櫻井節子夫人のラジオ放送、「今、祝福家庭に伝えたいこと」シリーズの第5弾になります。

教会指導部はこれまで、韓鶴子総裁が語ってきた「独生女信仰」の核心部(お父様は原罪をもって生まれた!)を隠し、食口に聞こえのいい話に摩り替えてきました。それは本当にオモニのためであり、食口のためなのか―。

櫻井節子夫人は今回のラジオで、ご自分が直接見聞きたことを明かし、この問題の深刻さを訴えています。今々起こってきている問題と向き合う上でも、タイムリーな内容であるに違いありません。

神様の摂理を守るため、食口一人一人の霊的生命を守るため、今一度、このメッセージに耳を傾けてみてください。

【櫻井節子夫人のラジオ】(今伝えたいこと⑤)

なぜオモニの御言を明らかにしないのか

(3月7日配信)

 

(以下、本文) ※小見出しや下線部分等は別途、編集したものです

お父様は原罪をもって生まれた!?

皆様、こんにちわ、櫻井節子です。少し体を休めていました。前回の放送から早一カ月あまり経ってしまいましたが、今回は前回に続き、さらに踏み込んだお話をしたいと思います。

前回私は、原理と御言の観点から「独生女信仰」の問題点について指摘しました。「オモニの無原罪誕生」、すなわち、「オモニはアボジと出会う前から天の血統をもって生まれた」という話は、お父様の御言とも、血統転換の摂理とも、根本的に食い違うのです。

しかし―、オモニがこれまで語って来られた内容とは、「オモニの無原罪誕生」という次元に留まってはいませんでした。オモニの語られる独生女論の核心とは、「アボジが原罪をもって生まれた」というものであり、「アボジはオモニによって原罪が清算されたのだ」という主張なのです

日本の食口の皆さんの多くは、いまだにそれが、反対派や、いわゆる「分派」の人々によって作り上げられた「偽りの情報」だと信じ込んでいることでしょう。なぜなら、教会がそう説明してきたからです。

しかし、残念ながら、オモニが「アボジには原罪があった」と言われたお話は、嘘でも作り話でもありません。それを直接聞いた人々が大勢いるのに、教会はその事実を、誰かがでっち上げた話、「嘘の話」に仕立て上げることができると、本気で思っているのでしょうか

オモニに大変な事態が起こっている!

私は2016年の11月、全国の祝福家庭に宛てて、切実な書簡をしたためました。私をそうした行動に駆り立てたのは、ほかでもない、オモニに対する深刻な思いからでした。大変なことが起こっている! と気付かされたからです

以前のこのラジオで触れたように、私は2015年のクリスマス集会で、オモニの御言を直接聞き、大変な驚きを覚えました。

既に、生前のお父様が、オモニに対し、厳しい御言を語っておられたことや、韓国の先輩方がオモニの状況を憂えておられたことは知っていました。しかし、本当の意味で危機感を覚えたのは、直接、オモニの御言に触れてからです

さらに翌年の2016年10月、私は再度、韓国・龍平での「日本指導者特別集会」に参加し、オモニの御言に触れたのですが、その内容は前年よりも、さらに踏み込んだ内容でした。

「あなた方は幸せだ、なぜなら独生女に出会えたのだから」という話に始まり、「2000年前、独り子として誕生されたのがイエス様であり、その2000年後に独り娘として生まれたのが私である」と言われながら、それが摂理歴史上の「奇跡」であると語られました。

また、テモニムを「メシヤを生んだ母」マリヤになぞらえながら、「マリヤは独り子を生みながらも摂理を知らなかったが、テモニムは独り娘を生んだのみならず堂々勝利された方だ」と称えられ、「清平はテモニムの功績」であり、「清平は独り娘を守るために天が備えられた場所」である、「テモニムが責任を果たしたことで、お父様は完全になられたのだ」「あなた方は、テモニムと私が何を成してきたのかをはっきり知らなければならない」と語られました。

私は聞いた御言を、いつものように細かくメモに取りつつも、内心、震える思いを押さえることができませんでした。

この運動に起こった本当の課題

清平はお父様が精誠を尽くして開拓して来られた地です。60年代、ソウルから毎日数時間をかけて通われ、祈られ、獲得した土地であり、何もない時から、「ここは将来、重要な地となる」と言われ、備えられたところです。「霊界解放」の摂理を切り拓いたのも、テモニムである前にお父様でした。

オモニのお話を聞いていると、あたかも、摂理の主要人物がイエス様とご自分であって、「独生女」を中心に摂理が進んできたかのようでしたオモニの語られる摂理歴史の中に、「お父様」を見出すことはできませんでした

私は、お父様の過去の摂理の「秘儀」を知る者の一人として、オモニが、常人には越えられない路程を、お父様をただひたすら信じ、越えて来られたことをよくよく知っています。しかし同時にまた、そうした歩みの中で、オモニにも「消化し切れない部分」がおありであったことを聞かされてきました

詳しくは触れませんが、私は2016年に至って、初めて、「お父様がなぜ基元節を迎えることなく聖和せざるを得なかったのか」「どうして子女様方の問題を整理できずに逝かれたのか」「なぜ統一運動はここまで分裂してしまったのか」…と憂えてきたあらゆる問題が、単なる昔ながらの指導者や教会組織の問題を越え、また、単なる「子女様の問題」という次元を越えて、「父母様」の間に起こった、深刻な葛藤と亀裂から来ている、ということに気付かされたのです!

その切実な思いから、例の書簡を発信するに至りました。真の家庭に、真の父母に問題が起こってくるとしたら、その理由は明白でしょう。兼ねてから、お父様が何度も語ってこられたことです。

カインとアベル、祝福家庭と真の家庭が一体化し得ない時、真の子女様が犠牲になり、真の父母の基台が崩れる」と。これは、私たち祝福家庭全体の責任なのです

私と出会う前に結婚してはならなかった

私が書簡を書いた年の暮れ、2016年の12月30日、韓国では、430家庭以上の婦人たち100名近くが清平に集められました。ちょうど数日前のクリスマスの日、オモニが少数の指導者たちを前に、「お父様は原罪をもって生まれた」と語られたことが噂になっていた時でした。

その先輩家庭の集会でオモニが何を語られたのか。私はここに参加した36家庭の先輩から直接話を聞きました。そこでは、「お父様は原罪をもって誕生した」という話に留まらず、「お父様は私との聖婚を通じて原罪が清算された」「お父様は私と出会う前に結婚してはならなかった」と語られたと言うのです。

皆が沈黙する中、ある婦人がその言葉に黙っていられず、「どうしてお父様に原罪があったと言われるのですか」と質問した際、オモニは静かに、「お父様には兄弟がいる。彼らにも原罪があるじゃないか」と言われ、それ以上、誰も何も言えなくなってしまったといいます。

皆さんはこうした話を聞いて、どう思われるのでしょうか? オモニがちょっとした「言い間違い」をしたとか、「言葉の綾」だったと言われるのでしょうか?

かき消されてきたオモニの御言

教会はこうした紛れもない事実を煙に巻き、あらゆる証拠を伏せ、記録をかき消してきました。しかし、現存する映像記録、音声記録からだけでも、オモニが驚くほど「一貫性」をもって、ご自分の主張を繰り返し語って来られたことが分かります

「お父様は16歳でイエス様の使命を受け継いだ時に、独り子としての資格を得たのだ」

「南にいるお父様に、天は北に行け、と言われた。それは、独り子の位置を探していく過程であって、独り子ではなかった

神を父と知って生まれたのは、私と2000年前のイエス・キリストだけである

すべて、オモニが語って来られたことです。それでも皆さんは、まだ、「何か意味があるのだろう」と言われるのでしょうか?

良心に正直になってください!

教会の責任者たちは、また、教理の担当者たちは、こうした問題を知りつつも、オモニが語って来られた独生女信仰の恐ろしい問題を知りつつも、「オモニを守る」という美名のもと、また、「食口を混乱から守る」という大義名分のもと、この問題に蓋をし続けてきました

様々な御言を引っ張り出しては論点をぼかし、問題を摩り替え、あたかも、「分派」の攻撃からオモニや食口を守るかのように見せながら、逆に「真実」を述べている者たちを糾弾し、排斥してきました。それが本当に、オモニのためなのでしょうか? 食口たちのためなのでしょうか?

指導部の皆さんが、教理の皆さんが、本当にオモニの現状を「問題がない」と信じ、本気で食口に「今のオモニに従うこと」を求めるなら、オモニが言われていることを、切り貼りしたり、隠蔽したりしないで、そっくりそのまま述べるべきではないでしょうか

後になって、全てのことが明るみに出た時、皆さんは全食口にどう釈明されるのでしょうか? 食口の霊的生命にどう責任をとるおつもりでしょうか

「自分は最初から問題に気付いていたんだ」と言うのでしょうか? 或いは、「私は全く何も知らなかったんだ」と言うのでしょうか? 知らないなら、食口を誤導すべきではありません! 知っているなら、自らの良心に正直になってください。真実に立つなら「今」です

真実を見つめる勇気

私はオモニの問題に気付かされた時、顯進様の言動が初めて理解できるようになりました。オモニの課題に気付かず、食口たちが皆、それに付き従ってしまうならば、食口の霊的生命は失われその霊的責任の一切をオモニが背負うことになることを、顯進様は危惧しておられました。

だからこそ、顯進様は自らがさんざん誤解され、罵倒を浴びせられながらも、父母様の問題を極限まで守り、同時に兄弟姉妹たちに、「その方向に進んではならない!」と、必死に叫んで来られたのです。

そんな方を、私たちは長らく、「父母様に盾突く者」として、「分派の頭」として打ち続けてきました。それはあたかも、2000年前、何の事情も知らず、時の指導者たちに扇動されるがまま、イエス様を十字架につけたのと同じようなものです。

皆さんは、そのような間違った歩みをこれからもし続けるのでしょうか? 或いは、見て見ぬふりをされ続けるのでしょうか?

事実を認めること、真実を見つめることは、時には、非常に苦しいことでもあります。でも、私たちが信仰をもつ者であり、神様を知る者であるなら、真実を求めなければならないと思うのです。

皆さんが、真実を見つめる勇気をもち、そして正しい道を決断してくださることを心から願い、今日はここまでで終わりたいと思います。ありがとうございました。


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