序論

『原理講論』総序を見ると、人類は霊肉両面にわたって無知と暗闇に陥った。神様は人類歴史を通じて無知に陥っている人類をして真理を悟るように導いてこられた。そして霊的真理を探してきたのが宗教であり、肉的真理を探してきたのが科学である 。

今、神様の摂理歴史は旧約と新約時代を経て成約時代を迎えた。知的側面から見ると、成約時代は神様の創造原理で示された真理が完全に現われることによって人類がその明かされた真理に示されている人間に対する神様の期待を悟り、5%の人間の責任分担を成就しようと熱望する時代を表わしている。

このような脈絡から成約時代に人類が認識すべき最も重要なことは、神様が人間に賦与して下さった5%の人間の責任分担である。成約時代には人類が神様のみ旨を成就する道具にならなければならないということを悟らなければならないのである。

なぜ神様は人間に責任分担を賦与されたのか。神様はお一人ではなく人間と一緒に創造を完成しようとされた。この為に神様は創造当時に人間に自由意志を与えて下さり、人間自らの努力を通じて共同創造主の資格を備えることを願われた。こういう面から見ると、責任分担は人間を神様の成熟した子女・共同創造主として立てる為に下さった最高の愛の贈り物である。

そうであるならば成約時代において祝福運動の意味は何であり、祝福家庭の役割は何なのか。祝福運動は、人類をして人間に対する神様の期待を悟らしめ、5%の人間の責任分担を完遂して神様の成熟した息子と娘、即ち神様のみ旨を共に成し遂げる共同創造主の立場になれるように導く運動である。ここにおいて祝福家庭は神様の成熟した息子娘が如何なる姿なのかを彼らの生き方を通じて現わさなければならない。祝福家庭は、神様の期待を成就することによって全ての人類が見て従って来ることができる5%の人間の責任分担完遂の先例(模範)を立てる家庭にならなければならない。

そうであるならば、祝福家庭はどうすれば責任分担を完遂できるのか。先ず知らなければならないことは、5% の人間の責任分担の内容を知らずには成し遂げることができないということである。それゆえ真のお父様は “無知には完成がないのです。何かを完成しようとすればはっきりと知らなければなりません.” と語られた。真理を知らず無知であると、そこから偽りの信念が生ずる。この偽りの信念によって人間は自由を喪失したままサタン主管の拘束された生き方を生きていくようになり、人間の責任分担は失敗に帰す。結局、神様の人間に対する期待が成就できなくなるのである。

真理を知って無知から脱さなければならない。真理を土台に信念の明確性を立てなければならない。そうしてこそ、自由意志を持ってその信じる内容を実践することによって責任を完遂することができる。それゆえ『原理講論』の総序を見ると、

“宗教の究極的な目的は、先ず心をもって信じ、それを実践することによって達成されるのである。ところで、信ずるということは、知ることなしにはあり得ないのである。我々が聖書を研究するのも、結局は真理を知ることによって信仰を立てる為であり.”

とされている。このように、祝福家庭が5%の人間の責任分担を完遂する為には無知から脱して真理を追求しなければならない。

祝福家庭が知るべき真理は何か。原理と神様の摂理である。原理と神様の摂理の核心は次の4つの根本質問の中にある。1) 誰が摂理の中心か; 2) メシヤは如何なるお方であり、彼の使命は何か; 3) 真の父母様と真の家庭の顕現の持つ意義は何か; 4) 祝福家庭の責任は何か。

カテゴリー: 原理的観点

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。