顯進様の真実を知った時、多くが感動を覚え、また悔い改めの思いを抱くに違いない。しかし、いざFPAに飛び込もうとした時、これまでの生活事情や人間関係から行動を躊躇ってしまうケースも少なくないだろう。FPA内の様子を知る機会がなかったことも、行動を起こせない要因の一つであったのかもしれない。
今回の放送では、そうした方々の心情に言及しつつも、どこまでも、「摂理の主流」につながっていくこと、摂理の隊列に正しく立つことの重要性が語られている。
今、「摂理の主流」はどこか、神の摂理が脈々と受け継がれているところはどこか…。櫻井夫人が渾身の思いを込めて語る、「今伝えたいこと」シリーズ第9弾、ご視聴いただきたい。
【櫻井節子夫人のラジオ】(今伝えたいこと⑨)
FPAは摂理の主流である!(11月30日発信)
(以下、本文) ※小見出しや下線部分等は別途、編集したもの。
今さら別の組織に移ると言っても…
皆さん、こんにちは。櫻井節子です。2ヵ月ぶりの配信になってしまいましたが、その間、ラジオを聞かれた方々からの感想や質問に応じておりました。特に最近は、「FPAについて知りたい」という方々が増えてきたように思います。
周知の通り、現在、家庭連合に身を置きながらも、一方では、オモニの言動や教会の在り方に、強い疑念や疑問を覚える方々が少なくありません。中には、様々な情報に触れ、教会が語ってきたことが事実とは違っていた!と気付かれる方々も多いようです。しかし、だからといって、今さら別の組織や団体に移ろうとは思えない―というのが大半の現状なのでしょう。
教会という囲いの中から飛び出すにも勇気が要りますし、新しいコミュニティに飛び込むにはさらに力が必要です。家族のことや周囲との関係、子供たちの祝福や将来の聖和のことなど、様々思いを巡らせた結果、「やっぱり今はただひっそりと、教会でなりを潜めておこう…」となるのでしょう。組織に縛られたくない―そんな思いも根底にあるに違いありません。
かく言う私も、最初からFPAという「組織」に所属したいと思っていた訳ではありません。「顯進様を支持すること」と、「どこかの組織に属すること」とは別の話であって、そもそも、「私たち祝福家庭は神様、お父様に属するのであって、組織に属するのではない」というのが、私の思いでした。
しかし、FPAに来てみて実感したことがあります。それは、「組織」に入会する・しないではなく、「天の摂理」に正しくつながること、摂理の本流を見出し、その隊列に正しく立つことが重要なのだ、ということです。
統一運動も、何らかの「組織」が中心にあって、そこに人々が集まった訳ではありませんでした。神様が果たしたい「御旨」があって、それを果たすために人々が集まり組織を形づくっていったのです。
今、FPAにはまだ、十分な組織基盤はありません。あるのはビジョンと摂理的使命だけです。しかし、私たちはその御旨ゆえに集い、共にFPAを作りあげていきたいと思うのです。
今日は、「FPAがどんなところであり、家庭連合とどう違うのか」といったことをテーマに、「FPAは摂理の主流である!」と題してお話してみたいと思います。
顯進様のもとに集った人々
さて、前回の放送では、私が会長から退会を求められ、退会届を出した、というところまでお話しました。2017年5月、まだFPAという組織が設立される前の話です。
当時、顯進様を支持する人々は、一括りに「郭グループ」と呼ばれていました。が、彼らの中に、「郭家を支持している」などと考えている人は一人もいませんでした。また、何らかの「組織」に属しているといった意識もほぼなかったように思います。ただ、真のお父様の願いを受け継ぎ、その願いに生きようとされる顯進様を支持し、その歩みを共にしようという人々が集まっていたのです。
私はちょうど退会届を出すタイミングで彼らの集会に参加し、皆の前で、自らがその間、顯進様のお姿や御言を見聞きしながら感じてきたことを証しました。それは言わば、私自身の信仰告白であり、また決意表明のようでもありました。
「私は顯進様と共に歩むと心に決めました」、そう述べた時、そこに集まっていた幾人かが共に涙をこぼしていました。分派だ何だとさんざん非難され、糾弾されながらも、ただひたすら真実に生きようと努め、十字架を背負ってきた―そんな彼らのその間の苦労が偲ばれました。
私たちが「FPA」という名のもとに集えるようなったのは、その年の暮れ、2017年12月以降のことでした。韓国で行われたFPAの創設大会をもって、私たちはいよいよ新たな出発を果たすことになったのです。
FPAの創設―お父様との約束を果たしたい
顯進様は家庭連合から排斥され、追放されて尚、すぐに別の団体を立ち上げようとはされませんでした。それは、家庭連合に対する責任意識からだったといいます。顯進様は最後の最後まで、家庭連合を何とか立て直したい思いをお持ちだったのでしょう。
しかし、家庭連合はもう既に、新たな教義と体制のもとに突き進み、引き返すことのできない状況に至っていました。食口の中には、ただ純粋に、「顯進様に戻って来ていただきたい」と考えていた方もおられたことでしょう。
しかし、家庭連合本部が願っていたことは、顯進様が「自分たちの軍門に下ること」であって、顯進様への言動を改めようとも、彼らの教義の過ちを認めようとも、顯進様を通して、運動の軌道修正を図ろうとも思っていませんでした。
顯進様がFPAを立ち上げられた理由は、どこまでも、「神様の御旨を守るため」でした。お父様が始められ、家庭連合が見失ってしまった、本来の使命を果たすためにFPAを立てられたのです。
12月2日の創設大会で、顯進様はFPAにかける熱い思いを語られました。一言で言うなら、98年の就任式を通して「神様と人類の前に交わしたお父様との約束、家庭連合を通して果たせなかった約束を、FPAを通して果たしたい」という内容でした。それを涙ながらに語られる顯進様を見つめながら、私も熱い思いがこみ上げました。
その間の様々な迫害を越え、顯進様を突き動かしてきたものは、神様の御旨を思う心情であり、お父様との約束を果たしたいという一念だったのです。
失われた家庭連合のビジョン
FPAのビジョンは、「Family Peace Association」という名称の中に端的に現れています。「家庭・平和・協会」、即ち、神中心の「家庭」を通して「平和世界」実現を目指そうというものです。それは、本来の家庭連合のビジョンであったと言えるでしょう。
家庭連合は本来、真の父母を絶対的に信奉する、単なる宗教団体でもなければ、真の父母を頂点とするピラミッド型の組織を目指すものでもなかったはずです。メシヤの目的は「真の父母」となり、「真の家庭」を築いて、その家庭の文化と伝統とを「祝福」を通して世界に広げていくことを正使命として設立されました。真の家庭の文化を受け継いだ家庭と家庭とが連合し、平和世界が作られる―それが家庭連合の信条であったはずです。
しかし、言葉ではそのような理想を唱えつつも、実際に信徒たちに教えていたことは違いました。一人一人が真の家庭になっていくことをサポートするのが組織の役割なのではなく、逆に組織の目的を果たすために食口を動員する、そうした組織活動が続いてきました。
今や「真の家庭運動」の出発点となるべき「真の家庭」が崩れているにもかかわらず、真の父母、独生女という信仰の対象だけがあれば良いかのようです。家庭連合としての教義や信条は、どこに行ってしまったのでしょうか?
顯進様の本意と指導者たちの無知
顯進様は家庭連合の中心におられた時から、教会の組織文化を解体し、本当の家庭連合に作り変えようと、必死な努力を進めておられました。私はその事実を、FPAに来てから知りました。2000年代初頭から語り続けてこられた顯進様の御言に触れて気付かされたのです。
顯進様の御言は驚くほど一貫しています。今まさにFPAで語っておられることを、顯進様は2000年代初頭から叫んでおられました。私はそのことを知った時、深い感動を覚えると共に、私たちは「なぜこの御言を知らなかったのだろうか」と胸を打ちました。私は当時、海外におり、顯進様とはほぼ接点がありませんでしたが、今さらながら、「あの頃この御言に触れていたなら…」と思えてなりません。
当時、こうした顯進様の御言に対して、「お父様の御言と違う!」と批判する責任者たちがいたと言います。お父様が何のために家庭連合を創設されたのか、そうした摂理の方向性が分からないと、そう見えてしまうのでしょう。挙句に、家庭連合を「本来の家庭連合」に改革しようと必死に取り組んでいたこの方を「お父様に反駁する者」として追放してしまったのです!
それが何を意味していたのかは、顯進様がいなくなってからの動向を見れば明らかでしょう。教会組織中心の体制は、七男さんやオモニを通して次第に強化されていきました。私たちが十年以上、教会組織に対して感じてきた違和感は、「顯進様を失ったところ」から来ているのではないでしょうか?
本当は、家庭連合にいる間に私たちが悔い改め、真実を明らかにして、顯進様をもう一度、家庭連合にお迎えすべきであったに違いありません。そうして、中断されていた「真の改革」を続行して頂くべきでした。しかし、摂理の時は待ってはくれないのです。顯進様がFPAという新たな旗を掲げて出発されたのは、「神の御旨」故でした。
FPAは「組織に従属する者」を作るところではない!
中には、「FPAに行ったら、また違った組織の主管を受けるのではないか」と心配される方がいますが、その心配は全く無用です。FPAでは、個々人が御旨の主人だからです。
無論、縦的な御言や摂理的なガイダンスは必要であり、自らを摂理的方向性に一致させていく努力も必要でしょう。しかし、それは誰かの指示や命令によってなされるのではありません。各々の「オーナーシップ」によってなされるのです。
FPAにも、共に果たそうとする全体目的はあります。しかし、FPAの主眼点はどこまでも「個人と家庭の成長・成熟」であって、「神中心の家庭の実現」というビジョンがブレることはありません。
また、「神中心の家庭」という時、「私たちの家庭はそんな立派なものではないんです」と心配される方々もおられるでしょう。FPAにも当然、家庭問題は多々あります。御旨の中で傷つき、夫婦間、親子間がボロボロだという家庭も少なくないでしょう。顯進様もそのことは百も承知です。
しかし、本然の時代の中心摂理が「真の家庭運動」である限り、顯進様は各々が今、どんな状態に置かれているとしても、決してあきらめずに理想を見つめ、「神中心の家庭」を目指して一歩ずつでも進みさない、と語られるのです。
私の周囲にも、FPAに来て、もう一度、家庭と向き合う勇気をもらいました、という人がいます。何か、重圧に押しつぶされていたところから解放されました、という人もいます。一方で、誰からも指示や命令が来なくなったことで、「何をしていいか分からなくなった」と言われる方もおられますが、それも、一人一人が「オーナー」に生まれ変わっていくためのプロセスなのでしょう。
FPAは「組織に従属する人々」を作るところではありません。自らが個人の成長・成熟を目指し、理想家庭を目指して歩む「オーナー」を育てるところです。また、神様から与えられた個性や能力をもって、コミュニティのため、地域のため、より大きな神の御旨のために生きる、「摂理のオーナー」を作るところです!
神の摂理の主流はどこか
皆さんは今後、どのような信仰生活を送っていきたいでしょうか? 皆さんの子供たちに、どんな生き方を願われるのでしょうか?
摂理の「主流」とは、単に人数が多いところでもなければ、基盤があるところを言うのでもありません。それは、神様の摂理が流れているところであり、その摂理に合致して歩んでいるところを言うのです。
イエス様が公生涯を始めた頃も、お父様が宣教を始められた時も、そこに付き従った人々は、ユダヤ教やキリスト教の既成教団からみれば、ごく小さな群れでしかありませんでした。しかし、神様はそれを「主流」とされ、そこから摂理を展開して行かれたのです。
「真の家庭運動」を推進できる摂理の中心軸、「真の家庭の実体」をもったところはどこなのでしょうか?
皆さんが自らの現状や組織論ではなく、また横的な人々の声によってでもない、原理的な観点から、「神の摂理の主流」を求めて行かれることを心から願いながら、今日はここで終わりたいと思います。ありがとうございました。
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<参照>
■FPA(祝福家庭コミュニティ)について関心のある方は下記サイトをご参照ください。
https://community.fpajapan.org/
■尚、下記のラインアカウントをご登録いただければ、会員でなくともFPAの情報を入手することが可能です。(ラインアカウントはワンクリックで登録可。個人情報等の入力は一切不要です)
■下記はこれまでの掲載してきた櫻井夫人のラジオ放送の一覧です。併せてご参照ください。
<櫻井夫人のラジオ:今伝えたいことシリーズ>
①オモニに従うことがオモニのため?
https://align-with-god.org/blog/archives/1277
②オモニに従うか、アボジに従うか
https://align-with-god.org/blog/archives/1281
③なぜオモニはアボジに代わろうとするのか?
https://align-with-god.org/blog/archives/1286
④独生女信仰が広がることが御旨なのか?
https://align-with-god.org/blog/archives/1292
⑤なぜオモニの言葉を明らかにしないのか?
https://align-with-god.org/blog/archives/1336
⑥オモニを本当に思っているのは誰か?
https://align-with-god.org/blog/archives/1451
⑦顯進様は決してお父様を離れていない!
https://align-with-god.org/blog/archives/1501
⑧義のために迫害される者たちは幸いである!
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