4)今、祝福の祝祷権をもつ者は誰か ― 母か?息子か?

お父様の許可がない?

顯進様に祝福の祝祷権はない―。それが教理研究院の変わらぬ主張であった。その根拠は「お父様が顯進様に祝祷権を許可された経緯がないからだ」と言う。しかし、そもそもこちらが顯進様(家庭)にその権限が「ある」と主張してきた根拠は、どこまでも「原理観・摂理観」によるものであって、「お父様の許可」の有無ではなかった。

顯進様においても、「お父様がこう言われた、ああ言われた」という断片的な御言をもって、ご自分の祝祷権を主張されたことなどない。どこまでも原理と摂理の観点から、まず神の御旨の前に正しく立ち、神中心の家庭理想を築くこと、カインの前にアベルとして立ち、長子圏を復帰することを価値視され、天の前にそうした基準を打ち立てられた上で初めて、お父様の伝統を受け継ぎ、人類に祝福を広げる使命を引き継いでいくことを明らかにされたのである。

祝福の権限とは本来、教会が与えるものでも、誰かが人為的な手続きをもって認定するものでもなく、ただ、天が原理的基準をもって授けるものなのではないだろうか?こちらが前回の反論で、お父様の御言を引用したのは、あくまで「御言の根拠がない」と言い張る教理研究院に対し、その主張の誤りを指摘するためであった。

二世が父母様に代わって祝福してあげることのできる時代に入るのです…(中略)…顕進君が地上世界の皆さんを祝福してあげることもできるのです」(2000年9月24日)

何もこの御言が「顯進様に祝祷権を公式的に許可するものであった」などと論じているのではない。また、実際、そうだとも思っていない。ただ、この御言を見る限り、少なくとも、お父様が祝福の権限に対して、「どのような認識をもっておられたか」は分かるだろう。即ち、お父様は祝福の権限を「息子たちに受け継がせよう」としておられたのであって、決して、教理研究院が主張しているように、その権限を「父母様だけに留めよう」としておられたとは到底考えられないだろう。


お母様に祝祷権はあるのか?

それでも尚、教理研究院は 「顯進様に父母様が祝福式の主礼を命じられたことは一度もない」ため、「引用した御言だけでは(顯進様に祝祷権があると言うには)説明不足である」と言う。そこまで言うのであれば、逆にあなた方に問いたい。そもそも「お母様がお一人で祝福を行う」ことをお父様が公式的に許可した経緯があったのだろうか、と。お父様がご自分の聖和後 に「お母様がお一人で祝福を与え続けることもできる」という旨の御言を、たったの一度でも語られたことがあっただろうか? 或いは、一度でもお母様に祝福式の祝祷を任されたことがあっただろうか?

かつて2008年、お父様は当時世界会長であった七男様ご夫妻に、公式的に祝福式の主礼を任されたことがあった。なぜか2009年以降、再びご夫妻をその立場に立てることこそなさらなかったが、それでも、このことは「ご子息(夫婦)が公式的に祝福式を執り行うことができる」ことをはっきり示した例であったと言える。

しかし、その一方で、お母様お一人に祝福式の主礼を任されたことは一度としてない。講演会などでお母様にお父様の御言の代読を任されたことは多々あるが、祝福式の祝祷をお母様が代行されたケースを我々は知らない。もし父母様が一体化しており、一方だけで両者を代表し得る立場であったなら、また、お父様がご自身の聖和後、暫定的にでも、お母様お一人に祝福式の主礼を任される意向があったなら、予めそうしたケースを示してくださっても良かったのではないだろうか?

私は何も、「お父様がお母様お一人に主礼を命じられたことがない」という事実をもって、「だからお母様に祝福の祝祷権はない」などと幼稚な主張をするつもりはない。ただ、「お父様が顯進様に祝福式の主礼を命じられたことがない」ということをもって、「だから顯進様に祝福の権限はないのだ」と主張するのであれば、それは「お母様とて同じことである」という点を明確にしておきたいと思う。


生命の木=愛と生命と血統の種

今、「お母様に祝福の祝祷権がない」と考えるのは、もっと根本的な原理観によるものである。祝福式が「真の家庭」に結実した「神の真の愛と生命と血統を伝授する式」であることは前回述べた通りである。お父様が真の家庭を「生命の木」「真のオリーブの木」と表現されたのは、それが神の愛と生命と血統の種となるからである。しかし、教理研究院が言うように、愛と生命と血統を「授ける主体」は、子女ではなく「父母」であろう。お父様が「真の父母」を指して「真のオリーブの木」と言われたのも、そうした理由であると言える。

しかし、さらに踏み込み、「真の父」と「真の母」、アダムとエバのうち、どちらが愛と生命と血統を授ける「主体」であるかを問うなら、それは原理と御言を基準とする限り、明白に「アダム」だと言わざるを得ない。このことは「生命の木」が一義的に「本然のアダム」を指すことからも分かるだろう。

「エデンの園に二つの木があったといいます。一つは善悪の実の木(善悪を知る木:訳者)であり、一つは生命の木ですが、生命の木は完成した男性を言います。完成した真なる愛の種本然の種をもった男性を言うのです。善悪の実は何か?真の愛を中心として完成したアダムの真なる種を受けることができる相対的な女性を言うのです。」(1993年02月28日 『救世主と成約時代』)

「善悪の実とは何か?善なる相手を迎えれば善なる種を結び、悪なる相手を迎えれば悪なる種を結ぶというのです。…(中略)…王の妻になれば王子を生むのであり、マフィアの妻になれば、マフィアの息子娘を生み、サタンとペアになればサタンの息子娘を生むのです。善悪の結果を作ることができる根源が善悪の実だというのです。」(1999年11月07日 『天城王臨宮殿 奉献式』)


神の血統の種をもつ者

お父様は幾度も「男性は種、女性は畑」だと語られた。それは当然、生物学的な意味ではないだろう。愛も生命も血統も皆、「女性」を通して初めて結実するものであるが、原理的に見る時、愛と生命と血統という果実の「種(しゅ)」―それが善の実となるか悪の実となるか―を決定づける「種(たね)」は男性だというのが、お父様の教えであった。言い換えれば、愛と生命と血統を代表する立場が男性であり、女性は男性のもつ愛と生命と血統の種を受ける相対的立場とされたのである。原理が男性を「主体」と教える理由もここにある。

「男は神様を象徴するのです。神様の生命の種を持っています、生命の種。女性が生命の種を持っていますか?誰が生命の種を持っていますか?男だというのです。だから、生命を中心として繁殖するのは、神様の位置を代身したものです。絶対的に一つです。それで男性が主体だというのです。」(1993年08月01日 『還国のために』)

原理は男女が互いのために存在することを教え、両者は相互補完の関係にあって、等しい価値をもつものとされた。しかし同時に、男性が「主体」であるとされた理由は、 男性が「愛と生命と血統の種をもつ存在」であり、その「種を授ける主体的立場」にあるからである。

祝福式が神の愛と生命と血統の伝授式であるなら、これを執り行う主体は「男性」だろうか、「女性」だろうか?原理的に見れば、答えは明白である。愛・生命・血統は、実際には「母」の胎中に結実し、「子女」の生命として結実するものであるにもかかわらず、原理が「アダム」を生命の木と記し、「すべての人をして彼に接がしめ、一つとなるようにしなければならない」と記したのは、アダムが愛と生命と血統の「種」をもち、それを人々に授ける主体だからである。それが祝福式の祝祷を「男性」が行わなければならない理由であろう。

今一度、あなた方に問う。お父様が地上におられない今、祝福の祝祷権をもつのは誰か?「父」が残した愛と生命と血統の種は、今、誰に受け継がれ、誰がそれを人々に受け継がせる主体的立場に立ち得るのだろうか? 原理と御言の観点から見る時、それは「未来の父」となる「息子」に他ならない。彼が相対者と共に家庭的基台を備え、夫婦となり父母となって、全人類に神の愛と生命と血統を伝授していく主体とならなければならないだろう。

血筋で残るのは父子が残るのです。母は畑です。種は畑だけあれば、どこに植えても実るのです。父子関係は血統が連結されているのです。(中略)アダムだけいれば、母エバは創造することができるでしょう?アダムの息子が堕落しない血統にだけなれば、女性はいくらでも探して来ることができるのです。」(2000年3月6日『父子協助 復帰時代』)


さいごに

人類に神の愛と生命と血統を接ぐ者は誰か―。祝福が人々を「神の真の息子・娘」に立ち返らせる唯一の道であり、「霊的生命」のかかった問題であるなら、また、6000年にわたる神の復帰歴史と未来に続く神の摂理的願いがかけられた課題であるなら、我々はつまらない組織闘争や教義論争を越え、神の原理と摂理の前に厳粛な思いと姿勢とをもって、この問題と向き合わなければならないだろう。

最後に、このシリーズを終えるに当たり、かつて顯進様が涙ながらに祈られた祈祷文をもって締め括りたいと思う。

父様私たちあなたの息子・娘になること以外の、価値のない諸々のことてをてさせてください。あなたの息子・娘としてち上がるために、私たち高潔さと神聖さをえ得るものだけをんで行けるようにしてさい。(中略)父様あなたのはまだんでいません。あなたの主権はまだえていません。そして、この一握りのでもあるり、あなたのみあなたのみ(涙)あなたのみげられるでしょう。


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