2) 長子の長子たる所以は何か —真の家庭の伝統か?教会組織か?

教理研究院は主張する。「長子は孝進様だ、お父様がそう言われたのだから」―。そこにはもはや新たな反論も主張も見当たらない。であれば、逆に教理研究院の方々に問いたい。一体、あなた方は「長子」の概念をどう原理的に理解しているのだろうか?さすがに、それをただ「血統的長男」としてだけ捉えている訳ではないだろう。

ユダヤの伝統―長子の特権

ユダヤの伝統では、「長子」とは家督を継ぎ、父の権威を受け継ぎ、神の祝福を受け継ぐ立場をいう。それが聖書に記されている「長子権」(長子の特権)に他ならない。言い換えれば、家庭を代表し、父から受け継いだ家法と伝統、神の祝福とを守っていく立場にある。

さらに原理と御言の観点で捉えるなら、「長子」とは本来、「アダムの立場」であって、それは「父の願い」(神の創造理想)を受け継ぎ、それを子女たち(全人類)に受け継がせていく立場をいう。聖書がイエス・キリストを「長子」と記したのもこうした原理観によるものであろう。また、これと同じ理由から、真のお父様こそ、神の創造理想を実現し、これを世界人類に広げていく、神にとっての「長子」であった。

「アダムは誰かというと、堕落する前のアダムは、人史以来、最初に生まれた長子の中の長子だというのです。(中略)このようなことを蕩減するために、世界的なアダム版図圏の線上にある人類の前に、の父は人類史にあって長子を勝利した息子だというのです。」(1997年1月1日『真の父母様の誇りと愛は360万双祝福完遂』)

この「長子」がその後「真の父」となり、「神の王権」を受け継ぐ中心となるのである。「アダムは神の長男です。長子権を持っていたというのです。その長子が何かというと、父になるのです。分かりますか?長子権、父母権…、父母になって何をするのか?後には王になるのです。」(1995年10月29日『再創造の見本になろう』)

聖書が記すように、長子権は代々、父から息子へと受け継がれてきた。であれば、創造本然の家庭(真の家庭)において、神の祝福を意味する「長子権」が受け継がれないであろうか?長子権とはただ「復帰摂理」ゆえに生じたものではない。それは創造本然のアダム家庭において、父から子へと受け継がれるものだったのである。

「アダムの息子娘がいくら多くても長子を中心として国が連結されるのです。そうなればその長子を中心として横にいる兄弟たちは広がって行き、氏族になり、国家になるのです。長子が系統を継ぐのです。」(1999.4.26 『侍る生活』)


神の祝福を受け継ぐ者

無論、ユダヤの伝統から見ても、長子権は最初の息子、「血統的長男」が継ぐのが通例であった。しかし、ヤコブをはじめ、例外はいくらでもある。ヤコブの長子はルベンと記されているが、実際に長子権を受け継いだのはヨセフだった。統一王朝時代、王の立場に立てられたダビデもソロモンも家系的に見れば長子ではない。(参考までに、ルベンが長子と記されながらも、長子権を受け継げなかった理由は、天が最も重視した血統における課題ゆえであった。)

必ずしも「血統的長子」が神の祝福を受け継ぐ立場とされた訳ではなかった。神の目から見て、「神の摂理」の観点から見て、それを受け継ぐべき者が長子としての祝福を授かった―、それが聖書と原理から知れる長子の立場であろう。

「相続を誰でも受けられる訳ではありません。長子権です。(中略)長子権は一つです。全てが皆、天の国の王子王女になろうとするでしょうが、息子娘となり多くの神様の息子娘のなかでより良い、より貴い相続者が必要であるため、神様の息子娘に生まれた王子王女がいますが、その中でも一番になり得る息子娘、直系の血筋を受け継いだそのような息子娘が王権のその国を相続するのです。」 (2007.08.14 『平和の主人、再創造の主人』)

では、長子に求められる第一の資質とは何だろうか?それは単に、外的実力や能力ではない。社会的基盤でもないだろう。なぜなら、長子の原理的意義とは、本質的には、神の創造理想を実現する立場であり、父から神の愛と生命と血統とを受け継ぎ、人類の前に「真の家庭の伝統」を代表して立つ者を言うからである。


「真の家庭の長子」は誰か?

「真の家庭の長子」とは即ち、真の家庭を代表して立ち、人類に範を示す「モデル理想家庭」を成し、過去・現在・未来へと続く「真の家庭の三代圏理想」を後世に受け継がせていく立場に他ならない。

教理研究院の方々は、真の家庭の伝統を代表し、天一国の核となるモデル理想家庭(三代圏)を体現している立場にあるのが孝進様(の家庭)であると主張するのだろうか?今々の組織防衛のためではなく、原理的見地から、教理を扱う者としての信念と矜持をもってお答え頂きたい。

私たちの多くは、孝進様の家庭が摂理的な十字架を背負って歩まれて来たことを知っている。それゆえ、祝福家庭の誰もその立場を評価したり批判できる立場にはないだろう。しかし、だからといって、原理と摂理の基準が変わる訳でもなければ、神を中心とする「真の家庭三代圏」の原理的基準が変わる訳でもない。孝進様家庭の方々自身がそのことの十字架を背負って来られたのではないだろうか?

であれば、この家庭を今、教会が改めて「長子の家庭」として、真の家庭を「代表」する家庭として立てようとしているのは、一体「誰のため」であり、「誰」の意向であり、「何のため」なのだろうか? それは神の原理や摂理よりも、また真の家庭の伝統よりも、「組織の事情と目的」を優先させていることの現れであろう。

真の家庭とは、教会を維持し、守っていくための単なる「シンボル」などではない。神の復帰摂理歴史6000年は「真の家庭」を探し立てるためにあった。決して「教会」を立てるためではない。「教会組織を守ること」と「真の家庭の伝統を守ること」と、私たち祝福家庭が本当に重視すべきはどちらなのか、それを今一度、自らに問い直して頂きたい。


「真の父母」は一代のみ?

さらにもう一点、真の家庭の長子を「次の時代の真の父母となる立場」と記したことを受け、教理研究院は「真の父母は永遠・唯一」であって、「次の時代の真の父母は存在しない」と主張している。無論、最初に神の愛・生命・血統を出発した「第一先祖」としての真の父母が一組だと言うことに異論はない。(その真の父母が定着できているのか否かという点については、ここでは触れない) しかし、神の愛と生命と血統を相続し、それを拡大していく立場としての「真の父母」は一代で終わるものではない。「真の父母」理想が過去・現在・未来へと続いていくのが「三大王権」の意味するところではなかったか?

教理研究院が掲げた「父母様は一組であって、息子娘が父母様の代身の位置に立つことはできない」「顯進も國進も自分の思い通りに決定できない。お父様の使命が終わったと考えてはいけない。真の父母は永遠なるものだ」といった御言は2008年5月、及び6月のものである。当時、お父様は子女様、特に顯進様と國進様の間に葛藤があると「思って」おられた。(それは単に人間的・平面的な葛藤などではなかった。が、ここではその議論は割愛する)

この御言はそうした背景から、「真の父母のもとに一つになれ」ということを強調された御言に過ぎない。しかし、それ以上に、お父様は何度も何度も、子女様に限らず、祝福家庭全員が「真の父母になる」ことを願い、そう語って来られたのである。

「『メシア思想の核心は何でしょうか?それは世界を救い、統一させるための思想であり、本然の理想家庭を建設することのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失った位置である真の父母の位置を取り戻すことです』。皆、真の父母にならなければなりません。真の父母となり真の子女となり真の家庭になって、真の氏族、真の国にならなければなりません。(2001年03月07日『新千年の人類とアメリカが進むべき道(Ⅶ)』)


長子―父母の系統を継ぐ者

真の父母だけが真の父母であって、私たちは真の父母にはなれない―。その主張は「イエス様だけが神の子であって、私たちは神の子にはなれない」と言うのと似ている。それが原理の教えだったのだろうか。私たち全員が神の真の息子・娘(真の子女)となり、真の夫婦となり、真の父母にならなければならない―。それが原理本来の教えであり、お父様が生涯にわたって教えてくださったことではなかったか!?

今になって、教理研究院が「一面的な御言」を並び立て、真の父母と真の子女とを必死に切り離そうとしている理由は何か?それは子女様の悲痛な現実から父母様の責任を切り離し、真の家庭の現状をよそに「父母様の勝利」だけを謳うためであろう。言い換えれば、お母様と教会組織の正統性を守るためであろう。

真の父母の使命は「真の家庭」を立てることにあった。真の家庭が定着できない限り、真の父母の定着もない―。それは教理研究院が組織の事情や都合をもって人為的に覆すことなどできない原理原則なのである。

「神様には3代に該当するものであり、アダムには2代に該当するこのような3代が連結してこそ、家庭が成り立つのです。アダム一人がいなくても家庭が成り立たず、エバ一人いなくても家庭が成り立たず、アダム・エバの息子一人がいなくても成り立たないというのです。(中略)そのため、息子娘がいなければならないのです。創造原理において、息子娘をもたなければ自らの血族がなくなるのです。家庭と言えば、これまでは自分の夫婦二人だと考えましたが、違うのです。天に侍ることのできる天の国の父母、地上の父母、天地に代わりに侍る父母の息子娘、3代が霊的世界の天国と地上世界の天国を連結させるのです」(2001年9月27日『私たちと私の国』)

真の父母の使命と立場とを受け継ぐ「長子」という存在を肯定したいか、否定したいかは、原理と摂理に対する私たちの本質的な理解と姿勢にかかってくるだろう。最後にもう一度、尋ねる。私たち祝福家庭が守るべきもの、守り抜きたいと願うものは「教会組織」なのだろうか?それとも、未来に続く「真の家庭の伝統」、「神の愛と原理に基づく理想家庭の伝統」なのだろうか?

(つづく)


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