第4アダムは不可欠
今回は、第4アダムは神様の摂理において不可欠であるという、統一運動に関わった方達でも、あまり聞いたことがないであろうことについて書きたいと思います。大事であると同時に少し長くなるので、いくつかに分けて書きます。
前回、メシアの定義は宗教によって違うことと、統一運動において、メシアとは全知全能の超人の意味ではなく、アダム的男性のことであるということを書きました。
第一のアダムはエデンの園で、神様の理想家庭をつくる使命を果たせず堕落してしまったアダムです。その使命をもう一度担う第二アダムとして生まれたのが、イエス様でしたが、独身のまま殺されてしまったので、第三アダムが必要となり、ユダヤ2000年の歴史路程を繰り返した、キリスト教2000年の歴史路程の土台の上に生まれたのが、文鮮明師であったというのは、文鮮明師の教えを信じた方達に共通する理解でした。
でも、文鮮明師が第四次アダム、第四次アダム圏時代ということを語り始めた1990年代後半から、混乱が始まりました。同じ頃、文鮮明師は、後継者が文顯進会長であることを明らかにする就任式をしました。表向きは、副会長就任式でしたが、組織の副会長の話などほとんどなく、就任式の話は、第四次アダムの話でした。明らかに、文顯進会長のことを第四アダムであると言っていると解釈できる内容でした。そこに信徒は一つとなるべきでした。
2009年からの混乱と分裂の中で、文鮮明師の教えを信じていた祝福家庭には、幾つもの分かれ道が目の前に現れました。本来は文顯進会長が第四アダムであると信じて一つになる道を選ぶべきでしたが、それ以外にも、韓鶴子夫人を独生女と信じて従う道、文亨進氏を第二王として信じて従う道、文鮮明師の教えか再臨を信じて独立する道、それ以外にも様々な道があります。神学は横に置いて、仲良くするべきだという考え方もあります。一般の世の中では、多種多様なものを受け入れることが良いとして、どれかが正しい、間違っていると判断することそのものを見下げる考え方もあります。
選択肢はたくさんあるように見えるのですが、2009年、あるいは10年遡って1998年からの統一運動の混乱を鳥瞰するのなら、その葛藤はただ一点、第四アダムを不可欠の存在として受け入れるか否かということにかかっています。
歴史の中でアダム的人物が現れた時は、混乱と分裂が起きました。第二アダム、第三アダムと、アダム的人物が現れるたびに、その時にアダム的人物の前で証人となるべき宗教指導者が、アダム的人物と一つになれませんでした。アダム的人物が現れた時は、選民として準備された人たちが試練を受け、宗教指導者の過ちのゆえに、信徒が資格を失った時でもありました。同じ過ちを何度繰り返すのでしょうか?
これを読む多くの方達は、宗教指導者ではなく、信者の方達のはずです。私たちは、互いを兄弟姉妹と呼ぶ人たちです。全人類が兄弟姉妹、家族として、神様から意図されているのを知っている人たちでもあります。私たちは同じことを信じているはずの人たちでした。アダム的人物が「雲」に乗って来るための、原理講論で「雲」と象徴される信徒となるはずでした。もう一度、一つになるために書いています。
U C I裁判
9月7日、旧統一教会は、声明文の中で、UCIの財産管理に関わる内容で郭錠煥会長を非難しました。これは論点のすり替えであると同時に、信徒を分裂に引きずる声明文です。
まず、旧統一教会の本当の攻撃対象は、郭錠煥会長ではなく、文顯進会長です。過去において、「郭錠煥会長はサタン」と教会員には言っておいて、訴訟などの実際の攻撃対象は、文顯進会長だったのと同じパターンです。また、UCIの訴訟の焦点は、財産管理ではなく、文顯進会長を、文鮮明師と同じアダム的な権威を持った人物として認めるかどうかです。つまり、それは信仰の問題です。
裁判所は、誰が宗教的、霊的権威を持っているのかは判断できない、となっています。ゆえに、米国の控訴裁判所は、UCI裁判は、信仰の自由をめぐる裁判であり、世俗の裁判所では扱うことはできないと、8月25日に既に判決し、旧統一教会の主張を退け、文顯進会長の側の主張を認めたのは当然でした。
それなのに、旧統一教会は再度、財産に焦点を戻して、自分達の過ちを郭錠煥会長になすりつけようとしています。また、8月25日に控訴裁判所で、旧統一教会が負けた判決が出たのに、それを言及せずに、信徒を旧統一教会の指導者の下に置こうとしている行いの一つです。
焦点はアダム的権威を受け入れるか否か
焦点は、文顯進会長を第四アダムとして受け入れるか否かにあります。
文鮮明師に関して、財産を勝手に動かしたとか思う信徒はいないはずです。それは、文鮮明師の第三アダムとしての霊的権威を認めているからです。もしも、文顯進会長を、文鮮明師と同格のアダム的霊的権威を持った人であると認めるなら、文顯進会長を泥棒呼ばわりするわけがありません。
2000年前、イエス様を受け入れられなかったユダヤ教の指導者たちは、イエス様をユダヤの宗教的伝統に背く人であると非難し、さらに、ユダヤを支配していたローマに背く人であるとして、世俗の法的手段に訴えてイエス様を逮捕させ殺しました。イエス様はユダヤの宗教的伝統を新たな次元へと引き上げようとしておられ、イエス様の霊的権威を受け入れ、イエス様の教えが新たな宗教的伝統になるべきでした。それをユダヤ教の指導者たちは受け入れられませんでした。イエス様を殺した後、ユダヤ人は居場所を失い、2000年の間、流浪の民となりました。
そのような悲惨な歴史をユダヤ民族が経験したのも、ユダヤ教の指導者たちが、ローマの権力者にイエス様を訴え、殺してしまったからだ、と原理講論は教えています。当時のユダヤの民は、ユダヤ教指導者の言葉にのせられて、イエス様は殺されるべきだと信じるほど、イエス様を不信し、見下げていました。
旧統一教会の信徒も、文顯進会長を、不信し、見下げていないでしょうか?指導者の方達の報告と指示を信じて、文顯進会長は泥棒で、親不孝で、裏切りものだと、今も思っていないでしょうか?それはつまり、文顯進会長を第四アダムとして受け入れていない、ということの表れではないでしょうか?
そこに問題の焦点があります。
母子協助時代から父子協助時代へ
本来なら、アダム家庭の蕩減復帰は1945年からの摂理で成し遂げられて行くはずでした。しかし、それが成せなかったので、文鮮明師は、アベルの位置で世界的長子圏復帰を目指して40年を歩まれました。そして、「女の全権時代」と文師が呼んだ、韓鶴子夫人を中心とした2000年までの7年路程、つまり母子協助の時代を通過する時代がありました。その頃は、夫人を賛美する言葉を多く語られました。
旧統一教会では、2000年までの7年路程でのお話を引用して、夫人は独生女であり、第二教祖だとしていますが、その次の時代である父子協助の時代を無視しています。母子協助の時代は、父子協助の時代への準備です。
父子協助の時代を宣言する前に、1998年7月には、実子である文顯進会長を摂理的長子、真のアベルとして認定するための、副会長就任式をされました。そして、父子協助時代宣言をされました。その時代になると、「母親は必要ありません」と、韓鶴子夫人を否定するようなことまで語る、大転換をしました。
これは、御自分が歩んだアベル的勝利圏を、文顯進会長に相続し真のアベルとして、神様、父、長子という三大王権と呼ばれる霊的権威の定着をしたことを意味します。それは、アダム・エバ、アベル・カインと二代に渡って堕落を定着させた、アダム家庭の失敗を、創造本然の位置と状態に戻す条件を立てたということです。
2001年には文鮮明師は神様王権即位式をしましたが、神様が人間の堕落によって失った霊的権威を取り戻すためには、アダム家庭での堕落を蕩減復帰した条件が必要でした。ゆえに、長子が立ち、父子協助時代が宣言された後で、神様王権即位式が捧げられたと理解することができます。
同じ頃、文鮮明師は、40歳以下(のちに48歳に引き上げ)の信徒は全て文顯進会長の指導下に入ると指示されました。当時の信徒の年齢層と数を考えてみれば、ほぼ大半の信徒が文顯進会長の指導下に入ることを意味しました。これを旧統一教会の指導者の方達は受け入れるべきでした。
しかし、旧統一教会の指導者の方達は、これに逆らい、父から長子への血統的相続を阻止しようとし、自分達が相続者になろうと、韓鶴子夫人、文顯進会長の兄弟姉妹を、自分達の側に引き込みました。韓鶴子夫人がおかしな言動をするようになった原因は、旧統一教会の指導者の方達にあります。文鮮明師のお話を見れば、韓鶴子夫人の弱点を指摘しています。そこにつけ込まれれば、どうなるでしょうか?
母の弱点を知る文顯進会長は、どこまでも母を守ろうとしました。ですから、韓鶴子夫人に問題があることを2009年以降、何年も語らなかったのです。母親を愛するがゆえです。
文鮮明師のお話
長くなるので、ここで区切って、まずその時代の文鮮明師のお話を引用しようと思います。
「アダム家庭においては、神様が一代ならばアダムは二代であり、アダムの息子、娘は三代目になりますが、その三代を見ることができなかったということが堕落です。そうして、三代の歴史を再び起こすためのものが救援摂理であり、復帰摂理の完成である、ということを考えるとき、この三代を中心として天の公的責任を任命するというのは、天宙的な一大事であると考えます。」1998年7月19日(副会長就任式にて)
「サタンの血統を断絶して、きれいに清算した後に天の直系の子女が家庭を中心として第四次アダム勝利圏を引き継ぐことのできる、そのバトンを受け継ぐことのできる出発がなされたという事実は、驚くべきことであるということを、皆さんは知らなければなりません。」1998年7月19日 (副会長就任式にて)
「第一次、第二次大戦を終えて第三次時代へと超えながら、全てを埋めつくし、ついに整備されたカイン、アベル圏、聖霊を中心として霊的基準を連結させて、実体的基準を中心とした再臨主と一つになって、母子協助時代から父子協助時代に転換するのです。そのためには、母親がいなくならなければならないのです。それゆえ、蕩減時代の母ではなくて、直接的時代の父が母を通じて生んだ息子が相続することができる時代が来るのです。生命の種は男性にあるのであって、女性にはありません。愛する夫の赤ん坊を、女性がおっぱいを飲ませて育て、赤ん坊を愛する限り、夫を無視することはできないということを知らなければなりません。これは母であれば誰もが同じなのです。これが総結論です。母子協助時代と父子協助時代は違うということです。父子協助時代に生命の種を抱いて育てようとする女性たちは、夫に対して絶対服従しなければなりません。」2000年11月11日(父子協助時代宣言)
「生命の根本の種になることができる根を中心として回らなければならないのであって、自分が根の立場にいようとして、自分を主張したならば大変なことになるのです。それは、女性が今まで蕩減した全てを再び堕落させるのと同じなのです。お母様も同じなのです。黙って見ていると、お母様は今でもそうなのです。少し気分が悪ければ、その思いが一日、二日、三日続くのです。それではいけません。真の父母が. . . 、先生がどんなに気分を害するような接し方をしたとしても、気分が悪いと考える、それ自体によって霊界に入っていくことができなくなるのです。」2000年11月11日(父子協助時代宣言)
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