櫻井節子夫人は日本統一教会初の原理講師であり、劉孝元先生と疎通しながら、日本での原理講論編纂にも関わられた方です。
今回のメッセージでは、独生女信仰が原理的に間違っていることを明確に説明してくださいました。
そして実は教会の他の原理講師も最初にお母様の無原罪誕生がおかしいと話していた事実も話してくださっています。
お父様が血を吐く思いで探し立て、生涯をかけて守り抜いて来られた原理のみ言を、簡単に覆してしまっていいのでしょうか?
独生女信仰が広がる事が神様の御旨なのか
皆様、こんにちわ、櫻井節子です。2021年、皆様のご家庭に、神様の豊かな祝福が共にあることをお祈り致します。また、今年こそ、私たちの運動を覆ってきた霧が晴れ、温かい摂理の光が差し込む年となることを、心から念願してやみません。
さて、前回、私は、過去のお母様の美しく懐かしい姿に触れながら、「なぜお母様がこんなにも変わってしまわれたのか」という心痛い現状についてお伝えしました。
実際に、なぜお母様は変わってしまわれたのでしょうか? 答えがあるとしたら、それは恐らく、「独生女信仰」という、お父様の教えとは異なる、特殊な信仰ゆえでしょう。
お父様の教えが塗り替えられる?
ここ数年間、世界各地で、オモニを迎えての集会が大々的に行われてきました。その大盛況のニュースは、私にも伝わってきました。こうしたことを受け、「やっぱりお母様には何の問題もないじゃないか」と言われる人もいるでしょう。中には、「今、お母様は、お父様も果たせなかったことを果たしておられるのだ」と称賛する人々もいます。
正直、それは何よりも、お父様が築かれた基盤の上で成されたことではなかったか、という思いが先立ちますが、同時に、オモニご自身が無理を押して、世界を巡回されたことを思う時、そのご苦労を否定する気にはなれません。
ただ、それでも私が、今、教会で言われる、そうした「勝利の証し」を手放しで喜ぶことができず、むしろ、大きな危惧を覚えざるを得ないのは、オモニがそこで語られ、宣布されている内容が、お父様の教えや思想と「異なっている」からです。
「オモニが苦労しておられるのだから支えなければ」という皆さんのお気持ちは伝わってきます。しかし、そうした人情的、人間的な思いをいったん置いて、敢えて申します。
どんなにオモニの教えが広がったとしても、また、人々が仮に独生女信仰を受け入れたとしても、それが「原理的でない教え」だとするならば、また「神様の願い、お父様の願いにそぐわないもの」だとするならば、それが「神の摂理」と何の関わりがあるでしょうか?
「逆に、お父様の御言に相反する内容である以上、今、進められていることは、お父様の教えや思想を、別の教えや思想に「塗り替えて」しまっているも同然です。
お父様のみ言を学び、原理を知った者として、どうしてそれを喜べるでしょうか?」
お父様の教えとは意味が違う「独生女」
真っ当な原理講師のうち、「独生女信仰」を堂々と語れる人はいないでしょう。それは「原理的ではない」からです。中途半端に原理を用い、御言を用いて正当化しようとしている人々がいますが、皆さんは、霊界のお父様の前で、その講義を行うことができるでしょうか?
私にはできません。お父様の前で、今、教会が教えている独生女信仰が「お父様から学んだ教えです」などとは、到底言えないでしょう。
「独生女」という言葉は、お父様も語って来られました。しかし、お父様が教えられた独生女と、今、オモニが語られる独生女とは、意味が違います。お父様が言われた独生女とは、復帰摂理においては、どこまでも、メシヤ、真のアダムによって復帰され、再創造される立場を言うのです。
独生女信仰には、幾つかの間違いがありますが、そもそも「オモニの無原罪誕生」という前提そのものが大きな問題です。私は、お父様に直接指導を受けてきた者として、また、草創期からの原理講師として、そのことをはっきりお伝えしたいのです。
キリスト論は「独生女・無原罪誕生」の根拠にはならない
今、教会では、原理講論のキリスト論を根拠に、オモニの無原罪誕生を説明しようとしています。
そこには、「原罪のある父母が原罪のない子女を生むことはできない。ゆえに、善の父母は天から降臨されなければならず、それがイエス・キリストである」とあり、その後、「人類を生み直すには、真の父と共に、真の母がいなければならない」と記されています。
これをもって、「だから、お父様もお母様も、両方とも天から、無原罪で誕生されなければならない」というのが、彼らの主張です。
中には、「櫻井夫人は、こんな基礎的なことも理解していないのか」と言われる講師もおられたようです。空いた口が塞がりません。
その「キリスト論」は、原理講論の初版の時に、私が劉孝元先生と何度もお話ししながら、最終的に整理し、まとめたものです。その内容を、私自身が理解していないとでもお思いでしょうか?
キリスト論が論じているのは、堕落人間を生み変えるには、「無原罪の父母がいなければならない」というところまで、です。では、その最初の父母は、如何にして無原罪で誕生できるのか―。その究極的な問いについて、その後、語られるようになったのが、かの「血統転換の摂理」に他なりません。
「無原罪誕生」はアダムのみ
皆さんもよくご存知でしょう。この血統転換の歴史とは、一体誰の、どなたの「無原罪誕生」を示す歴史だったでしょうか? 言うまでもなく、それは「メシヤ」の、すなわち「アダム」の無原罪誕生に至る歴史を綴ったものです。
これまで、皆さんは一度でも、お父様から、「エバの無原罪誕生」、つまり、「エバの血統転換の歴史」を聞いたことがあったでしょうか?
無原罪誕生されるのは、アダムです。では、エバはどのようにして「無原罪の母」となれるのでしょうか? それについて、お父様の教えて来られた内容は、「真のエバ・独生女は、独り子・真のアダムが復帰し、再創造するのだ」ということでした。
このことは、血統転換の摂理の「核心」であって、それこそ、原理講師の中で、この基礎を知らない人はいないでしょう。
復帰摂理はアダムから始まる
だから、お父様は、神の摂理が、創造も復帰も「アダム一人から始まる」と言われたのです。「アダムは種、エバはその種を受け継ぐ畑である」と言われた理由も、ここにあります。
もちろん、いずれ「真の母」になるべきお母様の家系を、天が特別に聖別し、備えて来られたことは事実でしょう。神の真の愛の種を受ける受け皿として、「聖別された大地」が極めて貴いものであることは言うまでもありません。
しかし、「聖別された地である」ということと、「神の血統の種をもって生まれた」ということは、全く別の話です。
皆さん、どうして聖書では、エバを「善悪を知る木」と記したのでしょうか? お父様の説明によれば、それは、「生命の木」であるアダムから、真の愛の種を受け継ぐか、それとも、天使長の偽りの愛の種を受け継ぐかによって、「善の実」を実らせることもできれば、「悪の実」を実らせることもできる、ということを象徴していたからです。
即ち、エバは愛と生命と血統を受け継ぐ「畑」の立場であって、真の愛の「種」、血統の出発点は、どこまでも「アダム」なのです。
お母様が「独生女」になり得た理由
お母様はなぜ、「真の母」として、「独生女」として立つことができたのでしょうか? それは真のアダム、お父様の相対として立ち、お父様のもつ真の愛の種、真の愛と生命と血統の種を受け継いで、これを結実させる立場に立たれたからです。
お母様の出発点は、神様であり、お父様であって、これを否定し、ご自分が「もう一つの起源」であり、「出発点」であるとしてしまった時点で、原理の根幹が覆されてしまうのです。
仮に、お母様が最初から無原罪で誕生されたと言うのであれば、イエス様の相対もまた、無原罪だったという話になるでしょう。また、聖進様、喜進様のお母様も無原罪だったという話にならざるを得ません。
そうなれば、オモニが6000年ぶりに現れた「独生女」だ、という話とは矛盾してしまうのではないでしょうか? もはや、理論そのものが破綻してしまっていることに気付いて頂きたいのです。
お母様は、お父様の相対として、初めて勝利的に立たれた女性だったからこそ、「6000年ぶりの独生女」になられたのではなかったでしょうか? お母様の出発点が「お父様」であることを否定してしまっては、原理はその根幹から覆されてしまうのです。
真の父母という言葉も、真の家庭という言葉も、神様から、そして、お父様から始まるのです。
神様と原理に立ち返ってください!
古い原理講師の方々は皆、韓国の教理担当者から、「お母様は無原罪で誕生した」と最初に聴いた時、「それはおかしい」と口々に言っておられたではありませんか? 組織がそう言うからと言って、皆さんは原理を捻じ曲げてしまうのでしょうか?
オモニがそう言われるからと言って、皆さんは、お父様が血を吐く思いで探し立て、生涯をかけて守り抜いて来られた原理のみ言を、簡単に覆してしまっていいのでしょうか?
皆さんは本当に、この独生女信仰が広がることが、お父様の願いであり、神様の摂理だと本気でお思いなのでしょうか? 霊界のお父様の前に、顔を上げ、同じことを言えるのでしょうか?
顯進様は言われます。「『真』という言葉は、神様から来る」と。
この混乱の時代、私たちはもう一度、神様に立ち返り、原理に立ち帰らなければなりません。組織が言っているから、教会が言っているからではなく、今一度、御言に立ち返り、原理に立ち帰り、自らが進むべき方向性について、真剣に、また真摯に祈ってみて頂きたいのです。
皆さんが様々な障害を越え、しがらみを越えて、原理に立ち帰り、真実に立ってくださることを強く願いながら、今日はこの辺で終わろうと思います。ありがとうございました。
参考までに、上記の櫻井夫人の主張に関連した御言をピックアップし、掲載しました。(主には、韓国語原文から翻訳)
摂理歴史はアダムを迎える歴史
今までの6千年歴史は、神様が息子一人登場させるための歴史でした。失われたアダム一人を探す歴史でした。(御言選集10巻142ページ、1960年9月18日)
今までの神の歴史を考えてみた場合、6千年どころでない、何千年、何万年、何千万年が、アダム一人を復帰するためにかかってきました。…堕落前のアダムの基準を復帰する、たったそれだけのためにです。(御旨と世界 670ページ、1978年9月21日、埼玉・神川村)
独り娘は独り子が再創造する
今日、キリスト教で言う独り子はどのような意味をもつのか。また、独り娘はどこにいるのか。…再創造の歴史の中で、独り娘はどのように見出さなければならないのか? 独り娘はアダムによって再創造されなければなりません。(祝福と理想家庭 139ページ、第2章、真の父母と神様の家庭)
今までの救援摂理はアダムを再創造する歴史です。神様は息子を探せませんでした。4千年ぶりに出てきたイエスというものは神様の息子です。独り子です。血筋を清めて来たのです。…血筋を清めたその男が、アダムに象ってエバを創ったので、女性に出会って血筋を清める仕業をなさなければなりません。アダムがエバの言葉を聞いて血筋を汚してしまったので、エバを絶対服従させ、血筋を清めなければならないのです。(御言選集325巻149ページ、2000年6月30日)
生命の木と善悪を知る木
エデンの園に二つの木があったといいます。一つは善悪の実の木(善悪を知る木:訳者)であり、一つは生命の木ですが、生命の木は完成した男性を言います。完成した真なる愛の種、本然の種をもった男性を言うのです。善悪の実(の木)は何か?真の愛を中心として完成したアダムの真なる種を受けることができる相対的な女性を言うのです。(御言選集245巻76ページ、1993年2月28日)
善悪の実(の木)とは何か?善なる相手を迎えれば善なる種を結び、悪なる相手を迎えれば悪なる種を結ぶというのです。それが女性というものです。王の妻になれば王子を生むのであり、マフィアの妻になれば、マフィアの息子娘を生み、サタンとペアになればサタンの息子娘を生むのです。(御言選集312巻310ページ、1999年11月7日)
男性は種、女性は畑
男性は神様を象徴するのです。神様の生命の種を持っています、生命の種。女性が生命の種を持っていますか? 誰が生命の種を持っていますか? 男性だというのです。だから、生命を中心として繁殖するのは、神様の位置を代身したものです。絶対的に一つです。それで男性が主体だというのです。(御言選集248巻111ページ、1993年8月1日)
生んでくれたのは母が生んでくれたので、女性が先という言葉ももっともでしょう。しかし、女性は種をもっていません。女性が種をもっていますか? 女性は畑です。…それが真理です。男性が種であるため、男性が先です。…その畑に豆を植えたら? 豆畑だというのです。何をもって言うのですか? 種によって名前が変わるのです。
(御言選集184巻213ページ、1989年1月1日)
3件のコメント
若枝 · 2021年3月18日 3:36 PM
統一原理は首尾一貫しています。真の父母は「神の二性性相と被造世界」から出てくるものであり、正分合作用によって出てくるものです。従って、真の父と真の母はいずれも神様から分立されたものです。片方だけが神様から来るのではありません。
加油 · 2021年3月20日 4:42 PM
>若枝さん
以前も若枝さんのブログでご指摘させていただきましたが、いかにも我々が二性性相を否定しているかのような書き方は、ご自身でも言いがかりだと良心ではわかっていらっしゃるはずであり、建設的ではありません。
創造原理の『神の二性性相』は誰も否定していません。その創造原理の完成を目指す復帰摂理は「アダムが独り娘を再創造する」という、み言葉をもとにした説明です。当たり前ですが、そのように説明されたお父様のみ言葉に、神の二性性相となんの矛盾もありません。むしろ「独生女も無原罪で誕生する」と言えば、同時代に複数の独生女が誕生することになり、聖進様のお母様がお母さまであって、使命も失敗していないのに(1944年聖婚)、もう一人の独生女が誕生する(1943誕生)というカオスになってしまいます。
それ以上にお母さまは、裁判の証言から独生女だけが無原罪で生まれたとお考えなのは明白であり、若枝さんからすれば、「片方だけが神様からくる」としたお母さまこそ、神の二性性相がわかっていないということになります。
どうか今一度、裁判記録の事実確認をお願いいたします。
そこいら辺のシック · 2021年3月19日 9:43 AM
櫻井夫人は、かつて昔は「堕落論の女王」とよばれていたこともあるお方です。
わたしも機会があって、何度か直接お話しさせていただきました。わたしの言葉にどのような表情をされたかよく覚えています。
今回のお話しも原理どおりの内容で感服するしだいです。
また本文の投稿者であるdaichiさんが選ばれたお父様のみ言葉も実に適切なものです。
より深く考え、受けとめて頂ければ、正統な真理への理解に大いに資することでしよう。