「今や先生がいなくてもお母様だけいても、み旨に何の支障もないのです。…それゆえ、先生が一人でいても父母様の代身であり、お母様が一人でいても父母様の代身です。…それで先生が第一教主、その次にはお母様が第二教主だというのです(真のお父様 1990.3.27)

このみ言葉は、教団(天の父母様聖会)が、お母様に従っていくことの正統性の根拠にしているものです。

思い出すファミレスでの議論

私(大地)がまだCARPに在籍していた頃、責任者であったM氏(今も責任者)と「第二教主」についてファミレスで議論したことがあります。

大地「父子協助時代においては長子がお父様の継代を引継ぎ、長子が中心人物になっていかなければならないのに、なぜお母様が前面に立つ必要があるのですか?お母様ご自身ではなく、子女様を立てることが、お母様の勝利になるのではないですか?」

M氏「お母様が第二教主だと、お父様も語られたことがあるよね」

大地「第二教主…。お父様は教団を作るために来られた訳ではないのに、第二教主とは、お母様にとってずいぶん不名誉なタイトルではないですか?」

M氏「・・・」

このような会話だったと記憶しています。M氏が個人として本当のところはどう考えていたのか分かりません。

当時私は一人の信仰人としての疑問をぶつけていましたが、M氏は上司(組織人)として対応し、教科書通りの教理研究院の見解がとっさに口をついて出たのかも知れません。

「教主」という言葉は原理のどこにもない

私がM氏との議論を思い出したのは、郭錠煥先生のインタビュー動画がきっかけです。郭先生はその中で、お父様がお母様に対して「第二教主」と表現された意味や背景について、非常に明確に解説されていました。

郭先生の解説については直接動画や記事を参照することをお勧めしますが、私が最も納得したのは次の内容です。

郭先生のインタビュー動画へ

「お父様はこの地に教団をつくり、教派をつくり、宗教団体をつくる為に来たのではないということを何度も明言されました。〈中略〉摂理の中心核であり核の中でも核である、アダム・第2アダム・第3アダム、こういう全ての中心の中の中心人物の縦的な継承、継代を続けていく問題は全て、神様の真の愛・真の生命・真の血統と関連づけて説明されるべきであり、それ以外には関連がありません。四位基台や三大王権、皇族圏など、さらには子女権・父母権・王権などは、全てこの中心核の中の核と関連することが最も中心になります。このような点で見ると第2の教主といった言葉は、〈中略〉基本の神様の創造理想と合う言葉ではありません。

郭先生によればお父様はお母様に対して「第二教主」という表現を80年代にもされたことがあったということです。

それは80年代にはダンベリー、90年代には金日成主席との会談など、緊迫した道を歩まれていたお父様が、極端な事態(命を落とすような万が一の事態)に備えて語られた言葉であったということです。

そのような観点で見れば、「第二教主」という言葉を地上における摂理の継承に関する言葉だと捉えるのは間違っていると明確に分かります。

考えてみれば、本然の世界のどこに「教主」が存在できるでしょうか?

そして摂理の継承に関しては、90年代の母子協助時代、2000年以降の父子協助時代という言葉を見ても分かるように、母子協助にしても父子協助にしても、結局は長子を立てて摂理を継承していくのが、神の摂理の軸であるという結論なのです。

子女は未来を代表する王

では、母子協助時代と父子協助時代に関するみ言葉を、それぞれ見てみましょう。

女の時代は7年間です。女の全権時代は2000年までです。先生は、今から70年代、80年代までの7年間が残っているのです。1945年から1952年までの7年間で全てをまとめようとしたことが、今残って延長されているので、それを再び蕩減復帰して、完全な地上天上天国の成立が可能な時代に入りました。」(真の私を探しましょう 1993.12.19)

郭錠煥!(はい) なぜ母子協助時代から父子協助時代となるのか?話してみなさい。<中略> 国家時代を超えて、アボジを中心に連結された時、オモニではありません。これで一つになると、オモニは長子に任せるので父子協助時代に移るのです。父子協助時代になると、ここで全て終わるのです。分かるでしょう?(はい)」(新千年天国完成は祖国光復から 2000.1.5)

上のみ言葉で、2000年当時、真のお父様はわざわざ郭先生を指名して、母子協助時代が終わり父子協助時代に移行するという意味と必要性を説明させています。

そして郭先生は今も、インタビューの中で同じ原理を説明しているだけです。

その一方で、お父様のみ言葉に、これほどお母様が引っ掛かるようになるとは、当時、誰が考えていたでしょうか。

一般的に、親になれば誰しも、自分の子女には自分以上に立派に成長して欲しいと願うものであり、自分が老いていつか霊界に逝くとしても、子女や孫を通して未来への希望が続いて行くものです。

私たちは家庭盟誓の中で毎日「三大王権」を唱えています。祖父母は過去の王、父母は現在の王、子女は未来の王ということです。

真の父母一代で終わるのではなく、真の子女を立てることで神様が地上に永存される基盤が築かれるのです。

ですから上記のみ言葉で真のお父様は長子を未来の王として立てようとされています。これは天の摂理の必然的な流れです。それに対してお母様は今、どうしようとされているでしょうか?

「独生女」を強調されますか?「長子」を強調されますか?

三大王権の中で、子女は未来を代表する王であるとお父様が語られたように、長子を立てることこそが、お母様が勝利される唯一の道なのです。

お母様は文字通り「教主」になられた

教団の指導者たちは、お父様がお母様を「第二教主」と言われたことを根拠として、お母様と絶対的に一つになることを強調してきました。

そしてお母様もその自叙伝の中で「第二教主」に触れながらご自身の正統性を高めようとされているようです。

今年4月、お母様は本当に世界平和統一家庭連合の名称を「天の父母様教団」へと変更されました。

ところが多くの反対にあったのでしょう。5月には「天の父母様聖会」へとさらに変更。

しかし本質が「教団」であることに変わりはありません。

天(神様・真のお父様)は宗教の時代を乗り越え家庭時代の到来を目指しているのに、お母様は教団を指向しておられます。宗教団体を通しての歩みは時代的・摂理的に有効期限が切れているにも関わらずです。

「第二教主」・・・。お父様が当時、一時的な方便として語られたこの言葉を振りかざし、教権勢力がお母様を頂点とする体制と既得権を守ろうとした結果、彼らはお母様を本当に「教主」にしてしまったのです。

「真の母」と「教主」は同時に成り立つ言葉ではありません。

なぜなら真の父母は宗教の枠組みを越えた人類一家族世界実現のために来られなければならないからです。故にお父様は統一教会を廃し、家庭連合を創設されたのではありませんか?お父様の業績を「教団」と言う狭い箱の中に封じ込めてはいけないのです。

真の母ともあろうお方が、ここへ来て教団を作り「教主」と呼ばれるとは・・・。摂理から見て実に不名誉な呼び名です。

天地の泣き叫ぶ声が聞こえてくるようです。

「第二教主」とは何とも悲しい響きではありませんか。

カテゴリー: 原理的観点

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