2020年9月28日、清平の空中庭園で彫刻像の除幕式が行われました。この彫刻像では韓鶴子女史の像が大きく中心に据えられ、お父様の像はサイズも小さく、立ち位置も脇役のようになっており、多くの祝福家庭が意味を理解できず困惑しました。

清平修練苑の講師がFacebookを通して「七年路程を勝利した意味を込めた」とか「基元節宣布の場面”を形象化した」、あるいは「“天一國安着”の場面を形象化した」などと説明をしたようですが、お父様と韓鶴子女史の主体・対象が逆転したような構図に対する疑問は消えません。

2022年4月19日〜20日、韓鶴子女史の指示によって世界指導者特別教育が行われ、天法院院長 兼 天一国学術苑苑長である金振春教授は、清平天苑教大聖殿に集められた500名の指導者たちを前に、特別講義を行いました。

その驚くべき講義内容を通して、私達はようやく、2年前に除幕された彫刻像に込められた意味を明確に理解することができるようになりました。

以下、金振春教授の講義内容を抜粋しますので、彫刻像の写真と比較して御覧ください。

(金振春教授の講義内容の全文はこちら・・・第三回公開質問状

金振春教授の講義から抜粋

「(お父様は)子羊の宴を前にして結婚をしてもならない、復帰摂理をしてもならない。 その内容を私が先程語りましたが、またお母様が、またそのような御言葉も強調なさいました。」

真の父母に尻尾(悪い過去)があるというのは本当に残念なことだ。真の父母に尻尾がついて回るのはあまりにも残念なことだ。それでこの内容を、今、尻尾は主にお父様に関連した尻尾が、世間の人々が多く注目している内容です。」

お父様にはそういった多くの困難があるけれども、その困難も、独生女のそのような基準によって、その問題も私たちはどうしても解決しなければならない。

「そうしてみると、本当に再臨の立場に、また尻尾があるそのお父様が、初臨の尻尾がない個性完成した新婦の立場にあるお母様がお父様に敬拝を捧げるということが、それが原理に適うことなのかとその話をされました。」

「原理的に見ると、全部、むしろ天の観点から見ると、お母様にはサタンの条件がないのに、初臨として個性完成したそのような新婦なのに、どうしてお母様が40~50年間もお父様にそのように敬拝を捧げなければならないのか、そのことでお母様は何度も言いたくても言うことができなかった。そんな話を…これは今非常に内的な内容でしょう。」

「そして、お父様が聖婚前と聖婚後に対する世間の人々が全て知っているこれらの内容を今では隠すことができない。これからは隠すことができない。これを私たちが何とかして原理的によく原理的に、よく理解し、私たちの子女たちにもそれをよくしてあげなければならない。」

「それで、このサタンの、その讒訴条件が正に聖婚以前の内容もサタンの讒訴条件であり、聖婚後にあった様々な内容を全てサタンの讒訴条件になる。これを何とかして洗い落としてこそ、お父様も自由の身になる。しきりに霊界で多くの讒訴があるので、お父様も物凄く大変だということです。お父様も。

「これからは、天の前にこれ以上申し訳ない真のお父様になってはならない。お父様を解放してさしあげなければならず、救ってさしあげなければならない。」

彫刻像との比較

いかがでしょうか?とても衝撃的な内容を抜粋しましたが、次に彫刻像の写真を掲載し、上記金振春教授の講義内容から読み取れる彫刻像の意図を書き出してみます。

・お父様は1960年の聖婚前には結婚しても復帰摂理をしてもいけなかった。それをしてしまったことが尻尾(悪い過去)となっている。

・初臨の罪のない韓鶴子女史に比較して、再臨のしかも尻尾(悪い過去)のあるお父様。お父様に韓鶴子女史が敬拝を捧げるのではなく、その逆が正しい。(なぜか再臨よりも初臨が尊いという価値観が見られる)

・お父様には悪い過去があるため、それが讒訴条件となって霊界で讒訴を受けている。独生女の基準によって(中心とすることで)、それが整理される。お父様が中心では真の父母に尻尾がついてしまう。

・これまでは天の前に申し訳ないお父様であったが、これからは独生女を中心とすることで、お父様を解放し、天の前に申し訳の立つお父様にしてあげなければならない。

このような信仰観が彫刻像に現れていると言えるでしょう。

深刻な疑念

このように慎重にこの彫刻像を見ていくと、さらに、非常に気になる男性の像が一体あります。

光の加減などによって見え方が多少異なりますので、同じ像の写真を3つ掲載します。

皆さんは、青い丸のついた男性が誰を現していると感じられるでしょうか?

彫刻というものは、あくまで象徴的・抽象的に作られるものですし、この男性が誰を現しているのか、断定はできません。また、そうじゃないと言い切られれば、特にそれ以上反論できるものでもないのですが・・・。

ただ、丸のついた男性の前にしゃがんだ態勢になっている男性はイエス様だというのは、多くの方が想像しやすいのではないかと思います。

韓鶴子女史が最近よく語られる、初臨か再臨かという話がありますが、初臨のイエス様の後ろで祈っている、囚人服のような姿の男性は、再臨であるお父様を意味する像なのではないか?という深刻な疑念が湧きます。

韓鶴子女史のこれまでの発言によれば、独生女に出会うまで結婚してはいけなかったお父様は、第一のお母様との関係性が讒訴条件となり、それを蕩減するために興南監獄に行くことになったのだとされています。そして罪を清算してから韓鶴子女史に出会うようになったのだと。

韓鶴子女子に向かって祈り、囚人服姿で許しを乞うているような男性の像が興南監獄でのお父様を現しているのだとすれば、、、。

お父様には尻尾(悪い過去、罪)があるため、本来はお父様が韓鶴子女史に敬拝すべきであり、真の父母は独生女を中心(基準)としなければならないのだという金振春教授の講義(=韓鶴子女子の信仰・信念)とぴったり合うことになります。

恐ろしいことです。

最後に

金振春教授は何度も「お母様はこのようにおっしゃった」と、韓鶴子女史を代弁する特別講義であると告白しています。

真の母の使命を果たすべき韓鶴子女史がこのような信仰を持たれていることは悲しみの極みです。もちろん、垣根とならなければならない祝福家庭としての責任を私達は痛感します。

神様の直系のひとり息子として来られたお父様が、真の母を探す歩みの中で「離婚」をも経なければならなかった痛みは、お父様ご自身もみ言葉の中で吐露されています。しかしお父様の動機は常に神様の御旨だけを考えておられたと私達は信じています。

ですからそのこと自体がサタンの讒訴を受けるのではなく、サタンが讒訴するとすれば、妻である韓鶴子女史がそれを問題視(罪悪視)していることをもって、サタンはお父様を讒訴することでしょう。

お父様の動機がすべて神様を中心としたものであったことを証しするのは、最もそばで侍られた韓鶴子女史にしかできない、特別な使命ではないでしょうか。

韓鶴子女史が2014年から語られ始めた「独生女」のお話自体が、真の母としての使命を脱線しておられる状況の現れになっているです。

この状況を正すために、祝福家庭は自分自身が小さな存在であるという謙虚傲慢な姿勢を捨てて、自らの責任で真実を探し求め、立ち上がるべきです。

 

リンク:真実の追求

リンク:教理研究院へ送る公開質問状(第三回)

リンク:櫻井節子夫人のラジオ放送

カテゴリー: 真実

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