櫻井節子夫人のラジオ放送、「今、祝福家庭に伝えたいこと」シリーズの第3弾になります。

櫻井夫人はこのラジオの収録に際し、途中、涙で言葉が詰まり、何度も撮り直しをされたといいます。過去の父母様に対する深い愛情世界と、今の韓総裁に対する切実な思いを語っておられます。ご参照ください。

【櫻井節子夫人のラジオ】(今伝えたいこと③)

なぜオモニはアボジに代わろうとされるのか(1月9日配信)

(以下、本文) ※小見出しや下線部分等は別途、編集したものです

 

皆様、こんにちわ、櫻井節子です。このラジオが出る頃には、もう年が明けて、新年を迎えていることでしょうね。皆様にとって、今年がさらなる希望と飛躍の年となりますよう、お祈り申し上げます。

 

私もまた、引き続き、今、祝福家庭の皆様に知って頂きたいと思うことを、切なる願いを込めて、お伝えしていきたいと思います。

オモニがもう一つの主体に?

さて、前回、私は「アボジにつながるのか、オモニにつながるのか」というテーマでお話を致しました。もし教会で言われているように、本当にアボジとオモニが一体となっているのであれば、「アボジか、オモニか」などという質問を投げかけること自体、ナンセンスなことでしょう。

しかし、原理を理解している方なら分かるはずです。一つになるには、「主体と対象」の関係でなければなりません。2つの「主体」が立つ時、そこには「対立」が生まれるのです。

独り子と独り娘は同等である」「摂理歴史は私を迎えるためにあった」「天一国は私が開いた」。どれも皆、オモニが語って来られた内容です。

教会のリーダーたちが、どう取り繕おうとも、事実を覆い隠すことはできないでしょう。オモニは今、アボジに対して、「もう一つの主体」の立場を取っておられるのです

作り上げられた自叙伝

以前、オモニの自叙伝を最初に読んだ時、私は大変驚きました。勿論、そこには、過去の尊い歩みが記されており、所々、深い感動を覚えましたが、それ以上に大きな違和感を覚えたのは、オモニがアボジに負けず劣らず、陣頭指揮を揮う女性運動家のように描かれていることでした。

世界巡回も、北朝鮮訪問も、ワシントンタイムズの創刊も、国際ハイウェイの構想も、何もかも、「お父様によって主導されてきた」という事実が弱められ、全てにおいて、「私たち夫婦が成した」と言われ、「私と文総裁が、私と文総裁がそうした」と、置き換えられているのです

もちろん、「夫」の勝利は「夫婦」の勝利と言えます。お母様が「お父様と共に摂理を成して来られたこと」を否定している訳ではありません。が、大切なことは、「どちらが主体か」ということです

皆様は、当然、お父様が主体だと思っていらっしゃるでしょう。しかし、今のオモニは果たして、そう思っておられるでしょうか

かつてのお母様は、メシヤであり主体であられるお父様に対して、常にその相対圏に立ち、侍って来られた、女性の鏡のような方でした。フェミニストが好むような女性とは違い、常にお父様に歩調を合わせ、その勝利のために、真心をこめて、内助の功を尽くされる方でした。

しかし、自叙伝では、そうしたお母様の姿がかき消されています。読者の目には、ハン総裁があたかも「万能で卓越した女性運動家」のように感じられることでしょう。

今、オモニはなぜ、過去の慎ましやかな姿を塗り替えようとされるのでしょうか? なぜ、お父様と肩を並べ、むしろお父様をも凌ぐような存在として、自らを誇示されるのでしょうか

独り娘を教育した者はいない?

ある人々は言います。「お母様はお父様が地上におられないからこそ、お父様に代わり、敢えて、より主体的な立場を取っておられるのだ」と。

しかし、多くの食口たちは、「お母様の中にお父様を見たい」訳ではありません。お父様を愛し、その生涯を称え、私たちがお父様にどう侍るかを示してくださる、「本然のお母様」の姿を求めているのです

また、たとえお父様に代わって、お母様がお父様の役割まで果たさなければならないのだとしても、少なくとも、お父様の勝利を弱めたり、お母様が勝利できるように導いて来られたお父様のご苦労まで「否定」する必要はないんじゃないでしょうか

しかし今、オモニは幾度となく、こう言われます。「私は自ら悟り、自ら決定してきた」「独り子が独り娘を教育したことなどない」、そのように。

勿論、「真の母」として勝利されるにおいて、お父様も干渉できず、お母様お一人で越えねばならなかった、孤独な路程がおありだった、ということも、私たちは知っています。

しかし、それでも、お母様の勝利を背後で祈り、導き、見守って来られたのがお父様ではなかったでしょうか? だからこそ、お父様は何度も、「オモニは先生が育てた先生の作品だよ」と、誇らしく語られたのです。なぜオモニは今、それを否定されるのでしょうか? 

お母様を温かく指導して来られたお父様

90年代初頭の出来事です。私は当時、数名の婦人たちと共に、始終、お父様に呼ばれ、直接お話を伺う機会がありました。ある時、父母様を囲んだ食卓の席で、「アジア平和女性連合・日本大会」に、お母様をお迎えし、スピーチをお願いしたい、という話が持ち上がりました。

お父様は「それはいい案だ」と喜ばれましたが、お母様は黙ってうつむいてしまわれました。重荷に感じられたのかもしれません。それをご覧になったお父様は、「いやぁ、オモニだったらできる。第一、オモニは声がいいし、発音もいい。オモニが講演したら、みんな喜ぶよ」と、お母様を何度も激励されました。

翌年になると、お父様は「今度は日本語で講演したらいいね」と言われました。その時も同様に、沈黙されるお母様を、お父様が何度も優しく諭し、激励されました

自叙伝には、全て、お母様お一人で決意し、実行されてきたように記されていますが、実際はお父様が、ためらわれるお母様の背中を優しく押し出され、いつも温かく激励されるのを、私たちは直接、目の当たりにしてきました

本来のお母様を思い出してください!

また、1992年、世界平和女性連合の創設大会で、お母様が初めて、韓国の大衆の前にデビューし、講演された時のことです。その日の夕方、私たちが漢南洞の公館で、お父様を囲んでくつろいでいた時、お父様は私たちに、その日、講演会から戻って来られた時のお母様のご様子をお話してくださいました。今でも鮮明に覚えています。

使命を終わって帰宅されたお母様は、お父様に一拝し、何とも嬉しそうな、半ばはにかんだ表情を浮かべて、お部屋に入って来られたそうです。お父様はそういうお母様のご様子について、「何と言おうか、麗しいと言うか、かぐわしいと言うか…」と、目を細めて語られたのです。私はその時、「こうした美しい愛の世界に生きる父母をもつ私たちは何と幸せ者だろうか」と、心から嬉しく感動しました。

私が今、こうしたことを語るのは、ただ、過去の思い出に浸りたいからではありません。食口の皆さんに「本来のお母様のお姿」を思い出して頂きたいからです

1983年の御言の中で、お母様は何度も、涙で喉を詰まらせながら、こう語られました。「今日、私は母としてお願いしたいのです。私たちの誇りがあるとするなら、私たちの喜びがあるとするなら、そして私たちの幸福があるとするなら、一人のお方であられるお父様なくしては、全て意味のないものになるのです。」

今でも、私の脳裏には、かつてのお母様のお姿が鮮明に焼き付いています。また、過去のお母様の御言を読み返す度に、我知れず、涙が込み上げ、強く思うのです。「なぜ、こんなにも変わってしまわれたのだろうか」と。

病の中にあるオモニ

顯進様は言われます。「オモニは私にとって、本然の女性と女性美の理想だった」と。本然のオモニの姿から見る時、今のオモニはまるで、「病」の中におられるかのようです

こうした現実を前にどう行動すべきでしょうか。それは一人一人が祈り求めるべきことでしょう。

しかし、今のオモニの課題を見過ごし、「オモニは勝利された、オモニについて行きさえすればいい」と盲信し続けるのであれば、そこに伴う「責任」についても、しっかり自覚しなければならないと思います。

私は、教会から排斥されるよりも、今のオモニの問題に目をつぶり、すべての責任をオモニにかぶせ、それを傍観することのほうが、よっぽど恐ろしく、悔いを残す結果になるのではないかと思うのです。

祝福家庭としての本当の責任とは何か―。今一度、よく考え、祈ってみて頂きたいと思います。皆様の祈りが天に届き、導かれますことを心から祈りながら、今日はこの辺りで終わりたいと思います。ありがとうございました。


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