旧統一教会幹部は文顯進会長を否定したい

前回に続いて、第4アダムは神様の摂理において不可欠であるということについて続けます。

まず、旧統一教会が継続している、真の父母宣布文サイトと呼ばれるウェブ・サイトがあります。去年の半ばからの記事を見ると半分くらいは、第4アダムに関連したもので、世界家庭という機関紙も去年9月から今年2月の6回、文顯進会長は第4アダムではないと主張するための記事を掲載しています。

これは、旧統一教会にとって、文顯進会長が第4アダムであるということをどうしても否定したいことの裏返しでもあります。それくらい、彼らにとって神経を尖らせているということになります。そのくらい、第4アダムという存在が大事だということです。

では、誰がそれほど神経を尖らせているのか、ということを考えてみるときに、それは、韓鶴子夫人と教会員の間を仕切る、旧統一教会のリーダーの方達です。少し話を飛ばしますが、その人たちは、祝福家庭ですから、カインであり、文顯進会長は真のアベルです。つまりは、カインがアベルを否定しているわけです。私が繰り返し、このシリーズの中で指摘しているのは、問題の根本は、カインの子女である、旧統一教会のリーダーの方達にある、ということです。

ほとんどの旧統一教会の方達は、文顯進会長を親不孝だ、泥棒だと思ったわけですが、それは旧統一教会幹部の言葉を信じ従った事を意味します。カインの言葉を信じたのです。では、その旧統一教会幹部の方達は、本当に信頼できるのでしょうか?スポットライトは彼らに当てられるべきではないのでしょうか?

少しきつい表現なのかも知れませんが、混乱した状況の中で見極めるには、精神が天に通じることが大切であるはずです。それを思い、文鮮明師が他界する直(2012年7月19日)のビデオをまず見たいと思います

文鮮明師が他界する直前のビデオ

お話の内容(動画はこちら

オモニ・アボジも一つになって、今までオモニがアボジの息子娘を投げ捨てた。サタン世界の君たちの足の下に入って行って。

自分の息子たちを祝福したが、天国に入れない息子娘たちを中心に先生の息子娘たちを踏みつけてしまった事実を知らなければならない。

亡国の種たちだ!

アベルUNを中心として作るための、先生の息子(文顯進会長)も、先生の家庭が完全に踏みにじられた。君たちは、何 . . . 飢え死にする前に . . . 教会がなければならないと言ったな?. . . 教会で泥棒しながら自分の息子娘を食べさせるために苦労した人たちの中で、天国に入った人は一人もいません。

先生が自分の息子娘を犠牲にしながら、カインが罪の中で祝福を受けた。これが天国に入れない。

君たちに千万倍の負債. . . 生きたまま砂に埋めて殺しても、自分の息子娘を呼ぶことができない。悲惨なその息子娘を中心に、父母様も苦労して父母様の息子娘までも結んで踏みつけてしまう. . . 自分勝手に。世の中に君たちのような奴らはいなかった。ルーシェルよりももっと恐ろしい」

この同じ日のビデオで、文鮮明師がお孫さんとiPadで話して喜んでいる場面がありますが、それはこの深刻な話を中断させて、早く訓読会を終わらせようとして周りの人が動いたからです。自分達に都合が悪ければ中断させることができる、それは周りのリーダー達が主導権を握っていることの象徴です。

統一教会の幹部は信頼できるか?

ビデオの中に登場するのは、文鮮明師のお子さん達の養育係だったピーター金氏、韓国の責任者だった黄善祚元会長や日本の責任者だった大塚元会長や徳野元会長などです。黄善祚元会長、大塚元会長、米国の梁昌植元会長は、文顯進会長が1998年にリーダーとして立てられた頃、文鮮明師から直接に、「顯進と一つになれ」と指示された人達です。つまり、アベルの文顯進会長に対しのカイン、言い換えれば、洗礼ヨハネ的人物として、教会員に文顯進会長を証しする立場にいました。

文章だけでは伝わりませんが、ビデオでは、誰に向けて話しているのか明白です。旧統一教会の幹部に対してです。聖和50日前ですから、最後の通告の宣告のようなものです。もちろん、リーダーはビデオに登場する人たちだけではありません。たくさんの方達の名前を皆さんご存知のはずです。

旧統一教会の会員は、文顯進会長を叱ったり否定したりする文鮮明師のビデオや音声を聞かされて、文顯進会長をダメだと思ったわけです。では、この聖和50日前のビデオでの、旧統一教会幹部への言葉を聞いて、幹部が恐ろしい過ちをした、と思わないでしょうか?

文鮮明師は、父母様の息子娘までもヒモで縛って踏みつけて、勝手に。とんでもない。君たちのような奴らはいなかった、ルーシェルよりももっと恐ろしい」、幹部を裁きました。では、「父母様の息子娘までもヒモで縛って踏みつけ」た幹部が、「文顯進会長は親不孝だ、不従順だ、泥棒だ」と言う、その言葉を信じるのでしょうか?

それとも、「そのような裁きを受けたリーダー達の言うことは間違っていたのかも知れない」と思わないでしょうか?むしろ、「踏みつけ」られた、文顯進会長の話を聞かなくてはいけないのかもしれない、と思わないでしょうか?

文顯進会長が第4アダムかどうかというのも同じことなのですが、文鮮明師の語った言葉には、「そうだ」と解釈できるものもあれば、「そうではない」と解釈できるものもあります。旧統一教会の幹部の話を信じるのか、それとも、文顯進会長の話を信じるのか、というのも、結局は自分で判断しなければならないことです。ですから、混乱した状況の中で見極めるには、精神が天に通じることが大切だ、ということになりますし、原理の理解が必要だということになります。

カインと洗礼ヨハネ

一度は啓示を受けてイエス様を神の子として証した洗礼ヨハネは、自分の知恵で自分の使命を悟らなければならなかったのに、摂理に対する無知のゆえに不信し、獄中から「来たるべき方はあなたなのですか」とイエス様に質問しました。言われなくても悟るという、人間の責任分担は、カインの位置のある人物に繰り返されることです。

それはアダム家庭から始まっています。原理講論のアダム家庭の教訓の節には、「カインがアベルを通してするということは、彼らの責任分担に当たるものであって、神は彼らに、どのように祭すべきかという点に関しては教示なさることができなかったのである」とあります。

つまり、カインは言われなくても悟らなければならなかったし、洗礼ヨハネも言われなくても悟らなければならなかったということです。はっきり言われなくても、洗礼ヨハネは、イエス様がメシアだと悟って、自分の使命を果たさなければならなかったということです。

では、文顯進会長と、カインの子女である幹部達との関係の場合、文顯進会長は「私が第4アダムだ」と1998年の頃から言うことができたでしょうか?言うことはできませんでした。文顯進会長は、最近になって、ようやくはっきりと言われます。

「私は自分が第4アダムだとは言いませんでした。言うのは彼らカインの責任分担の成就になりません。今になって言うようになったのは、彼らが完全に失敗したからです。」

文鮮明師が他界する直前のビデオは、文鮮明師からのカインの子女である幹部に対する失敗宣告のようなものです。でも、文顯進会長はさらに長く、悔い改めて責任を果たすのを待っていました。それは愛です。間違った祝福家庭が赦される恩赦祝福をするようになった後、最近になって「彼らは失敗した」とはっきりと言われるようになったのです。

では、カインの使命を持っているのは、文鮮明師が他界する直前のビデオに登場する方達だけでしょうか?違います。祝福家庭全体がその使命を持っているのですが、特に旧統一教会のリーダーの方達は、上から下まで、その使命が重い方達です。そのリーダーの人たちが運営しているのが、真の父母宣布文サイトと呼ばれるウエブ・サイトです。その人たちも、「言われなくても悟る」責任分担がある方達です。

前回も書きましたが、アダム的人物が現れた時は歴史的に、混乱と試練の時であり、神様から準備された選民がその資格を失うことが多かった時です。真の父母宣布文サイトや、世界家庭という機関紙の、この1年余りの記事は、第4アダムという存在への理解がどれほど不可欠なものかを示していると同時に、そのようなサイトや機関を運営する旧統一教会リーダーたちが、「言われないのを理由に悟らない」でいる事を、如実に示している読んでいる方達は、そう思いませんか?

赦される道

既に書いたように、文顯進会長は、祝福家庭に対する恩赦の祝福をされるようになりました。アダム的権威を持った人にしかできないことです。一般の祝福家庭は、リーダー達の過ちの犠牲になる必要はないのです。文顯進会長がする恩赦の祝福は、もう一度全ての祝福家庭が、天から祝福家庭として認められて、再出発するためのものです。そのような恩赦が必要になったのは、幹部の責任不履行によるものですが、その被害は既に全祝福家庭に連隊的に及んでいます。天から祝福家庭として認められないとは、選民という資格を失うということになります。

今日本では連日、旧統一教会に関する報道がされています。今日は、田中会長が、教団にとって向き合ったことがない未曽有の危機だと私は感じています」と、指導者会議で言った音声ファイルが報道されました。どうにかなると嵐が過ぎ去るのを待つのでしょうか?この状況を通しても、内的な意味を悟り、何が間違っていたのかを見るべきではないでしょうか?

前にも書きましたが、原理講論の「南北王朝分立時代」の説明には、預言者を送られても内部からの刷新ができず、悔い改められない時には、神様は外的な粛清の摂理をするとあります。選民であるユダヤの民が、南北に分立され、悔い改めることがない時には、アッシリアやバビロニアなどの異邦人に引き渡して選民の資格を永遠に失うように摂理されたとあります。

キリスト教の東西王朝分立時代においては、修道院の人物達を通して、内的刷新運動を起こしたが、悔い改めず、堕落と腐敗に陥ったため、「神は彼らを異邦人たちに引き渡して、外的な粛清の摂理をなさった」とあります。

悔い改めることがない時には」という歴史は繰り返されるのかも知れません。でも同時に、恩赦の道が開かれているのも事実です。自分の霊的生命をかけて、判断するべきことのはずです。


2件のコメント

· 2022年9月17日 11:00 PM

「旧統一教会のリーダー達の罪故に、末端の祝福家庭も罪を犯した事になる。」と言う理解で良いのですか?
一部の幹部の欲(罪)の為に振り回され、真実を遮断された中で末端家庭も連帯罪が及ぶとは哀しいものです。
文顯進会長の周辺にいた方々はその時真実を知り得たから良かったですが。

    daichi · 2022年9月18日 9:22 AM

    >凛さん

    連帯罪については、簡単に、断定的に表現することは難しいと思います。

    本来、1998年に顕進様が立たれてすぐに、すべての祝福家庭がまっすぐに繋がり、統一運動の間違った文化が正されていたとしたら、今頃どうなっていたのかを考えると、天地の差があったはずです。
    それが出来なかったために、反社会的かつ腐敗した文化を継続し、積もり積もって今日の状況に至っています。

    私達の霊人体が霊界に行ったらどのように見えるかは私には分かりませんが、本来は地上天国の担い手となるべき人々が、何をやっているのか。。。
    それだけ考えても、連帯罪が及んでいると理解できるのではないでしょうか。

    今は審判の時であると同時に、気がつく人は気がついて、本来の道に戻ることができる時だと、言えると思います。

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