(こんにちは。大地といいます。私も「善きサマリア人」さんに続いてONE TRUTH有志の会の公式ブログで記事を書かせていただくことになりました。よろしくお願いします。)

どんなに「聖会」と言い換えてみたところで、天の父母様聖会は「教団」であると言わなければなりません。名付け主であるお母様ご自身が当初「教団」と名付けたのですから、お母様が目指しておられる方向性は「教団」なのです。

さて今回は、教団の中で人気だという『ほぼ5分でわかる統一原理』という講義シリーズについてです。

講師を務めるのは千葉中央修練所の所長であり元CARP会長のO氏。かつてCARPの中では有名人でしたが、いまや教団内で全国にひろく知られる存在となりました。

ちなみにO氏の『ほぼ5原理』の中でのキャッチフレーズは「皆さんの心に寄り添う永遠の青年!」・・・。日本には言論の自由がありますので、ここは目をつぶっておきます。

真のお父様はメシヤの使命を失敗した?

先日『ほぼ5原理』は150回で最終回を迎えたというので、第148~150回の再臨論をどのように講義しているのか、関心を持って確認してみました。

確認して感じたのは、タイトルにあるように「天の悲しみ」です。

なぜならこの講義は真のお父様の生涯を、メシヤの使命を失敗したものとして描いてしまっているからです。しかしO氏もこれを学ぶ教団の人々も恐らくそのことに気がついていないということが悲しいのです。

語られなくなった「真の家庭」

シンプルに説明します。

メシヤの使命とは何でしょうか?それはアダム家庭の失敗を復帰し、真の家庭を実現することです。

ではなぜ真の家庭が必要なのでしょうか?

モデルとしての真の家庭が確立されてこそ、祝福家庭がその姿に倣って理想家庭を実現し、地上天国を実現していくことができるからです。

真の血統を通じて、真のお父様の聖和後も、子女様やお孫様がお父様と同等かそれ以上の人物として成長され、世代を超えて地上における中心人物として神の摂理を担っていく、その縦的な軸が確立されるからです。

以上の基本的な原理は祝福家庭が毎日「四大心情圏と三大王権と皇族圏」と唱えている誓いの中に凝縮されています。

したがってメシヤ一人では意味がありません。メシヤが来られる目的は真の父母です。しかし真の父母で終わったら意味がありません。その目的は真の家庭にあるからです。

しかし『ほぼ5原理』再臨論でお父様の業績を紹介する際、O氏は真の父母の目的である真の家庭(あるいは子女様)に一切言及していません。

O氏はお父様の業績を、①宗教②思想③文化④経済⑤政治⑥言論などの各分野を例に挙げて説明しています。そしてその後、最も力を入れてきたものとして原罪を清算するための祝福結婚を紹介しただけです。

もしもここで真の家庭の素晴らしい姿が紹介され、お父様同様かそれ以上に素晴らしい子女様・お孫様の姿が紹介されていれば、それこそお父様がメシヤであられた何よりの証拠となることでしょう。

教団の中では現在、「真の家庭」という言葉をどれくらい聞くことができるでしょうか。お父様が平和神経の中であれほど強調された「モデル平和理想家庭」としての真の家庭という概念はすっかり失われ、口にしにくいものになってしまっているのではないでしょうか。

真のお父様の生涯の業績を語る際に「真の家庭」に言及しない・できないのだとしたら、それはお父様がメシヤの使命を失敗したと言っているに等しいのです。

しかし冒頭で述べたとおり、教団内では誰もそのことに気がついていないでしょう。環境とは恐ろしいものです。

教団はキリスト教と変らない道を歩んでいくのか

祝福家庭の皆さん、理性的に、そして正直に考えていただきたいのです。

キリスト教が2000年経って救いが成就されていないことに気づくしかないように、教団は将来、お父様もお母様も霊界に逝かれた後で、真の家庭がなければ救いが成就されていないことに気が付かざるを得ないでしょう。

そして霊界のイエス様を神格化して信仰してきたキリスト教と何ら変わりない自らの姿に気が付かざるを得なくなるはずです。

真の家庭という軸とモデルのない祝福に意味がありますか?

O氏の講義で説明されたお父様の業績に対する見方が、教団の祝福家庭全体の信仰観を代表したものだと納得するとすれば、それはお父様はメシヤとしての核心的な使命を失敗されたという風に信じていることになるのです。

教団から失われた「真の家庭理想」

多くの真の子女様が試練の中で傷つき、お父様が真の家庭を真の家庭らしく立てることに大変なご苦労をされたのは事実です。

しかしそれでもお父様の生涯最大の業績は、その真の家庭の基準を守って立てられた子女様が、たった一人いらっしゃり、その基準が世代を超えて引き継がれていくということなのです。

現在その方は教団の外にいます。教団はその方とその家庭から自らを切り離してしまいました。もしも教団自らが摂理の中心にいると主張するならば、摂理の目的である真の家庭理想について語れなければならず、それを信じることができなければならないのです。

統一家が抱いてきた「希望」は失われていない!

60年代から80年代にかけて、まだ子女様達が少年少女だった時代を経験した方々は、真の家庭の未来にどのような希望を抱いたでしょうか?

子女様が立派に成長され、まるでお父様が何人もいらっしゃるかのように、協力してみ旨を進めるという未来の希望を持たなかったでしょうか?

その未来に対する希望は、原理からして至極当然の希望です。

ところが今、教団の中に、お母様がされることの中に、そのような希望を見出すことができるでしょうか?どんなに組織を立ち上げ、行事を行ったとしても、真の家庭がなければ何になるでしょうか?

私が強調したいのは、そのような希望、真の家庭理想は、教団が自ら追い出してしまった顯進様と、顯進様の家庭と共に今も生きているということです。

顯進様は今も、お母様について語る度に涙を流されます。何も変わっておられません。むしろお父様の聖和以降、急激に変わったのは教団です。

誰が摂理を守り、誰が摂理から外れていったのでしょうか?

「もう一度、『真の家庭理想』を取り戻し、その中に生きたい」という方は、いつでも連絡をください。

そして顯進様がどのような家庭を築かれ、何をしておられるのかを知ってください。ご長男は既に30歳を越え二人のお子様をお持ちです。あなたは「真の家庭」がここに受け継がれ、神の摂理は脈々と継続されているという事実の前に涙を流されるに違いありません。

扉はいつも開かれていますが、いつまでもではないかもしれません。

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カテゴリー: 原理的観点意見

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