成功
>残された原罪のないエバを誕生させる摂理が、大母様の信仰により成功
>以上のような解釈ではダメですか?
メシア、つまり神様の子、神様の血統を地上に誕生させる条件は、6000年かけた「信仰基台」と「実体基台」であり、女性メシアを誕生させる、その様な摂理歴史はどこにも記録がありません。神様は血統の出発点としてアダムを創造されたのであり、女性は血統の主体にはなれないからです。女性の遺伝子からは先祖をたどれません。(ミトコンドリアからたどれますが、ミトコンドリアの遺伝子は『人間の』遺伝子ではありません)
お母さまが、『真の母』となったのは3番目であり、この矛盾に教理研究院は、最初のお母様と二番目のお母様も『独生女』だったと苦し紛れの主張をしています。つまりは『女性メシア3人同時代誕生説』であり、そんな原理も摂理史もみ言葉も存在しません。
なによりもyumichanさんの解釈は、家庭連合公式の『教理研究院』が、『お母さまご自身の昔の発言をもとに』否定しているのです。「お父様は原罪なく生まれた」というのが、今のところ、家庭連合の公式見解であり、我々顯進様を支持する人間たちとの数少ない共通認識です。
我々の批判は、お母さまの間違いもそうですが、お母さまは家庭連合の公式見解と、違うことを言っているじゃないか、それをなんで隠して、食口たちを騙すようなことをするのかというものです。
もう一度強調しますが、yumichanさんの解釈は、『お母さまがむかし言われた発言を根拠に』家庭連合公式の教理研究院によって否定されています。お母さまは180度違う発言をされているのであり、その点をよく考えていただきたいのです。
>daichiさん
横入り失礼したしました。
そこいら辺のシック · 2021年3月11日 11:11 PM
人類始祖の堕落によって生じた原罪は、人間のいかなる努力によっても絶対に取り除くことはできません。
創造主ハナニムが創造原理に従って、再創造をされる以外に、超克する道はないのです。
そこいら辺のシック · 2021年3月15日 7:33 AM
横やりの横やりで恐縮ですが、重要なことなので書き残しておきます。
一般のシックが様々な感じかた、考えを持つのは自然です。
しかし、ここでの問題は組織集団を統率する教役者がどのような指導をしているかです。
以前、知り合いのシックに会ったときいわれました。
「聖霊の言うことを聞かないと永遠に赦されません」と。
この対話の流れを教役者は公の場では決していいません。
シックの様子を見ながら個別の場でいうのです。
わたしはそれを知り合いのシックから言われたとき即時反問しました。
「聖霊を汚しているのはどなたですか!?」と。
そのシックは「チョッチョッ…」と言ったきり話題をかえてしまいました。大学院をでて論理の通じるシックでさえこうなのです。そのシックとその後連絡もありません。
聖霊を汚す者と関係を持てばその人も罪になると考えているのです。そうした体験を何度もしました。
聖霊を汚すと永遠の罪、とはイエス様が言われました。
ではどうしてなのでしょうか?
創造原理には「罪ということ」自体が存在しないので赦しもありません。
赦しの権能はメシアにしかありません。
ここで言う聖霊とはイエス様の相対を指すのでその立場の女性には赦しの権能がないということです。
つまりお母様がお父様の原罪を脱がしたなどということとは論理的に正反対なのです。
わたし達がいま生きている世界は間接主管圏です。
このような教役者たちの本質的誤りこそ徹底的に指弾しなければ、傍観しているシックも最終審判でひっかかることになるでしょう。