信仰が長くなると、なぜこの道を選んだのかという初心を忘れがちです。
一世であれ二世であれ、再臨主を受け入れ祝福を受けることは人生の大きな決断でした。
しかし祝福は長い道のりの出発に過ぎず、地上生活を終えて霊界に行くまでどのように生きるかという、それぞれの責任分担があります。
よく食口が好んで使う、「一つになろう!」というスローガン。
「一つになる」に込められた本来の意義について、考えてみました。


日本食口は、「一つになる」という言葉が大好きです。
現場でスローガンのように掲げられたのが、「勝利された真の父母と一つになれば不可能はない」でした。
アボジはダンベリー収監以降入国できなかったので、「真の父母の代身」である責任者と一つになるように指導されました。

「位置に侍る」という不思議な伝統は日本独特のもので、人物として問題のある責任者でも命令一下、全食口が従うのです。
責任者に求められる資質はただ一つ、躊躇なく食口から献金を取り立てる集金能力のみ。
それさえあれば誰でも務まるのが、「位置のアベル」というものでした。

カインアベルの蕩減復帰が組織運営に適用されたのが、日本の間違いです。
甚しくは周藤先生までもが、信仰講座で「組織のカインアベルを勝利する方法」を講義された程でした。
言行一致の周藤先生は、三位基台の神山先生が膵臓癌で聖和されたときですら、「本部の意向」に従い聖和式不参加でした。


八大教材を訓読していると、時折こんなみ言葉を発見します。

今までの道人(修道者)たちは、何を中心として生活してきたでしょうか。イエス様も、かわいそうな人です。夜も昼も神様のみ旨のみを抱き、自分の意志はありません。神様のみ旨の前に絶対服従でした。絶対服従!なぜ絶対服従したのでしょうか。絶対的な主体、円形的な主体がいるのにもかかわらず、もう一つの三角形的な主体の圏を成したのがサタンなので、そのサタンを除去するためにそうしたのです。今日、人間は、サタン圏内に隷属されています。サタン圏内に隷属されている人間を脱出させるためには、サタンが最も嫌う道を行かなければなりません。(1972.5.29)

先生は今まで、「お前たち、先生の言葉に絶対服従しろ」と、そう言わなかったのです。私たちは、歴史的な路程に順応していかなければなりません。歴史的な路程とは何かというと、神様のための摂理的な歴史路程です。今まで皆さんに、復帰摂理路程を教えたのは、統一教会の文先生のためではないのです。
ですから先生も行くのです。主体となり得る神様の目的に向かって、相対となり得る人類の目的に向かっていくのです。その目的を一点で結末をつけることができなかったので、これに結末をつけようとするのが、今日、この時代に統一教会が主張する「統一原理」であり、「統一思想」だということを知らなければなりません。(1974.4.28)


家庭盟誓の中に出てくる絶対服従という言葉は、絶対君主への盲目的な追従を意味するのではありません。
イエス様も再臨主も、教えを実践する人たちに奴隷のような服従を要求はしませんでした。
それどころかメシア自身、摂理的な歴史路程という「道」に服従していたのであって、放棄する自由はなかったことが分かります。

「位置のアベル」に侍るようさんざん訓練された私は、長い間このことに気付けませんでした。
服従するのはメシアではなく、「メシアが歩まれる道」だということに。

我々も真の父母の路程を歩むのです。そのようになっているのです。同じです。「私」もこれから根を下ろし、幹になって、枝を伸ばし、花を咲かせ、実を結ぶのです。すべてが同じです。これは、我々もこれから真の父母になるということです。これからそのようになるというのです。
ですから、我々はどれほど誇らしい人たちでしょう!門を開いて出ていき、「ここを見なさい。ここに今、登場しているのがどれほど驚くべき主人か!」と叫んでみなさい。気分がいいのです。すべての動物たちも同じです。霊界でも、「あなたはメシヤであられたイエス様のように、真の愛を中心とした救世主だ。あなたが行く先々で、そこにいるすべての人たちが救われるだろう」と言うのです。(1990.5.27)

皆さんは、地方に出て真の父母の基盤を築かなければなりません。真の父母は天の基盤を築かなければなりません。神様は、真の父母より先に真の父母の行くべき道を築かれ、真の父母は皆さんが行くべき道を築くのです。それゆえ、皆さんは、真の父母に従っていけばいいのです。・・・自分が行く道の前に、自分のために真の父母が行かれ、その真の父母の前に神様が自分のために行っていらっしゃいます。神様の苦労と、真の父母の苦労は、死でも、どのようなものをもってしても返すことができない苦労です。そのような負債を負っていくというのです。(1964.4.12)


前後のみ言葉をじっくり読めば分かりますが、ここでは真の父母やその代身に盲従することを奨励しているのではありません。
太字で強調した最後の箇所は、真の父母(が築かれた道)に従っていけばいいのです。とカッコ付きで補足すべきだと思います。
その道がたとえ険しい茨の道だとしても、実践する本人も周囲の人も幸せになれるからこそ、「どのようなものをもってしても返すことができない(神様と真の父母様の)苦労」だと感謝するのではないでしょうか。

苦労が目的化し、「罪深い日本人は幸せになる資格などない」と契約書に勝手に書き加えた日本食口はわざわいです。
私たちは宗教的な権威に盲従することで、ご褒美として天国に入れてもらえるのではありません。
メシアが命がけで敷いたみ旨の道に服従して、自らの能力と責任で天国を建設することを目指していたはずです。

カテゴリー: 原理的観点意見

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