教理研究院はこれまで、当ブログが公開した韓鶴子女史の法廷証言記事に対して、彼らなりの反論を展開してきました。(リンク:反論①反論②反論③

今回は彼らが展開した論理をここに要約して紹介しつつ、最終的には自らの論理で韓鶴子女史がお父様のみ言葉や正統な原理観とは異なる信仰を持っていることを証明してしまっていることを示したいと思います。

基本的な争点-韓鶴子女史の信仰は「お父様は無原罪」か「お父様は有原罪」か?

当ブログでは、韓鶴子女史が法廷証言において、「私たちは彼(お父様)が原罪が無かったとは言えない」と語られたことを証拠として、韓女史は「お父様に原罪があった」と信じておられると伝えてきました。

教理研究院はそれに対して以下を引用しながら、韓女史は「お父様は無原罪である」と信じておられるとしてきました。(一つ目の発言に関してはかなり編集されていることがすでに明らかで、互いに異なる翻訳が三つ存在します。)

「1960年4月11日は、原罪なく生まれた独り子と独り娘が万難を克服し、天のみ旨に従って『小羊の婚宴』を挙げた日です。天にとっては栄光の日であり、人類にとっては喜びと希望の日となったのです」(2017年4月12日、『韓鶴子総裁御言選集1』55ページ)

「それから2000年後、天は韓民族を選び、独り子と独り娘を送られました。……韓半島に独り子と独り娘を誕生させ、世界を救い、人類を愛によって導くようにすることが神様のみ旨でした」(『人類の涙をぬぐう平和の母』49ページ)

「解放(終戦)とともに、国の名前をなぜ『韓国』としたのか考えたことがありますか。この国は天の摂理の中でできたというのが結論です。独り子と独り娘が誕生した国(韓国)だからです」(『韓鶴子総裁御言選集1』41ページ)

「その独り子、独り娘が誕生した国である故、天は韓国を守らなければいけませんでした」(2015年5月23日、アメリカ・イーストガーデン訓読会)

果たして韓鶴子女史は、お父様について「無原罪」と信じておられるのでしょうか?それとも「原罪があった」と信じておられるのでしょうか?

 

法廷で「お父様が原罪が無かったとは言えない」という必要性はどこにあるのか?

韓鶴子女史は法廷で明らかに「私たちは彼(お父様)が原罪が無かったとは言えない」と語られています。

まともな祝福家庭であれば、口が裂けても言わない言葉です。(それどころかかえって「お父様は無原罪で生まれた神のひとり子である!」と叫ぶでしょう。)

教理研究院がこれを打ち消すためには、最低でも「お父様は無原罪で誕生された」という韓女史のハッキリとしたお話の音声もしくは映像(編集無し)が必要です。

いくら天の父母様聖会で編集された書籍からの引用を「公式的なみ言」として提示しても意味はありませんし、お父様が無原罪と「解釈できる」と説明されても、法廷でのハッキリした発言を打ち消すには無理があるのです。(教理研究院がいう「公式的なみ言」は本当にそう語ったかという点では、今やかなり信頼性の低いものであり、法廷の記録の方が信頼できるという悲しい状態にあります)

そしてたとえ「お父様は無原罪で誕生された」という発言が確認されたとしても、法廷では一体なぜお父様に原罪があったと話されたのかという理由の解明がなければ不十分でしょう。

法廷の記録が永遠に残っていくことは韓女史も十分にご存知なはずです。それに「お父様は無原罪で誕生された」と話してしまった方が、裁判にも有利です。

それでも韓女史がお父様に原罪があったと法廷で話されたのは、そのことが韓女史の信仰に関わる、とても重要な必要性があったからに他ならないでしょう。

 

お父様の真の父母観と、韓鶴子女史の真の父母観

韓女史は法廷で、次のようにも語られました。

「文牧師には支払わなければならない蕩減条件があった。しかしながら、1963年に(原文ママ)、聖婚式で、私に会うことによって、彼はひとり子の位置に上がった。」

この言葉は、お父様が生まれながらのメシヤ(独り子)ではないという意味に聞こえます。

それに対して教理研究院は以下のお父様のみ言葉を引用します。

「イエス様は、『神様の独り子だ』と言いはしましたが、独り子になることはできませんでした」(『訓教經(下)』56ページ)

「神様の独り子になるには、相対(独り娘)がいなければなりません」(『訓教經(上)』704ページ)

そして彼らは、「このみ言を踏まえると、真のお母様が語っておられるいわゆる「法廷証言」は、真のお父様のみ言と一致しています。」と説明しました。

つまり、彼らの説明によれば、お父様はお母様に出会って、お母様はお父様に出会って初めて、お互いに「ひとり子」「ひとり娘」の立場に立つのだ、「お母様はそのように語っておられるのだ」ということです。

では、韓鶴子女史は本当にそのように信じておられるのでしょうか?以下に法廷での発言を引用してみましょう。

「私に会うプロセスにおいて、文牧師が私に会うまでは、私たちは彼が原罪が無かったとは言えない。支払わなければならない蕩減条件があった。」

「私は原罪なしで生まれたから、私は独生女である。だからこそ神様は私を救った。

「16才の時に文牧師はイエス様に会って、イエス様から使命を引き受けた。その時がひとり子としての資格を得た時であった。16歳の時から文牧師はイエス様が完成する必要のあった道を歩んだ。したがって、文牧師には支払わなければならない蕩減条件があった。しかしながら、1963年に(原文ママ)、聖婚式で、私に会うことによって、彼はひとり子の位置に上がった。

「真の父母に関して言えば、6000年ぶりに原罪なしで来た独生女が独り子を探しだした。それで原罪についての答えになっているはず。」

「独り子のミッション(使命)とはイエス様がその生涯で広めることが出来なかったみ言葉を見つけ出すことでした。したがって、お父様が独り子としての位置を見つけ出すためには、彼はみ言葉を探し出す必要がありました。これがお父様が解放されてすぐに、プサンに渡って、み言葉を見つけ出してみ言葉を書いた理由です。そのような基盤の上に、お父様は独り子としての資格を得て、独生女に会うことができるようになったのです。

これらの内容を要約してみましょう。

・お父様が韓女史に出会うまで、原罪が無かったとは言えない(つまり原罪があった)。

・韓女史は生まれながら無原罪の独生女である。

・お父様は16歳で(あるいは釜山でみ言葉を探し出すことで)ひとり子の「資格」を得て、それから韓女史に出会う(聖婚する)ことによってひとり子の「位置」に上がった。

・6000年ぶりに無原罪の韓女史がお父様を探し出した。これがお父様の原罪についての答えになっている。

このように、韓鶴子女史の信仰は、教理研究院が韓女史に「こうであって欲しい」と信じているものとは異なることが分かります。

つまり、彼らがお父様のみ言葉を引用しながら主張するような、お互いに聖婚することで「ひとり子」「ひとり娘」となるというのが韓女史の信仰ではないのが、韓女史の発言から明らかなのです。

韓女史は生まれながらの独生女である一方、お父様は原罪を持って生まれ、蕩減条件を支払うことでひとり子の資格を得て、さらに聖婚することで独り子の位置に上がったという風に、韓女史は「韓女史を主体、お父様を対象とした真の父母という信仰」を持っておられることが分かります

 

韓鶴子女史が主人公、お父様が周辺人物になっている清平の彫像

北朝鮮の金日成主席でもあるまいし、お父様は元々、このような彫像を造ること自体、嫌われる方だと思います。そして、この彫像が現しているのが正に、「韓鶴子女史を主体、お父様を対象とした真の父母という信仰」なのです。

恐らく何千年も残すことができるような素材で造らせたのでしょうけれども、そうであるなら尚更、一体どうして「真の母」が中央にそびえたち、「真の父」が周辺人物であるような像を造ってしまったのでしょうか?

米国の初代大統領ジョージ・ワシントンは、自分の死後に銅像など絶対に作らないで欲しいと遺言を残したため、米国では代わりに「ワシントン・モニュメント」という象徴的な塔が建設されたと言われています。このような謙虚さは、神様から来るところの人間の普遍的な美徳です。

ましてや霊界のお父様はこのような彫像をご覧になって、何とおっしゃっているでしょうか。

いつの日か、人間の霊性が全体的に引き上げられて皆が神様の謙虚さに似るようになれば、清平の彫像を見て、恥ずかしい歴史の汚点であることが分かるようになり、静かに撤去される日が来ることでしょう。

 

2020年11月11日にはっきり現れた、韓女史主体の真の父母観

最後に、2020年11月11日に韓女史が語られた内容を見れば、このことがさらに良く分かりますので、それらを引用して終わります。

「2千年前に独り子イエス・キリストは来られました。初臨だ。天の摂理は、地上で成さなければならないため、再び来られる独り子の使命をされる方は再臨のメシヤ。そうであるならば、メシヤの責任をお持ちの方は、独生女に会わなければならない。独生女に会う前に自己を中心とした判断で仕事を広げてはならない。

お父様の聖和以後、天一国は誰が開いたの?(お母様です)お父様は聖和なさる前にすべて成したと言われた。ところで何をすべて成されたでしょうか?真の父母の責任は、地上で天の父母様に侍らなければならない。侍る生活を人類の前に見せてあげなければならない。私は最近チョ・ハンジョの「ありがとう」という歌を聞いた。お父様が真の父母の立場で天上に行かれる前に、必ず私に言わなければならない言葉だ。真の父母として、夫として、父として言わなければならない言葉はすべて成したではなく、頼むと話さなければならない。それで私は、天の父母様の前に3年侍墓精誠を捧げたと言った。私は知っているから。それでも、地上に私がいるのでお父様ができなかったこと、私はすべてして差し上げると決心し、また決心した。」

「特に統一教会の古い元老という人々。50生涯、60生涯、お父様だけ見てきた人々が、私が独生女だと言う時、受け入れられなかった。私が60年を耐えて待ってきた。よく耐えた。」

「正しく知らなければならない。皆さんがこんがらがってはいけない。真の父母は永遠だ。これを正しく整理できずに行かれた方がお父様であるため、変な息子が出てきた。今後摂理の完成モデルは、独生女、真の母だ。

「真の父母経を作れと言った。そうしたら、それが出てきた。ところが、見るとこれは違う。これはお父様の日記だ。これではない。経典ではない。それでもう一度してみろと言った。真の父母から始まらなければならないと言った。」

 

【まとめ】

エデンの園では、サタンが侵入することにより、エバがアダムを逆主管して堕落が発生しました。

再臨摂理において、もちろんお父様は生涯、神様の息子としての道理を一貫して守られました。しかし天の父母様聖会においてお父様の聖和後から徐々に露見してきた事柄は、アダム家庭で起こったこと(エバがアダムを逆主管)がそのまま再現されたものではないでしょうか?

それが「私たちはお父様が原罪が無かったとは言えない」という発言と、清平の彫像、「韓女史を主体、お父様を対象としての真の父母という信仰」です。

しかし、絶望することはありません。このような中でも、お父様の摂理的な遺産を引き継ぐ長子がおられること、そしてたとえ少数であっても原理に立ち、真実を知って立ち上がる群れがいることによって、神様の摂理は守られていくことでしょう。

 

(※教理研究院は当ブログの記事に対して、韓鶴子女史の「私たちは彼(お父様)が原罪が無かったとは言えない」という発言の「私たちは」を削除したという意味不明の反論をしたが、「私たちは」を入れても全く意味が変わらないため、3月24日、「私たちは」を補って更新した。)

 


≪重要記事へのLink≫

「お父様は原罪あり」法廷記録に残る韓鶴子女史の発言①

韓鶴子総裁のスピーチ(2020年11月11日午前 清平修練苑)

なぜオモニの言葉を明らかにしないのか(櫻井夫人のメッセージ⑤)


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9件のコメント

yumichan · 2021年3月23日 8:40 PM

自分はまともな祝福家庭ではないので、お母様の言葉が正しいと思う。お父様は、お母様を正しく子女様や弟子たちに証するという責任分担が果たせなかったので、モーセがカナンの地に入れなかったように、地上天国実現まで長寿できず、霊界人事になったのだと思う。

    daichi · 2021年3月24日 6:56 AM

    >yumichanさん
    コメントありがとうございます。
    お父様が責任分担を果たせなかったということには同意しませんが、韓女史のお話を文字通りに理解すれば、教理研究院の無理やりな解釈のようにではなく、yumichanさんが仰るような意味になってくることは確かだと思います。

    tomy4509 · 2021年3月27日 7:31 AM

    原理講論のキリスト論・重生論には以下のような預言めいた一文も発見することができます。

    —->引用開始
    このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。
    —–<引用終わり

    天一国(地上天国)はまずは地上においてなされなければなりませんが、地上だけでなく天上においても摂理はあると思われます。地においてはお母様が、天においてはお父様が天一国の門を開門され、天上地上の門が繋がったとも考えられます。

    陽陰の原理的観点から見てもメシヤはお一人だけとは考えることは出来ません。重生論からは「善の父母」との記述があり先の引用となっています。お父様「独生子」を認められるとするならば、お母様「独生女」も受け入れられるべきです。原理講論に「独生女」が書かれていないからといっても、新しい福音「独生女」を最初に解かれたのは「お父様」でした。そのお父様は誰を指して「独生女」を語られていたというのですか?

    お母様以外にどなたかおられるとするならば、教えてください。

    お父様は無意味な「独生女」を180回も語られはしないでしょう。お母様の聖和後のみ言も、お父様がもっとハッキリとそれを語られていれば、こんにちの混乱はなかったということになります。

    2000年前のイエス様「独生子」がクリスチャンの信仰によるものであるように、家庭連合(旧・統一教会)の「真の父母様」(お父様「独生子」、お母様「独生女」)も信仰による以外にはありません。イエス様が「独生子」だということをどのように証明できますか? 同じです。逆には、「お母様が独生女でない」という証明は有志ブログで出来ているでしょうか。櫻井夫人も「信じられない」のひと言を残して家庭連合を離脱(信仰の離脱)されたでしょう。

若枝 · 2021年3月24日 10:55 AM

 お母様のみ言は神様(天の父母様)をしっかりつかんだ上で読まなければ真意が伝わってこないと思います。
神様を掴んでいないから、お母様とお父様を比較するような議論に陥るのです。
み言は、真の父と真の母を比べているのではありません。神様の創造目的の成就を言っているのです。

そこいら辺のシック · 2021年3月27日 8:23 AM

シックのみなさん、よく考えてください。

創造主ハナニムは絶対者です。ですから、創造原理は地上界のすべてから影響を受けることは絶対にありません。

よって、創造原理には血統転換は絶対にありません。

創造主ハナニムはメシアになることは、これまた絶対にありません。

ですから全人類の救済のために、地上界に眞の父を送られるのです。

最初のアダムは未完成期における肉的堕落によって主管性を失いました。結果として人類は二人の父を持つようになったのです。

唯一眞の父が地上界におられなくして何もはじまりません。

今すべてのひとが、生死の分水嶺に立たされています。
これほど深刻な事態はありません。

創造原理から考え直してくださることを、切に願います。
  

そこいら辺のシック · 2021年3月29日 11:55 PM

創造主ハナニムは唯一絶対者です。
それは十戒の最初に位置する厳命です。

ですから創造原理も唯一絶対です。
さらに、その一つが、創造の秩序的三段階です。
蘇生・長成・完成の三段階は入れ換えることも、引き抜くことも、加えることもできません。
正・分・合です。

創造主ハナニムは、まずアダムを創造されました。これが正です。そしてアダムに重要な戒めを与えられました。
その後にアダムからエバを創造されたのです。これが分です。
ですから二人は結婚して一つになるのです。合です。

これが創造原理であり、唯一絶対です。
よって、血統も唯一絶対です。

二元論は絶対に容認されません。主張する人に強く警告します。
 

    tomy4509 · 2021年3月31日 11:38 PM

    >そこいら辺のシックさん へ

    蘇生”期”・長成”期”・完成”期”の三段階と「正分合”作用”」の関係からですが、あなたの文面からは「蘇生期–正–アダム」「長成期–分(反)–エバ」「完成期–合–アダム・エバの結婚」と受け止められますが、如何でしょうか?
    アダム(男性)を否定してエバ(女性)ともなれば「正反合」ですし、男女がそれぞれにということともなれば、「二元論」も容認しているように受け止められます。

    原理講論に書かれている「正分合作用」については、ここで改めて引用するまでもないと思いますが……
    —–>引用開始

    ① 正 分 合 作 用

     万有原力によって、神自体内の二性性相が相対基準を造成して授受作用をするようになれば、その授受作用の力は繁殖作用を起こし、神を中心として二性性相の実体対象に分立される。このように分立された主体と対象が、再び万有原力により、相対基準を造成して授受作用をすれば、これらは再び、合性一体化して、神のまた一つの対象となる。このように、神を正として、それより分立して、再び合性一体化する作用を正分合作用と称する。

    —–<引用終わり

    これが創造原理に書かれた「正分合作用」です。堕落がなかったならば「創造原理には血統転換は絶対に」必要ありません。堕落のゆえにの話です。

      そこいら辺のシック · 2021年4月5日 12:12 PM

      原理の根幹に関わる事項を「保留」にされるような方と、今後とも何らかの対応をすることはございませんので、ご了承のほど、お願い申し上げます。
       
       
       
       

        tomy4509 · 2021年4月12日 4:48 AM

        そこいら辺のシック へ

        >原理の根幹に関わる事項を「保留」にされるような方と、今後とも何らかの対応をすることはございませんので、ご了承のほど、お願い申し上げます。

        さて、真の父母様の生誕における原罪の有無が「原理の根幹関わる事項」でしょうか?
        原理講論には真の父母様の生誕については書かれていません。キリスト論の重生論で堕落の血統の人類を生み変えてくださる「善の父母」として書かれています。原理の根幹にあるのはその「善の父母」です。1960年の聖婚式が、まさに、「子羊の婚宴」でした。「独生子」と「独生女」が出会ってのそれでした。

        ところが、そこいら辺のシックさんの原理講論に書かれた「正分合作用」は原理を理解していく上での「定理」ともいうべきものです。それこそが根幹からの間違い(共産主義の「正反合」)ともいうべきものではないですか?
        先ずは、私からの指摘に対しての訂正からではないですか。

        また、私が「保留」した疑問に対してシックさんは応えることが出来るとでもいうのでしょうか。
        お父様の家門は、最初は中心宗教のキリスト教ではない儒教でした。キリスト教の改宗してのちに、お父様はイエス様と出会われては彼の使命を継承された、というのが「主の路程」で私たちが聞いてきたものでした。決して生まれながらに原罪無し、という話はありませんでした。「原罪無しで生まれた」はイエス様がそうであったように、再臨主もそのように来られるであろうといった因習によるものと思われます。

        原理講論・後編のイエス路程を見れば、洗礼ヨハネの失敗でイエス様は彼の失敗を蕩減すべく、第二次路程は(原罪ある)洗礼ヨハネの立場でサタンからの試練も受けました。第三次の再臨主はまた、十字架に架かられたイエス様の蕩減はなかったでしょうか? あったでしょうか? 原理講論ではこのような蕩減に関しての記述もシックさんは目にされているはずです。私が「保留」とした疑問について「お父様無原罪誕生」を主張されるシックさんならば「正反合」とやらであっさりと解説していただけると思います。
        よろしくお願いします。

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