物理金振春苑長の

いわゆるのお父解放」の為の特別講義の主要問題点

文史福 (Moon Sa-bok)

2022.5.3

著者紹介
著者は祝福家庭であり、十年間、のお父のみ言葉と理史を究し、講義及び執筆活動をしてきました。この分野では秀逸な威が認められてきた者です

目次

始め

1.のお父原罪血統観の問題

2.独生子再臨・独生女初臨点の問題

3.お母様上位位認識の問題

4.のお父行跡を非原理的尻尾(行為)と規定した問題

終わりに

始めに

20224月、に最も恥辱的な一つの場面としてされる酷な事件が生した。お母様の直接指示と主管により、419日から20日まで天苑教会殿で進行された世界指導者特別において明らかにされ金振春天学術苑長の8つの講義特別講義である。のお父を解放しようという趣旨で進められた今回の講義の衝影響が全世界公職者と食口たち一挙にり、憤怒と慨嘆の至るところから起こっている

今回特別講義は事前に全育プログラム公開され、今回世界主要指導者たちが集まったで本格的に行われた。金振春苑長の講義をモニタリングされたお母様、金苑長「もっと行け!激励され直ちにと日本巡回講義も指示された。金苑長はこれに刺激を受けて、ながらのショまでしながら、さらに大き熱弁を振るった

彼はのお父が生前に行った全て理的行跡を「非原理的尻尾(行為)」として一括規定し、ためらうことなく非難した。に精神異常レベルの妄言を白堂々と隠すことなく吐き出した。

これによる否定的影響取り返しのつかない事態に及ぶことを憂慮した統一家核心指導者たちは天正宮にけ付けて、お母様に今回の講義の即時中を要請した。のせいで、辛うじてと日本巡回日程は取り消されたと伝えられているしかし、そうしたところで、もはや「覆水盆に返らず」だ

何より世界の食口たちわった衝的な問題はのお父生前ののお父理的行跡にするお母様の否定的認識と態度にあった。その弊害の程度があまりにも深刻であったため、主要指導者たちはお母様認知症なったと非常体制に入るべきだという意見が沸き上がったとえられている

そこで止む無く、金振春苑長の問題の講義の主要論点の幾つかについてその非原理的理的内容を確認すると同時にのお父のみ言葉に明示された本然の正しい意味を詳しく考察してみたいと思う

1. のお父原罪血統観の問題

金振春苑長のお父は柳順烈士の三・一独立運動土台上で懐妊して誕生したというが正にその時点からメシヤとしてしたという容を一も見たことがない断言し

て「16に天聞いて、イエスとの交感を通じて公的な路程を出したという容は物凄多いけれども、生誕からメシヤの使命を持って出したという容は未だに見たことがない語ったが、はたしてそれは真実だろうか

のお父のみ言葉のから幾つか調べてみると、以下のとおりである。

闇の育ってた神です。万物の基本る所から展してた神です。その神様を知って私は侍ってきました。落の血統と係なく侍りました。私が32祈ると、声が聞こえてきて、やあ、あなたはこういうことをしてはいけない。お母さん、お父さん、お爺さんお婆さんの言うことを聞いてはいけないと言ったのです

多くの予言をしました。私はそういうが嫌いなのですが、声が聞こえてくるのです。遠い所から聞こえてくる雷鳴が人の話し聞こえるのです。私がこのようにして昔話したことが、今日になってみると合っているなので、その時の異常な話思わないでるべきだということを、あなたが知っていたということを覚えておいてくれと言って、知らなかったと言うなというです。あなたが話した全ては必ず合っているが、正しい主人は一しかない。あなたがその主人になるというのです。先生がメシヤになるということを34時から知っていました

裁が不思議なのは、幼少の頃からメシヤだと言ったということです。神様降りてきて無形の光のような態で現れ、そこで私が『どこに行かれるのか尋ねると、『私はの最後の宴訪ねて行くと、私の前にて座ります。驚いたことに太陽のように飛んできて…月のように飛んできて、幾多の星が現れてはなぜこうしなければならないのか』と言うと、『あなたが主人ですというのです。人類の祖先だというです

16以前、2~3歳3~4時からあったのお父神秘的な神する内容である。金苑長とってのようなみ言葉はどういう意味を持つ

例えば、人間の父母において、母親は腹中と一定の心理情交流を持、赤ん坊とも生まれつきの心情のによって愛着を形成し、充分な意思疎通をするようになる。5以前における養育者との係形成可否が生涯の性格形成に影響を及ぼ

のお父の胎期と幼少年期における根本の父母であられとの心情係と交流は、それよりもはるかに直接的で、神秘的な次元あった。誕生以前から極めて多彩で力な天の愛の光エネルギ様々な神秘的現象を起こし、に臨んでいたのである。

そのようにのお父の父子間直接的交流23歳頃からあったこれは誕生時から天の血統」であるか否かを論ずる理由すらないことを示す事例だ。

ういう意味で金苑長、み言葉解に深刻な欠があように見えるのお父は柳順烈士の三・一独立運動土台上で懐妊し誕生したというが、正にその時点からメシヤとしてしたという容を一回も見たことがないという言葉極めて軽率なと言えよう次のみ言葉さらに深く注目しもらいたい

191931日はが日から立するに万運動を起こすことによって多くの人々になった日です。なぜ31日にそういう事件が起こったの私がこの期間に懐妊し生誕しなければならないからです。の時から10ヵ月後であれば1920正月です。それゆえ件的なでも探し出し主様が生まれなくてはならないけれども、件的なもなければ来られる主様が天中に浮いてしまうので、天はそういう役事をしたです。一人が出て来るのに多くの血を流さなければなりません。それで1919凶年となり、ういう良くないことが起こったです。理はそうして来るのです

16した柳順烈士は落していないエバと同じ立場でした。アダムにおけるエバとじだということです。エバの立場にあった柳順烈士の体をサタン立場である日6つに切り裂いてしまいました。6はサタンです。順烈士は家に忠誠をくすに一身をながら運動をしたです。立万運動最中だった1919年に私は腹中にました。してない地で生まれることができないので、ういう争いが私の生命を中心として起こったのです。の時から10ヵ月1920年に生まれました

金苑長のお父天の血統を持って生まれたという段落が17ヵ所天の血統を持たずに生まれたという段落が21ヵ所もあり、物凄くを受けて信仰が全て崩れたと思った率直な自己告白をしている60及ぶ原罪に関する、また血統に関するみ言葉全て準備しましたが、その容の面性をめぐって信仰的に動揺した」とし、それがお父み言葉なので、どうしたらいいか」いうの心境を吐露した。今回の講義の全般的なから見て、その時、金苑長のお父する根本信仰が完全に崩れ思われる勿論、そ以前にものお父する信仰というものがあったかどうかさえも疑問である。

物理者としてみ言葉を最も分析的に究したという言葉を何度も繰り返しながら出した結果は、み言葉の段落数えて秤にかけた、極めて痛ましく気の毒な境遇である。そういう結果から見て「天の血統ではないというみ言葉の方より多いことを見ると、それはであるが、のお父原罪を持って生まれた言おうとするのだ

ところで次のみ言葉の例を見てみよう。

皆さんが先生も落した血統があると言うなら、それ以上の恥辱はありません霊界の人がて皆さんに気合を入れます。あなたは生きていて、先生をそのようにしか分からないのかというのです

あなたたちは先生原罪があるかないかと言うことできません。神様が原罪ある先生を使うでしょうか。16までアダム・エバと血統が違っていません。なぜ16を重要視するですか16までは落していません。その代をつないでいるのです。その前まで掘り下げていって、先生原罪があるかかということを自分たち決定することができますか無駄なことをしています。私がそういうことを考えずに、ここでの役割をして血統正すなどと言えるでしょうか。私は幼時からえてくれました

16になる時までは本然のアダムの体です。の、神様全てを相続することができる本然的な、落していない完成に向かう男でした

2千年前イエスの場合、誕生と共に独生子メシヤとし生まれたので、3人の東方博士が礼物を持ってその聖誕を慶祝する等の事例があった。それと類似した事件がのお父の場合16以前に相次いで起こった。即ち天からの通知とからの証が現れた。次のみ言葉再び見てみよう

先生が10もなっていなかった頃、70~80歳の人が敬拝します。どこかを歩いていると、私が調べ事があってていた市場でうと、敬拝するのです。なぜお爺さんのような人がりすがりの少年のような私にこのように道を塞いで敬拝するとはですかなぜそうするのですと尋ねると、自分を育しているというです。20年前、30年前から、ある人が大人として私をしてきたのですが、その育した人の言葉と顔付きが全く同じなので、おかしな話ですが、先生として侍ってきたので挨拶しないでいられますかと言うのです。そういうことが分かりますか

先生の史は不思議なことが多いです。私が生まれる時もそうでありあらゆる兆候が本に多かったのですが、私が10を超えるようになると、山に行って精誠捧げる僧侶たち、金剛山を訪ねて行く僧侶たち私たちの町に寄って私に挨拶すると言って訪ねてました。挨拶すると言うので、をかかせると、私が子供なのにこのようにすれば行く道を妨げると、出来の悪い挨拶けないと逃げ回っていたことを思い出します

それでは金苑長が提示したその21ヵ所のみ言葉の段落中にのお父私は原罪を持ってと直接明らかにした言葉原文はいくつあるのか、基本的にそれに相する原文を直接挙げて、講者たち詳しく考察するるべきなのに、量的なすることによって、まるでそれが事であるようにあざむいたたしてのお父は、自ら原罪を持ってたと語られたのか。

金苑長の主張とは違い、事のお父が自分の血統的根源にして言及した多くのみ言葉を幅調べてみると、それが原罪があるか、ないかという相反する点を提供する面性を持ったものではないことが分かるそれはのお父サタン血統即ち「原罪を持って生まれたという内容ではなく、現的に落した人間世界の血統の系譜にってその中で生まれるしかなかったことを調した言葉である。たとえの息子であるメシヤあって、天から落ちて来るのではな然と人の息子として生まれてなければならないからである。したがってイエス落した人の息子として生まれたので、蕩減路程行かざるを得ない。

『原理論』再臨論には、マタイ福音の冒頭を見ると、イエスの先祖に4人の淫女があることが分かる。これは万民の救い主は罪の血統を通じて罪のない人間としてられ血統の孫を救援されることを見せて下さる為であったと明らかにしている。

次のような言葉は、全てがそういう意味を持えである。

神様に蕩減が必要ありません落した私たち人間に必要なのです。愛での父母が出てきて、生命血統よって汚れた血統ですが、この汚れた血統自体は神様係を結ぶことができません。これを誰が蕩減するかというと、人間が蕩減しなければなりません。人間として来られてその主人となる、人間自体の主人としてる再臨もサタンの血統にってました。ザカリヤ家庭にイエスが生まれたこと…。イエスの先祖がメルキゼデクだ何だといったことを知らずにではありません。人の息子、落した人の息子として生まれたので、イエスも蕩減路程をて行かなければなりません受難を経て、克服しなければなりません

1アダム、2アダム、3アダム!…3代アダムと言っても、その根本生まれたいくら再臨あれメシあれ、落した血統を通じて落した女の体を借りて生まれ、預言者がいてあっても卵子と精子の種を分けて聖て生まれたです。それは神様の予定生まれなければなりませんメシヤという、ただそのままでメシヤになることできません。代の先祖が聖別されたにおいて精子の種、神様の精子、女の全て負債を全合わせて精子を育てることができて出産したです。卵子育てるのではないでしょう

のお父、生誕以後16になるまで創造本性を持ったの直系血統の息子として育った。本来、子として創ったアダムの因縁で生まれ16アダム落以前本性の代を受け継いで、その16に至っての直接的な下命を受けた。それ以後は自力の責任分担として成約時代に積もった蕩減件を算し、縦的横的8段階サタン血統世界を救援し、本然を探し立てて完全勝利に至る。

6千年摂理史3時代代表者としてこのような8段階を越える血統清めなくては、の本然血統を完全に連結することできない。天地の万民救援の使命を持ったメシヤ・真のお父とって、原罪とは人類的な次元四方八方伸び絡んでいる重くて手に余るである。のお父自体は原罪と係だ既に共有した縦的横的8段階まで全て解決こそ「ある、ない」と宣言できるに絡まった事案である。のお父メシヤとしてこの地に来られた究極の目的は全人類にご自身と同じ血統を接ぎ木しようとするところにある

次のみ言葉はこのような部分を悟らせる内容である

8段階を越えて行くことができる6千年の代表の血統清めなくて、どうして神様を身した血統を連結させることができますか原理を解もできない人先生が純血か、先生の血がうだ、こうだと‥‥

落した世界は血統が神様連結されることができません。メシヤ神様の血統として降臨する存在、の愛の血統を持った完成のモデル的な存在です。このようなモデルに人類を接ぎ木し同じを結ばせるのが最後の目標です

メシヤの血統問題、即ちのお父の血統問題には創造主である固有的責任分担領域と地上人間の横的責任分担領域が連携されている。神性的領域と人性的領域を併せ持ってるのである。たとえの予定の下されメシヤ再創造理を通じてサタンの讒訴と原罪が算された天の血統の王子が現れたとしても、サタンの讒訴と原罪を持った地上の現的な肉的血統基盤を通じて誕生するしかない。したがってういう落世界血統問題を将来メシヤ自身の責任分担として全て解決しなければならない。統一原理では責任分担95と人間責任分担5という比率で表示し、み言葉ではこれを973%として表示したりする。

いずれにせよのお父の血統問題にするみ言葉この2つの相的な領域の要件が、その時によって異なって調されているのである。したがってそれは相反と矛盾の問題としてアプローチすべき性質のものではなく、相互補完的責任分担の相関関として理解すべき事案である。たとえ相反と矛盾と思われる如何なる主題のみ言葉あってそれは大きフレにおいて一つの現象を多面的によって破する立体的なのである。

分量を先立たせてみ言葉の意味を恣意的に歪曲すること、これは高次元の物理者らしい仕業だというよりも、子供じみた未熟な算レベルだと言わざるを得ない今回の金苑長講義において終始目立つ特異点は、正に「ういった語は何回、ああいった語は何回」と、えることを誇るところにあった。み言葉分量に先立って、より深い心情的基盤から理的的次元を考慮して立体的からアプローチして分析する質的方法論が優先されなければならない。物理者なので、み言葉より洞察できるという自己アピルはこのような点で適切ではなかった。

み言葉は、本体から創出された創造理想のロゴスがその完成たるのお父に直接啓示され人類に贈物としてされた天な聖物と言る。それだけに、み言葉が含む主題と容の多性と立体性は、宇宙創造物が持つ多性と立体性の妙味をほぼ全て含んでいると言って過言ではないほどに深い境地にある。

それにも関わらず物理の金苑長のお父み言葉全ての主題が物凄い矛盾を抱えており、そのみ言葉されのお父で最も可哀想なと露骨に非難した。これはまるで植物動物・鉱人間は全て形が違うので互いに矛盾しており、牛全てが矛盾しているので、そのように創った創造主最も可哀想な語る、愚劣極まりない無知蒙昧な妄言と言わざるを得ないみ言葉の矛盾性を公開言する者がそのみ言葉を語られた事者を解放するとは、何と途方もない戯言であろうか。み言葉を口にする基本的な資格までも喪失した者の妄言は、そのみ言葉の感化によって新しい生命を得て一生を生きて行く大多食口とって、れほど酷い冒瀆であろう

金振春苑長からでも自分が吐き出した暴言をじっくり考えて痛烈な自己反省の自白書をすべきであるそして全ての公職から降りて、今後は深い省察の生涯を送って然るべきである

2. 独生子再臨独生女初臨点の問題

金振春苑長父母の理想が地上において初めて明らかになる事件が小羊の婚宴、その事件の意味明に非常に集中した。独生女の本質が小羊の婚宴の本質であり、それが真の父母様の家庭の本質であるとしながら、そういう容が明確になってこそ、我々の共同体が明確になると調する。今更そんなことを言わなくても、その重要性を知らない食口がどこにいる思って繰返し喚起するのだろうか

それは一言で言って「初臨の独生女」の確定に本音がある。のお父は再臨であり、お母様は初臨という命題固めだ。この点を先立たせて終始、のお父先立つお母様の優越性を調する。このような方式のアプローチ例えば孫までいるお祖母さんが夫死後に婚約し結婚した時代に遡って、の血統の来歴の優劣を分け、今更ながらにおうとする、不届き千万な事態と言わざるを得ない一体今になって何故、このような言いいに熱を上げるのか、理解し難い

のお父は今日の況を見通しておられたかのように、次のように語られたことがある。

血統父子の関係以外にはありませんさん!と言う時、血統が同じでなければなりません母親も私の血統だと言い、父親も私の血統だと言います何と、このは私ている。あの子はだから、の血統だと言います母親と父親が二人で愛して一つになって産んだのに、なぜ分けるのかというのです。それは破なのですそれは争いです。先祖になったら全垣根になって保護してあげようと考え良いのを保護しようとすべきなのに、なぜ自分のものにしようとするのですか。私のものだと言っても、自分のものがどこにありますか個人主義主張できる土台になっています。掘り下げてみれば父の精子、一つの分子です

それにも関わらず、問題の禍根である金苑長次のように述べた。

「お母様は初臨なので、天の血統であり、原罪がない。初臨なので承ではなく誕生から始まる。初臨は生まれる時から天の血統なので壊すことができない。お父み言葉によって6千年ぶりに初めて明かされて、独生女は初臨であられ理解できた。お父は再臨として、原罪しに誕生したというみ言葉がない。再臨とは、イエスの生涯路程を承する意味がある。お父の路程はイエスの誕生件をしてはならない。お母様はどうしてういう部分を知っておられるのか」

初臨の独生女・お母様天の血統であり、のお父は原罪があるイエスの基盤とその路程に依存しているので、それをすることができない」というのである。さらにお母様がどうしてういう深い容までご存なのかとても感動させられた」というながらのである。それではういうお母様点に同意され事者であるのお父み言葉の根はある

においてお母様は初臨の独生女はあり得ない2千年前イエス相対者が初臨したが、聖婚まで至ることができずに決裂た。独生子イエス30になるまで、相対者である独生女が地ていなかった、聖婚はいつ誰するのか初臨の独生女は用意されていたが、独生子うことができずにイエス初臨失敗し、代わり女性である聖霊を通じて役事した。初臨の独生子独生女が婚姻できなかったので、全て失敗した立場でとして再臨するのである。

のお父み言葉見てみよう

イエスは独生子だが、間違えて独生女を失くしたので、独生女を探さなければなりません。そうしようとすれば、母とつのが一つになってしなければなりませんガリラヤのカナの婚宴に行った時、母マリがイエスに「葡萄酒がないと言ったて、(イエスは)「婦人よ、あなた私と何の係わりがありますか」と言ったでしょう。それはどういうことか分かりますか親であれば、息子30歳を超えるまでに結婚できる準備をしなければならないのに、それもできずに、他人の婚宴て何をしているのかというのです。その話が本当かどうか、聖書を見ろというのです。その背後にこうした曲折の暗雲に覆われていたら、太陽が私の前に昇りますか。とんでもありません再創造過程がそうです。主体と象を設定したというです

独生子イエス父母の使命を成し遂げるには、独生女新婦として迎えなければならなかった。のお父は、兄立場で落したアダムとエバの立場を復するにはイエスの産みの、ザカリヤの娘、即ちヨハネの妹と聖婚しなければならなかったと語られたしかしザカリヤとエリサベが傍、異母兄である洗ヨハネがイエスの進路をさらに難しくした。されたエバの立場であるマリはヨセフと別しながら、地上天使長復を通じて本然エバであるイエスの新婦を探し立て、を立てるまで同行しなければならなかった。それゆえのお父ヨセフとザカリヤの両家が一つになって独生女を探し立てなければならない語られた独生女が出てくるにおいて、ザカリヤ家庭でその準備をしなければならなかった。ところが、そのような準備ができなかったため、イエスマリ対して無念な感情を吐露された。象者が誰であれ、初めから全く準備すらできなかったというは話にならない

さらに、最初に独生子独生女体創造理想の初臨理はアダムとエバの時であった。原理ではイエスは後アダム、その相対者は後のエバとしてると言っているが、それは即ちアダムとエバの再臨理を意味する密に見るとのお父お母様第3アダムとエバの降臨である。そのため誰が初臨であり、誰が再臨という差異分は何の根も意味もない論理の捏造である。

のお父次のように語られた

イエス何者と言えば、神様独生子です。本来神様を中心として人類の先祖アダムが独生子でしたが、アダムが落して死んでしまったので、再び探さなければならなかったです。それではエバは何かと言うと、独生女でした。このアダムとエバが思春期を過ぎて成熟し人生のを迎えるようになれば、神様が結婚させて下さったことでしょうところが、それができなかったのでキリストを中心として小羊の婚宴という名辞を立てたです

再臨主は、イエス時まで側が勝利した根本理の基盤上に創造理想を完成する本然子女としてる。イエスのように血統化する事前過程必要なしに、誕生からの創造本性を受けぎ、イエスが生まれて成長する時までの勝利的基盤上にまっすぐ立って成長される。そのためのお父誕生時から原罪と無係な独生子メシヤとしてた。

イエスの基盤とは、原罪のないの独生子の血統基盤である。のお父は再降臨であれ、第3次降臨であれ、誕生からその基台の上で天の血統の独生子として来られるういう誕生事件を再臨と言うのは使命においてイエス者であるためである。のお父はイエスと別個の立的個性体である直系息子としてられ前任使命者から使命を承したのである。

のお父次のように語られた

先生は血統が違います。イエスの血統と違います。16まで自然の血統として現れました。イスラエル民族の骨容の統を支持できる、そのような血統に生まれて現れました。を見れば驚くべき家です

のお父16イエスを通て天命を受けた事件は原罪のない「血統引きではなく、使命公式引きだった。16召命事件とは別に、のお父天の血統は誕生時からであり、公的使命は16召命答する時した。のお父が受けがれたイエス路程とは、固有の原理路程と現世界路程を同時に行くことである。

金苑長はこのような基本原理の語彙を使って、しきりに派手な言葉遊びで何か特別に違うのが潜んでいるかのように、いろんな所切り裂く習が身についているよう分析は建設的で発展的な「為の過程の作業とるべきであるのに方を敵味方に分けるい道具として用している。これはディテルに魔が潜んでいるという言葉がその如くにできるである。

再臨がイエス基盤から来られるからと言って、天の血統をイエスから受けるではなく、それは根本の父母である創造主たるの愛と生命の淵源から直接受ける。どうして人間イエスが別の個体である使命代者に血統を直接しようか。

さらに再臨主の血統は成約3時代身し体的値の結実であると同時に四大心情の新時代を開く本然の完成血統である。のお父イエスの基盤を承しながらもその次元をはるかに超えた創造本性の心情的血統を直接相続した根源的位相値と使命を持ってられ方である。したがって以前の長成時代イエス血統過程その次元に過剰に結び付けて、同等に規定するというのは全く望ましくない

のお父のように語られた

イエス処女から生まれたと言うが、先生の処女だったのか」処女言ったらそれは狂った人たちです。女がどうして子供を産みますか父を通さなければなりませんですから、イエスの先祖と先生の先祖は根本が違います。イエスは前ですか2千年前ですが、違うというです

本然神様が創造した役割を果たしてこそ、本然の種が出てくるのです。そのためイエスの血統と先生の血統違います。イエスの血統を受けて出てきたのではありません本来完成した神様の血統からアダムの血統、その次にイエスの血統、再臨の血統があります。再臨主を完成の血統と言うのは蘇生時代長成時代完成時代があるからです。再臨主のは、3時代の実を身し値の結ばれます。それを植えておけばアダム位置、イエス位置再臨主までもそこから出します。そのため統一教会では第3アダム時代だけでなく、完成3再臨時代だけでなく、四大心情の時代を語っています。四大心情の時代には第1次アダムも入っており、第2次アダムも入っており、第3次アダムも入っています。そのになることができるのを植えれば、間違いなく天に入ることができる完成した息子娘が出てきます

イエスと裁を見る時、イエスは独生子です、文裁は何ですか。独生家の王です。家の王です。息子と王の違いです。先生の血統は違います。イエスと違います。血統が違います。その史を皆さんは知りません先生は知っているというのです。そのため先生而知之(学んで之を知る)生而知之(生まれながら之を知る)而知之(神によって之を知る)なのです

このようなみ言葉放り出しておいて、金苑長やお母様か昔のどこかのを彷徨っている状況である。金苑長の言葉お母様のみ言葉聴いてると、初臨の独生女というお母様本来のは初臨イエスよう再臨されたのお父はイエスに体を貸した代役で、初臨の独生女の補助付添い人程度と認識されている側面が多分にあるそうならば初臨の独生女というお母様初臨の独生子であるイエスをまさか自分の本当のと思っているということなのお母様幼少の経験されたキリスト信仰の情としてうした郷愁もり得そうだ。

しかしういうことはにあり得ない何故なら、197113日に父母様体聖霊聖婚式」という名前でイエスと張貞順女史を予備祝福された土台の上に199861336千万双第1次祝福式祝福をして下さったこれによって、イエス2千年前に迎えることができなかった新婦を聖霊として迎えた。官文興進様、霊界ではイエスの兄地位にある。したがってのお父「文薫淑と張貞順女史姉妹のように睦まじく過ごさなければならない指示され、このを中心家庭の女王として侍らなければならないと調された。

さらには、父母様の息子であり真の子女様たちとは兄弟序列であるイエス未だにお母様の位置に立ててのお父対比させる行誤解の素地が大きいため、控えなければならない。ともすれば嫁を押しのけ関係を結ぶ破倫に相することを知るべきであるお母様とって独生子専らのお父であり、そこに初臨だ再臨だのとい詰めるの、埒もないことである完成時代の父母様の使命圏の領域からイエス解放し、その方の陰から抜け出すべきである。

のような告のみ言葉に詳しく考察されたい

イエスだけ信じれば全て終わると考えるのです。イエスを信じてできることは何ですかイエスにして神様が信じるのかというと、信じることができません。なぜなら、イエス時に世救うことができなかったからです。神様はイエスを信じることができません。なぜなら、キリストを持って世救うことができなかったです。それが事ですが、そのこと知らなければりませんそうしようとすればべきかというと、イエス以上の位置に進み神様再び知らなければなりません。その道しかありません

金苑長の言葉どお「独生子天の父の体であり独生女天の母だとしても、必ず独生女に先立って独生子が先にるのが創造の秩序であり順序である。は主体であるアダム創造の骨組みモデルとして象であるエバ創られたしたがって第3アダム・独生子・のお父主体的に第3エバ独生女・お母様のみ旨従って探し立てられる。

のお父のように語られた

メシヤは何をすべきかと言うと、独生子として独生女を探し立てなければなりません探すには、唯単に探すことできません。アダムを通じてエバ創ったので、この世エバを探さなければなりませんサタンが奪って行ったエバを探さなければなりません

独生子が何を探してなければなりませんか。独生女探してなければなりませんうしてこそ、合うのではありませんか。独生子がこの地に、独生女わなければなりません独生女なければ創り出すか、隠れてるなら、奪って来てでも創らなければならないというです

メシヤは男としてて女にい、父母となってされる。即ち小羊の婚宴されることによって血統の因縁を中心した夫婦、人類の父母になる。

メシヤして定義したのお父み言葉調べてみるとの息子、完成したアダム、の血統を相続した長子、の愛の血統を持った完成のモデル的な存在、の父、横的父母、人類の真の父母愛を背景に真の愛と生命の種を持って真の父母真の祖先として方、王として来られるお方等時によって各々違った調点でえて下さった

ところが、金苑長、真のお父様がその手き的過程で、ある一面を浮かび上がらせてされた句節を相互矛盾と立の問題」だと言った。過度な分析的考え方が合の美としてされない奇形的探求態度は摂理史の認識と解においてもそのまま表れた恐らく金苑長に「メシヤが女としてないで、息子、アダムとして言われたみ言葉非常にに入らない様子だった。

いわゆる「体的天時代という今日に至って、ういう歪んだ人々によって私たちは父母様のお況に出くわした。

金苑長語った「の愛中心した同等値を言うのであって、主体象のまでも同じであることはり得ないさらに象である独生女独生子より優れているという主張を展開するの原理的に転倒言うの愛の独生女正しいのなら、独生子自分より高める謙の姿勢を通本然の主体象の係を定させてこそ原理的な真の母となることができる。

人間始祖の原罪はアダムやエバの個体一人で犯したものではない。それはまた、人類を通じてされ、天地の万民が係性と連性を持って共同連携された罪の根である。根とは幹と枝と葉まで一つに連係された一つの体制の根源である。したがって原罪やサタンの讒訴問題は係性と連性を離れ、いくつかの言葉の恣意的宣言によって有無の如何定することできない。

独生女が良い血統の象者として用意されるとしても原罪のない血統の主体的根源である独生子聖婚する一定の手き的過程を通じてこそ、初めて天の血統の新婦として確定することができる。象である独生女主体である独生子と無係に一人で天の血統の独生女としてどうして完成するというの

この点にしてのお父のように明快に語られている

今まで救援理はアダムを再創造する史です。神様の息子を探し出すことができませんでした。4千年ぶりに現れたイエスは神様の息子です。独生子です。血統清めてました。独生子うのは血統清めて現れたからです。原理のみ言葉聴いてると、血統清めなければならないという容が出てきます。アダムを手本としてエバ創ったので、血統清めたその男が女にって血統清める仕事をしなければなりませんアダムがエバの言葉を聞いて血統を汚したので、エバを絶させて血統清めなければなりませんそれで、神様血統受けることができる、縦的な基準で90度の女性になる時ここから愛の天地調和が、血族が起こるので

メシヤは血統を清めて来たお方です。マルの史をっていますが、血統清めてこそ初めてイエスが私は神様独生子と言ったです。この独生子という言葉は史上革命的なです。神様を中心として初めて現れた独生子なので、愛を中心として血統連結され、父子の関係が回復されます

歩譲って「お母様が原罪なし天の血統の初臨独生女として来られた」と言うなら、その資格要件はどうしてされたのか。初臨イエスイスラエル選民を通じた腹中血統換の背景サタン讒訴条件を解消した原罪のない天の血統の独生子として誕生することができた。そういう原則に従うならお母様が初臨の独生女として誕生されるには、それに相しい腹中血統換のの根本復基台自に持たなければならない。

エバがとアダムをあざむいて天使長と血縁関係を結んだので、タマル、バテシバ、マリなどの信仰の女性たち、それと反路で命をかけての血統を復してくる過程があった。お母様が原罪のない初臨の独生女として誕生されたのなら、それに相する基台はどのようなものであったのかお母様が初臨の独生女として来られる根本的血統換の基台はなの

のお父のように語られた

むやみに結婚することはできません。み旨従わなければりません3再臨主に侍る為に行動した血族でなければ母は出ません。を代表した女とか、山の白南柱とか…

そのようにお母様の母方祖母の趙元模女史と母の本来、お母様誕生の母系信仰基盤でありながら、天のとして来られる再臨主に侍る為の3代の新婦圏の基台だった。しかし、こ初臨イエスの場合と史的に連係するに値する根本復基台ではないのである。したがってお母様が純本性を持たれたとしても誕生から原罪のない天の血統を直接受けることとは別問題であるのような理由から、お母様聖婚される時に独生女として立つには事前に血統換の信仰の女性復基台理がなければならなかった。

のお父み言葉によるとメシヤは女性解放の来られるお方である。のお父史以女性のために最も苦と受難を受けた代表的男性だった。数多くの女性を育して立派な妹、妻、祖母、女王を作るのに大変なご苦労をされた代表女性を立てて、の父母が作った邪な愛道の事全て防ぎ止める闘いをして血統を探しいで下さる

が見る時、アダムでは全世界女性は一つと同じである。のお父の体とり、全時代を代表する80代から10代まで8段階女性の愛の橋を架けて、その紐のエキス抜いて、本然のアダム自体を備えたという勝利の御印を得て解放されなければならなかった。数多くの女性が落の穴にった愛の紐をんで、って上ってられようにされた私娼窟のようなから女性たち悪習慣経験、あらゆる曲折を落していない基準まで聖させ定着させて、お母様を立てられたのである

のお父み言葉のからヵ所かだけ見てみよう

独生子イエス前に独生女はいません独生女の一族ませんザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つになってこそ一族がのですが、一族がないので、を立てることができる基盤もなかったです。の代表者なることができる女性たちを中心として、血統が違う大使を立てなければなりませんでしたアダムの妹たちを、エバ妹たちを得なければなりません血統清めた妹たちを通して、ザカリヤ家庭の血統連結してを立てた、全て終わるのです。先生も同じです。を中心として正常な血統ではできません。教会が反することによって追い出されたので、てを再び探して復したです

エバを探す仕事をイエスができなかったこと、また再び母を立てなければなりませんが再び立てるには80の老人から1270年期間に7千年全体蕩減し心情的恨によってしたこの全ての生殖器、ぼろを縫って整理して落していない基準まで聖させて神様に侍らなければならないという事を知らなければなりませんそれで、ストガデンに行ってみると、『勝恨成就、その次に一心定着という標語貼ってあります。このような標語を中心として先生代でこうしたの峠を越えて、再び探して再創造するの道をんでです。アダムとエバがの父母になったので、真の父母の父母が作った全てボロ布縫わなければなりません

金苑長が無謀にも「非原理的尻尾(行為の隠語)」として批判したのお父の女性中心的復帰摂理とは、全てお母様独生女・天の新婦として資格を得るにおいてサタンの讒訴件を解消する天秘の復過程である。このような一連の理的過程がなければお母様のお父前に天の新婦資格を得て聖婚に至ることができない。だからのお父再臨とお母様の初臨の平等分ける件になるというも話にならない。金苑長何故、のような語彙使って、おの位を人的に分け、衝突させること頭するのか、全く理解できない。

のお父聖婚を前後してされた内的根本理とは敢えて比喩するなら、り捨てるべき「行為」ではなく、不動中心である頭であり最も深い中核の根」の領域に該当する根本である。それ伴なう全ての儀の解怨成就と心情聖で重な聖なる過程である。それを土台に現れ、小羊の婚宴も可能となり、結局私たち人類父母様によって血統の子女として重することができるようになった。

だから、これは、何も知らない一介の物理者が薄な論理の言葉遊び雑談でもするかのように吐き出した戯言などでは決してあり得ない。金苑長も祝福を受けているなら、正にその根本理の根から重したなのである。ところが、自分が生まれたその根源根を尻尾だと言いながら、切り捨てるべき不純物として取り扱う無法者がどんな摂理史を論ずるというの

金苑長講義の中で次のように語った。

お母様ご覧になると、再臨メシヤの使命を承されたお父の立場が原理どおり行くべきなのに、そうできずに、無念さがある語られたういう尻尾を付けている立場で1960の聖婚のは、お父が新婦を決定する立場ではなかった。原理的な目から見ると、聖婚以前にサタンたち霊界沢山讒訴する容は方によってはボタンがちゃんと掛かっていないので、これを再び外して本然の姿どおりに掛けなければならない

一体その原理的な目というのがどんなだからと言って、自分の聖な結婚にサタンたちがくっついて讒訴すると言う。こうして見ると、お母様小羊の婚宴理が如何なる理由められたのかよく知らなかったようである。むしろのような方向と逆行して、のお父が原理に反した道に進まれることによってサタンの讒訴件をしたと規定した。さらに最初のボタンから誤って掛けられたという言葉によって、聖婚神聖性や真の家庭の位相の根幹をひっくり返していのだ

のようにお母様のみ言葉によると、小羊の婚宴はサタン讒訴件がある状態で行われたと言うことだうだとすると、それが何の小羊の婚宴であ、完全な真の父母の聖婚の出点になだろうか。

金苑長のように言葉を続けた。

天の父母様の永遠のパラダイムは小羊の婚宴である。サタンの讒訴件がない小羊の婚宴が行われなければならなかった。小羊の婚宴以前にお父結婚してならない。帰摂理をしてもならない。お父が中間結婚した態で小羊の婚宴をしたらサタンが讒訴する件として尻尾が付いたままの状態になる」

お母様このようにのお父が自分と聖婚する前に文聖進生母・崔先吉女史や文喜進生母・金明女史と婚姻したことをサタンが讒訴する非原理的尻尾として規定した。初臨の独生女より先に他の女性と婚姻したことはサタン讒訴、初臨の独生女聖婚する前には如何なる帰摂理も行なってはならないという主張である。

しかしこれにしてのお父のように明らかにされた

英米仏日独伊った2次大以後に韓を中心として一つになったら、お母様は再び必要ありません。先生においては聖進の母聖進です。その時において、そのまま一次的に全て終わるのです。ところが、キリストが反することによって、先生一家、文氏の家自体が分裂しです。兄弟も二つに分かれ、家庭も二つに分かれ、息子娘も分かれてまで南北に二分されてしまいました。それで、その中から闘ってを選立てる14年かかりました。1945年から1960年まで14年を中心としてイスラエル民族と共産主義脅威た社、政治世界の制を受けたです。その中で闘って、大韓民において8が反する立場を勝利してきたというです

1960年に聖婚式をすることによって、初めて家庭の枠組みを持つようになりました。聖進のが反したので、この家庭の枠組みを中心としてこのような史的な蘇生の過程をるようになったです。初めに出来なければ、蘇生長成・完成の3段階をなければなりません聖進のエバの立場であり喜進の母はマリヤの立場です。マリがイエスを連れてエジプトに行ったように、喜進の母喜進を連れて日本に行かなければならないです。皆さんが知らない中で、蕩減帰歴史はこのようにりました

お母様のお父前に新婦として来られるに、のお父家庭出基台である崔先吉女史や、彼が不信する立場に立つことによって第2として登場し金明女史を中心した理はその時代ごとの天命による明らかな天背景がある。特にのお父崔先吉女史と見合いをされた時は1943(陽暦)10月頃だが、これはお母様同年(陽暦)210生まれ89ヵ月ほど後に相する。

のお父遠からず祖光復と共に到来する再臨理出の時が切迫した時点で、速やかに家庭的基台成してと世界進出しなければならなかった。そうした中で、どこで生まれたのかも分からない赤ん坊新婦になるのをちわびながら40になるまで時間を遅らせなければならないという主張は、はたしてどういう意味なのか。れが正しいとすれば、神と通じた大趙元模祖母祈祷しのお父探し出し、「うちの娘が育つまで結婚せずに待って欲しいとお願いすべきではなかったか。

崔先吉女史や明熙女史は、不毛な理環境において不運にも責任分担を果たすことができずに真の母の位置に進むことができなかっただけである。人間責任分担が理完成の鍵であるということは原理の基本えである。幸か不幸かその方たち躓いたせいでお母様第3に準備された新婦の位置進み出る幸運を得た独生子であるのお父の善によって一定の事前復基台ので独生女の資格を得て天運天福が臨んで聖婚に至った。元はと言えば、崔先吉女史や明熙女史の家庭統と信仰の基台お母様の母系基盤に決して劣っていなかった

のお父み言葉次のとおりである。

先生がみ旨を知ってから聖進の母と結婚したことも、私の勝手にしたことではありません霊界から指示があってしたことです。その人も霊界の指示下でたのですが、その人前は崔先吉です

聖進の母の家も祈祷して全て通した人たちです。先生写真を見て祈ると、霊界からえてくれたといです。を沢山受けました。方や西方から大き鏡が現れて、空のん中にて一つになるとか、その中太陽が昇って世界を照らし、それを天地東西南北の星と月がずっと取りき、その月が映って万が花園に変わったいった話です。彼らのような啓示を沢山受けたというのです。祈祷してみるとそのようになるので、その女性の心が別の男あるでしょうか。死んでも私の愛とうようになっています

そういう中で、さらのお父40になるまで結婚もせずに14年の月を虚しく過ごさなければならないという判理の現実状況を度外視した深刻な史認識に対する誤謬と言わざるを得ないお母様その14年間のお父がどのような道をまれたのかよく知らないため、のような自己中心抽象的論理を展開するしかなかった。私は誰にもばずに全て分かった語られたみ言葉ういう点で支持を受けるのが難しい。妥欠けた主的主張は理になり得ないのである

3. 真のお母様上位位相認識の問題

真のお様は1956年3月頃、春川鳳儀初等校卒業直、大母に従ってソウル洞本部教会真のお父様に初めてお目にかかった。その時真のお父様は、真のお母様挨拶を受けてから神の前に「こんなに立派な女性を韓の地に送って下さってありがとうございます」と祈られた。その後時間がち、1959年10月から真のお父様のご聖婚が予告され、多くの新婦候補者の推薦があった。

そんな中でも真のお父様は真のお母様に注目されず、その翌年になって·ヨンチュン執事など数人の執拗な推薦によって最終的に真のお母様を新婦候補者に決められてお呼びになった。その時、数多くの候補者の中から劇的に召命を受けた結果として真のお母様の位置に立つことになった。いくら初臨独生女だと自負しても導きの最終決定は神と真のお父様がしてくださらないとその場に確定ないのだから、これは特恵であり恩賜だ。そのようにして真の母の位相に至ったとしても、その天宙史的責任分担に勝利しなければならなかった。

ところが、金苑長はこのように語った

「お母様はすでに1956年3月に大母様を通じてお父様に会った。それで1959年までの4年間、教会礼拝に参加しながら多くの内容を聞いて知っていると言った。ところが、お母様はただ神のみ旨しかなかったので、どうすればそのみ旨を果たすか、そのことについて多く悩んだという。お母様はそのような状況を分かたが、その当時幼かったので周りで助けてくれる人もおらず、また強く話せる立場ではなかった。それでお母様は我慢して耐えなければならないと決心したという。

お父様についての噂をたくさん聞いて知っていたので、その内容を抱えてそれを何とか解決して差し上げなければならないと決心された。それで、真の父母の位置に出て、真の父母の責任を洗い流そうと決心されたということだ。お母様何度お母様のを話したいと思ったがお父様はあまりにも強い性質を持っておられ、強いカリスマを持ってすべてを主宰された。世界の指導者、外の人々もたくさん知っていて、対社会的な内容があるため、お父様のために話ができず、ずっと胸に抱いて50年間待たれていたという」

真のお母様は聖婚以前の4年間、真のお父様に関する怪しい噂を聞いて多くのことを知っていたという。それでも真のお父様の性格やカリスマがとても強くて何も言えないまま、少なからず50年間胸に抱いて時を待っていたという話だ。

真のお父様はこう仰られた

先生に女たちが話すことは男の問題、汚い問題です。私は会ってあげないです。明らかにすることがそれしかありません。ありとあらゆる意地悪な女性たちの行脚路程がれほどむごたらしいということを私がよく知っているのです。その世界でお母さんを抜き取って育てなければならないということがどれほどすさまじいことですか。お母さんは知りません

真のお母様がいわゆる聖婚以前の尻尾として表現される真のお父様に関する噂とは、1955年梨花女子大・延世大教授退職と学生退学事件に続く、西大門刑務所受難事件前後に生じた雑多な噂をいう。これは徹底的に反対勢力が量産した事実無根の悪性スキャンダルが主である。それでも真のお父様は当局のあらゆる調査の末に白日の下で無罪放免になったことで噂は事実と無関係であることが立証された。もちろん、その後もそのようなデマは、真のお父様の摂理路程に多大な弊害を及ぼした要因として作用した。それで無念な曲折だったのだ。

その当時、真のお父様えられた噂の核心は「淫乱集団の頭目」というものった。淫乱とは何か。性的に奔放で乱雑なものを言う。刑法上わいせつ罪はむやみに性欲を興奮刺激する行為と関連した犯罪の総称で、普通正常人の性的羞恥心を害して善良な性的道観念に反する行為を指す。統一教会は本当にそんな集団だったのか。

ところが、真のお母様は新婦確定当時、召命に何の疑問もなく、まるでモリア山上のイサクのように従順だったと証言された。ところが、現在の真のお母様のみ言葉に照らしてみると、真のお母様は真のお父様の過去の不正を知り、法を犯した者と認知されながらも知らないふりをして平然と新婦の座に出てきて聖婚に至ったと理解される。

新婦の座に召命された当時を回顧される真のお母様のみ言葉はこうである。

聖婚日の1ヵ月前頃にお父様が夢に現れ、神からその日が近づいたので準備しろという特別な啓示が下さました。その時、私はそのような大きな事の是非を判断する能力がなかったので、無我にならざるを得ませんでした。そして祈らざるを得ませんでした。「今までも私はみ旨のままに生きてきました。これから神様のみ旨が何であっても、神様の摂理の目的が何であって私はあなたの娘として何でも命令する通りにします」と啓示に対して私の心を答えて見せました。私が18歳の春2月頃でした。私は完全に無我の立場になって準備していました。神様のみ旨通りに完全に身を捧げることを願いました

元老たちの証言集によれば、警察捜査段階で数々の先輩食口が尋問を受けたが、偽りの投書の内容に焦点を合わせとても口にすることもできない幼稚な質問を躊躇なくぶつけてきたという。特に姦淫行為など濡れ衣を着せ、自白を強要されたが、食口たちは潔白と真実で抗弁した。受難を恐れたり避けたりせず、少しでも更に一緒に験することをむしろ誇り思った。強大な公権力の迫害にもかかわらず、その惨憺たる受難を堂々と克服し勝利できたのには、そのような食口のみ旨に対する堅固な信仰が存在していた。

さらにその当時、大邱と釜山に来ていたの聖主教団の家族たちは「淫乱集団」という新聞報道を見て「いよいよ再臨主が来られた」と考え、統一教会に自ら入教して真のお父様を再臨主と侍った。金聖道おばあさんが「淫乱集団で有名なところなら訪ねてみなさい」という遺言があったためだった。これは聖主教団が神の根本摂理の内容を知っていたということだ。

そんな中、真のお母様はまだ幼い学生として、反対勢力によって操作され流布された噂を4年間疑いもなくそのまま信じたと話される。それに聖婚以後も特に態度の変化なしに、その噂の内容を胸に深く抱いて50年以上の歳月を耐えてこられたということだ。

大多数の食口み旨を中心にすべての状況を理解し一致団結して戦っていくその時代に、のお母はそうだったということ。当時、真の様の番人となった伝説的信仰の手本である洪順愛大母趙元模外祖母は真のに一体何を教えられたのか。彼らは聖主教団に8年以上出入りしながら再臨信仰をしてられたが、金聖道おばあさんに何を学ばれただろう

いずれにせよ崔先吉女史や金明女史、韓鶴子真のお母様のすべて第3次アダムとして来られた独生子真のお父様の前に同等の価値で、それぞれ予備された相対者として自己責任分担の遂行を前提に召命された方々だ。真のお母様は、前のお二人が犠牲になった血の滲んだ歴史の土台の上に立たれて、最終的な責任遂行を通じて今日の地位に至られのである。したがって摂理史の正しい理解のためには、その苦難の過程に潜む心情的な事情と曲折を推し量る公的態度が要求される。

真のお父はこのように警告の言葉を残された。

お母さんを中心にしてもそうじゃないですか。下手すると3時代お母さんを選ぶのです。再臨主が3時代圏内まで行くのです。旧約時代、新約時代、成約時代、お母さんが3回裂かれやすいということです。こんな話をするのは、お母さんがしっかりしなければならないということです。お母さんの好きなようにすると、そんなことが起こるということです。国を建てて憲法を立てる時、問題になってはいけないということです。そういうことを予想しながら、お母さんに対して私が注意してきたのです。お母さんは私に対して注意しないが、私はお母さんに対して注意しようと思いますお母さんをもう一度立てるのがどれだけ大変ですか。そうするには祝福家庭を全部掃いてしまわなければなりません

人間責任分担遂行の課題は真のお母様だからといって例外ではなく、むしろその重大さが一番大きい方である。そのような理由で、金苑長が聖婚以前の真のお父様の結婚問題をかけて真のお父様の資格云々というは、本質的な心情史観と責任分担の原理とはかけ離れた詭弁に過ぎない。これは終始一貫して真のお父様の内的摂理の行跡に深い疑問と疑いを抱いてこられ如何なる肯定的解決もできなかった真のお母様の観点がそのまま反映されたものだ。とても残念で悲しいことと言わざるを得ない

真のお父様が聖和されてから10年経った今になって、その疑いの包みを解き放たれて「非原理的尻尾云々と言ってあらゆる恥をさらしている真のお母様の姿。それなら、むしろその時勇断を下して真のお父様の側を離れられたなら、今日の不幸な事態はなかったのではなろうか。それが何なのかは分からないが、どうにか解決して差し上げなければならないと決心され、真の父母の責任を洗い流すと決心されたとして、今になってどうしてこのようなやり方の前後矛盾した、慌てうろたえた解決策を出されるというの

苑長はこのように話した。

「今まで私たちはお父様が堕落した女性の中で一人の女性を選び、7年間お父様がお母様を教育し再創造すると教育を受けてきた。しかしそうではないということに気づくようになる」

 しかし、真のお父様はこう語られた。

16歳の時神様と関係が切れたのを16歳以上来て、未婚の男として来て再び思春期時代を経て、この地上に聖者の位置で聖人の女はいません。千人の男の中で一人の男は得ましたが、千人の女の中で一人の女を見つけられなかったと言ったのです。それを誰が作らなければなりませんか。アダムが失ったのでアダムが探して育てなければなりません。うちのお母さんもそうです。育てなければなりません

しかし真のお母様は、真のお父様をはじめ、誰からも学んだことがなく、ひたすら一人で悟って成長されて完成された方だと明らかにされた。もっとも初臨独生女という歪曲されたアイデンティティ認識と「再臨主の非原理的サタン讒訴条件」認定していることを考慮すると、このようにしか、他に何を語ることができるだろうか。どうしてそんなに敵に対するように徹底的に真のお父様の観点に正面から対抗する意見だけを出すことができるのだろうか。同床異夢で別の考えを抱いた妻を一生そばに置いて、真の愛の理想家庭を夢見られた真のお父様の過去の歳月はどんな日々だったのか。まったく計り知れない。


 このような情況表現された真のお父様のみ言葉は数え切れないほど残っている。いくつかだけ転記する。

父母様が一番仲が良く関係が良いと言いますが、先生が仲良く創造していくことをお母さんは知りません。それが創造の面白さです。ただ死にそう荷物をまとめて飛び出していきそうな様子なですが、『どこに何時間行のかてみよとそっと見守っているのです

先生も満17歳の娘のようだった女を連れてきて、天宙の母になれるように導ことが簡単ではありませんでした。若い女なのでも多かったので青春がはかなく流れていくと残念がっていました。それでおじいさんのような夫がぶつぶつ言うと逃げました。そのようなこといわけがありませんでした

お母さんがおとなしいお母さんだと思いますか。女性は同じです。女性は全く同じです。みんな同じです。ありとあらゆることがあります。知っていても知らないふりをして、頭があることも平地のように考えていくことです。それを超えなければ穴があきます。モグラの形穴を開けて私の行く手にもやってきます。女性たちのせいで私がどれだけ苦労したかわかりません

そのような中でも、真のお父様は、真のお母様を完全な位置に立たせるための苦労と努力を一生やめられなかったと考えられる。次のみ言葉を見てみよう。

いくら絶対的な神様だとしても、お母さんの基準を安着させることができなければ、地上世界はサタンの主管を受けることになっています。神様の前において個人から天宙まで、歴史の最初から最後までお母さんの道が愛を中心に平坦でなければなりません

お母さん解放、お母さんを育てて解放するために出てきましたが、これはどれくらいですか。58年が過ぎました。40年が過ぎたのです。お母さん一人世の中で育てるのがどれほど大変かわかりません。だから妖しい女性たちのすべての傷を私がすべてカバーしてあげなければなりません。カバーして、そのテント、カバーしたものに刺やら何やらつんつんと出たものがなくなったその道を裸足で走っても血が出ないように包みかぶせ育ててきたのです

お母さんを育てるのが簡単だと思いますか。それでは、皆さんがお母さんと言うときは、お母さんを育てるのに苦労したおじいさんの頭が白に映るようになる時は、苦労した神様の代わりに侍ることのできる心の準備をしなければならないのがあちこちの世界のどこにでも住む女性たちがしなければならないことではないですか。お母さんを持たせたからです。お母さんお母さんらしく育てておいたので、よくやった夫ですかだめな夫ですか

しかし金苑長の話によると、真のお母様は、このような驚愕を禁じ得ない告白までされた

「再臨された立場で尻尾のあるお父様に、初臨として尻尾のない個性完成した新婦の立場にあるお母様が敬をするということが原理に合うのかと反問された。原理的に見ても、お母がお父に敬することができるかということ私たちは全て見てきたが、は原理原則的にも合わないという本質を知らなければならない。むしろ天の立場から見ると、お母様がサタンない初臨でずっと完成した新婦なのに、どうしてお母様50年間お父様に敬なければならないのか。それお母は何度したと思ったが、話すことができなかったと言った

実に驚くべきこと。ここまでくると、真のお母様が「初臨生女」とあれほど粘り強く主張した深い内心がそのまま現れたということになる。再臨独生の上位に立ちたいということだ

1、2ではなく50年の歳月の間、大衆の前で心にもない敬拝ショーを演技されたということなのか。今日のこのひとのために、多くの忍苦の時間に耐えながら、夫のカリスマに押されて身動きも取れず、その前に頭を下げる服従と従順の真似をしながら、真の母という地位を手放せなかったのだろうか。それでは、私たちすべての食口は、その偽りの敬拝ショーをる方の前、億万歳万寿無窮を願い、涙ぐましり、礼を捧げて来ただろう

続いて金苑長の証言だ。

「お母様は53年間、とてもつらく困難な道のりだった。それを我慢して待ってきたのは、ひたすら天の父母様の事情を知っているからだった。天の父母様の事情を知り、天の父母様に誓った約束の基準があるので、辛くても50年以上我慢して耐えてきたと話した。それ自体が奇跡だと感じた」

その天の父母様の事情とは何であり、天の父母様に誓った約束の基準とは何だったのだろう50年以上耐えてきた「奇跡」を起こした究極の目標は何なのか。

真のお母様は、そのように我慢して耐えながら、つらく困難だった道のりが、すべて真のお父様のせいだったという被害意識がかなりいように思われる。もちろん長年耐えてきた苦労と事情の深さを誰が測ることができるだろうか。それでも皆が真のお母様はそのすべての苦渋と苦難を賢く消化し肯定的に解消してこられた認識していた。しかしそんな気配はみえない。ひたすら恨みに満ちた心情で長く我慢して待ってきたという事実だけを少なくとも10年間訴えておられる。このようなやり方で真のお父様の位相と偉業を卑下し、傷つける一連の報復が最後試みようとされたことだったのだろうか。

苑長はこのように力説した。

「イエス様がされようとした最も重要なことは独生女に会って子羊の宴をすることだった。そのような次元で見ると、独生女の本質、お母様の本質的な役割と理想とその価値をお父様がその当時正しく話されたら良かったのにそれが残念だ。再臨主は独生女に会ってこそ使命を果たすことができ。53年間我慢されてきたが、今の時を知って私たちに注文してくださったお母様を思うと何が奇跡だろうかまさにお母がこの時期に出してくださったことが奇跡だと言える。お母は天の父母様の実体なので、人間的な考えで判断して天のみ旨に逆行する誤りを犯してはならない

独生女とはこんなに自負心を持った方なのか。その上そのような独生女の独歩的威勢を背に受けた苑長は、べっかの極致点で聴衆に向かってみ旨を逆行しかねない誤りを犯すな」と強い訓戒まで添えているので、本当に見苦しい

さらに、このような言葉も付け加えた。

「お母様のおっしゃる言葉をよく見てほしい。原稿もなくそんなに長くない言葉で明確な目的に向かって下さる言葉であることを感じることができる。『どうしてそのように前後左右が明確になるのか』と尋ねたところ、『私は本来の原則である本然の人生に向かって生きてきたためだ』と答えられた。お父様には多くの困難があるが、独生女基準その問題も解かなければならない。そうでなければ基準がないのにどうやって解くのか。世の中の人々が認めることができる道は何か。お母様を通じてそのような困難を解決するのだ。

独生女について、これ以上語らないでほしいという方もいると聞いている。しかし独生女の中には根本が入っており、本質的な天の父母様の夢と希望があるということを知らなければならない。実体聖霊独生女の真のお母様を直接的に体恤し、体験し実感しなければならない

全く誤りのない独生女万能主義の解決策。金苑長はこのように言葉を続けた。

「お母が残念なことを何度もお話しされた。お父の聖以後、世の中にもないことが真の父母様の家庭で起こるのか。だから私恥ずかしくて生きていけない。私が世の中を見るとても恥ずかしいそんな話を何度も聞いた。お父が全体を主管され、強いカリスマを持ってなさので、お父が独生女の本質とお母の本質的使命と価値をご子女様たちに丁寧に繰り返し理解できるように教育してくださったら、私がここまで苦労しなくてもいいのに、私がとても大変だとおっしゃった

真の家庭の分裂の原因を真のお父様が独生女教育をきちんとできなかったためだと言い張られる様子である。子教育は一般的に母親が主導しないだろうか。ましてや「非原理的尻尾がある真のお父様が、どうして完全無欠な原理的存在である独生女の本質と価値を教育するだろうか。それは独生自身だけができる固有の領域だろう。

かつて子女教育問題に関して、真のお父様はこのように整理してくださった。それを見ると、真のお母様の理解は、真のお父様の観点と全く相反することを確認することになる。

堕落していない本然の来られる臨主である夫の教育を受けたお母さん息子娘と一つになった基準でカインを教育するです。教育して行く道がどだということを教えることでカインが屈服せざるを得ません。屈服とは何か。祝福を受ける道が開かれるのです

これから夫を、息子を自分より大事に考えければなりません。お母さんがそうでなくては、お母さんの本来の位置に戻れません。神様の息子を無視して神様の息子を通じた夫を無視してはいけません。その夫が父になり、その父が祖父になり、その父が天国の王になるのです。全部台無しにしておいたのが女だというです

お母さんは息子娘をもう一度産むのです。お父さんから種をもらってお母さんが血肉分けてあげるです。ですから絶対に息子娘を教育しなければなりません。家庭の堕落原因や家庭の破壊原因、このようなすべての混乱した原因はお母さんが正さなければなりません。赤ん坊は精子一つもらって、卵子と合わせてポケットに入り、お母さんのすべての血肉を受けるのです

苑長は、真のお母様の深い意中をこのように伝えた。

「一つの人類大家族を私たちが作らなければならないが、一日でも早く真の父母の良くない尻尾を、サタンが讒訴する尻尾私たちが整理しなければならない。お父様が基元節を前に聖和された内容もそのような深い内容が土台にある。天の父母様が原理原則なので、本当に天の父母様の前ではサタンの讒訴条件があってはならない。その基準で聖和についても理解しなければならない」

初臨独生女の過度な自尊心と優越感はついに再臨独生子の最後の聖和問題にまで及び、剖棺斬屍(ぼうかんざんし:既に死んだ人間の罪を問い、墓を暴いて屍を斬り刻む)するように故人の一生とその偉業を粉々にしている。これは亡くなった方に対する最小限の道理も喪失した深刻な名誉毀損であり、人格殺人と言わざるを得ないここまで来ると真のお父様本郷3年侍墓というのも見せかけの行為になってしまう。金苑長老年の認知症現象に近いそのような発言を刺激なく説明しようとする何の努力もせず、まるで自分の言葉のように聴衆に相次いで話した

「真の父母が尻尾付けてどうやって人類を祝福し、人類天宙大家族を語ることができるだろうか。私もとてもつらいとおっしゃった。今回の行事を通じて全て公開されたが、その方々が今はお父様とお母様について研究しているが、インターネット資料が膨大なので全て研究してセミナーをしているが、お母様も心配をかなりされている。攻撃れたらどうするか、そんな心配をされるのだ」

独生女の位相と普段の自尊心に釣り合わず、かなり緊張されている。そのように切らなければならない尻尾が多いのに、独生女一人で、どんな方法で天宙大家族を成されるというのだろうか。非原理的な尻尾のついた真のお父様と共にされた祝福が、本当にまともな祝福だと考えても良いのだろうか。世の中の人々でも、わざわざ自滅の道を自ら急いで進んでいる集団を、あえて攻撃するのにエネルギーを浪費するだろうか。
 

真のお父様は早くからみ言葉の中でこのように警告された。

父の愛で血統が生ずるわけではありません。母一人でも血統は存続できません。血統の始まりは、母と父2人一つにならなければなりません。男性と女性の二人が一つにってこそ血統生まれるのであり、一人では永遠に血統は生まれません

体と心が分かれて戦っているの、血が入ることはできますか。また女と男、夫と妻が喧嘩しているのに、そこに神様の血が成り立たないのです。父母と子女が喧嘩しているところには連結できません。血を中心として子関係成立ません

の真の愛を中心に自分を低くし、相手を高め、互い為に生きる伝統が祝福家庭の血を通じて継承できるのか、昨今の事態は疑問を抱かせている。これは世界各地の食口が喪失感と嘆きと怒りを隠すことができず苦悩する理由だろ

真のお母様は根拠のない初臨独生女亡霊に捕らわれて追い出した子供たちが近いうちに手を挙げて助けてくれと忍びこんでくると言われた。しかし、そんなことはありそうにない。そのような無理な期待は振り払って、真のお父様の生前に残され頼みのみ言葉詳考されて、まず一家の慈愛に満ちた妻と母の位置を回復しなければならない。人類の中心軸である真の家庭の和合と定着に関する真のお母様の固有責任が履行されない限り、天一国の実現は夢そのものに過ぎないと考えられる

まるで今日を予見するかのように、真のお父様は生前にこのような血のにじむ願いを残された

独裁性であれば独裁性が出てきます。ところが相対性を立てられなければ、独裁性は一人孤独になり全部なくなります

父母の愛と命と血統を中心として父は骨と同じで、母は肉と同じです。それゆえに父を尊敬せざるを得ません。家庭に入ってからは父を母から息子娘が尊重しなければ、骨を折ってしまうのです

相対でないものはなくなります。相対圏内で愛というものをなくせば血統生まれないので家庭も出てこないし、族も出てこないし民族国家世界も生まれません。愛を否定することはこの宇宙、天国を否定することであり、神様を否定することであり、自分の国と自分の家庭全体を否定することです。愛のために生まれたのですが、為に生きなければなりません

4. 真のお父様の行跡を非理的な尻尾と規定した問題

金振苑長は講義中に「真のお父様は非原理的尻尾が多い」という言葉を数え切れないほど繰り返した。その一つの現象的態度だけを見ても妄想障害やチック障害のように、相当な異常症状があるように見えるのに十分であった。講座の主な目標はそこにあり、反論の負担を軽減するための妙手として韓半島サミットの奇跡を叫び、未来の天一理想が盛り込まれた憲法というものを、雑多な画面構成で長々と付け加えて発表した。

その尻尾観と関連した豊かな言葉の饗宴の一部を無作為に要約してみるとこうなる。とてもうとましく退屈であるが、その実状を理解するために整理してみる。真のお母様み言葉を伝えた金苑長の言葉

真の父母様尻尾がついてまわるのが残念だ。尻尾は主にお父関する尻尾だ。世の中の人たちが多く注目している内容だ。お母には讒訴条件が見つけようとしても見つからないのだが、お父はある。どうやってこの尻尾を整理することができるか。どうすれば、世間のマスコミや世間から真のお父様についてまわる尻尾切ることができるか。インターネットなどからきれいに消すことができないだろうか。

来年、天一聖殿天苑宮天の父母様聖殿を奉献する前に、お父様付いた尻尾を整理しなければならない。お父婚以前の尻尾、その後の尻尾をきれいに整理できないだろうか。蕩減条件が必要ない本の状態と価値、お父様お母様の立場でもきれいに整理されてこそ完全な始祖になる。来年、本当に欠点がなく問題点がないで、天の父母様をお迎えしたいと言った。個人的にも家庭的に傷のないきれいな姿で聖殿を受け入れなければならない。そうでない状態で天の父母様が臨まれるかということ

この期間を通じてきれいに整理してお父様を解放して差し上げよう婚以前の内容もサタンの讒訴条件であり、婚以後にあった様々な内容がすべてサタンの讒訴条件とな。これをどうやってでも拭き取らなければ、お父様も自由になれないの頻繁に霊界で多くの讒訴があるので、お父とても苦しまれるということ。そんなことで苦しんでおられるお父を解放して差し上げなければならない。これ以上お父尻尾がついていることがないように解放する。欠点のないお父清いお父、完全なお父として解放して差し上げなければならないのではないかということ

お父様が生存していらっしゃるなら、誰がお父様にそのような尻尾に対して聞くことができるだろうか。むしろ天上のお父様に聞くのがより簡単かもしれない。「霊界にいらっしゃるお父様が私たちをどうぞ助けてください。どうすれば真の父母の尻尾を整理できるだろうか」と今回の特別精誠期間に祈りながら叫びながら身もだえしてくださいと言った。天心を通じて精誠を込めてでもしがみついて天上にいらっしゃるお父様伺ってでも具体的な題名を持って切実に昨日よりはもう少し深く絶叫してたら良いという心情をお伝えする

お父様を讒訴せざるを得ない部分に対して私たちが解放解決して差し上げなければ子孫万代にいつまでも傷にならざるを得ず、清らかでない私たちの共同体にならざるを得ない。もう天の前にこれ以上申し訳ないお父様になってはならない。お父様を解放して差し上げなけらばならず、救って差し上げなければならない。そして、お父様もそのように私たちを助けて下さるようにお願いしろということ

私たちが完全な天一国の民になるためには、傷のないきれいな立場に立たなければならない。真の父母様の家庭としても、讒訴条件を整理するために今回の特別精誠が必要だ。皆さんが本当に新しく生まれ変わらなければならない。私たちにもサタンの讒訴の条件があってはならない。私たち指導者たちの胸の中にしこりを抱いて今まで来たこと胸が痛むが、今はその内容を打ち明けてほしい。良くないしこりの部分をすべて下ろすことができなければならない。正面から向き合い堂々と理解説得することが必要だ。

お父様の聖婚以前の尻尾、聖婚以後について回る真実の尻尾を私たちの中でも伏せて黙認して来ており、私たち2世3世たちも皆知っていながら伏せて生きている。具体的な内容を原理的に誰でも認めることができるように、私たちが完全に精誠を込めて整理できればと思。お父様がどこも引っかからないように解放して差し上げ、自由にして差し上げるのが真の孝子の道お父様が影がないようにして差し上げるのがとなる道理だと思。2世3世たちが全く気にならないようにすること私たちの使命であり責任

真のお母様は何の讒訴条件もない完全な体なのに、真のお父様は切って整理しなければならない残念な尻尾を持った方だということだ。それは世の中の人々が注目し、霊界でも讒訴する尻尾ということだ。ところが、これまで内部的にもその尻尾を原理的に誰も認めるように整理する考えができず、皆知っていながらも伏せて黙認しながら過ごしてきたという。2世3世までぐらつかせながら、その尻尾切って差し上げることが、真のお父様に影のない解放と自由を与えて差し上げる孝行だと力説する。

しかし、真のお父様に非原理的な尻尾があり、影があると考えながら統一家を離れずに残って隠して黙認してきた人は誰か。おそらく苑長自身だけではないかと思う。そうでなければ、そのような評価と判断を金苑長引き継がれた真のお母様だけではないかと思う。そのように霊界と世の中を最もよく知っておられる当事者たちが整理し差し上げなければ誰に任せるだろうか。

いずれにせよ、金苑長が終始疑問を抱いて問題視するいわゆる尻尾と称する真のお父様の行跡の内容は例外なく神の摂理完成のための過程で必須的に要求された摂理的意味を持つ聖業に該当する。聖婚以前であれ以後であれ、真のお父様が行われたすべてのことには必ず深い摂理的理由と意図がある。ところ、どうしてそれを数十、数百回繰り返して尻尾と規定するのか。今回の講座で、金苑長自身が尻尾という言葉を何回言ったか、算学者として数てみてほしい

このぐらいにして、参考に真のお母様と金苑長ともに疑問を持つ真のお父様の根本摂理で基礎的な事実いくつかを真のお父様のみ言葉によって簡略に概観してみることにしよう。
 本来再臨主は女性神霊集団と縁のある3時代の女性の協力で聖婚してこそ、旧約新約成約時代新婦圏がつながり、父母圏定着時代に入ると言われた。真のお父様はアダム家庭イエス家庭再臨主家庭の妻の立場である3人の女性と真のお父様の前に一人のカインを蕩減復帰しなければならない。

最初韓国光復直後、イエス教イスラエル修道院で文聖進様生母氏を中心に金百文氏と3人の女性に関する摂理があったが、彼らの不信によって挫折した。その後、平壌摂理で金元エホバの夫人おばあさんなど3人の女性がその基台を復帰できず、池承道おばあさんなど3人の女性食口が使命身した。そして韓国摂理ではソウルで崔聖模氏の次男スングァン氏を中心として、その母李得三氏と二人姉妹崔淳実崔淳華氏など3人の女性復帰摂理があった。これは家庭単位の復帰モデルを国家レベルにつなげようとする基礎基盤だった。
 

に関連する真のお父様み言葉の一部を挙げるとこうである

3人の娘と息子1人四位基台です。先生の代わりに息子になれる一人と三人の女、三人の女の失敗ではないですか。アダム家庭の妻、イエス家庭の妻、再臨主家庭の妻で3人の娘、この3代が引っ掛かっていきます。このような問題が起こります。3代が反対したことをもって、一時代において蕩減復帰できるのです。崔聖模になったので、その息子スンヨンの弟スングァンとと2人の娘です。一人の息子と3人の女性を中心として完全にそのまま父親だけがひとつになればアダム時代・イエス時代再臨主時代を一度に蕩減をすべてするのです。それで次男が今スンヨンの財産、朴大統領を中心として、生命保険とか、すべての経済権を崔聖模が管理してきたのです。これが2の失敗です。です。氏、氏、その次に氏です

得三がお母さんです。それで統一教会の熱心分子ので私が自の夫に会ってみて、の息子娘に会い、その家にも何度も行きました。それで行く時は統一教会の、まあ、こうしたたちがお母さんと一つになったらスングァンという次男がいるじゃないですか。そして、2人の娘がいたのですが、そうしたら完全に家庭的にすべて来ることができました。世の中国を正すためのその基礎が、すべて最高の家庭が越えてこなければなりません。妻から息子、息子は次男。だから娘たちが来なければなりません。二つの世界の娘、三人の娘までも来なければなりません。それで朴おばあさんも娘が6人で、息子が4人でした。再臨主が第3次再臨主ではありません。1960年以降、第4次再臨時代を迎えました。日付を中心として1952年になるのがどれだけ延長しましたか。50年以上過ぎました

本来は得三氏の墓も、私たちの原殿に持って来て侍らなければなりません。そうなるとその娘たちもみんな飛んでいってしまいます。蕩減復帰が怖いです。を聞いてみたらそうでしょうその次は政界、学者、その次は兄弟を立てていかなければなりません。お母さんも全部忘れたことでしょう。なぜそうしなければならないか。天の前に反対になるのは、そのような反対する立場で自然に訪ねてくるべきです。訪ねてきた人々は死ななければ反対して行くのです。死ななかった人々、通り過ぎたことはこれから私が許してあげなければなりません

真の父母様の家庭とは、本来サタン主管の人類血統と環境各8段階を復帰する公的責任を負って出発した。真の父母様の家庭が本来の創造原理の道だけをことができない深い悲しみと喜びがここにある。特に縦的摂理史に宿ったさまざまな怨恨の事情を清算し、復帰モデルを確立しようとする摂理は、1968年の神の日宣布の時まで、少なくとも7年路程で行われた。これは1945年の韓国光復直後、摂理から言えば21年の完成期の路程に該当する。そうした7年路程で家庭的モデルを定着させ、国または世界に進まれる摂理上に崔淳華氏の息子朴サエルもいる

これと関連した真のお父様のみ言葉を挙げるこうである。

先生は、愛の道をいい加減に扱いませんでした。皆さんが神様の前に出るには、この世界で条件引っかかってはいけません。7年間、ありとあらゆる路程を経ても引っかかってはいけません。神様の前にそこに解放された基準で神の日、子女の日、万物の日…それが1969年まで、1970年を超えるまで伝統を立てなければなりません。それで国家的基盤、世界的基盤、イエス様が国家的なものを越えて世界に出て行くことできる道を経てました

先生でいうと父母の日、子女の日、万物の日、1960年から1968年の日、神の日から始まりました。その時から絶対愛の時代に移ります。絶対愛圏です

いずれにせよ、このような根本的な摂理基台は、真の父母様の家庭を中心にした8段階復帰摂理として総体的に実らなければならなかった。寄りによって文聖進様の母方は崔氏で、外祖母が氏だった。エホバの夫人朴おばあさんの夫も韓氏で、真のお母様の祖母も崔氏だった。真のお母様の三位基台基盤である愛忠母崔元福先生も崔氏だった真のお母様の時まで氏、が寄りにもよって、色々な蕩減因縁の中で中心摂理に関連していた。このような一連の縁も、ある摂理的理由の必然性を伴って

サタン血統の世界秩序を正して天道を立てるには、真のお母様が12人の女性の協力を得なければならない。真のお母様を中心として縦的3時代がそれぞれ横的に展開された立場の老年中年未婚の三位基台と霊界代表する三位基台まで、12数の代表を編成して橋を架ける。十二支派、十二弟子、十二ヵ月を代表する女性たちが3段階ずつ四方に立って十二真珠門を開き、真のお母様を敬い犠牲にすることができる環境を造成した土台の上、真のお母様位置を設定した。

信愛忠母様崔元福先生など三位基台、池承道おばあさんなど三位基台が縦的母の立場の順愛大母様と横的娘の立場の真のお母様の心情的足場にならなければならなかった。神とサタンと真のお父様だけが知っているこのような摂理的マリア格女性復帰原則の上に母子協力のための3人の子女を祝福して立てることができる。真のお父様の骨髄を通じて勝利のナイロン縄、電波のような心情圏に沿って上がり、一番後には真のお母様を立ててサタン世界の血統を切天の血連結する儀式がある。真のお父様はそのように僕の僕から、僕、養子、庶子、直系子の名分を持って真のお母様を復帰し、様々な苦労の末に縦的原理基盤を築いて、誰も引っかかないようにしておいて真の父母の名を公表された。
 

真のお父はこう語られた

絶対愛を中心とした神様堕落したエバを抱くことできる愛の道を永遠に見つけることはできません。これはメシヤを通じて探さなければなりません。体を通じて全て失ったので、偽りの愛をして偽りの父母になったので、体を通じて、愛の十字架上の数々谷を泣きながら訪ねて、全て復帰しなければなりません。女王からおばあさん、お母さん、自分相手、長女まで、女を全部愛のにかけてつなげなければなりません

アダム家庭以上、イエス以上父母が心情的十字架を負ったのです。イエスは肉的な十字架を背負って血を流しましたが、先生肉的心情世界の血を流したのです。それで内面的心情的十字架を通りましたが、皆さんがすべての血統問題を中心として、汚したものを洗い切るためには十字架中の十字架を背負わなければならないのです

3代まで、8段階の過程を失ってしまいました。それを探すことのできることをしなければなりません。そこにみ旨に反することはあり得ません。み旨の伝統を立てるために蘇生長成完成のそれを越えなければなりません。それが間違っので、ひっくり返して連結しなければなりません

ヤコブ家庭でレアとラケルが姉妹争いをしたので、イエス様の時に母マリアがいとこ姉妹であるエリサベツ一緒にイエス様の結婚相手を育て姉妹の位置に立なければならなかった。その時に成し遂げられなかった歴史を蕩減復帰するためには、おばあさんさん合わせてレアとラケルの位置を取っ3代圏が信任しなければならない。趙元模おばあさんと洪順愛大母様は、ひたすら思い焦がれて会った天の愛の主人となられる真のお父様を天の新郎として侍った位置を真のお母様に完全に移譲した。大母様は、縦的な母の位置から横的にレアの立場を復帰した後、ラケルの立場の真のお母様を真のお父様の前に奉献し、真正の娘の位置に降りて来て、侍る道理を尽くさなければならなかった

このような摂理的な基盤で、真のお父様を慕い思慕するすべての女性の代表的資格者として立てた真のお母様は、誰よりも真のお父様を兄、婚約者、夫の立場で喜び、父、祖父、王として侍る道をなければならなかった。宮中王室の王妃のように女性の花として嫉妬せず他の女性たちを姉妹たちと考え、王后の地位に導かなければならなかった。したがって真のお母愛の敵手を愛さなければならない公的責任を負うことになられる。それでそのような相手が蕩減の峠をすべて越えてから人類の歴史に精魂を込めた人たちと祝福してあげ、子がいない場合は養子も選んであげられた

真のお父様はそのような公式根本摂理プログラムを聖婚直後真のお母様にすべて説明され、最初の約束通り忠男の道を進まれたと言った真のお父様は、離婚もされ色んな噂もあったが、ぞんざいに生きられなかった。神の血は純情で純潔でなければならないので、真のお母様が忘れても最初の約束通りに正しい道を行かれ正午定着された。1968年真の神の日を境界線として、龍が昇天するようにきれいに節操を守り、神の天道を連結しなければならなかった。傷がつく誤った行動をされたことがなく、天国の貴公子としてサタン世界の女性たちを救おうと天のプログラム通りに行動された。

次の真のお父様のみ言葉をよく見てみよう。

お母さんに話した通り間違いなく行くことです。いくら女がいても道を行ってはいけません。個人的な事情でそんなことは大丈夫違います。大統領勝手に行動することできません。憲法があると同時に、憲法を通じた部署別の法を中心、方向が12方向なら12方向に対してそれが完全にできる法になっていれば、各部署までも守らなければなりません。私はそうです

正道を進まなければならないです、正道。お母さん対してお父様もそうです。先生がこのように、このように行くとしたら、そのまま行くという通りに行くのであって、あれこれ言いませんでした。約束した通り行かなければなりません。お母さんは分からないでしょう約束したことを。全部忘れてしまったでしょうしかし、先生はその道を進んでいます。そのような原則によって神の日を策定しているのです

かつて霊界悪魔の巣窟が淫乱に根をおろし、その綱が年引っ張っても先がないほど長い。真のお父様はそこ神が首を締められいることを知って、二度とつなげることができないように切り捨ててしまうと決意された。涙の基盤を経て、女の涙の谷を埋め、男の欲望世界の塀をすべて壊して出てこられた。神の命令がない限り何も行動されることができなかったし、なさりなかった。神を傷つけないようにどんな場合であれ天敵の威信と体面を守りみ旨を尊んで来られた

真のお父様は、真のお母様を最初祝福され、摂理の道を始めたので、そこでやり遂げなければならないといつもおっしゃった。そのような面、真のお母や至近で使命を持った女性たちは、真のお父を尊敬せざるを得ない立場だった。真のお父様は誰でも勝手に接することができず、誰かをだまして行動されなかったから真のお父様が女性たちを指導する過程で守ってきた純潔な血伝統の根として神の王権樹立の核心価値

苑長は自ら「月火水木金金金」のない研究の中で多様なみ言葉に触れ「原理と摂理と生涯」で真の父母様の本質を理解すると自慢した。それでもその適用においては「非原理反摂理脱生涯」の観点で深刻な偏重と歪曲を繰り返した。先ほど概観した事実の中で何かみ言葉一つでも詳考したことがあり、講壇で紹介したことがあるか。ひたすら偏重た真のお母様のみ言葉の断片的なかけらを分別力なく盲信し、真のお父様の行跡に対して「サタンの讒訴条件」にひっかかったと話すことを躊躇しなかった。統一家の学者であればもはや度胸ある者ではないか。から米国や日本に行こうとするなら、刀で切られる覚悟をしろという公然の言葉があるのだ。
 

このようなみ言葉も厳重に考察してほしい。.

ここにお母さんの三位基台が必要です。お母さんお母さん三位基台も必要です。そうでなければ帰る道がありません。堕落しない本位置を越える道がないではないですか。そんなことでああだこうだという女は、口を裂いて舌を抜いてしまい、目を抜いてしまい、耳を全部壊してしまわなければなりません。怖く難しいの秘密でした。それをすべて成し遂げたので、こういうも教えてあげるのです

苑長が終始掲げたいくつかの公式というは、自分勝手に立てた公式であり、それが原理やみ言葉に適した普遍的公式とは言えない。復帰原理という普遍原則のいくつかに基づいて分析したと言いながら、どうして真のお父様が主宰された摂理路程には復帰原理が何も適用されなかったのだろうか。もっともらしく列挙した分析の枠組みに復帰原理がどのように適用されたのか。尻尾いう真のお母様の判断だけが一方的な物差しになって、すべての真実と事実を黙殺し歪曲してはいないか。

言葉では多様な見方で多様な状況を考慮して分析しなければならないとしながら出した結論は非原理的な尻尾規定したこと以外に何が残っているのか。真のお父様が夢に何度も自分を前に立たせて褒められる体験をしたという証言までしながら、故人を貶める不道徳の極致を見せた

その上摂理を知らない世人たちは、彼らの無知と不信のため真のお父様の摂理的行について曲解し非難している。それなのに、統一家の最高学者という者が、どうして彼らの誤った歪曲に便乗して徹底的に彼らの見方で真のお父様の行を罵倒できるのだろうか。そのような者がどのようにしてその尻尾というものをきれいに切り解放と自由を捧げるというだろうか

次の真のお父様み言葉考察してみ

真の愛の神様は失ったエバを実体的な体で接することができる道が永遠にあり得ません。しかし偽りの父アダムがこのようにしたので、真の父がこれを救援復帰するためには、その愛の十字架を負って生死の境隠しておかなければならない立場に立ったのです。真のお父様が引き受けたこの重大な天地の秘密倉庫を開く鍵を持っていることを知らなければなりません。誰も知りません。3段階を上がらなければなりません。それで統一教会の女たちは三位基台があります。このような意味で先生が離婚した。絶対唯一永遠の愛を主張するレバレントムーンはだから、詐欺だと言いますが、まあ詐欺だと言えるでしょう。しかし神様の側で見ると詐欺ではありません。伝統の中の伝統だということを知らなければなりません。そのようなサタンも話せず、神様も話せず、先生も話せないことを皆さんの口で評することは完全に引っかかってしまいます。永遠の秩序を正さなければならない責任が先生の責任です。むやみに愛することはできません。だからといって女たちをいつもそんなに連れて愛することはできません。条件的な基準を超えなければなりません

最も不正な金苑長の問題は「完全な真のお母様と非原理的な真のお父様」フレームで二人を衝突させを裂くことである。真のお母様がされた些細なことにも「びっくりした」「奇跡だ」と感嘆詞を連発しながら、真のお父様の行跡を語る時は否定的な口調に急変するうわべを飾る態度だ。今まで自分の信仰の道で見たことのない最高の奇跡を成し遂げたのは真のお母様だとあらゆる美辞麗句を動員して賛辞がやまなかった。そう言いながら、真のお父様には否定的な問題だけを残し尻尾付いた問題人物として烙印を押そうとする意図は明白だ。

苑長は、今回の特別講義がこれまでの疑問を解く時間なれば良いと言ったが、そのような疑いの本人はもちろん、誰よりも真のお母様が抱いていらっしゃるという悲しい現実を赤裸々に伝えてくれた。大多数の食口は、真のお父様に侍りみ旨に従いながら、どんな事案であれ、私たちがまだ推し量れない天の隠れたみ旨があると確信し嬉しく前進して来た。それでも実際に真のお父様と一心同体の基準で生涯を同伴してきたという真のお母様は、そのすべての偉業をすべて疑いの目で見つめながら、見せかけ同行したと告白された格好になってしまった。その長い歳月の間偽善的な演技をしながら真のお父様に同伴してきたと吐露した結果になったの

終わりに

真のお父様はれほど大変な生涯路程において真のお母様の言行が真実ななものだと信じたかったし、またそのように信じられていたと思われる。そうしてでも成し遂げなければならない究極の摂理があったからだ。そのもの悲しく切ないみ言葉のうちの一つを挙げるとこうである。

私たちのお母さんが立派なこと先生の言葉を全部信じました。先生を絶対に信じて先生の言う通りに絶対順応しようとしたのがお母さんの偉大なところです。数多くの女性が反対する位置ですが、それを消化して父として信じることができる娘の位置に行ったのです。復帰路程なので、娘として父に傷があっても、自分が全て責任を負うと言うことができてこそ、エバ罪の根を絶つことができます

真のお母様は、真のお父様が先頭に立って成し遂げられた基盤で暮らしながら、世の中の苦労一人でされたように訴えられるが、身寄りがなく孤独な世の中を生きるのに大変でない人がどれほどいるだろうか。統一家の食口の中には、み旨のために献身し、財産使い果たして、家族間で出せない出来事を経験し、苦しため息をつきながら持ちこたえている食口がどれほど多いことか、真のお母様はご存知だろうか。それによって、数多くの2世、3世がこの世の中流れて行く現実をご存知だろうか。万人の母としてそのように痛ましい人生を生きていく家庭の事情を少しでもくみ取られるならば、80歳を目前に控えた状況そのような駄々っ子のような泣き言や愚痴はもう自制されるのが正しいと思われ

うした豊かな基盤を喜んで提供してくれた当事者を反対に卑下し、非難に専念する行為は、まさに恩知らずといえる。大会の席上では、真の愛と平和の原理を論じながら、後ろは夫と子供たちを非難し、裁くことを繰り返されるなら、平和の母、統一の母として歴史に残ることができるだろうか

韓半島サミットで真のお母様が新たに究明したと苑長が強調するメッセージも考えてみればすべて真のお父様が早くから明らかにしてくださった原理のみ言葉の語彙である真のお母様自ら創り出された真理体系はどのようなものだろうか。10年間執着された独生女という言葉自体も、真のお父様が創り出した摂理の新造語である。そのように毎回真のお父様のものを借りて使う立場で貸した方を下位に置いて、自分の独自性だけを表そうとすることどれほど望ましくない行動だろうか。

苑長は、大いに興奮して、国内の各教団に行って講義することを夢見ていると話した。真のお父様の「非原理尻尾観」をこれからは外に出て流布するとは実にあきれたことだ。それならすぐ外に出て自力でやってみて、武勇談を報告してほしい。清平山中から一歩も外に出ず、井の中の蛙のように閉じこもり世情に疎くインターネットに流れる低級なチラシ情報に蜂の巣をつついたようなありさまではないだろうか。そのような浅はかな文書に惑わされ、まるで世の中が真のお父様を非難し、讒訴すると騒ぐ者が、統一現教育現場を代表するとは心苦しい

真のお父様の生前に、天一国完成の最後の道を毀損するために行った不適切なことが山ほどあ真のお父様の聖の直接的な原因は、内部の争いと恥ずかしい法廷訴訟、それによるの基礎基盤摂理の座礁にあ。そのすべての分裂と決裂の中心に立って、真のお父様の聖の原因まで真のお父様尻尾問題に根拠を置くことは正しくない

真のお父様が亡くなられて10年になるまで、真のお母様は子女たちと法廷闘争で自ら証言台に立たれ残酷な姿をまだ見せていらっしゃる。さらに子女たちからバビロンの淫婦などと口にできないほどの恥辱的な言葉で讒訴されてい。それこそ最も生々しい尻尾行動でなくだろうか。その尻尾どうなさるつもりお伺いせざるを得ない

真のお母様は早くから文聖進様の生母と文喜進様の生母のためにも、人知れぬ献身的な後押しをされてきた。そのような真のお母様の姿に誰よりも感動し感謝されていた方がまさに真のお父様でいらっしゃった。真のお父様の摂理路程で生まれたそれぞれ母が異なる子女たちも勝利された真のお母様の真の愛の懐に抱かれる時、そのすべての苦労と曲折の歴史は美しい結実を収めることができる。敵対して解決る問題は世の中にはない。ただ真の愛の答だけがその「尻尾」というものも切り離し、永遠の解放と自由に至る唯一の解決策でのよして切り離しのようにして切り、引き裂くで最後は誰と一緒に真の家庭理想の花を咲かせようとされるのだろうか
 

真のお父様はこうおっしゃた。

もう真の父母以外には他の話をするな。メシも何も、救世主も何も、再臨主も何も、全部古くなった糞をして臭いをさせる名前です。真の父母しかありません。メシが来て活動すればいいですか。民族をするための供え物です

救世主も偽物です、メシヤも偽物です、再臨主も偽物です、真の父母だけが本物です。真の父母だけが神様の愛と生命と結びついた血統を持つその父母だから真の父母です

真の父母一つが必要なのに、ごちゃごちゃしたものが4つもついています。救世主、メシヤ、再臨主、真の父母まで4つが必要ありません。堕落と縁のない解放的な真の父母だけがこの4を全て消化することができます

真のお父様はそのように、メシヤだの、救世主だの、再臨主だのという旧時代の語彙を捨てて、ひたすら真の父母の名前を前面に出して行きなさいと促された。独生子・独生女という言葉も同じだ。そうした、初臨だとか再臨だとかいう争いは一体、何か。

真のお父様はこのように大切なみ言葉を残してくださった。

神様がその家庭に臨在されるようになるというのが原理の根本的な精神です。その家庭は祝福中心家庭として立っていますが、祝福中心家庭というのは神様の助けも、メシヤの助けも、真の父母の助けもなく完成した立場で毎日の生活を報告するのです。祈りという言葉は、蕩減復帰のあるところで言う言葉で、それを越えた人には蕩減復帰とか、祈るとか、切に願うというそんな立場ではないということです。神様と共に生きていくその家庭は、神様の前で毎日報告の生活です。何でも生きているものは成長しなければなりません。止まったら大変なことになります。一瞬、1秒間でも成長するようになっています

神様がいなくても祝福中心家庭は神様の代身として行かなければならず、メシヤの代身、真の父母の代身として行かなければなりません。神様、メシヤ、救世主、宗教すべて必要ありません。宗教がすべてなくなります。すべての宗教の究極的な目的は家庭の完成です。国家ではありません。最初の出発点は家庭です。そのような家庭が集まって国を成すのです。それが神学の結論です

真のお父様は祝福中心家庭にはメシヤ、真の父母、ひいては神の助けさえ必要なく、むしろその位相と価値を代身した自律的実績の人生を生きるよう相続してくださった。このような時に過度に偏重する垂直的集団主義の目印である歪曲された「新独生女論」は摂理をあまりにも遥か遠く逆戻りさせる退行現象を引き起こしている。今私たちは神と真の父母の名前を代身して、その方々の長年の夢を私たち自身の人生の中で共に協力して成し遂げる道を進まなければならない

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