韓鶴子女史の自叙伝「平和の母」編纂と前後して、現代の摂理に修正が加えられました。
韓鶴子女史が「お父様が独生女と出会う前に結婚したことは間違いだった」と語られたことに合わせて、聖進様の母親、喜進様の母親と先立って結婚された過去が抹消されています。
独生女が文字通り神の一人娘であれば、アボジは1960年まで純潔である必要があり、聖進様も喜進様は生まれてはならなかったことになってしまいます。
このような「再解釈」が、天の前に正しい行為なのでしょうか。

有志の会はこれまで、韓鶴子女史の非原理的言動を詳らかにしてきました。

かつて「真のお母様」とお慕いした方について批判するのは、食口として如何なものかと言う意見もあるでしょう。

「お母様のなさることは確かに間違っている、でもこれまでのご苦労を考えるのなら、余生を好きになさっても良いのでは?敢えて大声で批判することもないでしょう・・・」と。

アボジが聖和されてまもなく9年になります。

生前アボジが何を目指しておられたかを記憶するのであれば、こんな発想は出てこないはずです。

アボジに一番近い位置におられた韓鶴子女史は、その受けるべき栄光故に責任分担の大きさも別格でした。

 

基元節を前にアボジが聖和された想定外が、はじめから神の予定だったと考えるのは愚かなことです。

アボジは生前そのような想定外を一度も言及しておられませんし、完成期の聖婚式は未だに挙行されていません


ここで韓鶴子女史の責任分担について考えるためには、1960年の聖婚の経緯を説明しなければならないでしょう。

当時聖婚の候補者選びが困難だった事情は、み言葉でも詳細に語られています。

しかし韓鶴子女史とは別の候補者が挙がっていたことは、あまり知られていません。

最終的にどちらを選ぶかを決めるために、アボジはそれぞれ面接して一つの質問をされたそうです。

私には聖進と言う前妻の息子がいるが、あなたはこの息子を我が子以上に愛し面倒を見ることができるか?

別の候補者はこの質問の重大性を受け止めきれず、主の花嫁となる栄光を辞退されたそうです。

一方韓鶴子女史は「できます!」と即答したために、その栄光の位置に就くことになったのでした。

栄光と責任が隣り合わせであることは、その後の歴史が示している通りです。

7年路程は文字通り血の涙を流すような心情の十字架を経験されましたし、孝進様の麻薬問題、興進様の聖和をはじめ、涙が乾く間もないような人生を行かれることになったのでした。

 

人類を代表してご苦労をされた方に追い討ちを掛けるようで気が引けるのですが、最初の面接で問われた責任分担は果たされたのでしょうか?

恨み骨髄でカミングアウトされた朴サムエル氏とは対照的に、聖進様はアボジへの忠孝を真っ当され、お孫様も祝福を受けることができました。

しかし韓鶴子女史が聖進様を隔たりなく我が子として愛したかと問われると、否と答えるしかありません

韓鶴子女史は「お父様は独生女と出会う前に結婚してはいけなかった」と発言しており、崔先吉女史との婚姻に摂理的意義を見出しておられません。

その価値観では聖進様は「不義の子」と言うことになり、哀れみの対象ではあっても神的価値を見出すことはできないことでしょう。

その後成長された聖進様は、韓鶴子女史から一方的に拒絶される現実に直面し苦悶されるようになります

そのような現状を見兼ねた食口がある機会に、聖進様と顯進様が二人でお話しする場をセッティングしようとしました。

結局この会談は実現しなかったのですが、傷付いた心情をお慰めする機会が与えられなかったことがいまでも心残りです。

 

我々は「堕落したエバの蕩減」が聖婚後の7年路程で完了したと考えていましたが、そうではありませんでした。

サラとハガル、レアとラケルにはじまった女の闘いは聖書の中で繰り返し描かれており、現代の摂理にも反映されていると理解するのが自然です。

縦的に積み重なった復帰摂理歴史を理解せず、韓鶴子女史の境遇を表面的に眺めると、男尊女卑な夫に酷い目に合わされた被害者のような側面が目についてしまいます。

人間的にそれを判断すると、「あんな人生であればお父様を否定したくなる気持ちも分かる」と同情心が湧いてくるかもしれません。

 

しかし改めて、アボジが複数の女性と関係を結んだ過去を人間的に捉えても良かったのでしょうか。

「むしろ純潔一筋を貫いた独生女の方がメシアだった」と言う結論すら、導かれはしないでしょうか。

このような可能性が頭をよぎったことがあるのであれば、(修正される前の)摂理歴史を学び直すことをお勧めします。

 

韓鶴子女史が完全に責任を果たしたのであれば、聖進様のみならず朴サムエル氏も我が子のように愛することで、その後の歴史は変わっていたことでしょう。

人間的に同情することと、神の計画はどうだったかを議論することは別問題です。

韓鶴子女史の責任分担が不履行であった場合、復帰摂理がどのように逸脱するかを考えることは不信仰ではありません。

天宙史的葛藤とはとどのつまり、責任分担不履行によって現れた必然的な結果を見ているに過ぎないのです。

カテゴリー: 原理的観点意見

5件のコメント

yoshio kawasaki · 2021年5月3日 5:33 AM

こんにちは。
私は聖進様のご長男の信一様の自立のために7年間お付き合いしたものです。少しだけ書きます。あまり書けない内容なのですが、紹介します。信一様は自立のために実は私の車の修理工場に2005年11月に来られました。そして工場に住むことは非常識なのですが、そこになんと7年間住まわれたのです。始めは住むようには作られていませんのでシャワー、台所、寝室なんでありませんが、寒い中、事務室の上の天上に人間がやっと立てるぐらいのスペースがあります。そこは誇りまみれでした。ベットもありません。2月に日本から帰ってこられましたから、そこに段ボール箱を敷いて毎日休まれたんです。夜は寒いです。でも、日本の雪の中のマイナスの気温から比べるとましですといわれながら過ごされました。段々を住む環境は良くなって来ましたが、常識はずれだったのです。2013年の6月に経営が良くなくて閉めることになりました。その間、いろいろなことがありましたがそれは封印しています。殆ど明かしていません。聖進様2回、も東淑様2回、も、金ウオンピル先生2回、も来られました。

皇族圏が今何処にもありません。皇族の道を通過せずしていけないでしょう。3つに分かれましたが皆やっていません。皇族圏には内外があって、残念なことに実行されていないのです。それをやってくださいますか?

私はもう信一様とは音信不通になりました。最期にお会いしたのは2016年の8月です。何か方法をお考えですか?それは可能なんですか?よろしければ教えてください。可能であればとっても嬉しいです。

yoshio kawasaki · 2021年5月3日 5:44 AM

聖進様と顯進様が二人でお話しする場をセッティングしようとしました。

それからこれは絶対に無理だと思います。王族の立場では無理です。皇族を通過した人だけが可能だと私は感じています。分かれていること自体が聖進様にとっては心痛いことなのです。みんなが一つになった土台で迎え入れるしかないのです。王族の人が一つになってからです。聖進様は真の兄の立場だからです。そうなっていないのに顯進様にあえる道はほとんぞゼロに違いでしょうね。欲お考えになってください。孝進様と顯進様の関係は銅だったのですか?ご存知のとおり、喜進様と孝進様は聖進様を兄として慕われたでしょう。顯進様はいかがですか?孝進様、喜進様との関係がいかがだったのですか?その辺もよくお考えにならないといけないと思います。

tomy4509 · 2021年5月4日 1:55 AM

アブラハム家庭の話があるではありませんか?!
アブラハムの象徴献祭の失敗によって、イサク、ヤコブの代で勝利しましたが、その三代でありながらアブラハム一代で勝利したとみなされています。
個体は違ったとしても同じみ旨を中心としてみれば(母親)一代と考えられないでしょうか?!

2008年4月6日ハワイ・キングガーデンでの「カインアベル儀式」でのお父様のみ言からです(『ファミリー』2008.7月号、P.12)

—–>引用開始
 エバを中心として、母を中心として、カインとアベルが争ったのです。カインとアベルが争い、夫のアダムを家庭の外に追い出してしまいました。夫がいません。天使の血統になっています。エデンの園で分かれて殺したもの、そのままです。お互いが、しっかりしなければなりません。母(エバ)が生んだ息子、娘は本来の息子、娘ではありません。母(真の母)を通して再び生まれなければなりません。

 統一家も、そのようになっているというのです。聖進の母親が先生に反対することによって母が変わったので、息子も分かれたのです。カインとアベルになったものをすべて一つにしなければなりません。母が一つにならなければならないのです。
—–<引用終わり

これを前後しては、同年3月17日に孝進様が聖和されていましたが「(三代の)母を中心として、この地でお母様が生んだ孝進を送ることによって、孝進が中心となって、興進と孝進の二人が一つになることによって霊界が統一される」(同P.13)と霊界での一体化を宣布されたなか、この地上でも統一家の兄弟姉妹がそうなることを願われての儀式であったと思います。散らされた血統をイエス様がニコデモに語られていたように、聖進様ほか子女様方や祝福家庭も真のお母様を中心として「もう一度生まれなければ」天国へ入れない、ということなのでしょう。

※ エッ!!「完成期の聖婚式は未だに挙行されていません。」?

永遠絶対の天の父母様が基元節に定められた「結婚式」ですよ。その神様の永遠絶対性を否定されますか。亨進会長(当時)がその結婚式を早めて行おうとしたのですが、それを激しく叱責されたほどに、お父様も神様との約束である「基元節」の時を重要視されていたでしょう。
永遠絶対の天の父母様(神様)と真の父母様が約束されて【予定】されたものでした。したがって、お父様が聖和されたとしても「神様とお母様の結婚式」が成された事実は否定することは出来ません。

原理講論>キリスト論>重生論 にも次のようなことが書かれています。

このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。

お父様聖和後、本来ならば子女様が成すべき侍墓生活3年でしたが、不忠不孝の子女様や私たちに代わってされたのはお母様でした。悔い改めをしなければならないのは私たちですが、地において役事される実体聖霊であるお母様までも貶めようとする行為、果たして、許されることでしょうか?

私たちの信仰の起点は1960年の「子羊の婚宴」によってこの地に初めて【誕生した】真の父母様です。イエス様のような「独生子」でもなければ、寡婦の「独生女」でもありません。重生論に記された「原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨」された『真の父母様』です。

原理講論・総序に書かれていることをもう一度想起してみてください。人類歴史が闘争に明け暮れしてきたのは、真に「神様」を知ることがなかったからです。したがって、新しい真理はその神様を提示しては、その闘争に終止符を打とうとするものです。ところが、同じ原理講論を巡っての混乱は見苦しいに尽きませんか。その総序にもハッキリと記されたものがあります(以下)。

…(略)…善の本体はすなわち神であられるがゆえに、この真理によって到達する世界は、あくまでも神を父母として侍り、人々がお互いに兄弟愛に固く結ばれて生きる、そのような世界でなければならないのである。…(略)…

「ONE TRUTH」を掲げられる「有志の会」ですが、その真理の行きつくところが「神を父母として侍る【地上天国】となっていますか?
原理を離れては別の(非)原理を語ってはおられないでしょうか!

「天の父母様」であられる神様を否定するような共産主義思想から一刻も離れられては、一体となられた真の父母様の懐へ帰られることをお勧めします。

天の父母様の日、真の父母の日、御聖婚記念61周年おめでとうございます

    GoodSamaritan · 2021年5月4日 10:11 PM

    巡回いつもご苦労さまです。
    tomyさんとはいつも論点が空回りして噛み合いませんので、例によって論点を整理します。イエスかノーでお答えください。
    ・韓鶴子女史は「聖進を我が子のように愛せよ」と言う約束に従ったのか。
    ・基元説で完成期の聖婚式がなされる「神の予定」があったが、韓鶴子女史はそれを実現する責任を果たしたのか。
    2つとも原理講論予定論の問題です。人間が責任分担を果たさなければ神の予定は延長されます。

      tommy4509 · 2021年5月5日 8:13 AM

      GoodSamaritan さん へ

      ・韓鶴子女史は「聖進を我が子のように愛せよ」と言う約束に従ったのか。

      Yes!
      誰彼の隔たりなく愛しておられるのが「平和の母」です。
      13人の子女様を出産されましたが、お父様と共に世界を飛び回られたお母様です。お父様がそうであったように、聖進様や真の子女様以上にカインの子女である私たちをより愛してこられた、というのがもっと正しいでしょう。

      ・基元説で完成期の聖婚式がなされる「神の予定」があったが、韓鶴子女史はそれを実現する責任を果たしたのか。

      No!
      「基元説」はサンク同様に「有志の会」も「基元節」を認めていないということですか?
      「基元節」であれば「Yes!」です。異邦人サマリヤ人氏には過去記事で既に回答していたはずですが?
      お父様のみ言からは、基元節が第3番目の聖婚式であり、祝福家庭も3番目の祝福式に同参することを語られていました。お母様は基元節を前に、既に基元節のために準備されていた(悔い改めて新しく出発するための)「聖酒」を全祝福家庭は飲んで基元節に参加するよう指示されました。サマリヤ人氏もまた、それを飲んで祝福式会場に直接参加されたとのことでした。

      「トゥデイズ・ワールド・ジャパン」2013.4(天暦2月号)のP.11をお読みください。
      —–>引用開始
      「天地人真の父母様天一国即位式」では、天地人真の父母様の完成的聖婚式であり、戴冠式が挙行されるとともに、天一国が満天下に宣布され、続く「天一国基元節入籍祝福式」では、全祝福家庭が天一国に入籍する入籍祝福式を受けました。
      —–<終わり

      サマリヤ人氏はこの時の第3番目の「聖婚式」があったかどうかで道を反れて行かれたとのことでしたが、引用文に記された如く基元節における「聖婚式」は挙行されていました。あとはご自身の良心に従って「有志の会」に留まってお母様や家庭連合の批判を続けられるかどうか、これから先の意思表示を明確にしていただくことは出来ないでしょうか?
      もちろん、「沈黙」の選択肢もありますが。

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